それから三日、エリナたちは午後になると工房を訪ねた。
午前は宿で休み、状態が悪化していないことをミアに確かめてもらってから出かける。途中で食材を買う日もあれば、宿の女将に持たされた煮込みを運ぶ日もあった。
工房の卓には、最初から四つの椅子が出ているようになった。
テオは、来るたびに違うものを作っていた。
薄く畳める台ができたと思ったら、次の日には脚が一本減っていた。その次には鍋を押さえる金具が増え、やどかりが見つける前に、触っていい箇所が説明されるようになった。
「ここを引いてください」
「おう」
ばき、と、試作品からしてはいけない音がした。
次の瞬間、やどかりの手の中には取っ手だけが残り、本体は卓の上にきちんと置かれたままだった。
テオは壊れた箇所と、何も悪いことをしていない顔のやどかりを交互に見てから、しばらく無言になった。
「……なぜ、止まったところで、さらに引くんですか」
「引けって言ったろ」
「引き抜けとは言っていません」
エリナは口元を押さえた。
テオは彼女を見た。
「笑い事ではありません。今、三度目の試作です」
「ごめん。でも、うちのお父さんもやると思う」
テオの顔がさらに険しくなった。
やどかりは取っ手を差し出した。
「直るか」
「直します。あなたにも壊せないように」
翌日には、取っ手の形が変わっていた。
ミアの方は、乾燥させた薬草を確かめながら、テオと何度も話をしていた。色が変わらなくても香りが飛ぶものがあり、逆に、見た目が悪くても使えるものがあった。
テオは一度、これは失敗ですね、と盆を引こうとした。
「待ってください」
ミアが端を押さえた。
「傷の処置に使うなら、このままで大丈夫です」
「こちらの方が、傷んで見えますが」
「見た目だけでは決められません」
テオは盆を戻し、説明を聞いた。
エリナには半分も分からなかったが、そのあとテオが、知らないことを聞くときに少し前へ身を乗り出すのは、分かるようになった。
分かるようになったことは、ほかにもあった。
工具が見つからないときには、まず前掛けの右のポケットを探す。大抵は左に入っている。客に褒められると、これくらいはと言いながら、その日の作業が少し速くなる。考え事を始めると食事を忘れるが、嫌いなものを残すわけではない。
テオの方も、エリナが立ち上がるときに脚を庇わなくなったことや、ミアが茶を飲む前に必ず匂いを確かめることを、口には出さずに見ていた。やどかりは基本的に雑なので目を離さない方がいいことも覚えていた。
四日目の昼前、完成した小さな台を前に、テオが宣言した。
「外で試します」
やどかりが頷く。
「玄関の前か?」
「もっと外です」
「通りの真ん中か?」
「玄関の前から、通りの真ん中は十歩も離れてないでしょう」
エリナは思わず笑った。
「どこに行くの?」
「川沿いです。土の上で安定するか、風があるところでも温まるか、確かめたいので」
テオは窓の外を見た。
「……昼食を、そこで」
エリナがミアを見ると、彼女は少し考えてから頷いた。
「今日くらい歩けるなら。途中で座って休めるところにしましょう」
テオは、そういう場所なら知っています、と答えた。
道具の説明をするときより、少しだけ声が小さかった。
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出かける前に、テオは工房へ三度戻った。
一度目は予備の魔石、二度目は細い工具、三度目は、それらを入れるための大きい鞄を取りに行った。
「まだある?」
店先で待つエリナが尋ねると、テオは持ち上げた鞄の重さを確かめた。
「念のため、防水布を」
「入れた」
やどかりが自分の荷物を叩いた。
「紐もいるでしょう」
「あるよ」
エリナが袋の口を開けた。
「怪我をしたときは」
ミアが往診鞄を少し持ち上げた。
テオは三人を順に見た。
「……では、行きましょう」
工房の戸に鍵をかける。
すぐ横に、昼過ぎに戻ります、と書いた紙を掛けた。文字が斜めになっているのを直していると、隣の窓が開いた。
「珍しいねえ。四人で出かけるのかい」
いつもの老女だった。
テオは鍵をポケットへ入れた。
「試験です」
「はいはい。楽しんでおいで」
「試験だと言いました」
「聞こえてるよ」
老女はエリナたちへ手を振った。
テオだけが、少し納得のいかない顔で歩き始めた。
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川は町の東寄りを流れていた。
商人や荷車が渡る大きな石橋から少し下ると、西岸に草の残った場所がある。建物の陰が途切れ、川面から上がってくる風が頬に触れた。
エリナは思わず足を止めた。
陽射しは薄い。それでも水の揺れるところには光があり、石の間を流れる小さな泡が、白くほどけていく。
「ここ、いいね」
テオは、抱えていた箱を下ろした。
「座れる石があります。地面が濡れているときでも使えるので」
「よく来るの?」
「細かい作業をしたあと、目が疲れたときに」
草地の脇には、川沿いに荷を運ぶための石敷きの道があった。ところどころに杭が立ち、橋に近い側には、水際へ下りる幅の広い石段がある。反対側の細い階段から上がってきた男が、空の桶を両手に提げて通り過ぎた。
川下には建物が途切れ、両岸に白い砂利が広がっていた。今日は舟も見えない。
道の方を振り返れば、工房へ続く屋根が見えた。エリナは剣を外し、手の届く草の上へ置いた。
ミアが布を敷き、エリナは石へ腰を下ろした。
テオは草の上に台を置き、脚の角度を確かめている。その横でやどかりが鍋を出した。
「これか?」
「そうです。鍋を載せる前に、押して揺れないか確かめてください」
やどかりが掌で押した。
「もっと雑にしてください。」
やどかりが遠慮なく体重をかけたり、強く揺らしても、台は草の上で小さく軋んだだけで持ちこたえた。それを確かめたテオの口元に、ほんのわずか、満足そうな気配が浮かんだ。
「今、俺が使って壊れないか試しただろ」
「道具の試験です」
鍋を載せ、魔石を差し込む。テオはそこで手を離し、エリナへ場所を譲った。
「ここの印まで、回してください」
エリナは小さなつまみを回した。
灯りほどの淡い光が台の下に入り、しばらくすると、鍋の底から温かさが上がってきた。煙は出ない。濡れた草を踏む風にも消えなかった。
「……ついた」
思わず言うと、テオは頷いた。
「そのように作ったので」
当たり前の返事だった。
エリナはつまみから手を離し、湯気が立ち始めるのを見つめた。指先一つで、四人分の食事が温まっていた。
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今日の鍋は、宿の女将にもらった野菜の汁物だった。
テオは一口食べてから、手を止めた。台の横から紙を引き寄せ、風の強さと温まるまでにかかった時間を書き始める。
エリナはその様子を見て、声をかけた。
「先に、食べない?」
「忘れるので」
「私が覚えとくよ。内容は、パンを切り終わる前に湯気が出た、だよ」
「それでは時間が分かりません」
「それなら、エリナが三回、蓋を開けたあとも追加だ」
やどかりがつけ足した。
「もっと分かりません」
ミアが笑いながら、紙が飛ばないよう小石を置いた。
「あとで、もう一度測ればいいんじゃありませんか。せっかく温めたんですから」
テオは紙と椀を見比べ、やがてペンを横へ置いた。
川から来た風が、汁物の表面をかすかに揺らした。口へ運ぶと、まだ熱かった。
しばらくして、風が少し強くなった。
エリナの横に置かれた布の端がめくれ、パンの籠にかかった。テオが反射的に指を動かしかけたところへ、やどかりが足元の石を一つ載せた。
布は動かなくなった。テオは開きかけた指を戻し、石を見た。
「……ありがとうございます」
「おう」
やどかりはそのままパンを取った。テオも椀へ手を戻した。
台は、テオが手を添えなくても黙って鍋を温め続けていた。風にめくれかけた布は石が押さえ、椀が空になれば鍋に近い人が次をよそい、水が欲しいと言えば隣の人が水筒を手渡す。誰か一人が全部に気づかなくても、食事は何事もなく続いていった。
テオは椀を持ったまま、その小さなやり取りから目を離し、しばらく川の流れを眺めていた。
「どうしたの?」
エリナが尋ねた。
「……今、何もしていないなと思いまして」
「食べてるよ」
「それは、そうですが」
説明しようとして、テオは口を閉じた。
指には何も触れていなかった。少し冷えていたので、椀を両手で持ち直した。川を眺めているうちに、やどかりがパンを取った音で、籠を回すのを忘れていたと気づいた。誰も困ってはいなかった。
「たまには、いいんじゃねえか」
やどかりが、石へ背を預けながら言った。
「お前の作ったもんが、代わりに働いてる」
テオは小さな台を見た。
温まった鍋の周りで、三人が食事をしている。
便利になると、使う人が喜ぶ。それは何度も見てきた。けれど、その中へ自分が座っていると、作業台の上では分からなかったことが一つ増えた気がした。
「……そうですね」
エリナがパンの籠を差し出した。
テオは、残っていた一切れを受け取った。
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食事が終わると、台はやどかりの荷物へ入った。
試験の続きをするために、元から持っていた鍋や毛布と一緒に詰め、普段と同じように持ち上げてみる。テオは縛り方を一度直し、もう一度歩いてもらってから、ようやく頷いた。
「数日は、そのまま使ってください」
「借りていいの?」
エリナが尋ねた。
「工房に置いていても、旅の試験にはなりませんから」
テオは荷物から目を離さずに答えた。
エリナは少し迷ってから、口を開いた。
「直してほしいところがあったら、また言うね」
大切にして、絶対に壊さない、と約束するよりも、その方が、テオは喜ぶ気がした。
テオは顔を上げた。
「ええ。そうしてください」
帰り支度を終える頃には、草の上に落ちる影が少し伸びていた。
ミアがエリナに疲れていないか尋ね、やどかりが空になった水筒を揺らす。テオは四人が座っていた場所を振り返り、小石に押さえられたままの紙を取りに戻った。
温まるまでの時間は、途中までしか書いていなかった。
それでも、次に直すところは分かっている。
紙を畳み、三人の方へ歩き出した。
鐘が鳴った。
テオは立ち止まった。
時刻を知らせる鐘とは違った。短く切れ、息を継ぐ間もなく続く。川上の石橋で、御者が馬を引き、荷車を西へ向け直していた。
東岸の橋のたもとで、誰かが通りの奥へ向かって叫んだ。
「橋を渡れ! 西へ逃げろ!」
ミアが往診鞄を持ち直した。やどかりは、背負いかけていた荷物を草の上へ下ろした。
エリナが立ち上がる。
東側の屋根の向こうで、土煙が上がっていた。
テオの手の中には、まだ畳んだ紙があった。
ほんの少し前まで、次は何を食べるのかと考えていたことを、彼は誰にも話していなかった。