第105話 変わりゆくもの
プトレマイオス2・食堂
「――というわけで、第二回ですぅ!」
ミレイナが両手を上げた。
テーブルを囲んでいるのは、フェルト、クリスティナ、マリー、ルイス、アニュー、王留美、そして絹江。
第一回より、明らかに人数が増えている。
クリスティナが飲み物を片手に周囲を見回した。
「いつ第二回をやることになったの?」
「第一回が好評だったからですぅ」
「誰に?」
「私にですぅ」
「主催者しか評価してないじゃない」
フェルトが小さく笑う。
「それで、今日は何を話すの?」
「もちろん――」
ミレイナが胸を張った。
「恋愛事情ですぅ!」
「まだ続いてたの、それ」
「続きますぅ」
ミレイナはクリスティナへ向き直る。
「特にクリスさんは、前回から進展があったのか重点的な確認が必要ですぅ」
「必要ないから!」
「リヒティさんとは――」
「はい次!」
強引に話を切ったクリスティナに、絹江が笑う。
「相変わらずね」
「絹江さんは余裕ですね」
「余裕というか……」
ミレイナが身を乗り出す。
「ディランディさんとはどうなんですぅ?」
「直球ね」
絹江はコーヒーカップを置いた。
「前より、一緒にいる時間は増えたわよ」
「おおっ」
「それだけ?」
クリスティナが聞く。
「それ以上、何を言わせたいの?」
留美が楽しそうに微笑んだ。
「記者の方でも、取材される側になると慎重ですのね」
「取材する側だからよ。どこまで答えたら記事になるか分かるもの」
「手を繋いでいたのは確認済みですぅ」
「ミレイナ」
「はいですぅ」
「あとで少し話しましょうか」
「取材拒否ですぅ!」
「逃げたわね」
ルイスが吹き出した。
その笑い声に、何人かの視線が集まる。
「……何?」
「いえ」
マリーが柔らかく微笑む。
「ルイスさん、よく笑うようになったなと思って」
「……そう?」
「はい」
ルイスは少しだけ俯いた。
以前なら、自分が笑っていることを意識する余裕さえなかった。
「最近は……楽だから」
「クロスロードさんと?」
ミレイナが即座に聞いた。
「何でそこに繋げるの!」
「違うんですか?」
「違わないけど!」
言った直後。
ルイスが固まった。
「あ」
クリスティナが笑う。
「自分で認めた」
「今のなし!」
「覚えましたぁ!」
「忘れて!」
「難しいですぅ!」
顔を赤くするルイスを見て、アニューがくすりと笑った。
「いいですね、こういうの」
その言葉で。
ほんの少しだけ、空気が変わる。
アニュー自身もそれに気づいた。
「私、少し前まで……自分が何者なのかも分からなくなっていましたから」
誰も急いで言葉を挟まなかった。
「今も全部分かったわけじゃありません。イノベイターだってことも、リボンズとの繋がりも……まだ怖いです」
アニューは自分の手を見る。
「でも、こうして普通の話をしていると、ここにいる自分の方が本当なんだって思えるんです」
マリーが静かに頷いた。
「私も似たようなことを考えました」
アニューが顔を上げる。
「ピーリスだった時の記憶も、マリーとしての記憶もあります。どちらかを消して考えることはできません」
「今は、どう考えているんですか?」
「両方とも私です」
マリーの表情は穏やかだった。
「だから、アニューさんも急いで答えを決めなくてもいいと思います。ここで過ごして、少しずつ自分で選んでいけば」
アニューはしばらくマリーを見つめ。
「ありがとうございます」
と微笑んだ。
クリスティナが頬杖をつく。
「それで?」
アニューが瞬く。
「え?」
「ディランディさんとは?」
「クリスさん!?」
「そこは聞かないと」
「重要ですぅ!」
「ミレイナさんまで!」
アニューの顔が赤くなる。
「……好きです」
静かになった。
あまりにも素直だったからだ。
アニュー自身が数秒遅れて気づく。
「……あ」
「言った」
ルイスが呟いた。
「言いましたわね」
留美も微笑む。
「今のなしです!」
「さっき私にやったのと同じ!」
ルイスが嬉しそうに指を差した。
「取り消し禁止!」
「ルイスさん!?」
再び食堂に笑い声が広がった。
◇
しばらくして。
留美がフェルトへ視線を向けた。
「フェルトさんは?」
「私?」
「前に、レイナスさんを近い人だと仰っていましたわね」
「覚えてたの?」
「もちろんです」
そこでミレイナが留美を見る。
「留美さんもレノアークさんとは長いんですよね?」
「ええ。この中では、かなり早い時期から知っていますわ」
「昔からあんな感じだったんですぅ?」
留美は少し考えた。
「基本的には、あまり変わっていませんわね」
フェルトが小さく笑う。
「分かる気がする」
「初めて会った頃から妙に現場慣れしていましたし、こちらが用意した話より設備や機体の方へ興味を示すこともありました」
「今と同じじゃない」
クリスティナが笑う。
「新しいモビルスーツを見せたら、説明そっちのけで見に行きそう」
「似たようなことはありましたわ」
「やっぱり」
笑いが起きる。
その中で。
フェルトは少し考えてから口を開いた。
「レイナスは、変わらないところが多いけど……」
皆が彼女を見る。
「前より、ここにいるのが普通になったと思う」
「普通?」
ルイスが尋ねる。
「昔は……」
フェルトは言葉を探す。
「いつでも、どこかへ行ってしまえそうな感じがしてた」
長く生きている。
一つの場所へ縛られることもなく。
必要なら一人で戦場へ出て。
一人でも帰ってくる。
「今は、この艦に戻ってくることを当たり前だと思ってる気がする」
留美は静かに聞いていた。
絹江が口を開く。
「それって、かなり大きな変化じゃない?」
フェルトは少し考える。
「……そうかもしれない」
ミレイナが身を乗り出した。
「つまり恋愛的には――」
「そこには繋げないで」
「早いですぅ!」
「顔を見れば分かるから」
フェルトは呆れながらも笑っていた。
◇
プトレマイオス2・展望区画
刹那・F・セイエイは、一人で宇宙を見ていた。
遠く。
月が浮かんでいる。
最近。
妙な感覚が増えていた。
始まりは00ライザーだった。
TRANS-AM。
高濃度のGN粒子。
その中で。
戦場にいる者たちの声が聞こえることがある。
実際に通信しているわけではない。
耳から聞こえているわけでもない。
もっと直接。
意識へ触れてくる。
恐怖。
怒り。
悲しみ。
そして。
言葉になる前の思い。
以前は00ライザーに乗っている時だけだった。
今は違う。
機体を降りても。
時折。
誰かの存在が妙に鮮明に感じられる。
「……」
刹那は額へ手を当てた。
頭痛はない。
身体にも異常はない。
むしろ逆だった。
世界が。
少しずつ近くなっている。
そんな感覚だった。
扉が開く。
「ここにいたのか」
レイナスだった。
刹那が振り向く。
「レイナス」
「スメラギが後でブリッジに来てくれってさ」
「ああ」
レイナスはそれだけ伝えて帰ろうとしたが。
足を止めた。
刹那がまた宇宙へ視線を戻している。
「……何かあったか?」
「何故そう思う」
「最近のお前、戦ってない時まで妙に遠くを見てるからな」
レイナスは隣へ並ぶ。
「00ライザーに乗り始めた頃からだろ?」
刹那が彼を見る。
「気づいていたのか」
「何が起きてるかまでは知らないよ。ただ、前とは違う」
しばらく。
刹那は黙っていた。
やがて口を開く。
「声が聞こえる」
レイナスの表情は変わらなかった。
「誰の?」
「分からない」
「いつから?」
「00ライザーに乗り始めてからだ。最初は戦闘中だけだった」
刹那は自分の手を見る。
「今は、降りていても感じる時がある」
「声だけか?」
「感情もだ」
刹那は目を閉じる。
「言葉になる前に、何を感じているのかが分かることがある」
レイナスは腕を組んだ。
「頭痛は?」
「ない」
「意識が飛んだり、記憶が抜けたりは?」
「ない」
「体調そのものは?」
「問題ない」
「なら、今すぐ医務室へ担ぎ込む話じゃなさそうだな」
刹那がレイナスを見る。
「信じるのか?」
「俺に聞くのか、それ」
レイナスは少し呆れた。
「生身で宇宙に出てる奴が、人の感覚を常識だけで否定しても説得力ないだろ」
刹那の表情が僅かに緩む。
「それに、00ライザーに乗った時のお前が変わってるのは事実だ。量子化までしてる。今さら声が聞こえるくらいで驚いても仕方ないさ」
「俺は……」
刹那が月を見る。
「変わっているのか」
「変わってるよ」
返事は早かった。
「前のお前なら、自分に起きてることをこうして話さなかっただろ」
刹那は黙る。
かつてなら。
自分の中だけで答えを出そうとしていた。
ガンダム。
戦い。
破壊。
それだけを見ていた。
「俺は、変わりたい」
静かな声だった。
「戦うためだけじゃない」
刹那は拳を開く。
「人と……分かり合うために」
レイナスは何も挟まなかった。
やがて。
「なら、今起きてることに無理やり答えを付ける必要もないだろ」
「答え?」
「何の力で、何のために起きてるのかって話だよ」
レイナスは窓の向こうを見る。
「新しい機械でもそうだけどな。動き始めたばかりの時に全部分かったつもりで仕様を決めると、後で現物と合わなくなる」
「また仕事の話か」
「他に分かりやすい例が少ないんだよ」
刹那の口元が僅かに動いた。
その時だった。
「――」
刹那の表情が変わった。
何かが。
意識へ触れた。
遠い。
遥か遠くにいる誰か。
それでも。
今までより鮮明だった。
悲しみ。
迷い。
失われた国。
それでも捨てきれない願い。
祈るような感情。
刹那の呼吸が止まる。
「刹那?」
レイナスが横を見る。
そして。
目を細めた。
刹那の瞳が。
淡く輝いている。
照明の反射ではない。
瞳の奥。
そこから滲み出すような光。
一瞬だけ。
その輝きが強くなる。
「……おい」
レイナスの声で。
刹那が振り向いた。
光は。
すぐに消えた。
「何だ」
「今、目が光ったぞ」
「目?」
刹那自身は気づいていない。
目元へ手をやる。
痛みはない。
違和感もない。
ただ。
遠くにいる誰かの感情だけが。
確かに残っている。
「……マリナ」
「マリナ?」
「ああ」
刹那は宇宙を見る。
「今、感じた」
「どこにいるか分かるのか?」
「いや」
首を横に振る。
「ただ……悲しんでいる」
レイナスは刹那の横顔を見る。
瞳は既に元へ戻っていた。
「本人に確認できる時が来たら聞いてみた方がいいな」
「確認?」
「感覚が合ってるかどうかだよ。力が変わってるなら、まず自分が何を感じ取ってるのか知っといた方がいい」
刹那は静かに頷いた。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「刹那の目が光った?」
スメラギが聞き返した。
「ああ」
レイナスが壁際で腕を組む。
「ほんの一瞬だったけどな。見間違いじゃない」
ブリッジには刹那、ティエリア、アレルヤ、マリーも集まっていた。
ティエリアは00ライザーのデータを表示する。
「以前から兆候はあった」
「兆候?」
スメラギが見る。
「00ライザー搭乗時、特に高濃度GN粒子環境下で、刹那の脳活動に通常とは異なる変化が出ている」
アレルヤが画面を見る。
「僕やマリーの脳量子波と似ているのか?」
「完全に同じとは言えない」
ティエリアは刹那を見る。
「だが、無関係とも思えない」
マリーがゆっくり刹那へ意識を向けた。
「私も……以前から少し感じていました」
「俺を?」
「はい」
マリーは集中する。
「前より強いです。私たちとは少し違う。でも……」
その瞬間。
刹那が目を見開いた。
マリーの意識。
アレルヤ。
ティエリア。
スメラギ。
フェルト。
クリスティナ。
周囲にいる人間の存在が。
一瞬だけ。
重なる。
刹那の瞳が。
再び輝いた。
淡い光。
今度は。
そこにいた全員が見た。
「刹那……」
スメラギが息を呑む。
フェルトもコンソールから振り向いた。
「目が……」
刹那は瞬きをする。
光が消える。
「俺には分からない」
ティエリアが即座にデータを見る。
「今の瞬間、脳量子波に明確な反応が出た」
マリーの表情にも驚きが浮かぶ。
「さっきより……はっきり感じました」
アレルヤも刹那を見つめる。
「僕にも少し分かった」
刹那は自分の手を見る。
身体は変わらない。
それでも。
何かが。
確実に進んでいる。
「イオリア・シュヘンベルグの計画……」
ティエリアが呟く。
スメラギが振り向く。
「人類の変革?」
「ああ」
ティエリアは00ライザーのデータを見つめる。
「イオリアの計画が、人類を外宇宙へ送り出すことだけで終わらないのなら……」
言葉を切る。
まだ断定できない。
「刹那に起きている変化そのものが、計画の一部である可能性はある」
「純粋なイノベイター……」
アニューがブリッジの後方から呟いた。
皆の視線が集まる。
「ごめんなさい。私も、はっきり知っているわけではありません」
アニューは首を横に振った。
「ただ、その言葉だけ……どこかに残っています。リボンズから与えられた知識なのかもしれません」
「純粋なイノベイター」
刹那が繰り返す。
ティエリアは考え込む。
「僕たちのように造られた存在ではなく、人間自身が変革した存在……そういう意味だとすれば」
スメラギが刹那を見る。
「まだ結論を出すには早いわね」
「ああ」
ティエリアも同意する。
「現状では兆候に過ぎない」
壁際からレイナスが口を開いた。
「なら、しばらく記録を取るしかないな」
ティエリアが横目で見る。
「君にしては慎重だな」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「動かないガデッサを見つけて、生体認証を外せないか真っ先に聞きに行く人間」
レイナスが黙った。
「……あの一件、当分使われそうだな」
クリスティナが笑う。
「実績って怖いわね」
「身に染みてるよ」
レイナスは刹那へ視線を戻した。
「体調に問題がないなら、まず何が変わってるのか見る。感じたものと実際の出来事が合ってるかも確認する。話はそこからだろ」
スメラギが頷く。
「刹那。今後、何か感じたら報告して」
「ああ」
「戦闘中だけじゃないわ。日常でもよ」
「分かった」
刹那は答えた。
その瞳は。
今はもう。
いつもの色に戻っていた。
◇
同時刻――カタロン拠点
夜。
子供たちは眠っていた。
マリナは一人、窓際に立っている。
祖国は失われた。
戻れる場所もない。
自分に何ができるのか。
まだ答えは出ていない。
昼間。
子供の一人が尋ねてきた。
いつになったら家へ帰れるのか、と。
答えられなかった。
「……」
胸が痛む。
それでも。
諦めたくはなかった。
国ではなく。
そこで暮らしていた人々を。
子供たちの未来を。
「……刹那」
ふと。
名前が口から出た。
理由は分からない。
遠い宇宙のどこか。
彼も今。
自分を見ているような。
そんな不思議な感覚。
マリナは胸へ手を当てる。
確証などない。
けれど。
先ほどまでより。
ほんの少しだけ孤独が薄れていた。
◇
プトレマイオス2・格納庫
深夜。
完成したガンダムアルティオールの前に。
レイナスが立っていた。
「また来たのか」
後ろからイアンの声。
「今日は完成後の確認」
「昼間やっただろ」
「昼と夜じゃ見え方が違う」
「観光名所じゃないんだぞ」
「自分の機体くらい好きに眺めさせてくれよ」
イアンが呆れて息を吐く。
隣には。
改修を終えたスサノオ。
二機が並び。
静かに次の出撃を待っている。
「刹那の話、聞いたぞ」
「ああ」
「どう思う?」
レイナスは少し考えた。
「分からん」
「珍しく即答だな」
「分からないものは分からないさ。あいつの目が光った理由も、何を感じ取ってるのかも、俺の《アニマ》とは別物だ」
00ガンダムが収められている方向を見る。
「ただ、前から少しずつ変わってたのは確かだよ」
「刹那が?」
「ああ」
以前の刹那なら。
戦場で何を感じたか。
誰の声を聞いたか。
自分から話すことは少なかった。
今は違う。
理解しようとしている。
他人を。
そして。
自分自身を。
「機体も人間も、完成したと思ったところからまた変わるんだな」
「アルティオールは勝手に変えるなよ」
「そこへ繋げるか?」
「お前の場合は先に言っておく」
「信用回復はまだ先か……」
レイナスは苦笑する。
そして。
もう一度アルティオールを見上げた。
アステリオンから。
アルティオールへ。
マスラオから。
スサノオへ。
そして刹那も。
まだ名前すら定かではない。
新しい人類の在り方へ。
少しずつ。
変わり始めていた。