第45話 隣にいる人たち
エリナが振り返ると、荷車の列が王都の中まで続いている。最後尾が動き出すのを待つ人々と、道の脇で手を振る人々が、朝の光の中に重なっていた。
「……こんなに、長いんだ」
城へ残る兵士が、門の脇から盾を上げた。
中庭で、留守のことはやっておくと言った男だった。エリナが手を振ると、彼はもう一度盾を持ち上げ、それから持ち場へ戻った。
エリナの足元には、以前も通った道が続いていた。腰には、やどかりにもらった剣がある。背の荷には、折れた聖剣の柄を包んで入れていた。
「エリナ、鞄の口が開いてるぞ」
今回の旅には、鞄の口が開いてることに気づいてくれる人がいた。
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大勢で進む旅は、四人で歩いていたときより遅かった。
道が狭くなれば列が伸び、荷車が一台止まれば、その後ろも止まる。雨のあとは車輪が泥を噛み、前へ出ていた者が戻って押した。トラブルの数は増えたが、助け合い進むことが出来た。
泊まる場所へ着いても、すぐに眠れるわけではなかった。
天幕を立て、水を運び、馬へ餌をやる。エリナが一人で旅していたときには、しなくてよかった仕事も増えていた。
その代わり、眠っている間に音がしても、自分で確かめる必要はなかった。
「交代です」
夜中、天幕の外で声がした。
エリナは一度目を開けたが、剣へ伸ばした手を途中で止めた。
見張りの者が返事をしている。足音が遠ざかり、別の足音がそこへ残った。
隣では、ミアが眠っていた。
エリナは手を毛布へ戻し、もう一度目を閉じた。
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幾つもの宿営地を過ぎるうちに、街道沿いの家が減った。
畑だった場所へ草が伸び、道端の柵は倒れたままになっていた。人の使わない枝道が、低い木々の間へ消えている。
エリナは、見覚えのある坂の手前で足を緩めた。
「ここ、前にも通りました。あの林の奥から魔物が出てきたので気をつけてください。」
「今は、先に見に行ってる奴がいる」
やどかりの言葉にエリナは頷いた。
偵察に出ていた兵士が戻り、前方の指揮官へ話しているのが見えた。すぐに伝令が走り、列の脇を後方へ向かった。
エリナは、その走る姿を目で追った。
やがて笛が鳴り、荷車の列が止まった。
雑談が途切れ、兵士たちが盾を持ち直した。弓を運んでいた者が前へ出ていく。
エリナは剣の柄を握った。
手が、少し湿っていた。
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林から、灰色の背中が現れた。
地面につくほど長い腕と、黒い爪。エリナは息を止めた。
一人で旅していたとき、あの爪に肩を裂かれた。その夜は、傷に貼りついた服を脱ぐこともできなかった。
レオンが、エリナの左側で盾を構えた。右には、槍を持った兵士が立った。
魔物が地面を蹴った。
思わず肩をすくめたエリナの前で、爪が盾を打った。レオンの靴が土を削ったが、盾は倒れなかった。
その脇から、剣を突き出した。
手に重みがかかる。右から伸びた槍が魔物を押し返し、エリナは刃を引き抜いた。次の一匹が来る前に、盾の陰へ戻れた。
別の群れが道の外へ回り込もうとした。
エリナがそちらを向きかけたとき、風が土を巻き上げた。魔物の身体が浮き、後ろの群れを巻き込んで倒れる。テオが杖を下ろし、肩で息をした。その前へ、別の隊が進んでいった。
エリナは、剣を構え直した。
腕が重くなった頃、後ろから交代の兵士たちが来た。
隣の槍兵の腕に、血が流れていた。エリナは男を支え、レオンと一緒にミアのいる場所へ下がった。
何度も振り返ったが、そのたびに、自分たちのいた場所には別の盾が見えた。
ミアが男を座らせ、傷へ布を当てた。
エリナにも、水の入った器が差し出された。受け取ったものの、前から聞こえる音が気になって、腰を下ろせずにいた。
「休んでください」
レオンが、隣の地面を示した。
「私たちは、次に動けるようにしておきましょう」
エリナはそっと座った。
器を口へ運ぶと、水が喉を通った。握り続けていた指を、一本ずつ開いた。
前にこの魔物と戦ったときには、水袋を出すこともできなかった。立ち止まれば追いつかれると思い、腕が上がらなくなっても、剣だけは離せなかった。
今も、すぐ近くで戦っている音がする。
けれど、もう一口飲んでもいいのだと思えた。
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次に呼ばれたときには、剣を持つ腕が軽くなっていた。
前にいた兵士が下がり、今度は自分たちの後ろで息を整えていた。
やがて、残った魔物が林へ逃げ込んだ。
兵士たちは追わず、道を確かめ、荷車を進めてよいという知らせが、後ろへ伝わっていった。
エリナは剣を下ろした。
腕は痛く、膝も震えていた。それでも、立っていられた。
林を見ても、もう隠れる場所を探してはいなかった。
やどかりが歩いてきた。
裂けた袖から、腕に浅く血が滲んでいた。エリナがそこを見ると、男はミアのところへ行く、と先に言った。
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その日は予定を変え、道の先の開けた場所で宿営した。
負傷者を休ませ、武器と荷の具合を確かめるためだった。進めるからといって、そのまま進むわけではないと、国王から指示が届いた。
エリナが剣を拭いていると、鍛冶屋が覗き込んだ。
「見せてみな」
渡すと、男は刃を光へ傾けた。
「少し傷んでる。今のうちに直す。飯を食ってこい」
「手伝います」
「ここは一人でできる。先に食ってこい」
エリナは笑って、剣を預けた。
鍋のある方へ行くと、ベルタが器を並べていた。
「どこか切ったかい」
「私は、大丈夫です」
「なら、ミアのところに行かなくていいね。食べな。」
湯気の立つ器を受け取った。
前にこの魔物と戦った夜には、傷の痛みで横になることも難しかった。食べ物を出す手間が惜しくて、袋を抱えたまま眠ろうとした。
今日は器が空くと、ベルタがお代わりはと聞いてくれた。
「……もう一杯お願いします」
器に、もう一度湯気が上がった。
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夜、エリナは直してもらった剣を受け取り、天幕へ戻った。
遠くで見張りの声がしている。荷車の脇には負傷者を休ませる場所があり、ミアたちは交代で様子を見ていた。
勝ったあとにも、仕事は残っていた。
けれど、全部が誰か一人の手に残ってはいなかった。
エリナは鞘へ剣を収めた。
やどかりが天幕の外で、腕の包帯を気にしていた。
「取っちゃ駄目だよ」
「取らねえよ。きつくないか見てるだけだ」
男は手を離した。
エリナは隣へ立ち、暗い道の先を見た。
「……今度は、勝てるかもしれないね」
やどかりはすぐには答えなかった。
エリナが顔を向けると、やどかりはエリナを見て、それから頷いた。
「……ああ。必ず魔王を殺せるさ」
エリナは笑った。
先へ進むことが、ただ怖いだけではなかった。
明日も誰かの隣で剣を振る。そのあと、またここへ戻って、ご飯を食べる。
そうやって、魔王のところまで行けるかもしれなかった。
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数ヶ月かけて、一行は城へ近づいた。
草の間に露出する土は黒くなり、踏みつけた小枝は乾いた音を立てずに潰れた。昼を過ぎても山際の雲は動かなかった。
道中では、後ろの荷車へ魔物が寄ってきたこともあった。先頭にいたエリナが振り返ったときには、後方の隊が既に盾を向けていた。駆け戻りかけた足を止め、自分の前を見張ったまま報告を待った。
誰も無傷では進めなかった。足を捻った者が荷車に乗り、熱の出た者の荷物を仲間が分けて持った。それでも、朝に畳んだ天幕は、夜には昨日より城に近い場所へ立った。
夕食の列で顔を合わせるたび、エリナの知っている名前が増えていった。
崩れた見張り塔のある丘で、街道が二本に分かれた。
右は低い森を抜けて城へ近づき、左は岩肌に沿って大きく迂回していた。偵察から戻った兵士が、右の道にある森の手前に群れがいると告げた。こちらへ来ているという。
エリナは右の道を見た。
前に来たときには、あの闇の中へ入った。道を外れ、棘のある草を踏んで、片方の靴を脱ぐことになった。
そちらを指そうとしたとき、やどかりが地図へ手を伸ばした。
「真ん中を先に見た方がいい。あの丘を超えた先にもう一本道がある」
エリナは顔を上げた。ここからは、左右にしか道はなく、真ん中には道は見えなかった。
指揮官は二人を確かめに行かせ、その間に荷車を塔の陰へ寄せた。
「やどかりさん、あっちを通ったことがあるの?」
「ああ。昔にな」
いつもの調子の返事だった。
エリナも旅の途中で同じ道を何度か通ったことがある。だから、それ以上は聞かなかった。