ボロボロ勇者とカッコつけおじさん   作:時々、たくあん

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第53話 隣に座る人

「エリナ」

 

 呼ばれて、顔を上げた。

 ミアが立っていた。肩に荷を掛け、もう片方の手には水袋を持っている。エリナの前へ来ると、地面に置かれた剣と、膝の上の布へ目を向けた。

 

「そろそろ、出るそうです」

「……うん」

 

 エリナは頷き、もう一度剣へ手を伸ばした。

 柄はすぐそこにあった。ほんの少し指を曲げればいい。そう思うほど、手が強張った。ミアが見ていることも分かっていて、何とかしなければと焦ったが、指先は鞘を撫でただけだった。

 

「私が持っていきましょうか」

 

 エリナはミアを見た。

 聞き返すより先に、首を振りかけた。この剣まで持ってもらったら、自分は何をしに来たのか分からなくなる。

 けれど、ミアは急がなかった。少し屈み、彼女の顔を見て待っていた。

 

「……持てないの」

 

 言ってしまうと、目の奥が熱くなった。

 

「手は、動くんだけど。痛いからじゃなくて……」

「はい」

 

 ミアは荷を下ろした。

 

「持っていっても、いいですか」

 

 同じことを、もう一度聞いた。

 エリナは唇を結び、やがて頷いた。ミアが剣を拾う。鞘へついていた土を払い、自分の荷の紐へ通した。それから、エリナの前へ手を差し出す。

 

「立つのは、大丈夫ですか」

 

 エリナはその手を借りた。

 背中はまだ痛んだが、足には力が入った。立ち上がると、ミアは落ちた布も拾って渡してくれた。

 剣のない腰が、軽かった。

 その軽さを誰かに見られたくなくて、エリナは上着の裾を引いた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 最後の荷車が動くところだった。

 エリナが近づくと、御者が手綱を緩めた。急いで歩こうとしたが、足元の石につまずき、ミアに肘を支えられた。

 

「乗るかい」

 

 御者が聞いた。

 荷台には、足を包帯で巻かれた兵士が座っていた。その隣が少し空いている。エリナが迷っていると、兵士が自分の荷を膝へ移した。

 

「どうぞ」

 

 エリナは小さく礼を言った。

 荷台へ上がるとき、腰に剣がないことをまた思い出した。隣の兵士がそこを見るのではないかと思ったが、男はエリナが座ると、毛布の端を彼女の方へ寄せた。

 

「背中に挟むと、少しはましですよ。結構、揺れるんで」

 

 言われたとおりにした。

 荷車が動き、車輪が石を越える。背板へ当たる衝撃が、毛布を通して伝わった。

 

 ミアは荷車の横を歩いていた。

 彼女の荷についた剣が、歩くたびに揺れている。

 

 隣の兵士が、声をかけてきた。

 エリナは身構えた、何か言われるのではないかと、勇者なのにもう戦えないのかと

 しかし、兵士は、水袋の栓を開けてほしいと頼んできた。きつく締まっていて、うまく回せないらしい。

 エリナは受け取り、布を当てて栓を捻った。開いた水袋を返すと、男は礼を言って水を飲んだ。

 

 荷車は、彼女が何も決められないままでも、少しずつ進んでいた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 川の音が聞こえてきたのは、昼を過ぎてからだった。

 橋へ入る手前で荷車が止まり、人が前後へ動いた。向こう岸を確かめる兵士たちの姿が、小さく見えた。

 今日の宿営地は、橋を渡る前の平地だった。列が街道から外れ、先に着いた人々の間へゆっくりと入っていく。

 

 エリナが荷台から下りると、ミアが荷を外した。

 剣を抜き取り、エリナへ渡そうとして、手を止める。それから敷いた毛布の上へ、鞘ごと横に置いた。

 

「ここに置きますね」

 

 エリナは頷いた。

 ミアはその隣へ腰を下ろした。荷から薬の袋を取り出すわけでも、エリナの傷を診るわけでもなく、靴の紐を少し緩めて、息を吐いた。

 

「足、疲れちゃいました」

 

 エリナは彼女の靴を見た。

 

「ごめん。私、乗っちゃって」

「あなたは怪我人ですよ。それに途中、道が悪かったですし」

 

 ミアは靴先を持ち上げ、足首をゆっくり回した。

 エリナは、自分の袋を少しずらした。二人で座るには毛布が狭かった。ミアがありがとうと言い、空いた場所へ荷を置いた。

 

 川は、思っていたより近かった。

 水音に混じって、鍋を下ろす音や、人を呼ぶ声が聞こえる。エリナは膝を抱えかけたが、背中が痛んでやめた。

 

「……ミア」

「はい」

 

 呼んでから、何を聞きたかったのか分からなくなった。

 剣を持ってくれてありがとう、と言えばよかった。歩かせてしまってごめん、と言うつもりだったのかもしれない。

 ミアは隣で待っていた。

 

「私、間違えたのかな」

 

 ようやく出てきたのは、そんな言葉だった。

 

「皆に、来てほしいって言ったこと」

 

 ミアの顔を見るのが怖くて、エリナは川の方を向いた。

 

「勝てるって、思ってた。みんな来てくれて、魔物も倒せて……今度は大丈夫だって」

 

 向こうで、担架が荷車から降ろされていた。

 持つ二人が声を掛け合い、地面に敷かれた布へ運んでいく。

 

「みんな、そう思ったから来てくれたんだよね」

 

 ミアはすぐには答えなかった。

 包帯を巻いた指を膝へ置き、担架を見送っていた。

 

「私も、勝ちたかったです」

 

 その声に、エリナは目を伏せた。

 

「昨日は怖かったです。手を離したら、この人が死んでしまうと思って。でも、次の人も運ばれてきて……」

 

 ミアは包帯の端へ触れ、ほどかずに手を離した。

 

「城から出たあとも、ずっと、誰かが呼ぶんです。行かなきゃと思うのに、足が動かなくて」

 

 エリナは何も言えなかった。

 昨日、ミアも怖かったのだ。何度呼ばれても答えてくれたから、そんなことさえ、きちんと考えられていなかった。

 

「……ごめん」

 

 ミアがこちらを向いた。

 

「でも、連れてこられたわけじゃありません。私が選んでここに来たんです」

 

 声は静かだった。

 

「それは、分かっていてほしいです」

 

 エリナはミアを見た。

 

「私が一緒に行きたいって、言ったでしょう」

 

 覚えていた。

 あの町で傷を診てもらい、一緒に戦い、ミアが旅へ出ると言った日。自分たちの後ろへついてきたのではなく、彼女は自分の荷を持って、こちらへ歩いてきた。

 

「……うん」

 

 頷くと、ミアも小さく頷いた。

 

「今すぐ、また戦えますとは言えません。でも、エリナに誘われたことを、なかったことにしたいわけじゃないです」

 

 喉の奥が詰まった。

 エリナは俯いた。泣けばミアを困らせると思ったのに、一度落ちた涙を拭うと、次がこぼれた。

 ミアはこれ以上言葉を重ねなかった。自分の袋から布を取り出し、エリナの手へそっと置いた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 泣いているところへ、テオが来た。

 エリナを見ると足を止め、ミアへ目を向ける。ミアが何も言わずに場所を空けると、テオは杖を横へ置いて座った。

 

「……あとにしますか」

 

 エリナは布で目元を押さえ、首を振った。

 

「何か、あった?」

「いくつか、聞きたいことがあるんです」

 

 テオは膝の上へ紙を広げた。

 描かれていたのは、広間の簡単な図だった。柱の位置と、人のいた場所。中央の丸のそばへ、細い線が何本も引かれている。

 エリナは息を詰めた。

 

「戦いのこと?」

「はい。後ろからでは、見えなかったところがあって」

 

 エリナは紙を見たまま、手を握った。

 

「ごめん、次はちゃんとできるって、まだ……」

「次にできるかを聞きに来たんじゃありません」

 

 テオは紙から顔を上げた。

 

「昨日、何が起きたのかを知りたいんです。僕も、途中から自分のことで精いっぱいでしたから」

 

 エリナは彼を見た。

 テオの手にも、小さな傷があった。指の関節のあたりで、皮膚が赤くなっている。

 

「答えられそうですか」

 

 聞かれて、エリナは息を整えた。

 

「……少しずつでも、いい?」

「もちろん」

 

 テオは紙を押しつけず、二人の間へ置いた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 エリナは途中で何度も言葉を止めた。

 はっきり覚えていることと、そうだった気がすることが混ざっていた。テオは、分からないと言えば、それ以上は聞かなかった。確かだと思うところだけを書き足し、しばらく紙を見つめていた。

 

「核を覆い直したものに、剣が当たったんですね」

「うん。私がもう一度突こうとした時には、もう黒いのが戻ってた。中までは、届かなかったと思う」

 

 テオが頷いた。

 エリナは紙の中央を見た。

 

「……私が止まったからだよ」

 

 口にすると、テオの手が止まった。

 

「見ていました」

 

 エリナは唇を噛んだ。

 テオは筆先を紙から離した。

 

「やどかりさんの声で止まったことも」

 

 川の音が聞こえた。

 テオは少し間を置いてから、続けた。

 

「僕も、あの人が何かに気づいたのかと思いました。だから、あなたにだけ、あれを無視しろとは言えません」

 

 エリナは顔を上げた。

 テオの眉間には、皺が寄っていた。

 

「……腹は立っています。あのとき、何のために皆で押さえていたのか」

 

 その言葉に、エリナは小さく頷いた。

 

「私も」

 

 自分だけではなかった。

 そう分かったことにほっとして、ほっとした自分がまた嫌になった。けれど、テオはその怒りを隠さずに、ここへ座っていた。

 紙を丸めて投げ出すこともせず、見えなかったことを尋ねに来ていた。

 

「……どうして、調べてるの」

 

 エリナが聞くと、テオは図へ目を落とした。

 

「あの胸のものを壊さない限り、同じことになります。外の黒いものをいくら剥がしても、戻ってしまう」

 

 エリナの肩が強張った。

 テオは中央の丸を指した。

 

「でも、身体から離れたものは消えました。昨日も、何度も見たんです」

「……うん」

「どこでつながっているのか。そこが分からないかと思って」

 

 エリナはその指先を見た。

 自分は、剣を持てないのに、テオは別のことを見ようとしていた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 近くの天幕から、ミアを呼ぶ声がした。

 彼女は立ち上がり、呼んだ治療師のところへ向かった。エリナはその背中を目で追った。担架の上の人へ声をかけ、包帯の下を確かめている。

 自分がここに座っていても、その手は止まっていなかった。

 

「朝起きて、まず、やどかりさんに聞こうと思ったの」

 

 エリナは言った。

 テオがこちらを見た。

 

「剣が持てなくなっちゃって。どうしたらいいか、分からなくて」

 

エリナは膝へ目を落とした。

 

「いつもなら、何か言ってくれると思ったんだけど……あの人も、分からないんだって思って」

 

 テオは答えを急がなかった。

 エリナは自分の膝へ目を落とした。

 

「だから、もうどうしたらいいか、分からなくなっちゃった」

 

 言ってから、隣に座っている人を見た。

 テオの膝には、まだ図があった。

 

「でも、テオは考えてたんだね」

「少しです。まだ、何もできていません」

 

 テオはそう答え、紙の端を押さえた。

 風でめくれそうになった反対側へ、エリナも手を置いた。

 

 -----------------------------------------------------------------

 

 ミアが戻ってきたとき、エリナはもう泣いていなかった。

 目元は熱く、頭も少し痛んだ。それでも、二人の顔を順番に見られた。

 

「私、また剣を振れるか、分からない」

 

 ミアが隣へ座った。

 テオは何も書かずに、エリナの言葉を待った。

 

「今度は止まらなければいいって、思ったの。やどかりさんが何か言っても、聞かないで」

 

 話しているうちに、胸が苦しくなった。けれど、今日は途中で立ち去りたくなかった。

 

「でも、もし、あそこにいるのがやどかりさんだったらって考えたら……」

 

 ミアの指が、膝の上で僅かに曲がった。

 

「できなかった。考えるだけでも、嫌だった」

 

 エリナは言い終え、息を吐いた。

 やどかりを許せたわけではなかった。大切な人を殺せないなら仕方ないと、皆へ言えるわけでもない。

 けれど、そこから先を一人で考えても、同じ場所へ戻ってくるばかりだった。

 

「……変だよね。私、アルトさんには、ひどいことされたのに」

「変だとは思いません」

 

 ミアが答えた。

 それ以上、説明はしなかった。エリナは彼女の顔を見て、少しだけ肩の力を抜いた。

 

「城で、殺してくれって言ってた」

 

 アルトの声を思い出した。

 

「あの人も、あの黒いのがなかったら……」

 

 言いかけて、テオの紙へ目を向けた。

 中央の丸と、そこから外へ伸びる線。身体を離れたものは消える。テオが私に聞いて、メモした事も書かれていた。

 

「ミア」

「はい」

 

 エリナは、二人の間に置かれた紙へ手を添えた。

 こんなことを聞いていいのか、まだ迷っていた。命を懸けて戦った人たちがいる。簡単な思いつきで、また来てほしいとは言えない。

 だから、約束してほしいのではなく、まず聞きたかった。

 

「アルトさんは……治せないのかな」

 

 ミアはすぐには答えなかった。

 テオも、できるとは言わなかった。

 二人とも、紙の上へ目を向けた。

 

「……アルトさんを操っている魔王を取り除くという事ですか」

 

 ミアが聞いた。

 エリナは頷きかけ、首を振った。

 

「分からない。そういうことができるのかも、私には」

 

 テオが紙を広げ直した。

 描かれた胸の丸のそばへ、まだ何も書かれていない場所があった。彼はそこへ筆先を置き、ミアの方を向いた。

 

「身体がどうなっているか、見えた範囲でいいので教えてもらえますか」

 

 ミアが少し近づいた。

 エリナは二人が見やすいように、紙の端を押さえ直した。

 

 剣は、まだ毛布の上にあった。

 手に取ることはできなかった。明日なら戦えるとも、もう大丈夫だとも思えなかった。

 けれど、口にした問いを、二人が一緒に考えていた。

 

「エリナも、ここを見てください」

 

 テオに呼ばれ、顔を上げた。

 ミアが隣を空けた。

 エリナは膝を寄せ、二人の間へ身を乗り出した。

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