第100話 平穏
プトレマイオス2・食堂
「――というわけですぅ」
ミレイナは満足そうに報告を終えた。
クリスティナは頬杖をついたまま、しばらく黙っていた。
「……で?」
「はい?」
「なんでそれを私に報告するの?」
「重要事項だからです!」
「何の?」
「恋愛事情ですぅ」
「この艦にそんな担当部署あった?」
「今できました!」
「勝手に作らないの」
そう言いながらも、クリスティナは笑っている。
隣でフェルトが飲み物を口にした。
「沙慈とルイスなら、別に不思議じゃないと思うけど」
「そこです!」
ミレイナが身を乗り出した。
「以前お付き合いしていたお二人が、いろいろあって離れて、再会して、そして再び手を繋ぐ! これは重要な進展ですぅ!」
「声大きいって」
クリスティナが周囲を見る。
幸い本人たちはいない。
「でもまあ……よかったんじゃない?」
クリスティナの声が少し柔らかくなる。
「ルイスも最近、前より笑うようになったし」
フェルトが頷く。
「沙慈も嬉しそう」
「ですからチェック完了です!」
「何をもって完了なのよ」
「手を繋いでいました!」
「判定基準そこ?」
「重要ですぅ」
クリスティナは笑いながら飲み物を口へ運んだ。
そこで。
ミレイナの視線が動く。
「ところでクリスさん」
「何?」
「リヒティさんとは――」
クリスティナがむせた。
「なんで私に来るのよ!」
「順番ですぅ」
「何の順番!?」
フェルトが僅かに笑う。
「クリス、顔赤いよ」
「フェルトまで!」
「事実を言っただけ」
「もう!」
クリスティナがミレイナを見る。
「だったら次はフェルトね!」
「え?」
「レイナスとはどうなの?」
フェルトは数秒黙った。
「……どうって?」
「そういうところよ」
ミレイナの目が輝く。
「チェックですぅ!」
「まだ何も言ってない」
「これから聞くです!」
フェルトは困ったように息を吐いた。
だが。
以前のように即座に話を切ることもしなかった。
「レイナスは……」
少し考える。
「近い人ではあると思う」
「おおっ」
「でも、そういうのとは少し違うかな」
「そういうの?」
クリスティナが笑う。
フェルトは二人を見る。
「分かってて聞いてるでしょ」
「バレた?」
「分かるよ」
フェルトは呆れながらも、小さく笑った。
「レイナスはレイナス。それでいいと思ってる」
ミレイナが首を傾げる。
「保留です?」
「勝手に判定しないで」
「難しいですぅ……」
◇
プトレマイオス2・格納庫
同じ頃。
話題にされている本人は、自分がそんな会話の対象になっているとは夢にも思わず、新型機の設計図を睨んでいた。
「……重いな」
「何がだ?」
イアンが尋ねる。
「ここ」
レイナスがアルティオールの肩部を指す。
「強度を上げるのは分かるけど、これじゃアステリオンより初動が鈍くならないか?」
「お前がメメントモリを受け止めたからだろうが」
「そこを設計条件に入れるのはどうなんだ?」
「入れろって言ったのはお前だ!」
「俺が言ったのは無茶に耐えられるようにしてくれって話で、衛星兵器を標準負荷にしろとは言ってないよ」
「似たようなもんだ!」
「全然違うだろ」
リンダが二人の間へ入る。
「そのために今調整してるの。強度を上げながら、重量増加を抑える」
別の設計案を表示した。
フレームの一部が変化する。
レイナスの目が細くなった。
「こっちの方がいいな」
「ただし加工が増えるわ」
「納期は?」
「延びる」
「性能は?」
「上がる」
「じゃあそっちで」
即答だった。
イアンが呆れる。
「少しくらい悩め」
「何を?」
「納期だよ!」
「急いで半端なもの受け取っても仕方ないだろ」
レイナスは設計図を見る。
「今はGN-X IIIがある。現場を空けずに済んでるなら、アルティオールまで突貫工事にする必要はないさ」
「珍しくまともなこと言ったな」
「失礼だな」
「日頃の行いだ」
「そこを持ち出されると反論材料が足りないな」
レイナスは苦笑した。
その視線が別の表示へ移る。
トランザム関連制御。
まだ解析途中。
「こっちは?」
「まだ駄目だ」
「聞いただけだよ」
「顔が試したがってる」
「そりゃ試したいさ」
レイナスは隠そうともしない。
「新しい機体に新しいシステムだぞ。興味持つなって方が無理だろ」
「お前の場合、興味を持った次に実行が来るから止めてんだ」
「その間に検討くらいは挟むよ」
「短すぎるんだよ!」
格納庫にイアンの声が響いた。
◇
プトレマイオス2・居住区
絹江が部屋へ戻ると、ニールがベッド脇の壁に寄りかかっていた。
「まだいたの?」
「追い出すのか?」
「そうは言ってないけど」
絹江は端末を机へ置いた。
ヴェーダ捜索に使う資料。
報道記録。
連邦政府の公式発表。
カタロンから持ち帰った情報。
部屋へ戻ってまで仕事を続ける気だった。
ニールがそれを見る。
「また仕事か?」
「ちょっと確認するだけ」
「昨日も聞いたな、それ」
「昨日とは違う資料よ」
「そういう問題じゃない」
絹江が椅子へ座ろうとする。
ニールが端末を取った。
「あ」
「今日は終わり」
「返して」
「嫌だね」
「ニール」
「俺が言うのもなんだけどな」
ニールは端末を机の端へ置いた。
「働きすぎだ」
絹江がじっと見る。
「あなたに言われると納得いかない」
「だろうな」
「返して」
「明日」
「あと少しだけ」
「駄目」
「五分」
「昨日もその交渉したよな?」
「覚えてたの?」
「覚えてるよ」
絹江は不満そうに息を吐いた。
「……暇になるんだけど」
「休めばいいだろ」
「急に言われても困るのよ」
「難儀な性格してんな」
「誰のせいよ」
「俺じゃねえだろ」
絹江はベッドへ腰を下ろした。
ニールも隣へ座る。
しばらく。
何も話さない。
「……ねえ」
「ん?」
「あなた、ずっとここにいたの?」
「何が?」
「私がカタロンにいる間」
ニールは少し考えた。
「まあな」
「戦って?」
「ああ」
「怪我してない?」
「今さら聞くか?」
「直接見てなかったから」
絹江の手がニールの腕へ伸びる。
服の上から触れる。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「本当に」
「信用ないから」
「ひでえな」
「前科があるでしょ」
ニールは苦笑した。
「そこを出されると弱いな」
絹江は腕から手を離さなかった。
「……もう、いなくならないでよ」
軽い口調ではなかった。
ニールの表情が変わる。
「絹江」
「私も勝手に動いたから、人のこと言えないけど」
「そうだな」
「そこは否定しなさいよ」
「無茶言うな」
絹江が少し笑った。
ニールはその手に自分の手を重ねる。
「約束はできねえ」
絹江が彼を見る。
「俺たちがやってること考えりゃ、絶対なんて言えないからな」
「……うん」
「でも」
ニールは絹江の手を握る。
「帰ってくる努力はする」
絹江はしばらく何も言わなかった。
「それでいい」
そして。
そのままニールの肩へ頭を預けた。
◇
プトレマイオス2・展望区画
「何を見ている?」
刹那が振り返る。
グラハムが立っていた。
「地球だ」
「見れば分かる」
グラハムも窓の向こうを見る。
青い惑星。
その周囲を、軌道エレベーターとオービタルリングが取り囲んでいる。
つい先日。
その一部が崩壊しかけた。
「君は変わったな、少年」
刹那がグラハムを見る。
「何がだ」
「以前の君なら、もう少し鋭かった」
「鈍ったと言いたいのか?」
「逆だ」
グラハムは僅かに笑う。
「余裕ができたように見える」
刹那は答えなかった。
「レイナスも言っていた」
「何を?」
「ニュータイプみたいだ、と」
「ニュータイプ?」
「私にも意味は分からん」
「そうか」
「気にならないのか?」
「レイナスの言うことを全部気にしていたらきりがない」
グラハムが声を上げて笑った。
「それには同意しよう!」
「聞こえてるぞ」
背後から声がした。
二人が振り向く。
レイナスが端末を片手に立っていた。
「人が新型の打ち合わせで働いてる間に、随分好き勝手言ってくれるじゃないか」
「事実だ」
刹那が答える。
「お前まで言うのか」
レイナスは二人の隣へ来た。
窓の外を見る。
「で、何の話だ?」
「刹那が変わったという話だ」
「それなら俺もそう思う」
刹那が見る。
「どこがだ」
「前より周りを見るようになった」
レイナスは地球へ視線を向けたまま答える。
「昔は目の前の戦争を止めるので精一杯だった。今は、その先まで見ようとしてる」
「……」
「悪い変化じゃないさ」
刹那は少しだけ黙った。
「お前は変わらないな」
「俺?」
「ああ」
レイナスは考える。
「百年以上これでやってきたんだ。今さら大幅な仕様変更は難しいな」
グラハムが笑う。
「自覚はあるのだな」
「そこまで言われるほどか?」
「「ある」」
刹那とグラハムの声が重なった。
レイナスは二人を見る。
「……気が合うじゃないか」
二人とも黙った。
「そこで同時に嫌そうな顔するなよ」
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「スメラギさん」
フェルトが呼ぶ。
スメラギが席を立ち、フェルトとクリスティナの端末へ近づいた。
「何か出た?」
「昨日見つけた通信パターンを追加で追ってみたんですけど」
クリスティナが表示を切り替える。
情報改竄が行われた直後。
地上から宇宙へ増加する通信。
途中で痕跡は消える。
だが。
「発生地点を時間ごとに並べました」
フェルトが複数のデータを重ねる。
スメラギの表情が変わる。
「……全部同じ方向へ向かってる?」
「完全には一致してません」
フェルトが答える。
「中継を何度も挟んでます。でも、最終的に消える直前の通信方向には偏りがあります」
「どの方向?」
クリスティナが宇宙図を表示した。
地球。
オービタルリング。
各ラグランジュポイント。
そして。
その先。
「月……?」
スメラギが呟く。
「まだ断定できません」
フェルトがすぐに続ける。
「月そのものなのか、その周辺なのか。それとも月方向にある別の中継施設なのかは分かりません」
「でも」
クリスティナが言う。
「昨日よりはかなり狭まりました」
スメラギは腕を組んだ。
「ティエリアを呼んで。留美と絹江にも連絡を」
「はい」
フェルトが通信を開く。
スメラギは表示された月を見つめた。
まだ仮説。
まだ証拠には足りない。
それでも。
これまで世界のどこにあるのかすら分からなかったヴェーダ。
その影が。
少しずつ、一つの方向へ集まり始めていた。
◇
同時刻――格納庫
設計作業を終えたレイナスが、アルティオールの仮想モデルを眺めていた。
まだ機体は存在しない。
アステリオンのフレームも解体と再加工の途中。
完成までは遠い。
それでも。
画面の中には、新しいガンダムの姿が少しずつ生まれ始めている。
「……まだ先は長いな」
横にいたイアンが言う。
「急げって言ったのは誰だ?」
「言ってないぞ」
「言いそうな顔してる」
「新型を目の前にして急かしたくならないパイロットがいたら、一度会ってみたいね」
「じゃあ待て」
「待ってるだろ?」
「毎日見に来るな」
「進捗確認だよ」
「一日に何回確認する気だ!」
レイナスは笑った。
その時。
艦内通信が鳴る。
『レイナス、ブリーフィングルームへ来て』
スメラギだった。
「……今度は何だ?」
『ヴェーダの捜索に進展があったわ』
レイナスの表情が変わる。
「分かった。すぐ行く」
通信が切れる。
イアンが見る。
「仕事か?」
「ああ」
レイナスは出口へ向かった。
「せっかく今日は機体の話だけで終われると思ったんだけどな」
「諦めろ」
「最近そればっかり言われてる気がするよ」
足を止めず、片手を上げる。
「アルティオールは任せた」
「分かってる」
レイナスは格納庫を出ていった。
一方では、新しいガンダムが少しずつ形になり。
もう一方では。
ヴェーダへ続く道が、月の方向へと伸び始めていた。