三人が揃って工房へ来たのは、その二日後だった。
エリナは戸口で靴の泥を落とし、いつもの椅子へ腰を下ろした。ミアが鞄を置き、やどかりは指についた土を濡れた布で拭いている。町の人たちと、川沿いの道を片づけてきたのだった。
「今日は、料理なし」
エリナが言った。
「ごめんね」
「謝ることではないでしょう」
テオは卓の上を示した。
パンと煮込みが、四人分並んでいた。
「……テオが作ったの?」
「買ってきました」
「そっか」
エリナは少し笑った。
手を洗って戻ると、テオの分の椀にも煮込みをよそい、自分の隣へ置いた。
食事のあと、旅用の台をもう一度組み立てた。
鍋を押さえる金具は、濡れた手でも外しやすくなっていた。やどかりが引いても折れず、エリナが小さな力で回しても、きちんと止まる。
「これなら大丈夫そう」
エリナが言った。
「火を消す方も、同じところでいいんだね」
「はい。使い終わったら、冷めてから畳んでください。魔石は外して、別の袋へ」
ミアが説明を聞きながら、短く書き留めていた。
テオはその紙を覗き、気をつけることを二つ足した。エリナの指が動くたびに、もう直すところはないかと目が追ってしまう。
「……完成、かな」
彼女が言った。
テオは頷きかけ、台を見た。
脚は安定している。取っ手も折れない。魔石を補充できる場所も、ミアに伝えた。
まだ手を加えようと思えば、いくらでもできた。
けれど、そうしなければ使えないものではなかった。
「ええ」
テオは答えた。
「持っていけます」
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それから数日、三人は町の片づけを手伝った。
エリナは使える布と捨てる布を分け、やどかりは曲がった戸を外す手を貸した。重い板を持とうとすると、そばにいた男が、そっちは俺がやる、と受け取った。
ミアは衛兵の傷を診に通い、町の医師へ経過を伝えた。川に沈んだ魔物には縄がかけられ、岸から人と馬が引いた。橋はすぐには戻らなかったが、上流の渡し場へ行く道が片づき、対岸へ荷を運べるようになった。
昼に工房へ戻ると、エリナは肩を回してミアに見せた。痛む範囲は日ごとに狭くなっていた。午後に休む時間は残し、仕事が終わらなければ翌日へ回した。
夕方には、四人で卓を囲んだ。
テオが一度失敗した煮込みを、エリナが味を足して食べられるようにした日もあった。やどかりは二杯食べてから、最初はどういう味だったんだと尋ね、知る必要はありません、とテオに答えられた。
三人が帰ると、工房は静かになった。
テオは次の日の仕事を並べ、いつもの椅子へ座った。手に馴染んだ工具があり、読みかけの本がある。戸の外では、隣家の老女が夫を呼んでいた。
このまま暮らしていきたかった。あの三人と知り合ったからといって、ここで過ごした日々がつまらなくなったわけではなかった。
それでも、旅へ持っていく台を見れば、次にどこで使うのか気になった。荷物に入れられそうな小さな工具を選び、卓の端へ寄せる。
翌朝には、また元の場所へ戻した。
その翌日、テオは部品の揃っていた最後の箱を直した。
受け取りに来た女へ、手入れの仕方を話す。
「分からなくなったら、また聞きに来るよ」
女が笑った。
テオは、いつもならすぐに頷くところで、少し黙った。
「紙にも、書いておきます」
女が帰ったあと、工房の棚を見回した。
名前のついた道具は、もうほとんど残っていなかった。直せなかったものが一つだけ、隅にある。部品が手に入らず、次の荷が来るまで待ってもらっていた箱だった。
テオはそれを卓へ下ろし、持ち主の名前を指でなぞった。
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「……じゃあ、私たちは明日、出るね」
エリナがそう言ったのは、その日の夕食が終わったあとだった。
テオは匙を置いた。
ミアを見ると、彼女は頷いた。
「肩も膝も、旅へ出られる状態です。町の患者さんの引き継ぎも、済ませました」
やどかりが地図を引き寄せ、道を示す。何度も四人で確かめた道だった。
テオはその指を見ていた。
「……行くんですね」
エリナが顔を上げる。
「うん」
「魔王を倒しに」
「うん」
聞くまでもないことだった。
それでも、口にすると、その先にある場所の遠さが、急にはっきりした。
「三人で?」
エリナは頷いた。
「途中で、ほかにも一緒に行ってくれる人を探す」
テオは彼女の手を見た。パンの籠へ伸びている。その手が剣を握っていたことも、崩れた石の上で、やどかりへ差し出されていたことも覚えていた。
「……死にますよ」
思ったより、強い声が出た。
エリナの手が止まる。
「あのとき、逃げる道なんて、ほとんどなかった。ああいうことが、この先でも――」
途中で、口を閉じた。自分より、この人の方が知っている。
エリナは少し考え、膝の上で手を重ねた。
「……死なないように、頑張る」
「そこは、否定してください」
「絶対に大丈夫って言ったら、信じる?」
テオは答えられなかった。
エリナは笑わずに、彼を見ていた。
「怖いよ。でも、一人で全部やろうとは思ってない。休むときは休むし、助けてほしいときは、ちゃんと言う」
ミアが、そっと頷いた。
エリナは卓の端に置かれた台へ目を向ける。
「これも、持っていけるし」
「鍋を温める道具です」
「うん。雨でも、温かいものが食べられる」
テオは、その先が出てこなくなった。
それを作ったのは自分だった。冷たい雨の中で、三人が硬いパンを食べるところを想像して、気に障ったから。
自分の手を離れたあとも使えるように、何度も直した。
「……帰りも、寄ってくれるんでしょうね」
ようやく尋ねると、エリナはすぐに頷いた。
「寄りたい。使ってみてどうだったか、話したいし」
それから、少しだけ笑った。
「また、ここでご飯も食べたい」
テオは、四つの椀を見た。
ここに残れば、三人が帰ってきたとき、この卓へ迎えられる。取っ手が壊れただの、もっと大きな鍋を載せたいだのと、また注文をされるのだろう。
エリナは旅用の台を布で包んだ。テオは結び目へ手を出しかけ、止めた。もう教えなくても、ほどけないように結べていた。
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三人が帰ったあと、テオは工房の戸を閉めた。
旅用の台がなくなった卓は、思ったより広かった。手を伸ばし、空いた場所を布で拭く。
明日からは、またここで箱を開き、部品を並べればいい。
テオは椅子へ座った。
三人を見送って、いつもの仕事へ戻るところを考えた。帰りを待つこともできる。道具を直しながら、留守の間に思いついた改良を紙へ書きためておけば、話すことにも困らない。
それでも、聞き役の自分を思い浮かべると、隣で同じ景色を見たかったと思った。
同行すれば、食事だけでは済まない。
また魔物に会うかもしれない。川辺と同じように、自分で撃つことを選ぶ必要もある。今度も四人で帰れるとは、誰にも言えなかった。
テオは左手を開いた。
指はもう震えていなかった。だからといって、あの場所にもう一度立ちたいとは思わなかった。
卓の端に、昼間寄せた小さな工具が残っていた。
それを前掛けへ戻しかけ、手を止める。
怖くなくなったら行こうと思えば、明日の朝も、ここにいる。
テオは工具を旅用の袋へ入れた。
それから立ち上がり、隣家の戸を叩いた。
老女は鍋を拭いているところだった。奥の椅子には夫が座り、足元の暖房へ掌をかざしている。
「どうしたんだい。まだ何か忘れ物かい」
テオは戸口に立ったまま、少し間を置いた。
「しばらく、工房を閉めようと思っています」
老女の手が止まった。
夫も、顔を上げた。
「あの人たちと、行くのかい」
テオは頷いた。
声にする前より、胸が強く鳴っていた。
「……はい」
老女は布を鍋の上へ置き、テオを見た。
笑って背中を押すのでも、すぐに困ると言うのでもなかった。その沈黙の間に、テオは何度も説明を始めそうになった。
「あの人たちは、危なっかしいので」
結局、最初に出たのは、その言葉だった。
「道具だって、何があるか分かりません。使い方は教えましたが、壊れたら……」
老女の後ろで、夫が暖房の箱を持ち上げようとした。重かったらしく、途中で諦めて手を引く。その様子に、テオの声が止まった。
ここにも、困る人はいる。
自分がいれば助かる人が、三人だけになったわけではなかった。
「……不便に、なりますよね」
テオが言うと、老女は頷いた。
「そりゃ、なるよ」
あっさりとした答えだった。
「洗濯物は自分で干さなきゃならないし、箱が壊れたって、すぐには直らないだろうね」
テオは唇を結んだ。
老女は続けた。
「暖める道具が駄目なら、薪を使うよ。重いものは、持てる人を呼ぶ。この間も、爺さんは運んでもらえただろ」
夫が、不満そうに鼻を鳴らした。
「あの階段は、揺れた」
「自分で下りられなかったくせに、まだ言ってる」
老女は言い返し、テオへ向き直った。
「何でも、今まで通りってわけにはいかないさ。でも、あんたが帰ってくるまで、何もできずに座ってるつもりはないよ」
テオは目を伏せた。
足元の暖房は、触れなくても温かい空気を出している。
自分が明日ここを離れても、今日まで直してきたものが、一緒に消えるわけではなかった。
「……僕も、行ってみたいんです」
声にしてから、テオは顔を上げた。老女がこちらを見ていた。
「あの人たちが、この先、どうやって旅をするのか。僕の作ったものを、どこで使うのか」
それだけなら、帰ってきたときに聞けばいい。
さっき、自分からそう頼んだばかりだった。
テオは、もう一度息を吸った。
「……帰ってから聞くんじゃなくて、そのとき、一緒にいたい」
老女は黙って聞いていた。
テオは戸口の木目を見たまま、言葉を続けた。
「川辺で、四人で食事をしたんです。工房のすぐ近くなのに、いつもと全然違って……」
風でめくれた布を、やどかりが石で押さえた。水筒はミアが渡してくれた。自分はただ、椀を持って川を見ていた。
そこまで思い出すと、崩れた石が水へ落ちる音も、あとからついてきた。
「……また、戦うことになるかもしれません」
老女の手が、鍋の縁で止まった。
「それでもかい」
テオはすぐには頷けなかった。
「怖いです。帰れなくなるのは、嫌です」
言って、老女を見た。
老女はしばらく黙っていた。
テオは戸口から足を引かずに、続きを言った。
「それでも、僕が行きたいから、行きます」
ようやく、そう言えた。
老女は少しだけ頷き、卓の上の椀を一つ脇へ寄せた。
「だったら、座りな。留守の間、何を頼まれるんだい」
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預かっていた最後の箱は、その夜、持ち主へ返した。
必要な部品の名前と、どこが壊れているのかを書いた紙を添え、まだ直せていないことを、もう一度伝えた。受け取っていた代金も返した。
「帰ったら、直せるのか」
尋ねられて、テオは頷きかけた。
けれど、途中で止めた。
「部品が手に入れば。ただ、いつ帰るとは、まだ言えません」
男は紙へ目を落とした。
困った顔だった。その顔を見ないふりはせず、テオは、代わりになる古い道具をしばらく貸せることを話した。
しばらく相談してから、男は箱を抱えて帰っていった。
工房へ戻ると、テオは棚を整理した。
売れるものには値段をつけ、預かり物を受け取らないよう、入口に紙を用意する。隣家へ渡す鍵と、自分が持っていく鍵を分けた。
それが済んで初めて、旅の荷物を広げた。
最初の鞄には、工具だけで半分が埋まった。
着替えを入れる場所がなくなり、もう一つ袋を出す。予備の魔石を詰め、布を畳み、本を三冊並べたところで、テオは手を止めた。
これでは重い。
一冊を棚へ戻す。
しばらくして、別の一冊を鞄へ足した。
「……減っていませんね」
呟きながら、やり直した。
荷物をまとめ終えた頃には、窓の外が薄く明るくなっていた。
テオは卓の前に立ち、四つの椅子を見た。
自分の椅子だけ、少し傷が多い。エリナが使っていた椅子は、まだ脚を伸ばせる向きに置かれていた。
一つずつ、卓の下へ収める。
なくなるわけではない。
帰ってきたら、また引けばよかった。