「それじゃ今度そこ、ごゆっくりお寛ぎくださいにゃ」
あのあと別の仲居さんに手伝ってもらい、ヤクとハメは無事に宿泊する部屋にたどり着けた。ひと仕事終えたというような背中で帰っていく先輩──なお本人は最後まで正しい部屋の場所がわからなかった──を見送り、ヤクは部屋に腰を下ろした。ずっと運転しっぱなしだったからか、そのまま崩れるよう体が勝手に横になってしまう。
(あぁぁ……畳の香りがする…………もうずっとここにいたい……)
ごろん、と寝返りを打つとひんやりした畳の感触が頬に触れた。薄目を開けると、張り替えられたばかりなのか、優しい若草色をしている。立派な座卓があって、その足の向こうには障子で仕切られた小さな広縁がある。
(はは……売れ残りの旅行券だと思ってたけど、これなら……)
けっこう悪くないかも。そう思いかけた瞬間。
「隙ありーッ! ハメちゃん必殺エレクトリカルマッサージャー!」
「何してんだボケェェ!」
横になって癒されていたヤクに、ハメのアホみたいな攻撃が飛んできた。気づいた時には時既に遅し。両足首をつかまれて電気アンマの体勢を決め込まれている。エレクトリカルマッサージャーは電気アンマの英訳そのままだ。
「ふふーん、油断したね、ヤク! ハメちゃんはあの日、ヤニっちの部屋で電マされた時から今日までリベンジする機会を虎視眈々と狙っていたんだよ! そうとも知らずに無防備を晒したこと後悔しやがれ! にひひひぃ!」
こいつ、学生時代のあだ名が『便所の妖精』だってバラされた時のこと、まだ根に持ってたのか。ケ◯の穴だけじゃなく、器も小さい。それとも旅先でテンションが上がってるのか。
「いぇーい、みんな見てる? ハメちゃんがヤクくんを屈服させるところ、しっかり見ててよねー」
「おまえ、これ撮ってるのか!?」
横を見れば畳に足を短くしたスマホ用の三脚が立っている。そこにセットされたピンクの猫耳スマホがばっちりヤクとハメをレンズに収めている。
「もっちろん! さぁ観念しろ、ハメちゃん必殺の激ヤバ電マクラッシャーをお見舞いしてあげちゃうんだから!」
「さっきと必殺技違ってるだろ。あと、そういうことなら」
──がしっ!
「ギブアップは早めに言えよな」
「え?」
──メキキィ!
「ぎぃええぇぇぇ!? 痛い痛い痛い! なにその技!?」
ズボンに押し当てられた右足を素早くつかみ返し、そのまま足首を曲がってはいけない方向に捻りあげる。途端にハメが壊れたラジオみたいな悲鳴をあげた。畳に尻餅をついたハメがのたうち回るが、構わず足首を極める。
──メキメキィ、メキィ!
「えっ、ちょっと待って!? 痛い痛い! なんでそんな技できんの!?」
「昔、合気道やってたって言っただろ」
「これどう見ても合気道じゃな……痛い痛い痛い! 足ッ、足ッ、足が壊れるって!」
「ギブアップは?」
「するする! ギブアップ!」
「他に言うことは?」
「もう二度とイタズラしない!」
「もっと丁寧な言い方あるだろ」
「しません、もうイタズラしませんから!! この技はずしてぇぇ!!」
涙目になりながらのたうつハメの声に、ヤクの中で試合終了の鐘が鳴った。試合時間32秒、極り手はヤク式足首固め。録画を停止させるハメの顔からして、ギブアップシーンはばっちり撮れているようだった。
「うぅ……ハメちゃんの華麗なリベンジマッチが……」
「どこが華麗なんだよ」
仮に成功していても汚い絵面にしなならないだろ。やってることは女子同士の電気アンマなんだから。
(……まったく、これじゃ寛ぐのもできないじゃんか)
ハメは叱られた後の幼稚園児みたいに部屋の隅っこで丸くなっている。床の間に飾られた大きめの壺と並んで、下手な物真似を見せられている気分だった。
タバコに火を点けようして、部屋の中は禁煙だったのを思い出した。館内のどこかに喫煙所がないか、と腰を上げたちょうどその時、部屋の襖が開いた。
「失礼しますにゃ。ご夕食の時間を伺い忘れていたので、伺いにきましたにゃ」
襖の外にいたのは両膝を着いた先輩だ。仲居さんの作務衣だけは様になっているのに、相変わらず仕事の方はダメダメだった。
聞けば、夕食は食堂で食べる形式らしい。ヤクはお腹に手をやった。
「自分は遅くてもいいっスよ。ハメ子はどうする」
「ハメちゃんも遅くていいよー。できれば一番遅い時間がいいかなー、なんて」
「昼間の唐揚げ丼まだ残ってるなら、そう言えよ。ということなんで、夕食は最後の時間でお願いするっス」
「かしこまりましたにゃ」
と、そこで立ち上がりかけた先輩が思い出したように座り直した。何かと思えば、隣からお盆に乗せられた飲み物類が出てきた。さっきまで冷やされていたのだろう、汗をかいた瓶コーラにオレンジジュース、それから牛乳瓶に入ったコーヒー牛乳やフルーツ牛乳もある。
「こちらさっき部屋にご案内しようとして間違えたお詫びですにゃ」
「えっ、ジュース無料? やったー、ハメちゃんラッキー」
さっきまで体育座りしていたはずのハメ子が急に元気になって迫ってきた。復活の仕方が現金すぎる。
「いや、そんな。気を遣わないでくださいよ。自分、そんな気にしてませんから。気持ちだけで十分っス」
「ニャーの気持ちじゃないにゃ。さっき館長にこれ持って謝ってこいって言われたにゃ」
「そ、そっスか。じゃあ遠慮なく」
車を運転している時は高速でトイレに行きたくならないように、と水分補給も最小限にとどめていたし、ここは先輩の──正確には館長の──好意に甘えさせてもらおう。
隣から元気になったハメがオレンジジュースの瓶をかっさらっていくの横目に見つつ、ヤクはコーラの瓶を手に取る。今では珍しくなった栓抜きで開けるタイプだ。
「サービスにゃ。開けてやるにゃ」
栓抜きを探そうとした矢先、先輩が手で瓶の首を持って親指でコーラの蓋を押し上げた。ぽっ、と音をたてて弾け飛ぶ蓋。部屋のテーブルで栓抜きを片手に力加減を探っているハメよりよっぽど手慣れている。
「ありがとうございます」
「礼はいらないにゃ。ニャーは今まで十本以上開けてきてるにゃ。この旅館ではプロにゃ」
「へー、やっぱ瓶コーラって頼むお客さん多いんですか?」
「……? なんで客の話が出てくるにゃ?」
「いやだって、十本以上開けてるって……」
言いかけてヤクはふと疑問に思った。先輩のことだから、何かしらのミスをやらかしてお詫びのジュースを配るのはこれが初めてではないはず。
ところで、瓶やボトルに対して『開ける』といった時、どう解釈するかはひとによって違ってくる。一般的には『蓋を開ける』という意味だが、酒飲みの間などでは高級な酒などに対しては『飲み干して空にする』の意味で使われることがある。
(えっ……先輩、これどっちっスか……?)
目で問いかけても先輩は小首を傾げるばかり。これは深く追求しない方がいいな、とヤクは開いた瓶コーラに口をつけた。しゅわしゅわとした炭酸がうまい。
◯ ◯ ◯
夕食まで時間があるので、腹ごなしも含めてヤクは散策へ出かけることにした。当然というべきか、ハメも自撮り棒を片手についてきた。
温泉地と聞いてヤクが思い浮かべたのは、真っ直ぐな街道とその左右に軒を連ねる温泉旅館の数々、その屋根には煙突があり、もくもくと湯気をのぼらせている。もしくは街道ではなく湯の流れる川を挟んで建ち並ぶ温泉宿──そんな風景だった。
ただし、
そもそも山裾に近い地域なので、まっすぐな道というものが少なく、旅館よりも葉を生い茂らせた木々が目立った。温泉地というより温泉の隠れ里といった方が合っているかもしれない。
季節柄、吹く風は少し冷たいが、歩くのにはちょうどいい。
「ところで、ヤクはこの後どうするか決めてるの?」
「特にはなにも。適当にぶらついて、気になったお店とか入ろっかなって思ってる」
さっきレンタカーを停めた駐車場を越えるくらいのところまで歩くと、道が十字路になっていた。真っ直ぐ行くと、上り坂になっていて、その先に『温泉饅頭』の旗が見える。こうして見ると、案外ここも温泉地っぽいかもしれない。
「決まってないんだったらさ、ハメちゃん行ってみたいところあるんだよねー」
「どこ?」
「ここ、ここ!」
いつ調べたのか、ハメ子の見せてきたスマホ画面には『
ヤクも調べはしたが、旅館やレンタカーの予約で観光名所を調べるところまでは手が回っていなかった。これに関しては素直に感謝……と思いかけて、ヤクは眉間にしわを寄せる。
件のサイトには直近で追加されたであろう23番目の観光名所が載っていた。
アニメ『ニャードギアス 逆襲のピース』第二関東決戦のロケハン地、と。これ温泉地関係なくない?
◯ ◯ ◯
「オール・ハイル・ニャードニア! ハメちゃんねるを観てる全ニャードニア民たち! ハメちゃんは帰ってきた! というわけで、今回はここ、第二関東決戦の聖地からお届けするよ!」
「ニャードニア民ってなんだよ。それに帰ってきたもなにも、おまえここ来るの初めてだろ」
自撮り棒のスマホを片手に、器用にポーズを決めるハメ子を見ながら、ヤクは思わず半目になる。そのニャードなんとか、というアニメはタイトルと主人公の顔くらいしか知らないので、ハメの言っているセリフは九割がた理解できていなかった。
(まぁ、あいつのチャンネルだし、楽しそうならいっか)
ハメの録画に映り込まないようにちょっと距離をあけながら、ヤクは買ったばかりの温泉饅頭をかじる。ほくほくとした皮と甘い白餡が美味しい。
ヤクとハメが来たのは公民館のような施設らしい建物だった。もっとも、今はアニメのポスターやキャラクターの等身大パネル──しかも記念撮影できるようにスペースが空いている──が設置されていて、まったく別の建物に変貌しているが。
隣にあるモニターでは公民館の裏手にある山とそっくりな山岳を背景に、二機の機体が熾烈な空中戦を繰り広げるていた。黒と金のカラーリングをした機体から発射された極太のビームがごっそりと裏山を削り取る。火花の散る派手な闘いは、アニメ未視聴のヤクも目を惹かれた。
「はいはーい。あっちに見えるのが、ニコチンタール砲で抉られたワカバダイト鉱山の元ネタの山だよー」
「ぶふっ!?」
ひっどいネーミングに、ヤクは吸いかけのセブンスターを吹き出した。もうちょっとマシな名前はなかったのか。
ハメ子が他の獣人たちよりヤクに対して積極的なのは、ヤクへの信頼とか友愛の気持ちの発露だったらエエなぁ、と思ってます。