魔女の家は地下20階まである巨大な施設だ。俺たちが集められたのはその最下層。
ただひたすらに白い空間が広がっている。
端から反対側の壁が見えない。叫んだらでも帰ってくるまでには時間がかかりそうだ。
「ここがうちの演習場ですよ。ここならどれだけ強い魔術を使っても問題ありませんからね~」
琴羽さんは俺たちの後ろから来て扉を閉めた。
「本当に広いですね。ここなら真上の階の人に迷惑がかかりません」
広すぎて天井に攻撃が当たることすらなさそうだ。
『いえ、この上の階層には誰もいません』
「え?」
リナさんが俺の言葉を訂正する。
『地下11階から19階までは未使用のフロアです。基本的に誰も立ち入りません』
「だいたい10階までしか行かないよね~」
リナさんの言葉を瑠愛さんが肯定する。彼女はここに住んでいるらしいから実際そうなんだろう。
つまり9階分も未使用?
「事故のときの対策ですか?いくらなんでも空け過ぎじゃ……」
「本当は地下20階もいらないんですよね~」
琴羽さんが俺の疑問に割って答える。呆れたような声で。
「魔女の家は出資者から資金を受けて活動している組織です。非営利ってわけじゃないですけど、基本収支はマイナスですから。
赤字を埋めてくれる出資者の意見は聞かないといけません。こんな無駄にでっかい施設は出資者の意向なんですよ」
「でも、なんでそんなことを?社会貢献のためとはいえ、不自然じゃないですか?」
魔女の家は社会のセーフティネットとしての役割も強い。
魔術犯罪の被害者や加害者の保護も行っている。次の被害者を出さないように。
だとしても、半分近く使わない施設を建てるなんて不自然だ。琴羽さんがはっきり無駄だと言ってるんだから。
一体どんなメリットがあるって言うんだ?
「……慎平君には近いうちに話すときが来るでしょう。でも、今じゃありません」
琴羽さんは珍しく少し低い声で告げた。
「今はチームワークの時間です。君たちの今の実力を見せてもらいましょうか」
……追及するのはやめておこう。どちらにしろ、今は集中すべきだ。
「最初はスタンダードな近接タイプ、緋真ちゃんから。どうぞ!」
「承知しました」
琴羽さんの言葉に応えて九條さんが前に出る。
「来なさい、九天」
九條さんが左腕を肩の高さまで上げ、小さく唱える。すると藍色の術式が大きく展開された。
術式は月輪のように淡い光を放つ。光が収まると、九條さんの手に納刀状態の刀が握られていた。
「今のは、空間魔術?」
「はい、これが私の武器『九天』です」
九條さんは刀を掲げて見せてくれる。それだけで刀が持つ威容に気圧される。
なんて魔力だ。魔術師何人分だろうか?
「緋真ちゃんのお
「なるほど」
それであんなにすごい魔力を放っているのか。
伝説級の魔術具だぞ。おそらく、あれ一本で豪邸が建つ。
「それでは私の魔術をお見せします」
刀をスーツの裾に隠していたベルト式の固定具に取り付けた。
「抜刀」
少し腰を落としてゆっくりと刀を抜く。鏡のように美しい刀身が現れた。
九條さんの和風の顔立ちと合わさって、息を呑むほど美しい。
「『雪華』」
小さく唱えると刀身の根元に小さな術式が描かれる。黄色い魔力光が刀身を覆い、吹雪を発生させた。
凍えるような冷気が刀から放たれる。そこだけ冬になってしまったかのようだ。
「これが私の、いえ九條家の魔術です。刀に様々な魔術を込めて戦います」
物理魔術で温度を下げて冷気をまとわせているのか。
斬った相手を氷漬けにする。シンプルだけど恐ろしい魔術だ。
「他にはどんな魔術が使えるんですか?」
「炎をまとわせる『焔』。雷をまとわせる『纏雷』。物理以外の属性をまとわせる術もあります」
基本は物理魔術をまとわせる。必要に応じて他の属性の魔術を使うのか。
本当に近接戦闘特化って感じだな。
「剣技自体も凄いんですけど、一番凄いのはそれを支える緋真ちゃんの基礎能力ですね」
琴羽さんはたったっとヒールを鳴らして前に出る。そして先ほどの復習で創造したピンク色のナイフを構えた。
「ちょっと手合わせしましょうか。緋真ちゃん、本気で来ていいですよ。
今から1分。一撃でも当てられたら緋真ちゃんの勝ちです」
「……それでは、胸をお借りします」
九條さんは琴羽さんに頭を下げて刀を構え直す。一瞬の沈黙が場を支配する。
そして、九條さんの姿がかき消えた。
「空間魔術⁉」
『違います。あれは物理魔術と生命魔術を併用した踏み込みです』
俺の誤解をリナさんが訂正する。その解説を聞くより先にガキンという金属音が響いた。
「いきなり『焔』の
「本気で、とおっしゃいましたから」
九條さんが炎をまとわせた刀を振り下ろし、琴羽さんがナイフで軌道を逸らす。金属音の正体は刀とナイフがぶつかった音だった。
いつの間にか二人は刀の間合いまで近づいていた。俺に見えたのは二人が激突の後だった。
「頭、首、胸。しっかりと急所を狙ってますね。いい攻撃です」
「全部避けながら言わないでください。惨めになります」
九條さんは目にも留まらぬ速さで攻撃を繰り出し続ける。しかし、琴羽さんはそれをナイフ一本で捌き続けている。
琴羽さんのナイフは明らかに包丁より短いのに。それで日本刀と戦い続けるだなんて。
どんな戦闘能力をしているんだ?
「物理と生命だけ、ですか」
九條さんが不満そうにつぶやく。
「緋真ちゃんの土俵で戦っているんですよ」
琴羽さん、あのナイフで戦っている上に属性縛りまでしていたのか。
本当になんて人だ。
「琴羽さんがお得意なのは時間、空間、魂魄のはず。私は相手にならないと?」
「その三つを使う私に勝つつもりですか?それはちょっと自意識過剰だと思いますよ」
「……そうですね、失礼しました」
九條さんが不満を零したが逆に琴羽さんの威圧を引き出してしまった。
相手は魔女の家の副代表。若手相手に本気は出してくれないよな。
「ハンデを減らしてほしいなら実力を示せ。そういうことですね」
「そんな喧嘩腰な言い方にしてほしくないですけど、まあ……そうなっちゃいますね」
二人は距離を取って構え直す。
九條さんは刀を上段に構えた攻めの姿勢。一方、琴羽さんはナイフをだらりと下げた構え。
「九條さんのあれ、空間属性だね」
「わかるの、瑠愛さん?」
「属性くらいは。さっき復習したし」
九條さんはまだ術式を発動させていない。なのに属性がわかるなんて。
これが瑠愛さんの魂魄属性の力か。
『空間属性。つまり、物理魔術で防御できない斬撃を放つつもりですね』
「ッ⁉そういうことか」
空間属性の攻撃は物理魔術じゃどうやっても防げない。選択肢は避けるか同じ空間属性で防御するか。
琴羽さんはどうする?空間属性を解禁するのか?
「九條流奥義、『断界』」
先に動いたのは九條さん。琴羽さんに真っすぐ突進しながら刀を振り下ろす。
刀が藍色に光っているのがかすかに見える。瑠愛さんの予想通り、空間属性の斬撃だ。
「緋真ちゃん、甘いですよ」
琴羽さんはナイフを持っていない左手で殴り飛ばす。九條さんの刀の
「空間属性は空間属性で防御する。そんなお行儀のいい魔術師ばかりじゃありませんから」
九條さんもあんな攻撃を食らったらバランスを保てない。刀があらぬ方向を向き、空を斬る。
九條さんの奥義は不発に終わった。
琴羽さんは防御でも回避でもない第三の選択肢を選んだ。それはカウンター。
空間属性をまとっている刀身を避けて無防備な柄を狙う。琴羽さんくらいしかできない離れ業だ。
しかし、これなら物理と生命だけで九條さんを圧倒できてしまう。悔しいけど九條さんの完敗——
「お行儀がいい、ですか。私はお行儀がいい人間ではありませんよ」
九條さんの腰から黒い何かが動いた。それは琴羽さんの方へ向けて一直線に。
「え?」
琴羽さんが驚いて目を丸めた。
俺も同じような気持ちだ。理解が追い付かない。
琴羽さんはとっさに脇を絞めて防御姿勢を取る。
ガスッ。鈍い打撃音が響いた。
琴羽さんの腕を固めた防御の上に、黒い鞘が食い込んでいる。九條さんが『九天』を抜いた鞘が。
「九天は鞘も含めて一つの武器です」
九條さんは得意げに笑った。
九條さんの鞘が琴羽さんを攻撃したのだ。おそらく、物理魔術で操ったのだろう。
琴羽さんにダメージらしいダメージはない。
それでも一撃を入れた。時間はまだ残っている。
九條さんの勝利だ。
「なるほど、鞘も武器ですか。あはは、それが言えるようになりましたか。これは一本取られちゃいました」
「琴羽さんが完全に空間属性を使っていなかったから勝てました。空間認識だけでも使っていたら、不意打ちなんてできなかったでしょう」
「そうですね。次はもうちょっとハンデを減らさないとダメそうです」
琴羽さんは嬉しそうに笑った。
「というわけで、なんだかんだ戦闘で一番大事なのは近接術なんですよ。これがないとお話になりませんから」
琴羽さんはナイフをしまって手をパンパンと払う。これから説明タイムという合図だろう。
琴羽さんが言うと説得力が違う。特に、あの戦闘を見せられた後だと。
「その点、緋真ちゃんはいいですよ~。近接術の才能はピカイチです」
「お褒めに預かり光栄です」
そう言いながら九條さんはとても嬉しそうだ。
規格外の琴羽さん相手に勝てたのだから。当然、そんな顔にもなる。
「あれは緋真ちゃんの努力の賜物ですから、今すぐあのレベルになれとは言いません。
二、三年後くらいであれくらいできるよう、頑張ってくださいね」
「二、三年後……」
たった二、三年であのレベルに達しろと?どれだけ地獄のような訓練を課されるんだか。
「ああいう細かいのは苦手なんですよね。腕相撲なら負けないんですけど」
「そうですね。瑠愛ちゃん、魂魄以外のコントロールがおざなりですから」
ん?また今さらっととんでもない言葉が出てきたような。
「瑠愛さん、あの二人よりも力が強いの?」
「そうだよ」
瑠愛さんが『何を当たり前のことを』と言いたげな顔をしている。背筋がぞわっとして、冷たい汗が流れる。
「丁度いいですから瑠愛ちゃんの力を見せてもらいましょうか。ちょっと待ってくださいね」
琴羽さんはポケットからリモコンのようなものを取り出す。そしてボタンを押すと少し離れた床の下から大きな岩が現れた。
「慎平君、それを触ってみてください」
「わかりました」
疑問に思いつつ、岩に近寄って触れてみる。山とか海にある巨大な岩だ。
叩いてみるけど特に変わった所は見当たらない。
「慎平君、どう思いますか?」
「どう、と言われても。岩ですね」
「そうですね、私が適当に取ってきた訓練用の岩です」
本当にただの岩だったのか。何か特殊な加工がしてあるとか、魔術がかけられているとかそういうことではなく。
「慎平君、それを壊せますか?」
「えーと、頑張ったら壊せるんじゃないでしょうか。少し時間はかかると思いますけど」
「そうですよね、簡単には壊せませんよね?」
なんだろう。琴羽さんの言葉選びに不穏な気配がする。
頭の中で嫌なイメージが湧いてくる。そのまさかなのだろうか。
「百聞は一見に如かず。実際にやってもらいましょう。
瑠愛ちゃん、全力の生命魔術を見せてください」
琴羽さんがパンチを繰り出すモーションを取る。体育会のようなノリに瑠愛さんはきょとんとした顔を見せた。
「え、大丈夫ですか?知っての通り、あんまり加減は得意じゃないですけど」
「構いません。修理代は必要経費として出しますし、二人のことは私が責任もって守ります」
「わかりました。そういう話なら」
瑠愛さんは琴羽さんの勢いに乗せられた。
そのまま岩に向けて構えを取る。腰をぐっと落とし、拳を引いて魔力を練りあげた。
「身体強化」
そう唱えると制服のリボンが緑色に輝き始める。やがてリボンの中心に術式が描かれ、瑠愛さんの全身が魔力に包まれた。
あのリボンも魔術具なのか。流石、魔女の家が設立した学校だ。
それに、なんて魔力。
さっきの琴羽さんと九條さん。二人の発していた魔力の数倍はあるぞ。
「慎平君、緋真ちゃん。私の後ろへ。怪我しちゃうかもしれませんから」
「わかりました」
「失礼します」
琴羽さんは両手を前に突き出し藍色の術式を展開する。
絶対防御の空間結界だ。嫌な予想が現実味を帯びてくる。
「リナちゃんは大丈夫ですか?」
『問題ありません。自分の身は自分で守れます』
「まあ、そうじゃないと瑠愛ちゃんのパートナーは務まりませんよね」
『おっしゃる通りです』
いつの間にかリナさんまで空間結界を展開している。ぬいぐるみの身体を球状に覆った状態だ。
魔力消費が少ない物理結界じゃなくて空間結界を選んでいる。それが必要だってことだよな。
「それじゃあ行きますよ~」
「は~い、こっちは準備おっけ~です」
瑠愛さんと琴羽さんが軽いやり取りを交わした後、瑠愛さんは再び岩の方を向いた。そして地面が爆発する。
ドコォッと轟音が響き、粉塵が巻き起こる。床材を蹴り砕いたのだろう。
そして緑の流星が岩に向かって直進する。辛うじてその軌跡の一部が見えた。
次の瞬間、岩は爆発四散する。まるで岩の中に爆薬でも仕込まれていたかのように。
空間結界に礫がガンガンとぶつかっている。散弾銃のような有様だ。
外にいたら俺はきっとミンチになっていた。擦る腕に鳥肌がびっしり立つ。
粉塵と礫が収まり、ようやく景色がよく見えるようになってくる。
「ま、こんなもんですね」
平気そうな顔をした瑠愛さんが立っていた。少し汚れた制服をなびかせながら。
「何ですか、あの魔術は?」
「慎平君も見ていたでしょう?ただの身体強化ですよ」
「……そうですか」
誰でも使えるような生命魔術の基礎。その名の通り、身体機能を強化するだけの魔術。
それがあの威力になるのか。竹やりで戦争してる所に核爆弾を放り込まれた気分だ。
『佐伯さん』
「何でしょうか?」
リナさんが俺の傍に寄る。そしてぺこりと身体ごと頭を下げた。
『以前の瑠愛さんの紹介で誤解があったようなので訂正を。瑠愛さんは魂魄属性以外に創造属性と生命属性も使用可能です。
ただ、出力が高すぎるので安易に使えません』
「それは、いやというほどわかりました」
演習場の床は派手にめくれ上がり、その周りもひびが入っている。パンチを受けた岩はバラバラ。
たったの一撃でこの有様だ。使いたくないのもわかる。
「ここまで酷いのは最近じゃあまりありませんけど。今でもコンクリートに足を埋めながら走りますから」
「雪道みたいに?」
「雪道みたいに」
コンクリートに足跡をつけるのか。うん、外で使っちゃダメだな。
「普通は周囲を傷つけないよう出力を抑えるか、物理魔術で保護するかですよね」
近接術の使い手はある程度のラインを越えると物理魔術が必須。自分の足場を蹴り砕かないようにするため。
琴羽さんも九條さんもそこに気をつけて戦っていた。だから二人の戦いの跡は汚れていても壊れてはいない。
「今のところ両方無理なんですよね。生命属性の出力が強すぎるので」
これは本当に大変だ。
「えへへ、どうですか?」
瑠愛さんがはにかむように笑う。俺は言葉を抑え込むように瑠愛さんの頭を撫でた。
「何ですか、慎平さん。恥ずかしいですよ~」
何も言えない。言ったらきっと彼女を傷つける。
鰻屋のときとは違う。この子は悪くない。