ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

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第02話 一人で歩いた道

 儀式のあと、エリナは王城の一室へ案内された。

 広い卓には街道の地図があり、金貨の入った袋と、王家の印を押した通行証が脇に置かれていた。広場での約束が、地図の一番遠いところまで自分を運んでしまうことになるのだと気づき、逃げ出したくなったエリナは入口に近い椅子へ浅く腰をかけた。

 

「私、ここから魔王城へ行くんですか」

 

 指を伸ばした先を見て、説明役の騎士は首を振った。

 

「今のあなたを、そこへ向かわせることはできません。まず剣と身の守り方を覚えていただきます。そのあとで各地を巡り、経験を積む。力を貸してくれる者を探すのも、その旅のうちです」

 

 騎士は、魔王城からずっと手前にある町を指した。最初に向かう宿場だった。そこまでは荷車も通う道で、途中の砦では街道の様子を聞けるという。勇者認定証を示せば宿と食事の相談ができ、剣を扱う者のいる町では教えを請うこともできる。

 

「軍の人たちも、一緒に来るんですか」

「兵はそれぞれの町を守っています。あなたの旅に、兵をつけることはできません」

「……え」

 

 騎士は申し訳なさそうな顔をして続けた。

「神殿からは習わし、だそうです。一人で旅をすることで強くなるという言い分です。それに一般的な兵では魔王に立ち向かえません」

「……先代の勇者は一人で戦って、勝てなかったんですよね」

 

 目の前の騎士は悪くないのだが、あまりにも理不尽でエリナは文句をぶつけてしまう。

「はい、王様は問題視されていて供をつけようとしましたが、残念ながら、応募者が現れず……」

「……私、剣すら振ったことないんですけど」

 

 騎士は不安そうなエリナの顔を見て、言い添えた。

「ただ、王様が神殿に訴えたおかげで、一人で戦わねばならない、ということではなくなりました。兵をつけることはできませんが、共に行ける者がいれば、相談して決めてください」

「道中で見つけるのはいいんですね?」

「はい」

 

 一緒に来てほしい人を前にしたとき、何から話せばよいのかが分からなかった。広場で魔王を倒すと言ったばかりの自分が、できないから手伝ってほしいと頼む。その顔を想像すると、礼を言うための息まで細くなった。

 騎士は困り顔でこちらを見ている。これ以上この騎士に訴えてもどうにもならないと思い、エリナは頷かないまま、渡された地図へ目を落とした。

 宿場には丸がつき、勇者認定証を見せる場所も教えてもらった。

 騎士は彼女の顔を見て、次の町の説明へ移った。覚えきれない分は紙へ書き、地図と一緒に持たせてくれた。分からないところがあれば答えてくれた。

 それでもエリナは、本当に私に魔王を倒すことができると思っているのかを、最後まで言葉にできなかった。

 

 王都に留まった数週間、エリナは毎朝、訓練場へ通った。足の置き方を直され、剣を振ったら必ず戻すよう教わった。木剣を受け損ねると腕が痺れ、夕食では匙を持つ指まで痛んだが、翌朝にはまた同じ場所へ立った。少しずつ、教えられた動きの順序だけは覚えた。

 

 出発の日、騎士は荷物の紐を確かめ、危ない道を避けることと、勝てない相手からは退くことをもう一度伝えた。

 

「……どうか、お気をつけて」

「……はい。ありがとうございました」

 

 エリナは深く頭を下げた。ついてきてほしいと言ってみようかと思ったが、相手がほかの兵に呼ばれて振り向いていた。それ以上引き止めてはいけない気がして、地図を胸へ抱え直した。

 門の向こうへ出るとき、背中のバッグの口が開いていることに気づく者はいなかった。

 

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 旅へ出れば、訓練場でできなかったことにも、少しずつ手が届くようになるのだと思っていた。聖剣が力を貸してくれるのかもしれない。危険が迫れば、身体が勝手に動くのかもしれない。神に選ばれたからには、自分でも知らない才能が眠っているのかもしれない。

 

 その期待を最初に壊したのは、街道脇の茂みから飛び出してきた、狼に似た魔物だった。

 

「えっと……!」

 

 柄に手をかけたが、剣が抜けなかった。焦って斜めに引いたせいで、刃が鞘の内側に引っかかっている。

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 魔物は待たなかった。ようやく抜けた刃の向こうに牙が見え、次の瞬間には背中から草むらへ倒れていた。息が詰まり、剣を持つ手がどこにあるのかさえ分からなくなる。

 

 それでも無理やり立ち上がって、逃げ続けた。

 逃げ続けている時に運よく通りかかった冒険者が追い払ってくれなければ、その旅はそこで終わっていたかもしれない。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……はい」

 

 答えてから立とうとしたが、膝が震えてうまくいかなかった。冒険者は剣を拾い、刃についた土を払ってから返してくれた。その手つきに迷いがなくて、エリナは受け取った柄を抱えるように握った。

 

「どちらまで?」

「今日は、先の宿場へ……」

「なら、ここをまっすぐです。暗くなる前に着いたほうがいい。私は分かれ道から南へ行くので」

 

 冒険者が示した道を、エリナも見た。同じ方向へ行くのなら、もう少し話せたかもしれない。剣を抜くところから教えてほしい。一人では怖い。一緒に歩いてもらえないだろうか。考えた言葉はどれも、相手の足を、本来行くはずの道から引き止めるように思えた。王都を出る前は言えると思っていた言葉がなかなか出てこない。

 

「あの……」

 

 相手は振り返ってくれた。その目が自分の返事を待っているうちに、エリナは聖剣を腰へ戻した。勇者だと気づかれれば、魔王のことを聞かれるかもしれない。自分にはできないから、あなたも危険なところへ来てほしいと、まだ名前も知らないこの人に言えるだろうか。

 

「助けてくださって、ありがとうございました」

「気をつけて」

 

 冒険者の背が分かれ道へ向かう。エリナは見送ったまま、もう一度口を開き、閉じた。頼んでいないのだから、断られたわけでもない。引き止めなくて済んだことに少しほっとしている自分がいた。その安堵が薄れる頃には、道に残っている足音は一人分になっていた。

 

 その夜、宿の部屋で傷を洗うと、洗面器の底に沈んだ砂の周りへ、薄く血が広がった。袖をまくるだけでも痛い。水が触れればもっと痛い。歯を食いしばって布を絞りながら、エリナは寝台に立てかけた聖剣を見た。銀の装飾には傷一つなかった。

 

「……練習したのに、全然できなかった」

 

 訓練場で覚えた動きは、今なら思い出せた。身体が覚えるまで繰り返せと、騎士にも言われていた。その途中にいるだけなのだと考えようとしても、広場で交わした約束を思い出すと、こんなところで躓いている自分が情けなかった。エリナは濡れた布を握ったまま、少し泣いた。

 

 翌朝には、また剣を持った。次の魔物からは逃げた。その次には剣を落とし、拾おうとして転んだ。ようやく刃を当てられたときも、狙った場所とはまるで違った。それでも、何も覚えなかったわけではなかった。飛びかかる前に低く沈む肩。踏み込む足の向き。牙を見せる動きにつられると、その下から爪が来ること。避けたつもりでも、服の裾を掠めるほど近ければ、次は避けられないこと。

 

 傷が塞がる頃には、その傷を負った理由を一つ覚えていた。魔法は使えなかった。朝目覚めたら特別な力が宿っていた、ということもなかった。エリナの中に残ったのは、痛い思いをして確かめたことばかりだった。

 

 旅に出て数か月が過ぎた頃、商人の馬車が魔物に襲われているところに行き合わせた。

 以前の自分なら、姿を見ただけで逃げていた相手だった。馬が暴れ、車輪が溝にはまり、御者が手綱を引いている。荷台の陰に追い詰められた商人と目が合ったとき、エリナは剣を抜いていた。こちらを向いた魔物の身体が沈んだ。右の後ろ脚に、重さが乗る。

 

 エリナは息を止め、半歩ずれた。頬のすぐ脇を爪が通り過ぎる。怖さに肩が上がりかけたが、踏みとどまって剣を振った。一撃では倒れなかった。引き抜こうとした刃が重く、腕が痺れた。それでも柄を離さず、迫る牙をかわし、もう一度斬りつけた。最後の一振りを終えたときには、喉の奥から掠れた息しか出なくなっていた。

 

 魔物は地面に伏し、動かなかった。

 

「す、すごい……!」

 

 商人が駆け寄ってきた。

 

「ありがとうございます。さすが勇者様だ!」

 

 エリナは返事もできず、自分の手を見た。ひどく震えていた。剣先を下ろしてよいのかさえ分からず、何度も魔物を確かめた。それでも商人は生きていて、馬車も、荷物も、失われずに済んでいた。その夜は、眠る前にもう一度、自分の手を開いた。

 

 硬くなりはじめた指の付け根を、親指でなぞる。自分にも、できることがある。小さな火種を掌に隠すように、エリナはその気持ちを大切にした。ほかの誰かに言われたからではなく、初めて自分で、自分を少し信じられた。

 

 その後も、村の見張りから獣の足跡の見分け方を教わり、宿で出会った剣士には柄の握り方を直してもらった。礼を言うたび、次は教えられたことを一人でできるようになろうと思った。少し強くなれば、誰かを危険な場所へ誘わずに済む。その考えは、人を助けられた夜ほど、確かなものに思えた。

 

 街道の先へ進むにつれ、引き返す荷車が増えた。御者に道を尋ねると、この先まで行くのかと聞き返される。エリナは地図を見せ、聖剣を示し、そのたびに気をつけろと送り出された。村が襲われた話を聞けば、ここで戻ったら、その人たちを助けることができないと考えた。

 

 一緒に行く仲間を探すのは、もう少し練習してから、もう一つ先の町で誰かに相談してからと考えた。けれど、目の前の魔物を倒せるたびに、今の自分なら一人でも魔王を倒せるかもしれないと思い直した。

 そうして旅を続けながら、ようやく地図の端に描かれていた城が、谷の向こうへ現れたとき、エリナは立ち止まった。

 ここまで来たのだ、行かなければと剣を握り締めた。一緒に来てほしいと誰かを呼ぶことは、もう頭の中から無くなっていた。

 

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 魔王との戦いを、エリナは順序立てて思い出せなかった。覚えているのは、石壁の冷たさと、息ができない苦しさだった。相手の動きを見ようとはした。踏み込みを読もうともした。けれど、気づいたときには身体が宙を飛び、背中から壁へ叩きつけられていた。

 

 床に落ちても、しばらくは痛みさえ分からなかった。口を開けているのに空気が入らず、喉がひゅうひゅうと鳴るばかりだった。それでも、立たなければと思った。ここまで来た。剣も振れるようになった。助けた人がいて、交わした約束がある。ここで倒れたままでは、何のために歩いてきたのか分からなくなる。

 

 聖剣を杖にして、上体を起こした。そのとき、裂けた左肩の周りが黒ずんでいることに気づいた。血が流れ落ちたあとも、傷の縁に細い筋が残っている。肩から肘へ、焼けた針金を巻きつけられるような痛みが走り、エリナは悲鳴を上げた。

 

 左手が柄から落ちた。握り直そうとしても、指が動かなかった。床に触れている冷たさは分かる。左手が身体の下に挟まって痛い。それなのに、自分では引き出すことさえできなかった。エリナは右手だけで剣にしがみつき、立とうとした。支えにした刃が、乾いた音を立てた。表面に亀裂が走っていた。根元から枝分かれしたひびが、光を断ち切りながら刃の半ばへ伸びている。刃の向こうには、魔王がいた。傷一つなかった。呼吸を乱してさえいなかった。

 

 エリナが何か月もかけて覚えたことも、眠れない夜を越えて振った剣も、この相手には届いていなかった。ようやく積み上げた足場は、魔王を前にすれば、すぐに崩されてしまうものだった。

 

 それを知った時、魔王が片手を上げた。黒い衝撃が来た。

 壁の一部が崩れ、エリナは瓦礫とともに回廊へ投げ出された。転がる身体を止められず、階段の角に肩を打つ。何度か意識が途切れ、次に目を開けたとき、裂けた外壁の向こうから風が吹き込んでいた。

 

 エリナは動かない左手の代わりに、右手で刃を鞘の口へ合わせた。何度もつかえたが、押し込んで腰へ留めると、ようやく手を床につけた。左腕は胸の下へ寄せたまま、動かなかった。右手に力を入れ、風の来るほうへ這った。勇者としてどうするべきかなど、もう考えられなかった。

 

 あそこまで行けば、外へ出られる。まだ死なずに済むかもしれない。それだけだった。崩れた縁を越えた途端、足元がなくなって落下した。

 

 必死に伸ばした右手が、岩肌から出た木の根を掴んだ。肩が抜けるような衝撃に声も出ず、エリナは谷の上で揺れた。もう片方の手も添えたかった。けれど左腕は身体の横へ垂れ、根に届くことはなかった。

 

 見上げると、外壁の裂け目に魔王が立っていた。追ってはこなかった。こちらを見下ろす姿が何を考えていたのか、エリナには分からない。ただ、やがてその姿が奥へ消えたとき、自分は命を奪う手間さえ惜しまれたのだと思った。

 

 ひょっとしたら助かるかもしれないと安堵した時、握っていた根が裂けた。

 

 枝が折れ、斜面を滑り落ち、最後には冷たい水に呑まれた。浮かび上がろうとして右腕で水を掻き、脚を動かしたことまでは覚えている。

 

 目が覚めるとどこかの川岸についたようだった。呼吸できていることが嬉しかった。

 

 どこか分からぬまま彷徨い続け、三日後、人里へ辿り着いたエリナを、人々は駆け寄って迎えた。

 

「勇者様!」

 

「ご無事だったんですね!」

 

 肩を支えられ、水を差し出された。エリナは礼を言おうとして、先に笑った。安心させなければと思った。自分を見てこんなに喜んでいる人たちに、あの石の床で、何を願って這っていたのかは知られたくなかった。

 数日が経ち、気持ちが落ち着いてきた頃、ようやく魔王に負けたことを話せた。

 ただ、怖くなって逃げたことは、言えなかった。

 

 

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 エリナが魔王に敗れてから、三年が過ぎた。

 

 昼の客が引いた食堂で、くたびれた外套を着た男が、最後のパンを口へ運ぶ。魚を包んでいた葉の脇には、外した骨が並んでいる。残った汁まで拭って口へ運ぶと、男は満足そうに息を吐いた。

「美味かった。この、魚を丸ごと煮込んだやつ」

「そうか、良かった」

「ああ、ありがとう」

 

 父が皿を下げようとしたところで、男は椅子の脇に置いた荷物へ手を伸ばした。

「娘さんについて、聞いてもいいか」

 

 父の手が止まった。奥で器を拭いていた母も、顔を上げた。

「エリナに、何の用だ」

「魔王を倒しに行く。その前に、一度戦った娘さんの話を聞きたい」

 

「エリナを連れていくつもりか」

 

「まず話を聞きてえだけだ。行くかどうかは本人に任せるよ」

 

「……国中を歩き回って、人を助けてるとは聞いた。たまに王都に帰ってきているらしいが、泊まってる宿が分からねえから手紙も出せねえ」

 

「そうか。なら、そっちで聞いてみる」

 

 男が立ち上がると、母は布巾を卓へ置いた。

 

「あの、少し待っていただけますか」

 返事を待ってから奥へ入り、一通の封筒を持って戻ってきた。紙の端が少し擦れていた。母はそれを両手で持ち、男の前へ差し出した。

「娘に会えたら、これを渡していただけませんか」

 

 男は封筒へ目を落とした。宛名の最初の文字が大きく、最後へいくほど小さくなっている。

「見つかるとは限らねえぞ」

 

「はい。会えたらで、いいんです」

 

 母の指が、封筒の端を撫でた。

「渡してくだされば、それだけで」

 

 男は荷物を椅子へ戻し、手紙を受け取った。

「分かった。預かる」

 

 母が頭を下げる。その隣で、父は厨房へ引き返していた。

 

「待ってろ」

 

「今度は何だ」

 

「道中で食うものだ」

 

「金なら払うぞ」

 

「余った分だ」

 

 父は布を広げ、厚く切ったパンと、油紙に包んだ焼いた肉を置いた。紐をかけようとしてから手を止め、棚の籠へ戻る。もう二切れ、パンを加えた。

「娘に会えたら頼む」

 男は包みを見た。

「いつ会えるか分からねえ。傷むぞ」

 父は籠へ伸ばしかけていた手を下ろした。

「……そうだな」

 

 増やしたパンを、一切れずつ戻した。母が包みの下へ紐を通し、父が結んだ。強く締めすぎたのか、一度ほどいて結び直していた。

 

 男は、差し出された包みを受け取った。

 

「娘の分は、帰ってきたときに食わせてやれ」

 

 父は顔を上げた。何か言おうとして、結局、小さく頷いた。

 

「……腹いっぱい食わせてやるさ」

 

「ああ」

 

 男は荷物から油布を取り出した。卓へ広げ、預かった封筒を真ん中へ置く。端を折り返し、紙がはみ出していないか確かめてから、細い紐で留めた。

 

「よろしくお願いします」

 母が、もう一度頭を下げた。

 

「俺の用のついでだ。気にすんな」

 男は手紙を外套の内側へ収めた。食事の包みは荷物の上へ載せ、潰れないよう位置を直す。それから肩へ担ぎ上げ、戸口へ向かった。

 

「また食いに来る」

「おう、また来てくれ」

 

 男は片手を上げて食堂を出た。通りへ踏み出したところで、外套の上から胸元を押さえる。手紙の収まりを確かめると、そのまま王都へ続く道を歩き始めた。

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