瑠愛さんの術式について、俺たちが和気あいあいと話していたところだった。
ガチャリ。扉が急にノックもなしで開く。
ギリギリ人が通れる隙間からぬるりと影が入ってくる。
びくりとして身を強張らせる。
しかし、相手は別にお化けでもなんでもない。
髪の長い女性だ。その髪は腰を越えて膝近くまで伸びている。
さっき陰に見えたのはこれが原因だ。
年は瑠愛さんと同じくらいだろうか。職員さんにしては少し若く見える。
「あ、あ、あのっ、えんしょ、じゃない演習場の修理……終わりました」
何度も言葉を詰まらせ、なんとか言い切る。かなりの上がり症のようだ。
全力疾走した後のように呼吸が荒くなっている。
「ご苦労様です、葵ちゃん」
「は、はぃ……」
琴羽さんは報告を聞いて相手を労う。その言葉を聞いてようやく息を整え始めた。
ん、葵?葵って確か——
「ボードゲームの製作者?」
チームの連携を鍛えるために課された15種類のボードゲーム。まさかこの人が?
「あ、きっ、君が瑠愛ちゃちゃちゃちゃんの、チームメイト……ですか?」
「ええ、そうで——」
返事を言い終える前に葵さんがじわりと動き始めた。振り子のように身体を揺らしたかと思うと、すぐにかき消える。
「は、初めまして!峰葵です!よろしくお願いします!」
次の瞬間、峰さんは俺の手を取る。いつの間にか彼女は、目と鼻の先まで距離を詰めていた。
意識の隙を縫うような足運び。音が全くしない自然な移動。
完全に虚を突かれた。手を取られるその瞬間まで一切気づけなかった。
「……どうも、佐伯慎平です」
顔が引きつりそうになるのを何とか抑えこむ。
多分俺より偉い人だ。粗相のないようにしないと。
「琴羽さんから聞きました。私のゲーム遊んでくれたんですよね?
どの子が一番でしたか?是非感想を聞かせてください。
私のオススメは『琴羽ちゃんをおうちに帰そう』ですね。
現実のクマの習性をゲームに取り入れるのは私の中でもなかなか革命的だったんですよ。もう正に天啓が下りてきたって感じで。
あ、でも他の子たちが劣ってるってわけじゃなくて。ちゃんとどの子も丹精込めて作った自信作で——」
マシンガンのように無限にしゃべり続ける。どこで息をしているのかわからない。
さっきまでとのギャップが凄まじい。
「えーと、『おうちを建てよう』ですね」
あれが比較的マシだった。あれ以外は全部やり直しているから。
攻略法がわかったら終わりのあのゲームはまだ易しかったんだ。
「そ、そうですか。佐伯くんはあの子が好みでしたか。
あのゲームは『なるべくシンプル』ってコンセプトで作ったんですよ。やっぱり無駄がなくてすっきりしているのが一番ですから。
こういうゲームだからどんどん情報が増えていくのは
そういう想いを込めていて——」
「葵さん、それくらいにしておいてよ。慎平さん困ってるから」
瑠愛さんが峰さんの肩を叩く。
峰さんはびくっと飛び上がって振り返る。そして、瑠愛さんの顔を見てホッと一息ついた。
「あ、瑠愛ちゃんごめんね。私、つい……」
「葵さん、もうちょっと距離の詰め方考えないと」
「うん、気をつけるね」
瑠愛さんがそれを言うのか。この組織はキャラの濃い人が多いな。
「魔女の家の雑用係、峰葵です」
「雑用係、ですか?」
琴羽さんや瑠愛さんの言い方からして、てっきりお偉いさんかと思ってたんだけど。
「葵ちゃん、雑用係なんかじゃないでしょう?あなたにはIT部門長という立派な役職が——」
「いいえ、私の仕事は雑用です」
峰さんは琴羽さんの言葉を遮って断言する。俺は峰さんの異様な雰囲気を感じ取った。
「あの、葵ちゃん?」
「IT部門長とかいうふざけた肩書で、金融と同じくらい広大なITの仕事を全部丸投げされているんですから。
これが雑用じゃなくてなんというんですか?私の先月の工数がどれだけふざけた値になるか知っていますか、ねえ琴羽さん?」
峰さんはぐりんと恐ろしい目で琴羽さんを見ている。そこからは副代表への敬意など微塵も感じられない。
むしろ憎悪が渦巻いている。見ている俺がその威圧でビビってしまった。
「わ、悪いと思ってますよ。だから採用増やしてるじゃないですか」
「全然足りないんですよ。それより速く仕事増やしてたら何の意味もないでしょうが。
もうドットコムバブルの時代じゃないんですよ。
ITと一口に言ってもサーバーの管理、ホームページの運営、個人情報管理、AI活用エトセトラエトセトラ。アホみたいに広がってる分野なんですよ。
普通の組織はとっくの昔に分業してるんです。それが何ですかうちの組織は。
ITなんて言葉で未だに一括りにして。馬鹿なんじゃないですか?」
琴羽さんの言葉など焼け石に水。怒りを燃料にしていつまでも燃え続けている。
「あの……」
あの琴羽さんが押されている。凄まじい光景だ。
「琴羽さん今うちの部がどれだけ仕事抱えてるか把握してます?同業者からどんな目で見られてるか知ってます?
そんなだから、アンリミテッドワークス(笑)とか陰で言われてるんですよ。
お願いだから見直してください!私が十人いる前提で仕事振って来ないでください」
「わかりましたから、若い子の前で恥をさらすのは止めてください!」
「……あ!」
琴羽さんの言葉でようやく峰さんの言葉は止まった。周囲を見渡して自分の口を抑えている。
俺たちのこと、忘れてたんだな。
「す、す、す、すみません、お見苦しい所をお見せっ、し、し、し、しましたー!」
すごく滑らかな動きで地面に頭を打ち付ける。ガツンと嫌な音が響いた。
要は恐ろしく勢いのいい土下座だ。頭蓋が割れそうなほどに。
「い、いえ気にしていませんから」
「そんな、わけが、ありません。きっと、就職先、間違えたって、思ってる、はず、です」
言葉を区切るたびに峰さんが頭を打ち付ける。まるで杭を打ってるようにガンガンと音が響く。
「葵さん、もういいから止めてって」
「葵ちゃん、今の方が見苦しいですって」
瑠愛さんと琴羽さんが二人がかりで止めに入っている。シュールな光景だ。
「魔女の家って個性的な方が多いですね」
近くの九條さんに話題を振る。この何とも言えない気持ちを誰かと共有したかったから。
「……特殊な才を持つ人間は何か欠けていることが多いです」
だから個性的な人間が多い。そう言いたげだ。
「何も欠けていない人間なんていないんじゃないですか」
「そうでしょうか?」
九條さんは不思議そうに俺を見る。
「少なくとも、俺は欠けたところがある人間ですよ。欠けている部分を必死に補って見せているだけです」
「……そういうお考えなのですね」
九條さんは再び峰さんの方を見る。二人で無理矢理立ち上がらせている所だった。
「隊長が選ばれた理由の一つ、わかった気がします」
「そうなんですか?」
「はい」
琴羽さんは言っていた。他人の術式を改良できることが、リーダーに任命された理由の三分の一だと。
つまり、あと二つ理由があるはずだ。九條さんはそれを見つけたかもしれないらしい。
「隊長の人間性は一つの長所ではないかと」
「そう、ですか……」
正直、よくわからない。でも褒められているのだろう。
言葉はとりあえず受け取っておく。
「ええ、何度も、すみません。きょ、今日はわたっ、私が、みなさんの訓練相手を、しますっ!」
なんとか元に戻った峰さんがホワイトボードの前に立つ。琴羽さんの隣で九十度のお辞儀をしている。
「忙しいのに大丈夫なんですか?」
「そ、そこは問題ありま、せん。私は一人じゃ……ない、ので」
峰さんが手を小さく叩く。すると峰さんの姿が蜃気楼のように揺れる。
どんどんと姿が不明瞭になり、遂には分離してしまった。
「峰さんが二人⁉」
同じ顔、同じ服、同じ姿の人間が二人その場に立っている。まるで双子のように瓜二つだ。
「こ、これが私の得意技。並列存在、です。自分自身を複数に分割でき、ます」
ここに来てから驚きっぱなしだ。誰も彼も俺の知らない魔術を平然と見せてくれる。
「分類としては空間と魂魄の併用ですね。葵ちゃんの存在そのものを分割して別座標に召喚しているわけです」
「そんなことまでできるんですね」
理論自体はわからなくもない。ただ、俺には一生できなさそうなレベルの芸当だ。
下手をするとそのまま死んでしまう。そのレベルの魔術だろう。
「複数の身体を同時に動かすわけですか。かなり負荷がかかりませんか?」
「あ、そういう感じじゃないです、九條……さん。並列存在は意識も分割してる、ので。消えるまでは魔力も思考も切り離された、別個体……です」
つまり、全部が本物の峰さんということか。とんでもなく便利だな。
「こ、この力があれば、普段のお仕事をしながら、君たちの相手もできるん、です。でき……ちゃうんです。
今も別の私がモニターと向き合ってるんです」
最後で一気に暗い顔になった。その理由はさっきの話を聞いていればなんとなくわかる。
仕事、沢山あるんだろうな。
「大丈夫?葵さんただでさえ大変なのに。僕たちの訓練、別の人に頼んだ方が良かったんじゃ?」
瑠愛さんが心配そうな顔で峰さんの顔を覗きこむ。
「ううん、大丈夫。瑠愛ちゃんのため、だから。
瑠愛ちゃんのためなら私、分身の十体や二十体喜んで出す、から」
そんな瑠愛さんの心配を振り払い、瑠愛さんの手を取る。その目は恋する女の子のように熱っぽい。
「瑠愛ちゃんはもう13回も来てくれてる。まだここに来て1年経ってないから、月1以上のペース。
本当にいい子。大半の子は二度目がない。
だから、私、瑠愛ちゃんのためならこれくらい喜んで、やる」
本当にボードゲームが大好きなようだ。それだけでここまで瑠愛さんに尽くしてくれるだなんて。
「そうなの?」
「うん、もちろん。だから、また来て、ね。
事前に教えてくれたら、またお茶菓子用意しておく、から」
「わ~い、葵さんのお菓子どれも美味しいやつだから大好き!」
なんだろう、ものすごく不健全なものを見ている気分になる。何も否定する要素はない筈なのに。
「あ、佐伯くんにも期待してる、から」
「……どうも」
それはどういう意味でだろうか?
「それで、訓練内容はどのようなものでしょうか?」
「えっと、私の訓練は……鬼ごっこ、です」
九條さんの質問に峰さんはとても端的な答えを返した。