第108話 出撃
西暦2312年――月・裏側宙域
プトレマイオス2は、月の裏側へ回り込むように航行していた。
艦内に流れているのは、出撃準備を告げる警報。
ガデッサに残されていた航法補正記録。
各地に残された通信経路。
王留美が追った資金と物資。
絹江が洗い出した、閉鎖されたはずの月面開発施設。
そして、リジェネからもたらされた情報。
別々の場所から拾い上げた糸は、すべて同じ宙域へ収束していた。
ヴェーダは、この先にある。
だが――そこに何があるのか。
その全貌まで知る者は、まだいなかった。
◇
プトレマイオス2・格納庫
格納庫では、整備員たちが最後の確認に追われていた。
00ガンダム。
ケルディム。
アリオス。
セラヴィー。
GNアーチャー。
スサノオ。
そして――ガンダムアルティオール。
アステリオンを全面的に作り直した新たな機体が、初めて本格的な戦場へ向かおうとしている。
装甲の下には、《アニマ》と《オーバーライズ》の使用を前提として再構築された制御系が張り巡らされていた。
アステリオンでは、レイナスが機体へ力を押し込む形に近かった。
アルティオールは違う。
推進。
フレーム。
武装。
防御。
必要な場所へ、必要な量だけ《アニマ》を振り分ける。
さらにスサノオで洗練されたトランザムの出力制御データを参考に、急激な出力変化にも機体側が追従できるよう調整されている。
「最終チェック終了。数値は全部正常だ」
端末を確認したイアンが、アルティオールを見上げた。
「ここから先はお前次第だぞ」
「最後だけ随分と簡単にまとめたな」
「誰のためにここまで作り直したと思ってる」
「俺だろ」
「分かってるなら壊すな」
レイナスも機体を見上げる。
「完成したばかりなんだ。俺だって大事に乗るさ」
「お前の『大事に乗る』は信用できん」
「そこまで言うかね……」
「アステリオンをどうしたか忘れたとは言わせんぞ」
「あれは相手が悪い。衛星兵器の砲撃を受け止めるなんて、取扱説明書にも書いてなかっただろ」
「普通はやらん!」
「だから今回は、説明書にない使い方をしても壊れないように作ったんじゃないのか?」
イアンが黙った。
レイナスが口元を緩める。
「いい仕事してるよ」
今度は冗談ではなかった。
イアンもそれを察したのか、小さく鼻を鳴らす。
「帰ってきてから言え」
「ああ」
レイナスは昇降ワイヤーへ手を掛けた。
「実戦データ込みで報告する」
「余計なデータを増やすな!」
背中に飛んできた声へ片手を上げ、コクピットへ向かった。
◇
少し離れた区画。
黒と白の機体が立っている。
スサノオ。
マスラオの基本的な姿を残しながら、その中身は大きく変わっていた。
追加されたコンデンサー。
GNクロー。
遠距離攻撃を可能にする《トライパニッシャー》。
そして《シラヌイ》と《ウンリュウ》。
グラハムは、その愛機を見上げていた。
「そっちも間に合ったな」
声を掛けられ、振り返る。
レイナスだった。
「無論だ」
グラハムの視線がスサノオへ戻る。
「君との再戦を果たす機体だ。万全でなくては困る」
「今日やるなよ」
「私とて状況は弁えている」
「なら助かる。新型同士で潰し合って帰ったら、整備班に二人まとめて放り出される」
「ふっ」
グラハムが僅かに笑う。
「心配せずとも、今日の相手は君ではない」
「俺もそのつもりだ」
レイナスの表情から笑みが薄れる。
「まずはリボンズの仕事を片付ける」
「同感だ」
二人は、それぞれの機体へ向かった。
決着の予約は残っている。
だからこそ。
今日、ここで死ぬつもりはどちらにもなかった。
◇
格納庫の一角には、鹵獲されたGN-X IIIが並んでいる。
その一機の前に、ニールが立っていた。
「まさか最後の最後で、こいつに乗ることになるとはな」
「兄さん、本当に出るのか?」
ケルディムへ向かう途中だったライルが足を止める。
「使える機体があるんだ。寝て待ってる理由もないだろ」
「無理すんなよ」
「そいつは兄貴の台詞だ」
ニールが拳を差し出す。
ライルも笑って拳を合わせた。
「生きて帰れよ、ライル」
「兄さんもな」
短い言葉だった。
それ以上はいらない。
ニールはGN-X IIIへ。
ライルはケルディムへ。
同じ顔を持つ兄弟が、それぞれ別の機体へ向かっていった。
◇
GNアーチャーの前。
マリーはパイロットスーツ姿で機体を見上げていた。
「マリー」
「アレルヤ」
アレルヤが歩いてくる。
「準備は?」
「終わっています」
「……本当に行くんだね」
マリーは静かに頷いた。
「私が決めたことです」
ソーマ・ピーリスとして身につけた戦闘技術。
マリー・パーファシーとして取り戻した記憶。
そのどちらも、今の彼女を作っている。
戦うことが好きになったわけではない。
だが。
自分が知っているアロウズを止めるために、自分の力を使う。
そう決めた。
「大佐とも、まだ話したいことがありますから」
「うん」
アレルヤが微笑む。
「一緒に帰ろう」
マリーも微笑み返した。
「はい」
◇
00ガンダムの前。
刹那は静かに機体を見上げていた。
最近。
以前にはなかったものを感じる。
声。
感情。
遠くにいるはずの人間の存在。
00ライザーに乗っていない時でさえ、時折それが意識へ触れるようになっていた。
「刹那」
ティエリアが近づいてくる。
「君の脳量子波は、以前より明確に変化している」
「ああ」
「戦闘中に何が起きるか、僕にも予測できない」
刹那は自分の手を見る。
何も変わってはいない。
だが。
確実に何かが変わりつつある。
「俺は行く」
「止めるつもりはない」
ティエリアはセラヴィーを見る。
「僕もヴェーダへ行かなければならない」
「取り戻すのか」
「ああ」
その声には、迷いがなかった。
「リボンズから、ヴェーダを取り戻す」
刹那が00ガンダムを見る。
「俺が道を開く」
二人は頷き合い、それぞれの機体へ向かった。
◇
第二格納区画。
残されたGN-X IIIの前に、ルイスが立っていた。
パイロットスーツは着ている。
だが、出撃命令は出ていない。
今回のルイスは待機。
プトレマイオス2そのものが危険に晒された場合のみ出撃する。
「ルイス」
振り返る。
沙慈だった。
「沙慈」
「……本当に乗るの?」
「今は乗らないよ」
ルイスはGN-X IIIを見上げた。
「スメラギさんにも言われてる。非常時まで待機」
「非常時って……」
「ここまで敵が来た時」
沙慈の顔が曇る。
ルイスは少し困ったように笑った。
「そんな顔しないで」
「でも」
「私だって、出番がない方がいい」
ルイスの視線が沙慈へ戻る。
「せっかく、この戦いが終わった後の話をしたばっかりなんだから」
「……うん」
沙慈も笑う。
「待ってる」
「うん」
「無茶しないで」
「それ、今から出る人たちに言った方がいいんじゃない?」
「レイナスさんには特に言った方がいいと思う」
一瞬。
ルイスが目を丸くした。
そして小さく笑った。
「確かに」
その直後。
艦内警報の音が変わった。
二人の表情から笑みが消える。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「目標座標まで、まもなく」
フェルトが報告する。
スメラギは正面モニターを見つめていた。
「光学観測開始」
「了解」
クリスティナが操作する。
月の影。
星々。
その中から。
巨大な何かが浮かび上がった。
最初は。
映像の異常にも見えた。
「……何?」
クリスティナの指が止まる。
「どうしたの?」
「構造物を確認しました」
「大きさは?」
「今、測定して――」
言葉が途切れた。
モニター上で倍率が変わる。
輪郭が補正されていく。
ブリッジから声が消えた。
あまりにも大きい。
月の裏側。
そこに。
人工物とは思えないほど巨大な構造物が浮かんでいた。
プトレマイオス2など。
比較することすら馬鹿らしくなる。
「……これが」
フェルトが呟く。
「ヴェーダのある施設……?」
クリスティナが首を振る。
「施設って規模じゃないわよ、これ……」
スメラギは黙って映像を見る。
船体にも見える。
だが。
常識的な艦艇の尺度ではない。
「データベース照合」
「該当なし」
フェルトが答える。
「連邦の公開記録にも、この規模の建造物は存在しません」
「リジェネからも、こんなものがあるとは聞いていない……」
ティエリアの声が通信から入る。
彼もまた。
この構造物の正体までは知らなかった。
スメラギは数秒だけ考える。
「ヴェーダの座標は?」
「一致しています」
「誤差は?」
「ほぼありません」
ならば。
答えは一つ。
「あの中ね」
スメラギが立ち上がる。
「全員へ通達」
艦内通信を開く。
「目標座標に、正体不明の巨大構造物を確認」
「ヴェーダの推定座標と一致している」
各機のコクピットへ。
その声が届く。
「現時点で、あの構造物の名称も正体も不明」
「でも――私たちの目的地は、あそこよ」
◇
ガンダムアルティオール・コクピット
正面モニターいっぱいに。
巨大構造物が映っていた。
「……でかいな」
レイナスは思わず呟いた。
倍率を落とす。
まだ全体が収まらない。
さらに落とす。
ようやく輪郭が見えてくる。
「月の裏にこんなもん隠してたのか」
百年以上生きてきた。
宇宙にも慣れている。
巨大な建造物も何度も見た。
それでも。
目の前のものは桁が違う。
『レイナス』
フェルト。
「聞こえてる」
『どう思う?』
「どうって言われてもな」
レイナスは巨大構造物を見る。
「現場に着いてから建物の規模が想定の何十倍もあるって分かった時の気分だ」
一拍。
「見積もりからやり直したいところだな」
『今から?』
「無理だろ」
口元を僅かに上げる。
「なら、手持ちでやるしかない」
操縦桿へ手を置く。
《アニマ》を流す。
アルティオールの内部へ青白い光が走った。
返ってくる感覚。
推進系。
フレーム。
武装。
防御系。
それぞれが、これまでより明確に感じ取れる。
「……なるほど」
アステリオンとは違う。
自分の力を。
機体がただ受け止めるのではない。
使うために整理して返してくる。
「いいな」
自然と笑みが浮かんだ。
「こいつは動かし甲斐がありそうだ」
『レイナス』
今度はイアン。
『初陣だからって無茶するなよ』
「分かってる」
『その返事を何回聞いたと思ってる』
「長い付き合いになったってことだろ」
『そういう話じゃない!』
通信越しの声を聞きながら。
レイナスは前を見る。
巨大構造物。
その周辺。
小さな光が。
一つ。
二つ。
十。
百。
増えていく。
レーダーにも反応。
「……来たな」
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「敵影!」
フェルトの声が響く。
「巨大構造物周辺から多数の艦艇が展開!」
クリスティナが識別を進める。
次々と情報が表示される。
「アロウズ!」
艦艇。
GN-X III。
アヘッド。
その数は増え続けている。
巨大構造物を守るように。
艦隊が展開していく。
「待ち伏せね」
スメラギの目が鋭くなる。
だが。
ここまで来て引き返す選択肢はない。
「各機、出撃」
格納庫のカタパルトが開く。
◇
最初に。
00ガンダム。
『刹那・F・セイエイ。00ガンダム、出る!』
続いてオーライザー。
『ラッセ・アイオン。オーライザー、出る!』
二機が宇宙へ飛び出す。
『ライル・ディランディ。ケルディム、行くぜ!』
『アレルヤ・ハプティズム。アリオス、出る!』
『ティエリア・アーデ。セラヴィー、出る!』
『マリー・パーファシー。GNアーチャー、出ます!』
さらに。
連邦製の機体がカタパルトへ進む。
『ニール・ディランディ。GN-X III、出る!』
GN-X IIIがガンダムたちを追う。
次。
黒と白の機体。
『グラハム・エーカー。スサノオ――参る!』
そして。
最後にアルティオールがカタパルトへ固定された。
『アルティオール、発進位置へ』
フェルトの声。
「了解」
機体を前へ。
『レイナス』
「ん?」
僅かな間があった。
『……帰ってきて』
レイナスは少しだけ目を細める。
「帰ってからイアンに実戦データ渡す仕事が残ってる」
『壊さないでね』
「新品を初日に修理工場送りにしたら、さすがに俺でも肩身が狭い」
『……本当にね』
「そこは少しくらい否定してくれてもいいだろ」
フェルトが小さく笑う声が聞こえた。
レイナスも笑い。
前を見る。
無数の敵。
その遥か向こうに浮かぶ。
名も知らない巨大構造物。
あの中に。
ヴェーダがある。
そして。
リボンズ・アルマークがいる。
「レイナス・レノアーク」
アルティオールのアイカメラが輝く。
「ガンダムアルティオール――出る!」
カタパルトが作動した。
白い機体が。
宇宙へ解き放たれる。
◇
00ガンダムとオーライザーが合流する。
ドッキング。
00ライザー。
GN粒子が宇宙へ広がる。
ケルディムがGNスナイパーライフルを構えた。
アリオスとGNアーチャーが並ぶ。
セラヴィーの砲門が開く。
GN-X IIIのニールが少し後方につく。
スサノオが《シラヌイ》と《ウンリュウ》を抜く。
そして。
アルティオール。
初めて実戦へ出た機体の各部を。
青白い《アニマ》の光が走る。
レイナスは正面を見る。
アロウズ艦隊。
その向こう。
名も知らない巨大構造物。
「まずは玄関まで辿り着かないとな」
『随分と警備の厳重な玄関だな』
ライル。
「招待状なしで来たんだ。文句は言えないさ」
『違いない』
スメラギの通信が全機へ届く。
『作戦開始』
次の瞬間。
アロウズ艦隊から。
無数のGNビームが放たれた。
暗い宇宙を。
赤い光が埋め尽くす。
アルティオールが加速する。
00ライザーが続く。
ケルディム。
アリオス。
セラヴィー。
GNアーチャー。
スサノオ。
GN-X III。
それぞれが散開した。
ヴェーダへ続く最後の戦いが。
始まった。