ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

42 / 43
第42話 帰ってきたら

 お願いをしに来ました、と言ったあと、エリナは息を吸った。

 レオンが聞いていた。少し離れたところに、家族のそばに残りたいと話した兵士もいた。エリナはその人たちを見てから、口を開いた。

 

「私の家は、食堂をやっています。」

「父が料理を作って、母がお客さんの相手をして、私も、お皿を運んだり、洗ったりしていました。忙しい日は、洗っても洗っても、次のお皿が来るんです」

 

 水を吸った袖口が、手首へ貼りつく感触を覚えていた。

 

「お客さんが来てくれるのは嬉しいのに、母と二人で、まだあるねって。明日は、もう少し少なくてもいいのにって、思ったこともありました」

 

 前の方で、ベルタの口元がわずかに緩んだ。

 

「そのときは、次の日も、同じように店を開けるんだと思っていました」

 

 手の中の紙が、風で鳴った。

 エリナは端を押さえた。そこに書いた言葉を探す代わりに、続きを話した。

 

「勇者に選ばれて、王都で剣を教わって、旅に出ました。仲間を探していいことも、知っていました。でも、一緒に来てくださいとは、なかなか言えませんでした」

 

 助けてもらい、礼を言って別れた人たちの顔が浮かんだ。

 

「皆が、私ならできると言ってくれました。聖剣も光ったから選ばれたんだって。だから、できないことがあっても、もっと頑張ればいいんだと思っていました。私がもっと強くなれば、何とかなるって」

 

 剣を握っていた右手で、紙の角を挟み直した。

 

「でも、負けました。帰ってきたときには、左腕が動かなくなっていました」

 

 レオンが聞いていた。あの姿を見たと言った人だった。

 

「左腕に黒い痕が出て、呪われていると言われました。私がいると魔物が来るから、出ていけって。何度も言われるうちに、父と母のところへ帰るのも、怖くなりました」

 

 家の戸を思い浮かべるだけなら、何度でもできた。

 その前に立つ自分を思い浮かべると、そこで足が止まっていた。

 

「あんなに帰りたかったのに。私が帰ったせいで何かあったらと思うと、帰れませんでした」

 

 広場の後ろで、話していた声が止んだ。

 

「そんな私に、母の手紙を届けてくれた人がいました」

 

 やどかりは、広場の端に立っていた。

 目が合うと、いつものように顎を少し上げた。

 紙から片手を離した。

 母の手紙は、今日は開いていなかった。けれど、その言葉を思い出すのに、紙を見る必要はなかった。

 

「手紙には、ちゃんと食べていますか、寒いときには上着を着てくださいねって」

 

 あの丸い字が浮かんだ。

 

「それから……『魔王を倒せなくてもいいです。勇者じゃなくてもいいから、生きて帰ってきてください』って」

 

 最後のところで、声が掠れた。

 エリナは口を閉じた。広場の人たちは待っていた。

 

「父の料理が、食べたくなりました。母に会いたくなりました。帰って、いつもの椅子に座って、今日あったことを話したかった」

 

 目元を拭った。次の言葉が出るまで、少しかかった。

 

「私は、帰っていいんです。今からでも、帰れます」

 

 息を吐いて、少し吸った。

 -----------------------------------------------------------------

 

「この前、兵士の方にも聞かれました。なぜもう一度行くのかって」

 

 壁際に、その人がいた。

 家族のそばにいたいと話したときと同じ顔で、こちらを見ていた。

 

「帰ったら、次の日も、父や母と暮らしたいからです」

 

 エリナは、男の顔を見たまま話した。

 

「朝になったら店を開けて、お客さんが来て。忙しかったねって言いながら、ご飯を食べたいです。明日の仕込みをして、明後日のことも考えていたいです」

 

 言うほどに、その場所へ帰りたくなった。

 けれど、父が仕入れに出ていく道の先には、旅で見てきた景色が続いていた。

 

「旅の途中で、畑が小さくなっているのを見ました。去年までは人が住んでいたという家の屋根に、魔物が巣を作っていたこともあります」

 

 窓の奥に、誰もいなかった家だった。

 

「そこにいた人も、次の日は帰ってくるつもりで、戸を閉めたのかもしれません」

 

 誰が住んでいたのかは、知らなかった。

 自分の家ならどうするかと考えたことだけは、今も覚えていた。

 

「私は、魔物が来なかった日だけ、よかったって眠るのは嫌です。来たら追い払って、怪我をした人を治して、また次の魔物が来るのを待つ。そうしている間に、帰れる家が減っていくのを、もう見ていたくありません」

 

 ミアのそばで治療を待っていた人たち。テオの工房へ道具を持ってきた人たち。名前を聞いた人も、聞けなかった人もいた。

 

「魔王を倒して、この先も、家で暮らしたいです。旅で会った人たちにも、そうしていてほしいです」

 

 兵士の顔から、その隣の人へ目を移した。

 

「でも、そのために私たち四人が行くだけでは、足りません。ここまで来る間にも、何度も、ほかの人に助けてもらいました」

 

 エリナは、前に並ぶ兵士たちを見た。

 

「私たちが魔物と戦っている間に、人を逃がしてくれた衛兵の方がいました。怪我をしたときには、町の人が手当てを手伝ってくれました」

 

「今度の旅でも、そうした助けが必要なんです。皆さんに、力を貸してほしいです」

 

 言い終えて、エリナは息をついた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 広場の中ほどで、兵士が片手を上げた。エリナはその人へ顔を向け、頷いた。

 

「人手が必要なのは、分かった。ただ……俺たちが行けば、魔王に勝てるのか」

 

「必ず勝てるとは、言えません。でも、私たち四人で魔物の群れと戦い続けたら、魔王のところへ行く前に、力を使い果たしてしまいます」

 

 エリナはその人を見たまま、続けた。

 

「皆さんが横から来る魔物を止めてくれたら、私は目の前の敵と戦えます。疲れたら、代わってもらえます。皆さんが疲れたときには、私も代われます」

 

 兵士たちの後ろには、荷を運ぶと申し出てくれた人もいた。

 

「怪我した人を運ぶ人がいれば、その人を守りながら戦えます。食べるものを運んでくれる人がいれば、元気になれます。怪我した時に見てくれる人がいれば、明日も剣を持てます」

 

「皆さんに、任せたいことがあります。私にも、任せてもらいたいです。どうしたら勝てるかを、一緒に考えて、一緒に戦ってほしいです」

 

 問いをくれた兵士は、黙って聞いていた。

 エリナは、少し間を置いて続けた。

 

「家族のそばにいたいと聞いたとき、私は、来てほしいと言えませんでした」

 壁際の兵士へ、もう一度顔を向けた。

 

「私も、父と母のところへ帰りたいからです。離れるのが嫌だという人に、それでも一緒に来てほしいって、言えませんでした」

 

 兵士は黙って聞いていた。

 あの部屋で飲み込んだ言葉が、また喉のところまで上がってきた。

 

「来てくれた人が、怪我をするかもしれません。前と同じ仕事ができなくなるかもしれない。帰ってこられないかもしれません」

 

 レオンの右手に、古い傷が見えた。

 自分の左手も、長い間、皿を持つことさえできなかった。

 

「それを知っていて、私は、来てほしいと思っています」

 

 紙を握る手に力が入った。

 そのまま、顔を上げていた。 

 言い終えたあと、ようやく息を吐いた。

 

 エリナは、広場に集まった顔を見た。

 

「魔王を倒して、安心して暮らせるようになったら、皆さんは何をしたいですか」

 

「私は、父の料理を食べたいです。母と、たくさん話したい。それから、また店を手伝いたいです。ベルタさんのお店にも、食べに行きたい」

 

 ベルタは、目元を指で押さえていた。

 

「テオには、帰って工房を開けてほしいです。ミアには、治した人が元気になったところを見てほしい。そのあとには、ちゃんと寝てほしいです」

 

 ミアが、困ったように笑った。

 

「やどかりさんには……お酒を飲みすぎないでほしいです」

 

 男が片眉を上げた。

 すぐそばで、小さく笑う声がした。

 

「でも、帰ってからも、一緒にご飯を食べたいです」

 

 やどかりは、何も言わずに頷いていた。

 

 すぐに答える人はいなかった。

 隣に立つ人へ顔を向けた者がいた。俯いていた兵士が、何か思い出したように目を上げた。

 

「会いたい人や、やってみたいこと、これからも続けたい仕事があると思います。私は、皆さんのことを、まだほとんど知りません」

 

 その顔を、一人ずつ見た。

 

「終わったら、うちの食堂にも来てください。父の料理を食べながら、今度は皆さんの話を聞かせてください。私が、お皿を運びます」

 

 父が料理を作り、母が客と話している。その間を、皿を持って歩く自分が浮かんだ。

 

「忙しくなって、洗い物がたくさん溜まったら、母と、また二人で溜息をつくと思います」

 

 エリナは、少し笑った。

 

「今は、それがしたいです」

 

「私や皆の帰れる場所が来年も再来年もずっと残っていてほしい。そこへ帰る人も、待っている人も、笑って美味しいご飯が食べれるようにしたい」

 

 目が熱くなった。

 広場が滲む前に、一度だけ瞬きをした。

 

「皆さんと、魔王を倒して、帰りたいです」

 

 紙を持ったまま、頭を下げた。

 

「どうか、一緒に来てください」

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 しばらく、何も聞こえなかった。

 顔を上げると、レオンがこちらを見ていた。

 彼は両手を胸の前へ上げ、一度、打ち合わせた。

 

 隣の兵士が続いた。

 ベルタが手を打ち始めた。その後ろから、広場の奥からも、少しずつ音が重なった。

 

 壁際の兵士は、まだ手を上げていなかった。

 考え込んだままの人も、隣の人と何かを話している人もいた。エリナは、その人たちの方へも顔を向け、もう一度、頭を下げた。

 

 ミアが拍手をしていた。テオは、こちらを見てゆっくり頷いた。

 やどかりと目が合った。

 

 男は笑っていた。

 けれど、その口元は一度、何かを堪えるように歪んだ。エリナが見直す前に、やどかりは、ほかの人たちと同じように、音を重ねた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。