第118話 劇場版ソレスタルビーイング
イノベイターとの戦いから一年後――。
ソレスタルビーイングの在り方は、以前とは大きく変わっていた。
プトレマイオス2は今も活動拠点として残され、世界各地の情勢監視も続けている。しかし、かつてのように全員が艦内で暮らし、いつ始まるとも知れない戦闘に備え続ける生活ではなくなっていた。
地上で暮らす者もいれば、新しい仕事を始めた者もいる。
それぞれが自分の人生を送り、必要になれば集まる。
世界から紛争が消えたわけではない。それでも、一年前までと比べれば、人々が戦争以外の話題に熱中できる程度には平穏になっていた。
そんな中、世間では一本の映画が大きな話題となっている。
その名も――。
劇場版《ソレスタルビーイング》
◇
地球――都市部。
「映画?」
刹那・F・セイエイは、レイナスから差し出された端末へ目を落とした。
画面には、公開されたばかりの映画の広告が表示されている。
色鮮やかな五人の戦士と、その背後に並ぶガンダム。
「俺たちの映画らしい」
「俺たちの?」
「ああ。頼んだ覚えはないが、世間ってのは本人の許可を取ってから商売してくれるほど律儀じゃないらしい」
刹那は広告を眺める。
中央に立っているのは、顔に大きな傷を持つ青年だった。
マイケル・チャン。
「……これは誰だ」
「お前らしい」
刹那が顔を上げた。
「俺?」
「俺に聞くな。作った連中に聞いてくれ」
その横から沙慈が端末を覗き込む。
「僕も予告を見ましたけど……正直、嫌な予感しかしません」
「奇遇だな、沙慈。俺もだ」
「だったら、なんで見に行くんですか?」
「自分の人生を勝手に三時間以上の娯楽作品にされたんだぞ。仕上がりくらい確認したくなるだろ」
「三時間以上……」
「長い仕事ほど途中から仕様が変わる。映画も似たようなもんだろ」
「似てますかね……?」
「知らん。俺は映画を作ったことはない」
レイナスは端末を操作して、再び刹那へ向けた。
「で、刹那。お前も来るか?」
「俺も?」
「本人抜きで本人役を見るってのも締まらないだろ。暇なら付き合え」
刹那はもう一度マイケル・チャンを見る。
傷のある顔。
自信に満ちた表情。
どう見ても自分ではない。
「……行く」
沙慈が驚いて振り向く。
「見るの?」
「ああ。俺がどう描かれているのか確認する」
レイナスが小さく笑った。
「お前までその気になると、上映後が反省会になりそうだな」
◇
映画館。
入口には巨大なポスターが掲げられていた。
中央には、顔に傷を持つ青年マイケル・チャン。
眼鏡を掛けた狙撃手ウォーレン。
ピンク色の髪をした美少女ジェニファー。
筋骨隆々の中年男性オルソン。
そして、その四人とは少し離れた位置に、黒いロングコートを纏った男が立っている。
レイヴン。
その下には巨大な文字が躍っていた。
《戦場に舞い降りた孤高の超戦士――レイヴン》
レイナスは足を止めた。
しばらく無言でポスターを眺める。
「……帰っていいか?」
「ここまで来たのに?」
沙慈が呆れる。
「沙慈。人間にはな、現物を見て初めて分かる危険ってのがある」
刹那もポスターを見上げた。
「レイヴン」
「読むな」
「お前がモデルなのか?」
「ここまで顔を寄せられて違うと言い張るほど俺も往生際は悪くない」
レイナス・レノアーク。
その名前と顔は、ソレスタルビーイングが活動していた頃から広く知られていた。
ガンダムマイスターたちの素顔が長く謎に包まれていたのとは違い、レイナスは早い段階から世間の表舞台へ姿を現している。
当時まだ一般の報道記者だった絹江ですら、彼の顔と名前を知っていたほどだ。
そのためか、他の登場人物がモデルとなった人物の原型をほとんど留めていない一方で、レイヴンだけは露骨に本人へ寄せられていた。
刹那がポスターの下へ視線を移す。
「『神すら恐れる最強の男』」
「刹那」
「何だ」
「さっきから妙に楽しそうだな」
「事実を読んでいるだけだ」
「だったらその辺で止めとけ。まだ上映前だぞ」
「レノアークさん! 刹那さん! 沙慈さん!」
ミレイナの声が聞こえた。
振り返ると、ミレイナがこちらへ手を振っている。その隣にはスメラギもいた。
「皆さん揃ったですぅ!」
「ミレイナ、お前は楽しそうだな」
「もちろんです! 皆さんが映画になったんですよ!」
「俺としては訴状にならないことを祈ってるところだ」
スメラギがポスターを見る。
「孤高の超戦士」
「読むなって」
「似合ってるじゃない」
「俺のどこが孤高だったんだ。気付けばいつも誰かに囲まれてたぞ」
「そこは映画だから」
「便利だな、その一言。納期遅れも不具合も全部『映画だから』で済めば仕事も楽なんだが」
沙慈が苦笑する。
「レイナスさん、仕事じゃないんですから」
「だったら余計に責任持って作ってほしいもんだ」
◇
やがて照明が落ちた。
巨大なスクリーンへ地球が映し出される。
燃え上がる都市。
世界を支配しようとする悪の軍団。
人々が絶望する中、四つの光が空から舞い降りた。
『そこまでだ!』
マイケル・チャンが叫ぶ。
『俺たちはソレスタルビーイング! この世界から戦争を消し去る者だ!』
刹那がスクリーンを見つめる。
「俺はこんなことを言ったか?」
「言ってないな」
「そうか」
「安心しろ。まだ始まって数分だ。ここからいくらでも下がる余地はある」
「それ、安心させる気あります?」
沙慈が小声で尋ねる。
「ない」
映画は猛烈な勢いで進んでいった。
ウォーレンが華麗な狙撃で敵機を撃ち抜き、ジェニファーがピンク色の髪をなびかせながら戦場を駆ける。
『みんなの命は、私が守る!』
沙慈が首を傾げた。
「アレルヤさん……ですよね?」
「たぶんな」
「どうして女の子に?」
「知らん。本人に聞いたら俺より困ると思うぞ」
続いてオルソンが前へ出た。
どう見ても歴戦の軍人にしか見えない筋骨隆々の中年男性である。
『ここはワシに任せんしゃい!』
刹那が瞬きをした。
「ティエリアか?」
「たぶんな」
「何故、九州弁なんだ」
「それが分かる奴がこの中にいると思うか?」
「本人には見せない方がいいですね」
沙慈が呟く。
「そこは同感だ。俺は止めたからな。誰かが見せても責任は取らん」
そして――。
敵の大軍によってマイケルたちが追い詰められた、その時だった。
轟音と共に大地が割れた。
青白い光が天へ伸びる。
爆煙の中から、一人の男がゆっくりと歩いてくる。
黒いロングコート。
鋭い眼差し。
レイヴンだった。
劇場の観客が沸く。
『待たせたな』
レイナスの眉が動いた。
『誰だ!』
敵兵が叫ぶ。
レイヴンは立ち止まり、ゆっくり顔を上げる。
風が黒いコートを揺らした。
『名乗るほどの者じゃない』
一拍。
『――ただ、地獄がお前たちを迎えに来るまでの案内人だ』
レイナスが額を押さえた。
「……開始五秒でこれか」
沙慈が笑いを堪える。
「格好いいじゃないですか」
「俺じゃなければな」
敵MSが一斉にレイヴンへ銃口を向ける。
『愚かな……』
レイヴンは微動だにしない。
『俺に銃口を向けた瞬間、お前たちの運命は決まっていた』
「決めてない」
『死神に祈る時間くらいはくれてやる』
「俺はそんなに親切じゃない」
『もっとも――』
レイヴンが笑う。
『死神すら、俺を恐れて近寄らないがな』
レイナスは天井を見た。
「長い」
「そこですか?」
「戦闘中だぞ。喋ってる暇があるならさっさと殴れ」
次の瞬間、レイヴンが跳んだ。
拳が敵MSの胸部装甲へ突き刺さる。
轟音。
機体が爆発する。
そこだけなら、現実のレイナスにも可能だった。
問題は、その後だった。
炎を背負いながらレイヴンが振り返る。
『鋼鉄程度で、俺の魂まで止められると思うな』
「思ってないから早く進め」
別のMSが背後から迫る。
レイヴンは振り返りもしない。
『背後を取ったつもりか?』
青白い光が迸る。
『俺にとって前も後ろもない。戦場そのものが――俺の領域だ』
「俺の知らない俺がどんどん育っていくな」
スメラギの肩が震えていた。
「笑うなら笑え。隣で耐えられる方が腹立つ」
「ごめん……無理……」
刹那だけは真剣だった。
「実際のお前も生身でMSを破壊していた」
「問題はそこじゃない」
「違うのか?」
「俺はMSを一機壊すたびに人生観を語ったりしない」
◇
映画は進む。
細部は滅茶苦茶だった。
マイケルのガンダムが実体剣へ巨大なビームを纏わせ、そのまま敵へ投げつける。
沙慈が目を丸くした。
「ライザーソード……?」
「に、何か別のものを混ぜたんだろ」
「投げましたよ?」
「投げたな」
「実際には?」
「刹那に聞け」
二人が刹那を見る。
「投げていない」
「だそうだ」
続いてオルソンのガンダムが両腕を前へ突き出した。
『逃がさんばい!』
巨大なエネルギー球体が形成され、複数の敵MSを一度に拘束する。
レイナスが目を細める。
「ティエリア、あんな技持ってたか?」
「ありません」
沙慈が即答する。
刹那も頷いた。
「ない」
「二票入った。映画の負けだな」
そして再び、レイヴンが現れる。
『どうやら――』
レイヴンが目を閉じる。
『俺の中に眠る蒼き獣を、解き放つ時が来たようだ』
レイナスの表情が消えた。
「何を言い出した」
レイヴンの全身から青白い光が噴き上がる。
《アニマ》を再現しているらしい。
『この力は誰かを倒すためのものじゃない』
「……珍しくまともだな」
レイナスが少しだけ姿勢を戻す。
『俺に逆らった愚か者へ――絶望という名の真実を教えるためにある!』
「今のなしだ」
スメラギが吹き出した。
レイヴンはさらに両腕を広げる。
『天よ!』
「やめろ」
『地よ!』
「もう嫌な予感しかしない」
『そして、俺の魂よ!』
「俺の魂を勝手に使うな」
青白い光が急激に膨張する。
『俺の生き様、その魂に刻め!』
「刻まなくていい」
『世界が俺を拒むなら――』
「拒んでない」
『俺が世界の方を認めてやる!』
「何様だよ」
そして――。
『超絶究極――レイヴン・バーストォォォォッ!!』
青白い巨大な光線が戦場を薙ぎ払った。
敵軍が一斉に爆発する。
劇場中から大歓声が上がった。
レイナスだけが動かない。
長い沈黙の後、ぽつりと呟く。
「……休憩、まだか?」
沙慈がとうとう吹き出した。
「レイナスさん、まだ終わってません」
「沙慈。俺は百年以上生きてきた」
「はい」
「長く生きてりゃ大抵のことには耐性が付くと思ってた」
「はい」
「勘違いだったな」
刹那がスクリーンを見たまま尋ねる。
「レイヴン・バーストは使えないのか?」
レイナスがゆっくり刹那を見る。
「刹那」
「何だ」
「お前までそっちに回るな」
「確認しただけだ」
「使えない。使わない。仮に似た技ができても絶対にその名前では呼ばない」
「そうか」
「……何で少し残念そうなんだ、お前」
◇
物語は最終決戦へ進んだ。
世界を裏から操る巨悪。
それに立ち向かうソレスタルビーイング。
脚色は激しく、人物像に至っては本人たちが首を傾げるものばかりだった。
それでも奇妙なことに、大きな流れだけは現実とそれほど外れていない。
傷ついたマイケルの前に、レイヴンが立つ。
『レイヴン!』
『行け、マイケル』
『だが、お前は!』
レイヴンは背中を向ける。
『俺のことは気にするな』
光が、その横顔を照らした。
『英雄ってのはな――最後まで立っていた奴のことじゃない』
レイナスが目を細める。
「また始まったぞ」
『未来へ歩く者の背中を、黙って押せる奴のことを言うのさ』
「黙ってないだろ。今日一番喋ってるぞ」
沙慈が俯いて笑う。
『俺には帰る場所なんて必要ない』
「ある」
『戦場こそが、俺の故郷だからな』
「絶対嫌だ」
刹那がレイナスを見る。
『俺の人生に安息など必要ない』
「いる。休ませろ」
『この命が尽きるその瞬間まで――俺は戦い続ける!』
「勝手に生涯勤務にするな」
スメラギは完全に笑っていた。
『もし生まれ変わっても、俺はまた戦士としてこの世界へ戻ってくる』
「来世まで働かせる気か、この脚本家」
刹那が尋ねる。
「そこが気になるのか?」
「百年以上やってるんだぞ。来世くらい好きにさせろ」
映画のレイヴンは敵の大軍へ向き直った。
黒いコートが大きく翻る。
『覚えておけ!』
「まだあるのか」
『俺は光でも闇でもない!』
「知らん」
『正義でも悪でもない!』
「話が長い」
『俺は――レイヴン!』
「名前は知ってる」
『運命すら俺の前では道を開ける!』
「道路工事じゃないんだぞ」
『さあ来い!』
レイヴンが両腕を広げた。
『俺という伝説を、その魂に焼き付けろ!』
レイナスは座席へ深く沈んだ。
「……こいつ、俺より人生楽しんでるな」
◇
長い上映が終わった。
エンドロールが流れ始める。
沙慈は座席へ深く沈み込み、疲れ切った顔でスクリーンを眺めていた。
「……監督も脚本家も廃業してしまえばいい」
「随分いったな、沙慈」
「だって、細かいところが全部違うじゃないですか」
「大筋は合ってたぞ」
「だから余計に嫌なんですよ!」
「なるほどな。中途半端に図面だけ合ってて、現物の寸法が全部違うようなもんか」
「たぶん違いますけど、言いたいことは分かります」
レイナスは隣を見る。
「で、刹那。どうだった?」
刹那は少し考える。
「俺ではなかった」
「だろうな」
「だが、俺たちが戦ったこと自体は間違っていない」
「まあな」
「それと」
刹那がレイナスを見る。
「レイヴンは強かった」
「頼むから本人の前で褒めるな」
「お前だろう」
「違う。少なくとも俺は『死神すら俺を恐れる』なんて台詞を勤務時間中に吐いた覚えはない」
ミレイナが楽しそうに振り返る。
「レイヴン・バースト、格好よかったですぅ!」
「忘れろ」
「蒼き獣も!」
「忘れろ」
「『戦場こそが俺の故郷』!」
「俺の故郷を勝手に戦場へ移すな」
スメラギが笑う。
「人気出そうね、レイヴン」
「出るだろうな。俺じゃなければ、いいキャラしてると思うよ」
映画館を出る途中、前を歩く若者たちの声が聞こえてきた。
「やっぱレイヴンだよな!」
「レイヴン・バースト最高だった!」
「俺、最後の『運命すら俺の前では道を開ける』好きだわ!」
レイナスの足が止まった。
「……早く出るぞ」
「どうしたんです?」
沙慈が聞く。
「ここに長居すると、俺の知らない俺の名言集が増える」
刹那が周囲を見る。
「人気がある」
「分析しなくていい」
「お前よりレイヴンの方が人気になるかもしれない」
レイナスは刹那を見る。
「一年で冗談を覚えたと思ったら、ずいぶん質が悪くなったな」
「冗談ではない」
「そっちの方が困る」
◇
映画館の外。
巨大な広告の中で、レイヴンが腕を組んでいた。
その横には、公開中の文字と共に新しい宣伝文句がある。
《俺がいる限り、世界に絶望は許さない》
レイナスは立ち止まり、それを見上げる。
「……せめて台詞の監修くらいさせてくれ」
「続編が作られたらどうします?」
沙慈が尋ねる。
「その時は映画会社と話をする」
「上映を止めるんですか?」
「いや。ここまで売れてるものを止める方が面倒だ」
レイナスはポスターのレイヴンを見る。
「ただ、俺を使うなら一回くらい台本を持ってこいとは言う。後からこんな完成品を出されても、手直しのしようがない」
「仕事みたいですね」
「世の中、勝手に話を進めた奴の尻拭いをする羽目になるって点じゃ大体同じだ」
「レイナスさんらしいですぅ」
「褒めてないだろ、それ」
レイナスは周囲へ目を向けた。
映画館から出てきた人々が、楽しそうに感想を言い合っている。
マイケルが格好よかった。
ジェニファーが可愛かった。
オルソンが面白かった。
そして、レイヴンが最強だった。
一年前まで、ソレスタルビーイングの名は戦争と共に語られていた。
今は、その名前を冠した映画を見て、人々が笑っている。
「まあ――」
レイナスはポケットへ手を入れた。
「俺たちがやってきたことを、こんな馬鹿みたいな映画にできる程度には平和になったってことだろ」
刹那も人々を見る。
かつての自分たちの戦いが、今では娯楽として消費されている。
それをどう受け止めればいいのか。
おそらく、答えは一つではない。
「さて」
レイナスが歩き出した。
「三時間以上座りっぱなしで腹が減った。飯にしよう」
「反省会ですか?」
沙慈が続く。
「映画のか?」
「はい」
「やめとけ。全部拾ってたら飯が冷める」
「レイヴン・バーストだけなら?」
ミレイナが聞く。
「ミレイナ」
「はいですぅ?」
「今日の記憶から消せ」
「無理ですぅ!」
「だろうな。俺も無理だ」
スメラギが笑い、沙慈もつられて笑う。
その横を歩く刹那が、ふと思い出したように口を開いた。
「レイナス」
「何だ」
「俺の中で眠る蒼き獣――」
「刹那」
レイナスが足を止める。
「……お前、絶対楽しんでるだろ」
刹那は答えなかった。
ほんの僅かに、その口元だけが緩んでいた。
一行は人々の流れへ紛れ、街の中へ消えていく。
この時の彼らにとって、宇宙はまだ静かだった。
だが、人類がようやく互いの声へ耳を傾け始めたその頃。
遥か彼方では――。
人類とはまったく異なる存在が、地球へ向けて動き始めていた。