第117話 明日
戦いが終わった。
外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》を中心に繰り広げられた戦闘は、リボンズ・アルマークの敗北とヴェーダの奪還によって終結した。
指揮系統を失ったアロウズ部隊の多くは戦闘を停止し、カティ・マネキン大佐の呼びかけと連邦正規軍の介入によって、残存部隊も次々と武装を解除していった。
だが、戦場から銃声が消えたからといって、すべてが片付いたわけではない。
リボンズによって改竄、あるいは秘匿されていた情報が、奪還されたヴェーダから次々と発見された。
アロウズによる弾圧、反政府勢力への攻撃、軌道エレベーターを巡る一連の事件、メメントモリの建造と使用。そして、ヴェーダを利用した情報統制。
地球連邦政府はアロウズの解体を決定し、軍内部でも大規模な調査と再編が始まる。
もちろん、それだけで世界から争いがなくなるわけではない。国と国、人と人の間に積み重なった問題も、戦争によって生まれた憎しみも残っている。
それでも世界は、昨日までとは違う方向へ歩き始めていた。
◇
地球連邦軍・臨時司令部。
「大佐!」
勢いよく扉を開けて入ってきたパトリック・コーラサワーに、カティ・マネキンは端末から目だけを上げた。
戦闘終了後も彼女の仕事は減るどころか増えている。机の上には報告書が積まれ、端末にも未処理の案件が並んでいた。
「何だ、パトリック」
「終わりましたね!」
「戦闘はな」
「ということは、これで大佐も少しは休めるということですね!」
カティは無言で、机の端に積まれた書類へ視線を向けた。
パトリックもつられてそちらを見る。
「……大佐?」
「この書類が見えるか?」
「はい!」
「これを誰が処理すると思う?」
「……大佐ですか?」
「分かったなら、お前も仕事に戻れ」
「はい!」
威勢よく敬礼して扉へ向かったパトリックだったが、途中で何かを思い出したように振り返った。
「あ、大佐!」
「今度は何だ」
「全部終わったら、食事でも――」
「パトリック」
「はい!」
「仕事に戻れ」
「はいぃ!」
扉が閉まる。
ようやく静かになった執務室で、カティは額に手を当てた。
「まったく……」
呆れた声とは裏腹に、その口元はほんの僅かに緩んでいた。
◇
地球連邦軍基地。
セルゲイ・スミルノフは窓辺に立ち、基地を行き交う兵士たちを眺めていた。
アロウズの解体が決まったところで、連邦軍そのものがなくなるわけではない。組織の再編、関係者の調査、各地の治安維持。軍人として片付けなければならない仕事はいくらでも残っている。
背後で扉が開いた。
「大佐」
振り返ると、そこにはアレルヤとマリーが立っていた。
「来たか」
「はい」
マリーが一歩前へ出る。かつてソーマ・ピーリスとして彼の部下だった彼女は、もう軍服を着ていない。
「セルゲイ大佐。私、これからはアレルヤと一緒に生きていこうと思います」
セルゲイは黙って続きを待った。
「兵士としてではなく、私自身として生きてみたいんです」
そう言ってから、マリーは隣のアレルヤを見る。アレルヤも静かに頷いた。
「そうか」
セルゲイの返事は短かったが、その表情は穏やかだった。
「ならば、生きろ。生き続けるというのは、戦場で生き残ることとは違う。おそらく、そちらの方が難しいこともあるだろう」
「……はい」
「だが、お前たちなら自分たちなりの答えを見つけられるはずだ」
アレルヤが頭を下げる。
「ありがとうございました」
マリーもそれに続いた。
セルゲイは少し困ったように息を吐くと、二人から窓の外へ視線を移した。
「礼を言われるようなことをした覚えはない。……ただ、たまには顔を見せろ」
マリーは一瞬目を丸くしてから、柔らかく笑った。
「はい」
◇
プトレマイオス2・医務室。
「だから、もう平気だって」
「銃撃戦をして帰ってきた人が言っても説得力ないわよ」
「当たってないんだから、そこは評価してほしいところなんだけどな」
「撃たれなかったから百点、とはならないの」
ベッドに腰掛けたニール・ディランディは、肩を竦めようとして途中でやめた。目の前にいる絹江・クロスロードの視線が、明らかにそれを許していなかったからだ。
「……厳しいな」
「誰のせいだと思ってるの?」
「俺だな。これは俺が悪い」
素直に認めると、絹江はようやく小さく息を吐き、ニールの隣へ腰を下ろした。
「終わったのね」
その意味を、ニールは聞き返さなかった。
アリー・アル・サーシェス。
家族を奪ったテロに関わり、絹江を襲い、自分自身も殺しかけた男。長い間、ニールを過去へ縛り付けていた相手だった。
「ああ。終わったよ」
「……そう」
ニールは天井を見上げた。
サーシェスを殺したところで、家族が帰ってくるわけではない。失った時間も取り戻せない。
そんなことは、ずっと前から分かっていた。
「何も元通りにはならないけどな」
「うん」
「でも、俺は帰ってきた」
ニールは絹江を見る。
「約束したからな」
絹江はしばらく何も言わなかったが、やがてその手をニールの手へ重ねた。
「おかえり、ニール」
「ああ」
握られた手を、今度はニールの方から握り返す。
「ただいま」
◇
プトレマイオス2・格納庫。
イアン・ヴァスティは、並べられた二機のガンダムを前に腕を組んでいた。
ガンダムアルティオールは右脚推進器全損、左肩駆動系全損。腰部フレームは限界を超え、粒子制御系まで焼けかけている。
その隣には、最後の戦いから回収されたガンダムエクシア。こちらも左脇腹を大きく損傷し、無傷とは到底言えない。
「……見れば見るほど腹が立ってくるな」
「機械屋が患者にそんなこと言っていいのか?」
背後から聞こえた声に、イアンは振り返りもしなかった。
「原因が喋るな」
「俺は患者の付き添いだ。苦情ならリヴァイヴに言ってくれ」
「最後にトランザムとオーバーライズを重ねたのは誰だ?」
「現場判断だな」
「便利な言葉だな、現場判断!」
レイナスはイアンの隣まで歩いてくると、改めてアルティオールを見上げた。
自分でも相当な無茶をさせた自覚はある。もっとも、あの場面で機体を労って負けるくらいなら、修理屋に怒鳴られる方がまだましだった。
「で、直るのか?」
「直す。ただし時間は掛かるぞ。右脚と左肩はほぼ作り直しだ。腰も一度全部ばらして――」
「待った。その先まで聞くと、今度は俺まで修理工程を組まされそうな気がしてくる」
「誰の機体だと思ってる」
「俺のだから聞いてるんだろ。直るなら任せる。急ぎでもないしな」
レイナスは頭を掻きながら、傷だらけのアルティオールを眺めた。
「戦争が終わった直後に『悪いけど最短で』なんて言い出したら、さすがに整備班から工具が飛んでくる」
「分かってるじゃないか」
「俺だって無茶振りされる側は長かったんだよ。夕方になってから『明日の朝までに頼む』なんて平気な顔で持ってくる奴がいる。あれは戦争とは別の意味で人を荒ませる」
イアンが怪訝そうにレイナスを見る。
「……お前、本当に何やってたんだ?」
「昔の話だよ。掘り返すと俺が疲れる」
レイナスは苦笑してから、アルティオールへ視線を戻した。
「こいつにも随分無茶をさせた。今度ばかりは、好きなだけばらしてくれ」
「言ったな?」
「ただし、元より弱くして返すのは勘弁してくれ」
「誰に言ってる」
「なら心配ないな」
イアンが鼻を鳴らす。
しばらく二人で機体を見上げていると、イアンが思い出したように口を開いた。
「次に新型を見つけても、修理が終わるまでは浮気するなよ」
「俺をどういう人間だと思ってるんだ?」
「新型を見たら、とりあえず乗れないか考える人間」
レイナスは反論しようとして、口を閉じた。
「……そこまで信用ないか、俺」
「実績がある」
「だったら、俺の前に新型を置く方にも多少は責任があると思うがね」
「開き直るな」
レイナスは笑いながら、格納庫を後にした。
◇
プトレマイオス2・居住区。
ライルはアニューと並んで通路を歩いていた。
「それで、これからどうする?」
「それ、私が聞こうと思ってたんだけど」
「決めてない」
「即答ね」
「昨日まで世界の命運賭けて撃ち合ってたんだぜ。今日からの人生設計まで用意してたら、そっちの方が怖いだろ」
アニューが笑う。
「確かに」
「まあ、急ぐこともないさ」
兄とは違う。兄の代わりでもない。
ライルはライルとしてここまで来た。
だから、これから先も自分で選べばいい。
「ただ、帰る場所くらいは決めてもいいかもな」
「どこに?」
ライルは足を止めた。
アニューも立ち止まる。
「お前がいるところ」
一瞬、アニューの表情が止まった。それから僅かに頬を染める。
「そういうこと、急に言うのね」
「嫌だった?」
「それ、本当に聞く必要ある?」
「ないな」
二人は顔を見合わせて笑うと、再び並んで歩き始めた。
◇
プトレマイオス2・展望区画。
眼下に広がる地球を、沙慈とルイスは並んで眺めていた。
先に口を開いたのはルイスだった。
「沙慈」
「うん」
「私……前みたいには、すぐ戻れないと思う」
沙慈は急かさずに続きを待った。
「身体もまだ治療が必要だし、それだけじゃない。私自身も……昔の私とは違うから」
「分かってる」
「だから――」
「戻らなくていいよ」
ルイスが顔を上げた。
沙慈は地球を見たまま続ける。
「僕だって昔の僕とは違う。ルイスだけが前と同じにならなきゃいけないなんて、おかしいだろ?」
「沙慈……」
「前に戻るんじゃなくて、今からまた始めればいいと思う」
沙慈が手を差し出す。
ルイスはその手を見つめ、少し迷った後で自分の手を重ねた。
「……うん」
昔と同じ二人には戻れない。
それでも、また隣を歩くことはできる。
二人は手を繋いだまま、青い地球を眺めていた。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ。
戦闘を終えた刹那は、窓の向こうに浮かぶ地球を眺めていた。
負傷はまだ完全には治っていない。それでも、こうして自分の足で立っている。
「刹那」
スメラギが隣へ来る。
「身体は?」
「問題ない」
「ドクターからは問題ありって聞いてるけど?」
「動ける」
「あなた、それを毎回言うつもり?」
刹那は黙った。
スメラギは苦笑する。
「まあいいわ。それで、これからどうするの?」
刹那はすぐには答えなかった。
以前の自分なら、正しい答えを求めただろう。
何をすれば世界を変えられるのか。何を倒せば争いが終わるのか。
だが、そんな簡単な答えはどこにもなかった。
「分からない」
「そう」
「でも、探す」
「何を?」
刹那は地球を見る。
「俺たちが、分かり合う方法を」
スメラギは何も言わなかった。
ただ、その横顔を見て静かに微笑んだ。
◇
地上――王留美の拠点。
窓の向こうでは、戦争が終わったことなど嘘のように街の明かりが灯っていた。
王留美は紅茶を飲みながら、端末に表示されたニュースへ目を通している。
連邦政府の再編、アロウズ関係者への調査、各地で始まった停戦協議。
世界は止まることなく動いていた。
「お嬢様」
紅龍が資料を持ってくる。
「例の件ですが」
「ええ。準備を進めてください」
「本当にレイナスさんへお話しになるのですか?」
留美は端末を切り替えた。
表示された名前は、レイナス・レノアーク。
「もちろんです。戦いが終わったからといって、あの方が突然将来の計画を立て始めるとも思えませんから」
「それは……」
紅龍が返答に困る。
その反応だけで十分だった。
留美は小さく笑う。
「私が最初にソレスタルビーイングへお誘いしたのです。今度は戦うためではない場所をご紹介するくらいはしてもよいでしょう」
「レイナスさんが断られた場合は?」
「その時は理由を伺います。無理に働いていただくつもりはありません」
留美は紅茶を一口飲む。
「ですが、何もしない生活が長く続く方でもないでしょう?」
「確かに」
「でしたら、選択肢だけでも用意しておきます」
端末に表示された名前を見ながら、留美は僅かに目を細めた。
「受けるかどうかは、レイナスさんがお決めになることですから」
◇
プトレマイオス2・通路。
レイナスは自動販売機から出てきた缶を拾い、プルタブを開けた。
一口飲んだところで、背後から足音が近づいてくる。
振り返れば、刹那だった。
「身体は?」
「問題ない」
「その返し、さっきスメラギにも使っただろ」
刹那が黙る。
レイナスは缶を持ったまま苦笑した。
「図星か。便利な言葉だが、何度も使うとそのうち誰も信用しなくなるぞ」
「レイナス」
「ん?」
刹那はレイナスの隣まで来ると、少し迷うように視線を落とした。
「俺は……変われたと思うか?」
レイナスは缶を口へ運びかけ、その手を止めた。
すぐには答えない。
クルジスでOガンダムを神のように見上げ、自分自身がガンダムになろうとしていた少年は、長い戦いの果てに他人の声へ耳を傾けるようになった。
それを横から見てきたレイナスにしても、答えを一言で片付ける気にはならなかった。
「そいつを俺に採点させるのか?」
「そういうつもりじゃない」
「だったら、自分で決めた方がいい。俺が合格だと言ったところで、お前の人生が急に立派になるわけでもないだろ」
刹那は少し考えてから頷いた。
「……そうだな」
「ただまあ、最初に会った頃よりは付き合いやすくなった」
「それだけか?」
「かなり大きいぞ。昔のお前と雑談を続けるのは、下手な交渉より骨が折れた」
刹那が僅かに眉を寄せる。
「そんなにか」
「自覚がなかったことに驚いてるよ、俺は」
レイナスは笑いながら歩き出した。
刹那もその隣へ並ぶ。
「レイナスは、これからどうする?」
「俺か?」
「ああ」
「まずはアルティオールの修理待ちだな。あの状態で次の現場へ行くなんて言ったら、イアンに工具で殴られかねない」
「その後は?」
レイナスは少し考えたが、これといった答えは浮かばなかった。
「決めてないな」
「珍しい」
「そうか?」
「レイナスは、いつも次にやることを決めていると思っていた」
「買い被りだ。目の前に仕事が積まれてたから、順番に片付けてただけだよ」
百年以上生きてきた。
だが、そのほとんどは次々に現れる問題へ対処しているうちに過ぎていった。
何も起きていない時に、自分から予定を探す必要もない。
「少しくらい暇でも罰は当たらないだろ。百年以上働いてるんだ。休暇の一つくらい請求しても、誰も文句は言わないさ」
「休むのか?」
「できればな。まあ、こういう時に限って誰かが仕事を持ってくるんだが」
その言葉を待っていたかのように、ポケットの端末が鳴った。
レイナスが取り出す。
画面に表示された名前を見て、足が止まった。
王留美。
「……ほらな」
「王留美か」
「ああ。このタイミングで連絡ってのが、もう嫌な予感しかしない」
「出ないのか?」
「出るさ。無視したら用件が消えるなら、昔からそうしてる」
レイナスは通話を開いた。
「はい、レイナスです」
『お疲れ様です、レイナスさん』
聞き慣れた声。
「王留美か。ずいぶんいいタイミングで掛けてくるな」
『お邪魔でしたか?』
「いや。ちょうどこれから何をするかって話をしてたところだ」
『それでしたら、むしろ好都合ですね』
レイナスの眉が僅かに上がる。
「……仕事の話か?」
『察しがよろしいですね』
「切っていいか?」
『それは困ります』
間髪を入れず返された。
レイナスは端末を見てから、隣の刹那へ視線を向ける。
「……ほら、こうなる」
『何のお話ですか?』
「こっちの話だ。それで、今度は何をやらせる気だ?」
『ご安心ください。今度は戦争ではありません』
「そいつはありがたい。しばらく銃とMSは見なくても困らない」
少し間を置く。
「……で?」
『お仕事のお話です』
「安心した分を返してくれ」
通信の向こうで、留美が小さく笑った。
『詳しい内容は、こちらへ戻られてからお話しいたします。もちろん、無理にお引き受けいただくつもりはありません』
「その言い方をされると、逆に断りにくいんだが」
『でしたら、まずはお話だけでも聞いていただけませんか?』
「まあ、それくらいなら構わない。ただ、今すぐ来いって話じゃないんだろ?」
『もちろんです。今はゆっくりお休みください。レイナスさんも、お疲れでしょうから』
「そこまで気を遣われると調子が狂うな」
『私を何だと思っていらっしゃるのですか?』
「俺をソレスタルビーイングに引っ張り込んだ張本人」
『それは否定できませんね』
留美の声に、少しだけ笑いが混じる。
『ですが、今度は戦うためのお仕事ではありません』
「分かった。落ち着いたら顔を出す」
『ありがとうございます。お待ちしております』
「期待しすぎないでくれよ。条件を聞いて逃げるかもしれない」
『その時は、逃げたくなる理由を伺います』
「……そこから交渉する気だな?」
『お話し合いです』
「言い方を変えただけじゃないか」
再び、留美が小さく笑う。
『では、またご連絡いたします。今は皆さんとお過ごしください』
「ああ。またな」
『はい。また』
通信が切れた。
レイナスは端末をポケットへ戻し、長く息を吐いた。
「……戦争が終わっても、無職にはなれそうにないな」
「嫌なのか?」
刹那に聞かれ、レイナスは少し考えた。
通路の先から、仲間たちの声が聞こえてくる。
戦闘警報でも、出撃命令でもない。
ただ、人が生活している音だった。
「いや。悪くはないさ」
レイナスは残っていた飲み物を一口飲む。
「次の仕事を選べるってだけでも、戦ってた頃より随分贅沢な話だ」
刹那は静かに頷いた。
二人は再び歩き出す。
戦いが終わっても、人生まで終わるわけではない。
誰も正しい未来など知らないし、選んだ道が正しかったのか、その場では分からないこともある。
それでも、自分で選び、誰かと話し、間違えたならまた考える。
戦いのない明日をどう生きるのか。
その答えを探す時間が、ようやく彼らにも戻ってきた。
そして1年後〜
劇場版【ソレスタルビーイング】公開!