第101話 月を指す糸
プトレマイオス2・ブリーフィングルーム
「月、か」
レイナスは宇宙図に浮かぶ月を見た。
ブリーフィングルームにはスメラギ、ティエリア、フェルト、クリスティナ、王留美、絹江が集まっている。
表示されているのは、これまで集めてきた通信記録だった。
地上から宇宙へ。
複数の中継地点を経由し、やがて消える通信。
一つだけなら意味を持たない。
だが、情報改竄が発生した時刻と照らし合わせていくと、同じ傾向が浮かび上がっていた。
「正確には、まだ月と決まったわけじゃないわ」
スメラギが言う。
「月方向へ向かう通信が多い。それだけよ」
「十分大きな進展だろ」
レイナスが椅子へ腰を下ろす。
「今までは住所どころか国すら分からない相手を探してたようなもんだ。方向が出ただけでも、だいぶ仕事らしくなってきた」
「ただし」
ティエリアが別の資料を表示する。
「通信経路は意図的に複雑化されている。複数の中継施設を経由している上、途中から記録そのものが消失している」
「ヴェーダを使って消してる?」
絹江が尋ねる。
「その可能性が高い」
ティエリアの表情は硬い。
かつて自分が絶対的に信頼していた量子型演算処理システム。
今、そのヴェーダはリボンズたちの側にある。
「でも、全部は消せてない」
クリスティナが言った。
「地上側の民間回線、古い中継衛星、連邦軍の独立系統。ヴェーダと直接繋がってない記録が少しずつ残ってる」
王留美が頷く。
「私の情報網にも同様の記録があります。単独では価値のない断片ばかりでしたが、これだけ集めれば意味が変わります」
「メメントモリの時と同じね」
絹江が言う。
「隠したつもりでも、物や情報が動けば外側に痕跡が残る」
「完全に帳簿から消したつもりでも、納品した側には伝票が残ってたってところか」
レイナスが言う。
「隠す側も大変だな。世界中の書類を一枚残らず回収するなんて、俺なら見積もりの時点で断る」
「だから、その残った一枚を探すのよ」
スメラギが返す。
「嫌な仕事を振ってくれるな」
口ではそう言いながら、レイナスは宇宙図から目を離さなかった。
「それで、月のどこまで絞れてる?」
フェルトが表示を拡大する。
「まだ広いです。ただ……」
月周辺に複数の線が現れる。
「消失直前の通信方向を延長すると、ばらつきはありますけど月の裏側へ集中する傾向があります」
「地球から直接観測できない側か」
絹江が呟く。
「隠すには都合がいいわね」
ティエリアが月の裏側を見つめる。
「ヴェーダほどの設備を設置するなら、相応の施設が必要になる」
「資材も人員もね」
王留美が続けた。
「建設された時期まで遡れれば、物流から追える可能性があります」
スメラギが頷く。
「留美はそっちをお願い。絹江は過去の月面開発計画と報道記録。フェルトとクリスは通信解析を継続」
「僕は?」
ティエリアが聞く。
「今まで集めた改竄記録をもう一度洗って。月に関係するものだけじゃなくて、逆に不自然に月が消されている記録も探してほしい」
ティエリアが目を細める。
「存在する記録ではなく、存在しない記録を見るのか」
「ええ」
「了解した」
レイナスが手を上げる。
「俺は?」
スメラギが見る。
「待機」
「……一番苦手な仕事が来たな」
「GN-X IIIの整備でもしてれば?」
「それはもう終わってる」
「アルティオールは?」
「俺が触るとイアンに追い出される」
「じゃあ休んでなさい」
レイナスは少し黙った。
「それ、正式な指示?」
「そうよ」
「珍しいな。じゃあ命令違反になる前に従っとくか」
絹江が笑う。
「普通、休めって言われてそんな顔する?」
「急に空き時間渡されても使い方に困るんだよ。予定表にない休みってのは、案外扱いづらい」
「贅沢な悩みね」
「自分でもそう思う」
◇
プトレマイオス2・格納庫
結局。
レイナスは格納庫にいた。
「お前、休めと言われたんじゃなかったのか?」
GN-X IIIの脚部装甲を点検していたレイナスへ、イアンが呆れた声を掛ける。
「休んでるよ」
「どこがだ」
「出撃してない」
「休みの基準がおかしい!」
「百年以上かけてこうなったんだ。今さら直せって言われても困る」
レイナスは点検端末を閉じた。
現在の乗機。
本来ならアロウズの機体だったGN-X III。
アステリオンと比べれば性能も、レイナスとの相性も落ちる。
それでも。
「悪くないんだよな、こいつ」
「持って帰ってきた時から気に入ってるじゃないか」
「癖が少ない。量産機としてよくできてる」
装甲を軽く叩く。
「誰が乗っても一定以上働く機械ってのは、それだけで価値があるよ」
「だからって限界まで振り回すな」
「まだ壊してないだろ」
「まだ、を付けるな」
レイナスが苦笑する。
その向こう。
作業区画では、アステリオンだった機体が大きく姿を変え始めていた。
外装の大半は既に外されている。
残されたフレームにも、新しい部材が組み込まれ始めていた。
ガンダムアルティオール。
まだ完成形には遠い。
「右側、かなり変わったな」
「メメントモリを受けた側だからな。補修で済ませるより作り直した方が早い」
「アステリオンの面影が減ってきた」
「全面改修を希望したのはお前だろ」
「分かってるよ」
レイナスはしばらくフレームを見る。
惜しむような表情ではない。
「アステリオンは、あれで完成してた」
イアンが見る。
「だから無理に元へ戻す必要はないさ。次に必要な仕事が違うなら、機体だって変わるべきだ」
「珍しく聞き分けがいいな」
「最近その評価多くないか?」
「普段が普段だからな」
「信用を積み直すには時間がかかりそうだ」
「まず敵機を持って帰るのをやめろ」
「その件はもう終わっただろ」
「終わってない!」
レイナスは聞こえなかったことにした。
◇
プトレマイオス2・医務区画
ルイスはベッドへ腰掛けていた。
その前にレイナスが立つ。
両手から淡い光が広がり、ルイスの身体を包んでいた。
《アニマ》。
定期的に続けている治療だった。
「どうだ?」
「大丈夫です」
「頭痛は?」
「ほとんどないです」
「声は?」
ルイスは少しだけ考える。
「聞こえません」
「そうか」
レイナスはそれ以上追及しない。
《アニマ》の出力をゆっくり落としていく。
「今日はここまで」
「ありがとうございます、レイナスさん」
「礼は完治してからでいいよ。まだ工程途中だ」
ルイスが腕を見る。
以前は薬が切れれば、身体の奥から異常が這い上がってくるような感覚があった。
今はない。
少なくとも、日常生活の中で薬を必要とすることはほぼなくなっていた。
「このまま治りますか?」
レイナスは少し考えた。
「治すつもりではいる」
「つもり?」
「医者でもない人間が絶対なんて言うもんじゃないだろ」
椅子へ座る。
「状態は良くなってる。薬への依存もかなり下がった。擬似GN粒子由来の異常も落ち着いてる。そこまでは事実だ」
「はい」
「だからって工程飛ばして完成扱いにすると、後で不具合が出た時に余計面倒になる」
ルイスが笑った。
「また機械みたいに言ってますね」
「説明する側が一番分かりやすい例を使ってるだけだよ」
「沙慈も言ってました」
「何を?」
「レイナスさん、何でも仕事とか機械に例えるって」
レイナスが黙った。
「……あいつ、余計なこと覚えてるな」
「分かりやすいですけど」
「ならいいか」
そこへ扉が開いた。
「ルイス」
沙慈だった。
「終わった?」
「ああ。今日は終わり」
レイナスが立ち上がる。
「連れて帰っていいぞ」
「連れて帰るって……」
沙慈が少し赤くなる。
ルイスも昨夜のことを思い出したのか、僅かに視線を逸らした。
レイナスが二人を見る。
「……何だ?」
「何でもないです!」
二人の声が重なった。
レイナスが眉を上げる。
「そうか」
それだけ言って、深く追及しなかった。
「じゃあ俺は行くよ」
「どこへ?」
沙慈が聞く。
「休めって言われたから、休める場所を探してる」
「医務室で治療してましたよね?」
「……」
レイナスが止まった。
「これは仕事に入るのか?」
「入ると思います」
「そうか」
少し考える。
「休暇の運用って難しいな」
そのまま医務室を出ていった。
残されたルイスが笑う。
「本当に休めない人なんだね」
「うん」
沙慈も苦笑する。
「でもレイナスさん、自分では休んでるつもりなんだと思う」
「それが一番駄目なんじゃない?」
「僕もそう思う」
◇
プトレマイオス2・通路
「お疲れさまですぅ」
医務室を出た沙慈とルイスの前に、ミレイナが現れた。
二人が止まる。
ミレイナも止まる。
視線が下がる。
今日は手を繋いでいない。
「……」
「何?」
ルイスが警戒する。
「いえ」
ミレイナは沙慈を見る。
ルイスを見る。
二人の距離を見る。
「本日はまだですね」
「何が!?」
「何でもないですぅ」
「絶対昨日のこと言ってるでしょ!」
「ミレイナは何も言ってません!」
「顔が言ってる!」
沙慈が困ったように二人を見る。
「ルイス、行こう」
「でも――」
「たぶん相手したら駄目だよ」
「クロスロードさん、学習しましたね」
「何を!?」
結局、ルイスも沙慈に押されるように歩き出した。
ミレイナはその背中を見送る。
しばらくして。
沙慈の手が、自然にルイスの手へ伸びた。
ルイスも握り返す。
ミレイナの目が輝いた。
「チェックですぅ」
「聞こえてるから!」
遠くからルイスの声が返ってきた。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
数時間後。
「見つけた」
ティエリアの声で、全員がモニターへ注目した。
表示されたのは古い月面開発記録。
連邦成立以前。
さらにその前。
軌道エレベーター建設と太陽光発電システムの整備が進められていた時代のものだった。
「これ自体は普通の施設よ」
絹江が説明する。
「月面資源の採掘と宇宙開発用の研究施設。公表もされていた」
「問題はここからです」
王留美が別の資料を重ねる。
ある時期を境に。
施設への物資輸送記録が減少する。
そして。
公式には閉鎖。
「閉鎖されたなら終わりじゃないの?」
クリスティナが聞く。
「普通ならな」
ティエリアが答える。
「だが、閉鎖後も周辺宙域への物資輸送が続いている」
「行き先は?」
スメラギが尋ねる。
「記録上は存在しない」
沈黙。
フェルトが通信記録を重ねる。
「位置も近いです」
宇宙図。
これまで追ってきた通信が消える方向。
過去に存在した月面施設。
そして。
閉鎖後も続いた物資輸送。
三つが重なった。
レイナスが腕を組む。
「随分と怪しくなってきたな」
「まだヴェーダだと断定はできない」
ティエリアが言う。
「ああ」
レイナスも頷く。
「でも現場確認するには十分だろ」
スメラギは月の裏側を見つめた。
「問題は近づき方ね」
ヴェーダが本当にそこにあるなら。
当然、リボンズもこちらの接近を警戒している。
プトレマイオス2で正面から向かえば、居場所を教えるようなものだった。
「偵察が先だな」
レイナスが言う。
「小さい機体で近づくか、無人機を使うか」
「無人機では途中で乗っ取られる可能性がある」
ティエリアが答える。
「相手はヴェーダを掌握している」
「じゃあ有人か」
「簡単に言わないで」
スメラギが釘を刺す。
「月の裏側よ。何があるか分からない」
「分かってる」
レイナスは宇宙図を見る。
「だから先に見るんだろ?」
スメラギが嫌そうな顔をする。
「その顔、あなたが行く気でしょ」
「候補には入るだろ」
「却下」
「早いな」
「今のあなたの機体、GN-X IIIでしょう」
「普通に宇宙で使えるぞ」
「そういう問題じゃないの」
「じゃあ何が問題なんだ?」
「あなたが行くと偵察で終わらない可能性が高いこと」
レイナスが黙る。
王留美が僅かに笑う。
絹江も黙ってレイナスを見る。
クリスティナまで視線を向ける。
「……随分信用がないな」
「実績の問題よ」
スメラギが即答した。
「偵察に行って、敵を見つけて、戦闘になって、帰りにMSが一機増える」
「最後は余計だろ」
「否定できる?」
「……今回は持って帰らない」
「今回は?」
「言葉尻を拾うなよ」
スメラギはため息をついた。
だが。
表情はすぐに戦術予報士のものへ戻る。
「まず周辺宙域をもっと調べる。偵察方法はその後決めるわ」
全員が頷く。
レイナスも反対しなかった。
モニターには月。
その裏側に、一つの領域が示されている。
まだヴェーダがあるとは限らない。
だが。
世界を裏側から動かしてきた存在へ続く糸は。
もう、手を伸ばせば届くところまで来ていた。