『本日は全国的に快晴です。新入生や新社会人のよい門出となることでしょう』
なんとなく点けたテレビではキャスターの女性が天気を教えてくれる。どうやら、俺は恵まれたようだ。
味気ない食パンも少し美味しく思えてきた。
「ごちそうさまでした」
たまにはマーマレードでも塗ってみようか。そんなことを考えながらクローゼットからスーツを取り出した。
「皺ついてないよな?」
クリーニングから帰ってきてそのまま。ビニールも剥がしてない。
朝からワイシャツに袖を通すと俺も社会人だなと実感する。就活のときも着てたけど、少し違う。
『次のニュースです。魔術協会は年々採用を拡大しており、今年は過去最高となる――』
天気予報は終わってニュースが始まっていた。モニターには魔術協会の立派な建物が。
俺はそれを最後まで見ず、テレビを切った。
「さて、行こうか」
今日は4月1日。新社会人の俺は革靴を履いて部屋を出た。
♦♦♦
電車に揺られること30分。辿り着いたのは住宅街だ。
高いビルや大きな建物はあまりない。都会とも田舎とも言えないのどかな街。
ここに俺の職場がある。
「野上トレーニングジム本日オープンしました。いかがでしょうか?」
駅の出口では壮年の男がティッシュ配りをしている。朝から大変だな。
「お兄さんもいかがでしょうか?」
「あ、どうも」
断るのも悪い気がするし受け取っておく。こういうのって冷たく断られると傷つくだろうし。
受け取ったティッシュを見て考える。どうせジムに行く必要なんてないだろうな。
そんなことを考えつつポケットにしまった。
「ねえねえ、お兄さん」
「はい?」
肩をポンポンと叩かれて振り返る。そこには知らない女の子が立っていた。
少しダボっとした灰色のパーカーにすねまである薄ピンクのロングスカート。白いスニーカーを履いていて動きやすさ重視って感じだ。
寝ぐせも残っていて全体的に緩い雰囲気がする。高校生くらいだろうか。
左手にはキャリーケース。脇には魚(?)のぬいぐるみ。
少し特徴的な格好をしている。口元を緩めながら俺のことを見つめていた。
知り合いにこんな子いただろうか?記憶を掘り返してもそれっぽい子は出てこない。
「騙されてるよ、悪い人に」
「……は?」
次の言葉はさらに俺を困惑させた。女の子は遠慮なく続ける。
「そのティッシュ、魔力を吸い取ってるよ」
「え?」
慌ててポケットにしまったティッシュを取り出す。改めて魔力を探ってみると確かに吸い取られてる感じがする。
気づけないくらいほんの少しだけど。
中身を全部出してみると術式の刻まれた紙が出てきた。これ、魔術具だったのか。
「早く捨てた方が良いよ。何する気か知らないけど、どうせ悪いことだろうし」
女の子は手をひらひらと振りながら歩いていく。俺に忠告だけ残して。
「馬鹿だよね、あの人も。こんな場所でやるなんて」
「ちょっと……」
女の子はティッシュを配っている男のもとへ歩いていく。一体何をする気なんだ?
女の子を追って駆け戻る。
「おじさん、悪いことしてるでしょ?頭の中が罪悪感でいっぱいじゃん」
「な、なんのことでしょうか?」
「僕、『魔女の家』の魔術師なんだけど。言いたいこと、わかる?」
「ひぃ、すみませんすみません。どうか許してください」
俺のときと同じで女の子が軽く声をかける。それだけで男は必死に土下座していた。
人が行きかう駅の構内。大の大人が人目もはばからず。
魔術師、だったのか。一回り小さい女の子にしか見えないのに。
周囲の人は目の前の異常事態を写真に収めたりひそひそと話をしたりしている。構内はちょっとしたお祭り状態だ。
「取って食べようだなんて思ってないんだけどなぁ。……ねぇ、一緒に警察来てくれる?」
「はい、もちろんです。だから命だけは」
「大丈夫だって、僕は優しい方だから」
二人は一緒に歩いていく。その先は駅の交番だ。
犯罪があんな簡単に解決してしまった。
すごいんだな、『魔女の家』って。改めて自分の就職先の凄さを思い知った。
「俺は……もう行くか」
少し迷ったけど俺は現場を離れた。解決したみたいだし、俺がでしゃばる必要はないな。
朝からすごいものを見たな。その印象だけが強く残った。
♦♦♦
駅からさらに歩くこと10分。学校に辿り着いた。
「
やたら新しいな。中学校か高校だろう。
でも、俺は『魔女の家』の本部に来たつもりだったのに。どうしてこんなところに?
「俺、何か間違えたか?」
メールだとこの辺で集合のはずだけど。ちゃんと住所もあってるし。
「あっ、新入職員の方ですね」
ぐるぐると歩き回っていたら声をかけられた。――ゴスロリの女の子から。
「いやー待っててよかったですよ。だいたい初めて来る子は迷子になっちゃいますから」
たったったとヒールを鳴らしながら駆け寄ってくる。さっきの駅の子よりもずっと小さな女の子だ。
中学生……いやもしかすると小学生か?
「初めまして、
「……時雨さんですか?」
「はい、そうですよ」
衝撃の事実に身体が硬直する。
え、じゃあこの人がメールでやりとりしていた人?こんな小さい子が?
「初めまして、
「はい、お願いします」
下げた頭と一緒に揺れるふわっふわのツインテール。嫌でも目に入る大きなカチューシャ。
頭を上げてにこっと微笑む表情。黒ベースでピンクの刺繍が入った可愛らしいドレス。
人形みたいだと思ってしまった。『魔女の家』の人だと思うけど。
「ふふふ、若いなって思いました?」
時雨さんは揶揄うように口元を押さえて上品に笑った。
「いえ、その……」
幼いと思いました。そんな内心は胸の奥のしまい込む。
「よく言われるんですよ。安心してください、これでも君の倍は生きてますから」
「そう、なんですね。時雨さん、とてもそうは見えません」
あの見た目で四十過ぎ。いったいどんな魔術を使っているんだか。
「琴羽って呼んでください」
「いや、でも」
「関係者にもう一人同じ苗字がいますから。区別がつきませんよ~」
口元に指を当て目を細めて微笑んだ。
「それじゃあお言葉に甘えて。今日からお願いします、琴羽さん」
「はい、それじゃあ行きましょうか」
俺は小さな背中の後を追って歩き出した。
「ここが『魔女の家』の本部なんですか?」
辿り着いたのは学校の隣、少し小さな施設だ。何かの福祉施設に見える。
でも門にはしっかりと『魔女の家』と書いてある。
「驚いちゃいました?五大組織なんて言われてるのにこんなにちっちゃくて」
「いえ、そんなことは」
国内で五つしかない魔術組織。その一つ、魔女の家。俺の職場だ。
あまり派手なことを好まない組織風土。そう聞いてたけど、ここまでとは。
「大丈夫ですよ、ここは昔の名残ですから」
「名残?」
「はい、『魔女の家』がまだただの寄り合いだった半世紀以上前。この建物を買い取ってすべてが始まったんです」
「へー」
組織の歴史みたいな話か。学生時代もそんな話あったな。
「でも、『魔女の家』も大きくなりました。流石にこんなちっちゃな建物に全員で入るのは厳しいです」
「そうですよね」
そう言いながらも琴羽さんは迷いなく建物の中に入っていく。頭に疑問を抱えながらついて行った。
「だからちょっとずつ改築したんです」
琴羽さんはボタンを押してエレベーターを呼び出した。でも、ここって2階建てくらいじゃないのか?
「さあ、乗ってください」
「はい、わかりました」
心の中で首をかしげながらエレベーターに乗り込む。琴羽さんがボタンを押すとエレベーターは動き始めた。
下に向けて。
エレベーターはかなりの速度で動いている。大型施設の高速エレベーター並みだぞ。
「いいですね、その顔。いやー役得役得。みーんな最初は驚いてくれるんですよ」
「これは?」
「今確か地下20階くらいでしたっけ?色々な思惑が絡み合って上じゃなくて下に伸びちゃったんですよ」
琴羽さんはからからと笑いながら説明してくれた。よく見るとエレベーターのボタンも沢山ある。
「すごいですね」
「腐っても魔術組織ですからね。お金と権力はあるんですよ」
そんなレベルの話じゃないと思うけど。二十三区じゃないけど都内だぞ。
「この辺りは地下鉄なんてありませんし。色々調整してアリの巣みたいに広げてるんですよ」
スケールの大きい話だ。改めて自分はすごい組織に入ったんだと驚かされる。
そんな会話をしているうちにエレベーターは停止した。通勤鞄を抱きしめながらそろりと踏み出す。
そこには大きな木製の扉があった。扉の横には代表室と書いてある。
「ここに『魔女の家』の代表が……」
五大魔術組織の長。
下手な政治家よりも偉い人だ。部屋の前を通るだけでも緊張する。
「そんな緊張しなくていいですよ。ただのだらしないおばあちゃんですから」
琴羽さんは近所のおばさんみたいなテンションだ。その態度に俺の方が冷や汗出てしまう。
「いいんですか、そんなこと言って?聞こえちゃいますよ」
「大丈夫です。君もリラックスして。じゃないとお話しできませんから」
琴羽さんはおもむろにノックした。
『どうぞ』
「え?」
「はーい、失礼しまーす」
俺の困惑をよそに琴羽さんは元気よく扉を開けた。
そこにはドラマのような豪華な部屋が広がっている。
大広間には黒いソファと大きなデスク。背面の棚にびっしり並んだ魔術書。
そして奥のデスクには代表らしき人が座っている。藍色のカーディガンを着た壮年の女性。
「連れてきましたよ、例の子」
「ご苦労様、琴羽」
女性は手に持ってた書類を置いて顔を上げた。そして朗らかに微笑む。
「初めまして、佐伯慎平君。私が時雨
「は、初めまして代表。今日からお願いします」
動揺を隠すため深く頭を下げた。
聞いてない。いきなり代表と話すだなんて。
「そんなに緊張しなくていい。代表なんて面倒な肩書を背負わされているけど、大したことはしてないしする気もない。
君が挨拶代わりに魔術をぶっ放したとしても三回までなら許してあげよう。仏の顔も何とやらと言うだろう?」
「は、はぁ、ありがとうございます?」
どう反応したらいいのか。言葉に詰まる。
「もう、慎平君困ってるじゃないですか。そういうの、最近はパワハラって言われちゃうんですよ。
冗談はもうちょっと時間をおいてからにしてください」
笑えないジョークに琴羽さんが怒ってくれた。腰に手を当てて、ぷんすかって感じで。
そこまで言わないけど、こういうフォローは助かる。
「ああ、すまないね。ちょっとしたお茶目だから許してくれ、佐伯君」
「ええ、勿論です」
思ったより話しやすい人みたいだ。少しほっとした。
「さて、佐伯慎平君。改めて『魔女の家』にようこそ。
私たちは君を歓迎するよ。よく来てくれた」
「ありがとうございます」
「早速で悪いが君に会ってもらいたい子がいる。わざわざこんな早い時間に呼び出したのもそれが理由だ」
「なるほど、そういう事情だったんですね」
集合が朝の7時。集合するには早いと思っていた。
「そう、そのために初日から早起きして貰った。——わけなんだが、肝心の
代表はそう話しながら大きなため息を吐く。
「え、瑠愛ちゃんまだ帰ってきてないんですか?朝ちゃんと電車に乗ってましたよね?」
どうやらその瑠愛という方がいないみたいだ。琴羽さんも驚いている。
「さっき連絡があってね。トラブルに巻き込まれたみたいだ」
「え、それ大丈夫なんですか?」
琴羽さんが心配そうな顔をする。確かに少し不安だな。
「大したことじゃない。少し時間を取られそうなだけで被害はないそうだよ」
「それはよかったですぅ」
琴羽さんもホッと一息。朝からトラブルだなんて……まさかな。
「瑠愛との顔合わせは夕方になるだろう。それはまあ、仕方ない。悪いね」
「いいえ、気にしないでください」
その人のことはいろいろ気になるけど。事情があるなら仕方ない。
「これから君とチームを組んでもらうからね。顔合わせだけでもと思ったんだけど、思うようにいかないね。
まあ、チームメイトは一人じゃない。もう一人とは早速仲良くしてもらおうか。
琴羽、頼んだよ」
「わかりました」
琴羽さんは一礼をして部屋を出ていく。顔を合わせる相手を呼びに行ったんだろう。
部屋は俺と代表で二人きり。少し気まずい。
「琴羽が戻ってくるまでだんまりというのも味気ない。それまで少し私とおしゃべりしていようか。適当にかけたまえ」
「それでは、失礼します」
代表の促すままソファに座る。ふかふかで下半身が沈み込む。
「魔法学園はいい仕事をしてくれた。おかげで君のように優秀な魔術師を迎えることができた」
「いいえ、決してそのようなことは」
代表自らの高評価。緊張と悦びが同時に腹の底で渦巻いている。
「……いい時代になったものだ。こうやって魔術の教育を学校で受けて、国に立場を保証して貰える」
「そうですね。俺は恵まれていると思います」
魔術師法が制定されたのは今から大体30年前。それまでは色々と大変だったらしい。
魔術師は一部の家柄がいい人だけの特権だったとか。
「力があっても家柄がないなら一生しまい込んでおけ。昔はそんな頭のおかしいことをどいつもこいつも平気な顔して言っていたよ。
そんな理性的なやつばかりじゃないって、自分の腹の中を見ればわかるだろうに」
「……そうかもしれません」
ここ数十年でかなり魔術犯罪の件数は少なくなった。その原因は国全体の魔術教育を整えたから。
力を持て余して犯罪に走る人へ教育を施し、資格と仕事を与えた。
その立役者が『魔女の家』の人たちだ。魔術史の講義で教授が口を酸っぱくして話してくれた。
「辛気臭い話をしてしまったね。少し話を変えよう。
君はどうして
代表は話を急に切り替える。しかし、軽い話をしようという顔には見えなかった。
「えっと……」
まるで俺の心の底まで見透かすような瞳。思わず言い淀んでしまった。
「これは面接じゃない。ただの個人的興味だ。君の本音を聞かせてくれないか?
君なら魔術協会に入るなり魔法学園に残るなり、選り取り見取りだっただろう」
俺の内心を察したかのように言葉を続ける。
これは本当にただのおしゃべりなんだろうか?それとも……
「俺、昔からの幼馴染がいたんです。俺以上に才能があって、強くて」
どちらにしろ、本音で答えるべきだ。そう思った。
「でも、高校でだんだんおかしくなり始めて。大学を中退してどっか消えちゃったんです」
今でも夢で出てくる。あのぎらぎらとした瞳が。
何をしているかは知らない。でも、ご両親も連絡が取れないらしい。
まっとうな生き方はできていないだろう。
「どうにかできなかったのかなって。傲慢かもしれないけど、そう思ったんです」
わかってる。あいつの人生はあいつのもの。
俺がとやかくすべきものじゃない。でも、あのとき何かできたんじゃないかって。
「だから、俺は魔女の家にしたんです。ここは犯罪者を取り締まるんじゃなくて手を差し伸べる方針だって聞きましたから」
言い切った。
誰にも話さなかった本音。心の奥にあった煮凝りみたいな部分を。
代表はどう思っただろうか?ゆっくりと顔を見上げる。
「ふふ、悪くないね。少し青臭いけど、芯の通ったいい心意気だ」
代表は口元を緩めて笑っている。これは合格、ということでいいんだろうか?
「君の希望に合う仕事だと思うよ。これからの長い人生、楽しんでくれたまえ」
「はい!」
こうして俺の社会人生活はスタートした。