停戦の交渉をしていたはずが、なぜかギレン総帥が猫を飼い始めました。 作:山田 川田
目的のない散歩を経験したギレンは、自宅へ戻っていた。
結局、今日一日で仕事らしい仕事は何もしていない。会議にも出ていない。書類にも目を通していない。何一つ決裁していない。それでも、一日は終わろうとしていた。
ギレンは窓の外を見る。
「……」
妙な気分だった。何もしていない。しかし、何かをしなければならないという焦りも、朝ほどではなくなっていた。
ギレンは側近へ通信した。側近が尋ねる。
「本日は、いかがでしたか?」
「何がだ」
「休暇です」
「……悪くはなかった」
「それは何よりです」
ギレンは答えてから、ふと思い出した。昼間に見た猫。道端で子供の近くにいた、あの小さな動物である。
「猫というものは」
「はい?」
「普段、何をしている?」
「猫ですか?」
「そうだ」
側近は質問の意図が分からなかった。
「寝たり、食べたり、遊んだりしているのではないでしょうか」
「それだけか?」
「おそらく」
「何か生産的な活動は?」
「猫ですので」
「……」
寝る。食べる。遊ぶ。それで一日が終わる。
「ずいぶん自由な生き物だな」
「そうですね」
◇
翌朝。休暇二日目。
朝六時。ギレンは目を覚ました。側近に連絡する。
「本日の予定は?」
「ございません」
昨日と同じだった。
「ガルマから連絡は?」
「ございません」
「南極は?」
「交渉継続中です」
「重大な問題は?」
「ございません」
「軍からは?」
「特にありません」
平和だった。ギレンにとっては、それが問題だった。
新聞を開く。
『休暇の将兵、各地で家族と再会』
『商店街に人出戻る』
『停戦交渉は進まない』
そして、
『ガルマ・ザビとイセリナ、昨日も二人で外出』
ギレンは記事を見る。自分も一緒だった。記事にはほとんど書かれていない。
「……」
新聞を閉じた。
外へ出る。
「散歩に行く」
「はい」
護衛を伴い、昨日と同じ道を歩く。
だが、しばらくすると足が止まった。
昨日、猫がいた場所だった。
「……」
猫はいない。
ギレンは周囲を見る。
「総帥?」
「何でもない」
歩き始める。数歩進む。
「ニャア」
止まった。振り返る。
いた。昨日の猫だった。
猫もギレンを見る。
「……」
「ニャア」
ギレンは近づいた。猫は逃げない。護衛の一人が少し緊張した。
総帥が下を見た。誰も何も言わない。
ギレンは猫を見る。猫も見る。
「昨日もいたな」
「ニャア」
「私を覚えているのか?」
「ニャア」
当然、答えは分からない。
猫は床に寝そべった。ギレンが固まった。護衛も固まった。
「……」
猫は腹を見せた。
「これは何をしている?」
「閣下に懐いているのではないでしょうか」
「私に?」
「はい……」
「なぜだ」
「分かりません」
ギレンが猫を見る。猫もギレンを見た。そして逃げなかった。
「……」
ギレン・ザビは、しばらく猫を見ていた。護衛たちは黙って見ていた。誰も急かさなかった。休暇なのだから。
◇
「野良猫でしょうか」
護衛が猫を見る。
「首輪がありません」
「飼い主を確認しろ」
すぐに周辺への確認が行われた。迷い猫ではないか。近所で飼われていないか。誰かが探していないか。
しばらく待ったが、飼い主は見つからなかった。近所の住民によれば、少し前からこの辺りで見かけるようになった猫らしい。
ギレンは猫を見る。猫は座っている。
護衛が尋ねた。
「どうしますか?」
「どうするとは?」
「この猫です」
「ここにいるのだから、ここにいればよかろう」
そう言って、ギレンは歩き始めた。
猫がついてきた。
止まる。猫も止まる。
歩く。ついてくる。
また止まる。猫も止まる。
護衛が必死に表情を変えないようにしている。
ギレンが猫を見る。
「なぜついてくる」
「ニャア」
「私は帰るのだぞ」
「ニャア」
そう言いながら、また歩く。猫も歩く。
しばらく、それが続いた。
ついにギレンが止まった。
「……猫を飼うには、何が必要だ?」
護衛が一瞬黙った。
「飼われるのですか?」
「まだ決めていない」
猫がギレンの足元に座った。
「必要なものは」
「食事、水、トイレ、寝る場所などでしょうか。健康診断も受けさせた方がよいかと」
「健康診断?」
「はい」
ギレンは猫を見る。
昨日、自分も受けたばかりだった。
「……病院へ連れて行け」
「承知しました」
◇
その日の午後。
猫は動物病院にいた。ギレンもいた。
獣医師は猫を診察した。大きな問題はない。栄養状態も極端に悪くはない。必要な処置を行い、今後の飼育について説明する。
ギレンは真剣に聞いていた。軍事会議とほとんど同じ顔だった。
「食事は一日何回だ?」
「年齢にもよりますが――」
「必要な水分量は?」
「いつでも新鮮な水を飲めるようにしてください」
「健康診断の頻度は?」
「定期的に受けていただければ」
「運動は?」
「室内でも遊べる環境があれば大丈夫ですよ」
説明が終わった。
獣医師が尋ねる。
「お名前は決まっていますか?」
ギレンが止まった。
「名前?」
「はい。この子の名前です」
考えていなかった。猫を見る。猫もギレンを見る。
獣医師が待つ。側近も待つ。護衛も待つ。
獣医師が微笑んだ。
「今日決めなくても大丈夫ですよ」
ギレンは猫を見る。
「名前は後で決める」
休暇二日目。ジオン公国総帥ギレン・ザビは、猫を飼い始めた。