ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

25 / 29
第25話 四人分の設計図

 帰る前に、エリナは鍋を包んだ。

 洗ってもらった内側には、焦げつきが一つもなかった。試作品の輪を外したテオが、それを棚へ戻しながら、ちらりとこちらを見る。

 

「使えそう?」

 

 エリナが尋ねると、テオは頷いた。

 

「速くならないようにしてから、あの方に使ってもらいます」

「お婆さん?」

「ええ。安全のために肉が飛ばないようにする必要があります。」

 

 エリナは笑い、鍋の包みの紐を結んだ。

 

「……これ、旅でも使えたらいいな」

 

 テオの手が止まった。

 

「持っていくんですか」

「ううん。そんな余裕ないし。でも、火を起こせない日も、温かいものが食べられたら、嬉しいだろうなって」

 

 雨の中では薪が湿り、風が強ければ火のそばへ寄ることも難しかった。濡れた手で硬いパンを割り、飲み込めずに水で流した夜を、エリナは覚えていた。

 テオは棚へ置きかけた輪を見た。

 

「今のものは、運ぶようにはできていません。道が悪ければ歪みますし、水が入るのも困ります」

「そっか」

「魔石も、同じものを手に入れられるとは限りません」

「そういうのも、考えないといけないんだね」

 

 エリナは包んだ鍋を、やどかりへ渡した。

 テオはまだ輪を持っていた。

 

「……次は、どちらへ向かうんですか」

 

 やどかりが顔を上げる。

 

「街道を西へ戻る」

「そこからは?」

「道を見て決める。嬢ちゃんの脚もあるしな」

 

 テオの眉が寄った。

 

「魔王のところまで、どこで補給できるかは?」

「まだ全部は決めてねえ」

「水は。宿がないところで泊まる準備は。道具が壊れたら?」

 

 立て続けに聞かれ、エリナはやどかりを見た。

 男は懐から畳んだ地図を出しかけたが、ミアが窓の外を見た。

 

「今日は、そろそろ戻りましょう。エリナも疲れています」

 

 エリナは反射的に、大丈夫と言いかけた。

 けれど、椅子から立ってみると、脚には朝と違う重さがあった。楽しかった分だけ、気づくのが遅れたらしかった。

 

「……うん。明日にしよう」

 

 テオがこちらを見た。

 明日も来ると、勝手に決めてしまったことに気づき、エリナは言い直そうとした。

 

「地図を持ってきてください」

 

 それより先に、テオが言った。

 

「今、持ってるぞ」

「明日ですよ。休むと言ったでしょう」

 

 ミアに言われて、やどかりは、地図を懐へ戻した。

 エリナがテオを見ると、彼は少し居心地悪そうに、手に持っていた輪を棚へ置いた。

 

「旅の道具を考えるなら、どう使うのか知らないと困るので」

「……考えてくれるの?」

「考えるだけです。作れるとは言っていません」

「ありがとう」

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 三人が帰ったあと、テオは工房の戸を半分閉めた。

 いつもの夕方だった。通りでは隣の店が品物を引っ込め、二階の窓から夕飯の匂いが流れてくる。工具は使いやすい位置にあり、読みかけの本も、昨日と同じ椅子の上にあった。

 テオはその本を手に取った。

 同じ行を二度読んでから、閉じた。

 

 向かいの椅子が、少し斜めになっていた。

 エリナが脚を伸ばせるように、昼、位置を変えたのだった。戻そうとして背へ手をかけたが、明日も使うことを思い出し、そのまま離した。

 卓の端には、外せる容器の図が残っている。その横には、混ぜる速さを落とすための書き込みがあった。

 

 テオは新しい紙を一枚、手前へ引き寄せた。

 運ぶなら、輪は外せる方がいい。鉄板も厚すぎる。鍋の大きさが変わったときに、支える場所をどうするか。考え始めると、直したい箇所はいくらでもあった。

 しばらくして、ペンが止まった。

 

 火を起こせない日には、あの三人は何を食べているのだろう。

 そう考えたところで、テオの頭の中には、雨に濡れた街道と、火の代わりになるものが何もない野営地が、妙に具体的な形を持って浮かんだ。

 

 テオは今日の煮込みを思い出した。小さく刻んだ腸詰めを飛ばしたとき、エリナは、少ししか入っていないのだからと真剣に怒った。そのあと、自分の椀へ入った一切れを、何でもない顔で口へ運んでいた。

 あの食事を作った人が、冷たい雨の中で、乾いたパンを食べる。

 想像できてしまったことが、妙に気に障った。

 

 テオは図の隣に、四人分、と書いた。

 

 旅をするのは三人だ。数字を直そうとペン先を近づけ、止めた。試作品を確かめるときには、自分も食べる。今日と同じ鍋が載ればよかった。

 テオは「四」の字を残し、鍋を支える脚を描き足した。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 地図を広げて最初に分かったのは、やどかりの字が読みにくいということだった。

 

「これは何ですか」

「宿」

「では、少し小さい印のこちらは」

「宿だったとこ」

「同じ印を使わないでください」

 

 テオは新しい紙を引き寄せた。

 工房の卓には、大小三枚の地図が重なっている。やどかりが持ち歩いていたものに、ミアが薬を仕入れるために使っていた街道図、それからエリナが、覚えている道を書き足した紙だった。同じ川の名前が違う位置にあり、宿のあるはずの場所には、別の紙だと何もなかった。

 

「こちらの橋は、まだ通れます」

 

 ミアが街道図を押さえた。

 

「先月、薬売りの方が使っています。ただ、この先の宿は、食事を出していないそうです」

「あ、そこ、井戸が裏にあるよ」

 

 エリナは身を乗り出しかけ、脚を動かす前に紙の方を引き寄せた。

 

「表にある井戸は、水が濁ってる。お婆さんに聞いたら、裏を使っていいって」

「いつの話ですか」

「王都へ戻る途中だから……」

 

 指で日を数える。

 テオは日付を添えて書きつけ、ほかの二人にも、誰からいつ聞いた話なのかを確かめた。使える道と、確かめなければならない道が、少しずつ別の線になっていった。

 

「……思ったより、ちゃんと考えてはいるんですね」

 

 やがてテオが言った。

 

「何だと思ってたんだよ」

「西へ行く、としか聞いていなかったので」

「とりあえず、次に食い物を買える場所までは分かってる。その先は、そこで聞く」

 

 やどかりが地図の端を指で叩いた。

 

「前に通れた道が、今も通れるとは限らねえからな」

 

 テオは書きかけの線を止めた。

 工房の窓からは、毎日同じ軒先が見える。壊れた箱には、壊れた箇所がある。それを確かめて直せば、昨日までと同じように使えるはずだった。

 目の前の三人が歩いてきた道は、そうではないらしかった。

 

「戻る道も、ですか」

「うん」

 

 エリナが答えた。

 

「だから、途中で会った人に聞く。自分が通ってきたところを、私も話す」

 

 そう言って、彼女は紙の端に小さな印をつけた。

 

「ここは、お水を分けてもらった家。もしまだ住んでたら、お礼を言いたい」

 

 テオはその印を、ほかの紙にも写した。

 ペンが止まるのを待って、やどかりが地図の西側へ指を置いた。

 

「その先のことで、相談がある」

 

 指先の下には、街道が集まる大きな町の名があった。

 エリナは紙を押さえていた手を止めた。

 

「……王都?」

「ああ。仲間を集めるのに、王国にも力を借りたい」

 

 雨の日の門が浮かんだ。閉じていく扉の隙間を、最後まで見ていた。あの内側へ入ることを考えただけで、左の肘へ右手が伸びた。

 

「……行きたいとは、まだ言えない」

「分かった。ほかの町で探す道もある。出発する前に、もう一度話そう」

 

 やどかりは地図から指を離した。

 エリナは窓の方を見た。洗濯籠を抱えた女が通り過ぎ、隣家の扉が開いた。ここには、あの門の前で自分を見ていた顔はなかった。

 

「……うん」

 

 エリナは地図へ目を戻した。紙の端が少し折れていたので、掌で伸ばした。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 旅の道具の相談は、結局、地図だけでは終わらなかった。

 やどかりの荷物からは、鍋と火打ち道具と、ひどく潰れた袋が出てきた。エリナの荷物には、繕った布が何枚も入っていた。ミアは薬を入れた瓶を一つずつ並べ、割れたときに代えの利かないものを選り分けた。

 卓が埋まると、テオは黙って自分の工具を横へ移した。

 

「温めるだけなら、これくらいにできます」

 

 昨日の紙を裏返し、小さな台の図を見せる。

 エリナは、その隣に書かれた文字を見つけた。

 

「四人分?」

「鍋の大きさです」

 

 返事が早かった。

 

「三人分の鍋でも、使えますよ」

「いや、四人でいいだろ」

 

 やどかりが言った。

 

「俺が二人分食う」

「昨日、足りなかったの?」

「足りた。だが、もっと食えた」

「それは足りなかったとは違うよね」

 

 エリナが呆れている間に、テオは紙を少し自分の方へ寄せた。

 ミアが、図の脇に描かれた魔石を指した。

 

「これは、この町以外でも手に入りますか」

「ええ。ただ、質が揃っていないので、出力を合わせる仕組みが要ります。足りない分を、人が補うこともできますが」

「……魔法を使えない人は?」

 

 エリナが小さく手を上げた。

 テオは彼女を見て、図を見た。言いかけた説明を一度飲み込み、石の周りへ描いていた線を消した。

 

「補わなくても使える方が、いいですね」

 

 その言い方に、エリナは少し安心した。

 できないことを言うたびに、自分の置かれる場所が狭くなっていく旅を、長く続けてきた。けれど今は、できないと伝えると、図の方が変わった。

 

「ごめんね、注文ばっかりで」

「使えないものを渡したくはありません」

 

 テオは、消した線の横へ別の線を引いた。

 

「持っていくのは、あなたたちですから」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。