ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

51 / 51
第51話 1人分の距離

 城を出ても、魔物は追ってきた。

 荷車の前へ回ろうとするものを槍で追い払い、後ろの隊が遅れれば、その手前の隊が止まって待った。エリナは剣を抜こうとしたが、柄へ手をかけたところで、荷台の兵士に呼ばれた。

 

「水、もらえますか」

 

 男は起き上がれず、首だけをこちらへ向けていた。

 エリナは剣から手を離し、荷の間にあった水袋を取った。揺れる荷台へ手を伸ばすと、隣の者が男の頭を支えてくれた。

 少しずつ飲ませる間にも、後ろでは戦う音が続いていた。

 

 坂を下り、城壁が岩の向こうへ隠れた頃、偵察の兵士が戻ってきた。魔王の姿は見えないという報告に、何人かが振り返った。

 国王は歩みを止めさせず、後方の警戒を続けるよう命じた。

 エリナも、もう一度だけ城の方を見た。

 塔の先が、黒い雲の下に残っていた。

 

 隣を歩いていたテオが躓いた。

 エリナが腕を伸ばすと、彼は杖をついて踏みとどまった。それから荷車へ近づき、縁へ手をかけた。

 

「……乗ってもいいですか」

 

 荷台の男が少しずれた。

 テオは礼を言い、引き上げてもらって座った。膝へ肘を置き、両手で顔を覆う。その指先は、まだ震えていた。

 エリナは何も声をかけられず、荷車の横を歩いた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 岩陰の宿営地へ着くと、地面へ次々に布が敷かれた。

 前にここへ泊まったとき、天幕の場所を決めるのに随分時間がかかった。今日は、日除けもないまま負傷者が降ろされ、治療師たちがその間を行き来していた。

 呼ばれる名前と、呻き声と、水を求める声が途切れなかった。

 

 エリナもようやく背中を診てもらった。

 服をめくられ、触れられた途端に声が漏れた。治療師は腫れた場所を確かめ、他に痛むところを尋ねた。

 どこから答えればいいのか分からず、エリナは少し黙った。

 

「……背中が、一番です」

 

 手当てを受けている間、横になったまま、行き交う靴を見ていた。

 担架が通るたびに、誰なのか気になった。けれど、顔を上げようとすると痛み、治療師に肩を押さえられた。

 

「今は動かないで」

 

 エリナは頷いた。

 横に置いた剣の鞘に、黒い汚れがついていた。布で拭かなければと思ったが、手を伸ばす気になれなかった。

 

 少し離れたところで、人数を確かめる声が続いていた。

 名前を呼ばれても返事のできない人がいて、そのたびに仲間が場所を知らせた。エリナは聞こえてくる名前を心の中で繰り返したが、途中から、うまく覚えられなくなった。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 レオンを見つけたのは、空が暗くなり始めてからだった。

 荷車の車輪へ背を預け、毛布を肩に掛けている。エリナが近づくと、顔を上げた。

 

「背中は?」

「手当て、してもらいました」

「そうですか」

 

 レオンは隣に置いていた水袋を退けた。

 エリナは腰を下ろし、固定された彼の腕を見た。指の先まで腫れていた。

 

「腕……」

「しばらく、腕は動かなさそうです」

 

 レオンは動く方の手で、毛布を引き上げた。

 エリナの口から、謝る言葉が出た。

 

「すみません」

 

 レオンがこちらを見た。

 何について謝ったのか、自分でも説明できなかった。勝てなかったことか。剣を止めたことか。この人を、家からここまで連れてきたことか。

 道中、レオンとは何度も一緒に戦った、疲れていたら、休めと言い、自分が下がっても次の人がいると教えてくれた。彼の腕が、今は胸の前に固定されている。

 帰ってからしたいことを、皆に聞いた。その人たちを、自分はこんな姿で帰らせている。そんな考えが浮かぶたび、何から謝ればいいのか分からなくなった。

 

「エリナさん」

 

 呼ばれて、顔を上げた。

 レオンは何か言いかけたが、近くを通る治療師に声をかけられ、そちらを向いた。包帯を確かめられる間、眉間に皺が寄った。

 エリナはそれ以上、口を開けなかった。

 手当てが終わると、彼は目を閉じた。エリナはずれた水袋を手の届く場所へ戻し、静かに立った。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 ベルタが器を渡してくれた。

 

「少しでいいから、食べな」

 

 エリナは両手で受け取った。薄い汁の中に、柔らかく煮えた野菜が沈んでいた。

 ベルタの袖口には、乾いた血がついていた。エリナがそこを見ているのに気づくと、彼女は袖を折り返した。

 

「私のじゃないよ」

 

 それだけ言って、別の器を持ち上げた。

 エリナは何も尋ねられなかった。少し離れたところへ座り、一口飲んだ。熱さは分かったが、味が分からなかった。

 

 荷車の向こうに、やどかりがいた。

 肩を包帯で覆われ、上着を片方だけ羽織っている。足元には器が置かれていたが、手をつけていないようだった。

 エリナは匙を置いた。

 

 行って、何を話すのだろうと思った。

 顔を見たら、責める言葉が出るかもしれない。何も言えずに戻ってくるかもしれない。それでも、離れたところから見ていることに耐えられなくなって、立ち上がった。

 

「やどかりさん」

 

 男が顔を上げた。

 目が合うと、エリナは言葉に詰まった。疲れた顔をしていた。何度も見たはずの無精髭も、頬の皺も、そのままなのに、ひどく年を取ったように見えた。

 やどかりは、また手元へ目を落とした。

 

「……俺が止めた」

 

 低い声だった。

 

「お前が斬ってりゃ、終わってた。なのに、俺が……」

「聞こえてたよ」

 

 男の口が閉じた。

 エリナはその前へ座った。立っていると、膝が震えた。

 

「止まれって言われたから、何かあるんだと思った」

 

 声が聞こえると、身体が動いた。右へ跳んで、三歩下がって、何度も助かった。だから最後も、そうした。

 

「……悪かった」

 

 エリナは首を振りかけ、途中でやめた。

 謝ってほしくて来たのか、自分でも分からなかった。ただ、広間では聞けなかったことが、まだ胸につかえていた。

 

「アルトさんのこと、どうして言ってくれなかったの」

 

 やどかりは黙っていた。

 エリナは待った。今まで何度も、この人が自分の答えを待ってくれたように、すぐには次の言葉を重ねなかった。

 

「……怖かった」

 

 男の目が、ようやく彼女へ戻った。

 

「お前が、俺を見る目が変わるのが。もう一緒に行けねえって、言われるのが」

 

 口元が動いたが、音は出なかった。

 

「次の町で話すつもりだった。怪我が治ってから、落ち着いてからって、先に延ばした。先に進むたび、今じゃなくてもいいって思った」

 

 エリナは膝の上の手を見た。

 王都でも、話す時間はあった。父の料理を食べてほしいと頼んだ晩にも、この人は隣にいた。

 

「帰っていいって、私には言ってくれたのに」

 

 唇を噛んでから、続けた。

 

「私が帰っちゃうかもしれないことは、言えなかったんだね」

「……ああ」

 

 男は目を伏せた。

 その返事を聞くと、倉庫で初めて差し出された手まで、確かめずにはいられなくなった。

 

「あのとき、私を見つけたのも、アルトさんのため?」

 

 やどかりは頷いた。

 

「城へ戻る前に、今のあいつの様子を知りたかった。そこから生きて帰ったお前なら、何か聞けると思った」

「私を、治したのも?」

「アルトは関係無い、死なせたくなかったからだ」

 

 今度は、すぐに返ってきた。

 

 エリナは顔を上げた。

 暗がりで見た小さな瓶を思い出す。金色の光が、硝子の中を巡っていた。

「もしかして、あの薬って……」

 

 やどかりは、膝の上の手を見た。

 

「アルトに帰ってきてほしくて、元に戻す方法を探した。その中で聞いたんだ。あの薬なら、魔王の力に侵された身体でも戻せるかもしれねえって」

「……かもしれない?」

「試した奴はいなかった。それでも、他に何もなかった。手に入ったのは、お前に会う少し前だ」

 

「あれって貴重な薬なんじゃ……」

 

 やどかりは、自分の掌を見た。

 

「手に入れられたのは、あの一本だけだった」

 

 エリナの喉が狭くなった。

 

「じゃあ、アルトさんに使う前に、私に……」

「ああ」

「どうして」

 

 やどかりは彼女を見た。

 

「片腕が動かねえまま、あちこちでイジメられてた。ボロボロで、寝る場所もなくて、それでもまだ自分で何とかしようとしてた」

 

 男はそこで一度言葉を切った。

 

「目の前に、治せるかもしれねえ奴がいた。だから渡した」

「でも、それを私が――」

「お前が使ったんじゃねえ。俺が使ったんだ」

 

 声が少し強くなった。

 

「お前が背負う話じゃねえよ」

 

 エリナは口を閉じた。

 倉庫で、やどかりは何と言っただろう。

 

 ――飲むためのもんだろ。

 

「……後悔してないの?」

 

 やどかりは、少しだけ考えた。

 

「アルトに使ってたらどうなったかは、今でも考える。でも、お前に渡したことを後悔したことはねえよ」

 

 やどかりは小さく息を吐いた。

 

「腕が動いて、ゆっくり寝れた。次の日には、美味いもんも食わせることが出来た、治せてよかったと思った、それだけだ」

 

 エリナは、膝の上で左手を開いた。

 動くようになった指の感触を、今も覚えていた。助けてもらったことまで嘘だったとは、思えなかった。

 けれど、その手で握った剣は、今日、やどかりの声で止まった。

 

「……殺したく、なかったの?」

 

 長い間があった。

 やどかりの喉が動き、やがて、小さく頷いた。

 

「……ああ」

「私に斬らせるのも?」

 

 男は答えなかった。

 エリナは待った。離れたところで、誰かが痛みに呻いた。すぐに治療師の声が返った。

 やどかりの肩が縮んだ。

 

「じゃあ、言ってよ……!」

 

 思っていたより、声が震えた。

 

「あそこまで行く前に、言ってほしかったよ!」

 

 男が顔を上げた。

 

「選べると思っていたんだ」

 

 その目が、エリナへ向いた。

 

「今度こそって。お前たちがいて、皆が戦ってて……ここで終わらせなきゃならねえって、分かってた」

 

 やどかりの指が、膝の上で曲がった。

 

「なのに、あいつの顔を見たら」

 

 その先が続かなかった。

 エリナは俯いた。分からないとは言えなかった。自分だって、やどかりに殺してくれと頼まれたら、剣を持てるか分からない。たぶん、簡単には振れない。だから、目の前の男を卑怯だと切り捨てることもできなかった。

 けれど、理解できることと、傷つかなかったことは別だった。

 レオンの固定された腕を見た。ミアが力を使い切って座り込むところも、荷車へ乗ったテオの手が震えているところも見た。広間で名前を呼ばれても返事をしなかった人もいた。

 誰も怪我をしなかったことには、もうできない。あの一瞬をなかったことにすることも、ここまで来る前へ戻ることもできなかった。

 

「私……怒ってる」

 

 やどかりは動かなかった。

 

「でも、死んでほしかったわけじゃない。だから、連れて帰ってきた」

 

 そこまで言うと、喉が詰まった。

 やどかりが何か言おうとして、口を開いた。エリナは首を振った。

 

「ごめん。今、何か言われても……」

 

 うまく聞ける気がしなかった。

 男の顔を見ていると、責めたいのか、助けてほしいのか、自分の気持ちまで分からなくなった。泣きたくなって、泣いたらこの人がまた謝ると思うと、それも嫌だった。

 

「今日は、もう……」

 

 エリナは立ち上がった。

 やどかりが手を動かした。引き止めようとしたのかもしれない。けれど、その手は膝へ戻った。

 

 数歩離れてから、エリナは振り返った。

 

「ご飯、食べて」

 

 それだけは言えた。

 やどかりは足元の器を見た。エリナは頷くのを待たず、荷車の向こうへ歩いた。

 

 自分の器は、置いた場所に残っていた。

 座って匙を持つと、汁はもう冷めていた。口へ運べば野菜の形も、塩気も分かるはずなのに、味だけが遠かった。エリナは一口だけ飲み込み、膝の上で手を止めた。

 

 周りには人がいた。負傷者の様子を尋ねる声があり、水を運ぶ足音があり、呼べばきっと誰かが顔を向けてくれる。王都を出た夜なら、それだけで「一人じゃない」と思えたはずだった。

 それなのに今夜は、たくさんの人に囲まれていることと、寂しくないことが同じではなかった。

 いつもなら、困ったときも、腹が立ったときも、最初に呼んでいた名前がある。

 その一人分の距離だけが、千人の中にいても埋まらなかった。

 エリナは冷えた器を両手で包んだまま、今夜はその名前を口にできなかった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

俺の相棒だけ擬人化実装されてないんだけど!(作者:寝室にドラゴンが突っ込んで来た!)(オリジナル:ファンタジー/コメディ)

『ドラゴ・マギカ・クロニクル』 ▼ ドラゴン娘を育てて世界を救うという何とも特徴のない擬人化ゲーの世界に『カラバ・イルマイト』として転生して来た俺は特に波乱も無くモブとして生きていた。▼ シナリオの端っこでいつの間にか殺されているという様なことが無いことを願いつつ、ゲームのチュートリアルイベントで召喚したドラゴン娘は『R』でも『SSR』でも『UR』でも無かっ…


総合評価:1768/評価:8.36/連載:49話/更新日時:2026年11月04日(水) 23:35 小説情報

幻想交じりの現代社会をTRPGの能力で生き抜いていく(作者:一般通過きなこ餅)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

第二次世界大戦直後、そんなただでさえ世界中混乱していた時に発生した『異世界流入現象』。▼それによって各地で幻想でしかなかった異種族、そしてダンジョンが出現し……。▼また、様々な特殊能力であり後に『才能』と呼称される力が人々に発現した。▼そんなえらいこっちゃの大混乱から大きく時は流れ、時代は2020年代を迎えた日本のとある地方都市。▼そこで生きる一人の少年は才…


総合評価:3829/評価:8.44/連載:25話/更新日時:2026年11月06日(金) 20:16 小説情報

どうやら凌辱系エロゲの世界に転生したようですが、俺は今日も平和に生きたい。~なのでBADエンド回避のために殺します。理由はもちろんお分かりですね?~(作者:岳鳥翁)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

「えぇ……ここ、凌辱系エロゲの世界かよぉ……」▼嘘だどんどこどーん、の邂逅まであとゼロ秒である。


総合評価:13712/評価:8.42/連載:21話/更新日時:2026年10月21日(水) 18:05 小説情報

旅立つ幼馴染を見送ったTS薄細美少女の俺。十年後、スラム街の娼館にて再会を果たす(作者:しゃふ)(オリジナル:ファンタジー/恋愛)

十年前、幼馴染の男が村から旅立って行った。▼TSして女になった俺にとって、唯一の親友と言える存在だった。▼十年後、私が働いている娼館に、そいつが来た。▼しかも、毎週唯一の出勤日にフルコースで指名してくる。▼……ほんと、馬鹿な奴。▼マルチ投稿してます


総合評価:13140/評価:9/完結:19話/更新日時:2026年10月23日(金) 22:04 小説情報

精霊が切り札の世界で、俺だけ孤独に成り上がる(作者:モナカパウマン)(オリジナル:現代/冒険・バトル)

カードゲーム最高!▼全てがアニメみたいにカードゲームで回ればいいのに……そんな風に思って、日々を過ごし、気がついたらカードアニメみたいな世界に転生していた。だが問題があった。この世界においてSSRカードの証左である精霊たちが一切懐いてくれないのである。▼しかし構わない。▼俺は一人で成り上がってみせる。▼元よりカードゲームに精霊なんて、無粋なのだ。▼※他サイト…


総合評価:7278/評価:8.01/連載:27話/更新日時:2026年11月04日(水) 21:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>