ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

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第24話 温かいご飯

 宿へは、普通に歩いて帰った。

 やどかりは最後まで椅子を惜しんでいたが、エリナが自分で歩けると言い、ミアもゆっくりならと頷いたので、それ以上は何も言わなかった。

 テオは戸口まで出てきた。帰り際、荷物を持ち直していたエリナに、一枚の紙を差し出した。

 

「これは?」

「保冷箱の、外せる仕切りです」

 

 紙には、箱の中へ収まる薄い容器が描かれていた。縁には指をかける出っ張りがあり、エリナが昼に指摘した隅の部分には、丸みがつけられている。

 

「ここなら、布も入りますね?」

「うん。洗いやすいと思う」

「明日、作ってみます。実物でも確かめてもらえますか」

 

 エリナは顔を上げた。

 テオは紙の角を押さえ、図が風に煽られないようにしていた。

 

「……来てもいいの?」

 

 問い返すと、青年は少し不思議そうな顔をした。

 

「僕が頼んでいるんですが」

「そうだけど」

 

 一度、帰ってくださいと言われた工房だった。

 明日もここへ来る理由を、今度は向こうから渡された。そのことが、思っていたより嬉しかった。

 隣でミアが、紙からエリナの脚へ視線を移した。

 

「午前中は休みましょう。午後、様子を見てからなら」

「じゃあ、午後でもいい?」

「構いません。僕も、その方が助かります」

 

 テオは紙を受け取ると、工房へ半歩戻り、思い直したように振り返った。

 

「昼食は?」

「まだ決めてないけど」

「温める方も、直しておきます」

 

 何を言われたのか、少し遅れて分かった。

 エリナは笑った。

 

「じゃあ、何か持ってくるね」

 

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 翌朝、ミアはエリナの脚を診てから、寝台の端に腰掛けた。

 傷の周りを押されると、昨日よりは軽いが、まだ鈍い痛みが残っていた。歩き続けた分を、眠った一晩だけでは取り戻せなかったらしい。

 

「数日は、この町にいましょう」

 

 エリナは毛布の上に手を置いた。

 

「……そんなに?」

「歩けなくなってからでは、もっと長くなります」

 

 言い返しかけた言葉が、口の手前で止まった。

 ミアはそれを待ってから、静かに続けた。

 

「昨日は、痛いと言ってくれたので、休むことができました。今日も、その続きです」

 

 休むことまで、進んだ先の一部にしてくれる言い方だった。

 エリナは脚を毛布へ戻した。

 

「分かった。……お昼、作るのも駄目?」

「ずっと立っていなければ」

 

 部屋の隅で靴を履いていたやどかりが顔を上げた。

 

「俺は肉がいい」

「まだ、作っていいか聞いただけだよ」

「先に希望を言っとこうと思って」

「お金と、売ってるものを見てから」

 

 食堂で何度も繰り返したような会話だった。

 エリナは膝に紙を置き、宿の女将から借りた短い鉛筆を握った。鍋を貸してもらえるか。食材はどこで買えるか。竈を使わない時間があるか。尋ねたいことを書き始めると、魔王城までの道を考えていた頭に、少し違う場所ができた。

 

 宿の厨房を借りられたのは、朝食の片づけが済んでからだった。

 女将は調理台の脇へ椅子を出し、そこに座ってできる分だけにしな、と言った。やどかりが買ってきた袋には、玉ねぎと豆、それに指ほどの太さの腸詰めが一本入っていた。

 

「……肉、少なくない?」

「高かった」

 

 やどかりが残りの硬貨を卓へ置く。エリナはそれを見てから、腸詰めを受け取った。

 

「じゃあ、小さく切ろう。どこを掬っても、ちょっとは入るように」

「大きい方がうまくねえか」

「四人分だよ」

 

 口にしてから、エリナはまな板の上を見た。

 まだ三人で旅を始めたばかりなのに、今日の食事は、自然に四人分になっていた。

 

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 午後の工房では、テオが三枚の薄い板を前に腕を組んでいた。

 

「……どれも同じに見える」

 

 挨拶のあと、エリナが正直に言うと、テオは一番左を持ち上げた。

 

「厚みが違います」

「どのくらい?」

「こちらが一番薄い。取り外して洗うなら軽い方がいいかと」

 

 差し出されたものを受け取る。確かに軽かった。けれど両手で持つと、底がわずかに撓んだ。

 

「これ、お肉を入れたまま出したら、曲がらない?」

「洗うときは空にするでしょう」

「うん。でも、料理するときは、入れたまま出すと思う」

 

 テオは残りの二枚を見た。

 その顔を見て、エリナは急いでつけ足した。

 

「重さは、好きだよ。片手でも持てるから」

「……いえ。確かに、そう使いますね」

 

 テオは一番薄いものを脇へ置いた。

 代わりに真ん中の容器を手渡し、持ち手に指が入るか、隅を布で拭けるかと、一つずつ尋ねてくる。エリナが取っ手を持ち替えると、その動きまで見ていた。

 強い魔法を使うところを褒められたときより、ずっと真剣な顔だった。

 

 隣の卓では、ミアが往診鞄から布包みを出していた。昨日、包帯を乾かす魔法について話していたので、旅の間に使ったものを、洗って持ってきたのだという。

 テオが手をかざすと、濡れた布がゆっくりほどけて浮き上がった。

 

「乾き方を、触って確かめてください」

 

 エリナが容器の角を拭く横で、ミアは布の端を指で挟んだ。

 

「これくらいなら、巻きやすそうです。薬草にも同じように使えますか」

「乾燥させるだけなら」

「熱は抑えたいんですが」

 

 テオがミアの方へ向き直った。

 話はすぐに、エリナの分からないところへ入っていった。どこまで乾かすのか、葉と茎を分けるのか。ミアが小さな袋を開き、テオが中身を指で摘まむ。

 エリナは容器を拭き終え、やどかりを見た。

 男は、卓の端に置かれた金属の輪を持ち上げようとしていた。

 

「触らない方がいいと思う」

「見てるだけだ」

「手、伸びてるよ」

 

 輪がふわりと逃げた。

 やどかりの指が何もないところを掴む。テオはミアの説明を聞いたまま、こちらを見てさえいなかった。

 

「今、見てた?」

 

 エリナが尋ねると、テオは薬草の袋を閉じながら答えた。

 

「昨日、道具を殴る人だと分かったので」

「まだ何もしてねえだろ」

「ですから、何もされないうちに」

 

 輪は棚の上へ収まった。

 やどかりは空になった手を下ろし、ひどく残念そうに鼻を鳴らした。

 

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 昼食は、たいへん静かに始まった。

 テオは持ってきた鍋を鉄板へ載せ、その上へ、先ほどやどかりが触ろうとしていた輪を据えた。輪の内側から、木べらが一本、鍋の中へ垂れている。

 

「混ぜるようにしました」

 

 エリナは木べらを見た。

 

「もう?」

「底に触れながら回ります。縁で止まらないよう、軸をずらしました」

 

 テオが指を離すと、木べらが動き始めた。

 豆と玉ねぎの煮込みが、鍋の中でゆっくり巡る。小さく切った腸詰めが見え隠れし、温まるにつれて、香草と肉の匂いが立ってきた。

 

「……すごい。本当に、混ぜてる」

 

 エリナが笑うと、テオの肩が少し上がった。

 

「これで、火の番も、かき混ぜる手間も減らせます」

 

 ミアが横から鍋を覗いた。

 

「ゆっくり動くんですね」

「速くすることもできますが、料理なら、これくらいで十分でしょう」

「速くしたら、どうなるんだ?」

 

 やどかりが言った。

 テオは、そこで答えなければよかったのだと思う。

 

「どの程度ですか」

「今の3倍くらい早く」

「できます」

「そりゃ、すげえな」

 

 感心されたテオが、ほんの少しだけ顎を上げた。

 エリナは嫌な予感がした。

 

「ご飯だからね?」

「分かっています。少しだけなら」

 

 木べらの動きが速くなった。

 煮込みの中央が窪み、鍋の縁に沿って豆が持ち上がる。エリナが止めてと言うのと、やどかりが、おお、と声を上げるのが重なった。

 次の瞬間、小さな腸詰めが一切れ、鍋から飛び出した。

 

 宙で止まった。

 煮汁も、その後ろで丸い粒になって浮いている。

 四人は、鍋と宙の腸詰めを見比べた。

 

「……危なくはありません」

 

 テオが言った。

 

「止めましたから」

「飛ばさないで」

 

 エリナは真剣に頼んだ。

 

「少ししか入ってないんだから」

 

 テオは黙って腸詰めを鍋へ戻した。

 その隣で、やどかりが腹を抱えている。エリナが睨むと、男は咳払いをして、何事もなかったように椀を並べ始めた。

 

 木べらは、最初より遅く動くことになった。

 

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 食べ始めてしばらく、テオはほとんど話さなかった。

 機嫌を損ねたのかと思ったが、そうではないらしかった。鍋を見て、匙で一口掬い、また鍋を見る。やがて紙へ手を伸ばしかけ、ミアと目が合うと、そのままパンを取った。

 

「何か、変?」

 

 エリナが尋ねた。

 

「いえ。おいしいです」

 

 あまりに普通に言われたので、今度はエリナが黙った。

 

「……そっか」

 

 自分の椀へ目を落とす。

 料理を褒められることは、久しぶりだった。王都で大鍋を作った夜には、食べられるものをみんなへ渡すことで頭がいっぱいだったし、旅では腹に収まればいいという日も多かった。

 今日は、テオが食べると分かって作った料理だった。エリナはもう一口、自分でも食べてみた。小さく切った腸詰めの味が、豆に染みていた。次は、少し違うものも作れそうだった。

 

「今度は、お肉が飛ばない料理にしないとね」

「飛ばしたのは、料理のせいではありません」

「うん。知ってる」

 

 テオは、少し気まずそうに煮込みを口へ運んだ。

 

 やどかりがパンで椀の底を拭い、ミアが二杯目を少なめに頼んだ頃、店先へ子供が二人やってきた。片方は欠けた木の車輪を持ち、もう片方は、それを貸したのに壊されたと訴えている。

 テオが椅子を引きかけた。

 

「食べてるの?」

 

 小さい方の子が尋ねた。

 

「そうです、見れば分かるでしょう」

「じゃあ、あとでいい」

 

 子供は工房の前の段差へ座った。隣の子も、少し迷ってから腰を下ろす。

 テオは立ちかけた姿勢のまま、二人を見た。

 

「……すぐ直せますよ」

「うん。でも、食べてからでいいって」

 

 小さな背中が二つ並んだ。

 テオはゆっくり座り直した。椀へ戻った匙が、いつもと違うものを量るように、しばらく止まっていた。

 

「待ってくれるんだね」

 

 エリナが小さく言うと、テオは入口を見たまま答えた。

 

「……今までも、待てたんでしょうね」

 

 エリナはそれ以上言わず、鍋を少し手前へ寄せた。

 まだ温かかった。

 

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 食事のあとは、工房が少し慌ただしくなった。

 車輪を直した子供たちが出ていくと、今度は暖房の修理を頼んでいた老人が来た。テオが奥の棚から箱を取り出し、どこが壊れていたのか説明する。その間に別の客が入り、昨日の洗濯物に混じっていたという靴下を一本置いていった。

 やどかりが重い箱を戸口まで運び、ミアは卓へ広げた包帯を片づけた。エリナは椅子に座ったまま、老人が持ってきた紐を箱へ通し、持ちやすいところで結んだ。

 誰かに指示されたわけではなかった。手が空いているところへ、次の仕事が来ただけだった。

 

 客が途切れたとき、テオが卓の前で足を止めた。

 いつもなら自分で片づけるものが、ほとんど残っていなかった。

 

「……修理を頼まれたのは、僕ではありますが」

「うん」

 

 エリナは余った紐を丸めた。

 

「直してたね」

「あなたたちが、そこまでする必要は」

「私、結んだだけだよ」

 

 テオの視線が、戸口から戻ってきたやどかりへ動いた。

 

「俺は運んだだけ」

 

 続いてミアを見る。

 

「私の包帯を片づけました」

 

 テオは何か言いかけて、やめた。

 エリナは、工具の置いてあった場所を空けるために、自分の椅子を少し引いた。

 

「これで、さっきの続き、できる?」

 

 卓には、まだ外したままの保冷箱の蓋があった。

 テオはそれを見てから、作業用の椅子へ腰を下ろした。

 

「……ええ」

 

 それきり、しばらく話さなかった。

 けれど今度の沈黙は、昨日のものとは違った。テオが差し出した容器をエリナが受け取り、持ち上げやすい角度を確かめる。ミアは乾いた包帯を巻き、やどかりは、触っていいと許された木箱に蝶番を取りつけていた。

 工具が卓を叩く音に、誰かが椅子を引く音が混じった。

 

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