第121話 劇場版《レイヴン》
それから半年後――。
発表から公開まで半年。
映画一本を作る期間として考えれば、随分と早い。
だが、劇場版《ソレスタルビーイング》で興行収入五百億を叩き出し、その中でも最大級の人気を獲得したキャラクターの単独主演作となれば、制作側も熱が冷めるのを悠長に待つつもりはなかったらしい。
世界各地の映画館には、公開前から黒いコートの男が溢れていた。
《孤独すら追いつけない男が、再び世界を震わせる》
劇場版《レイヴン》
そして公開初日。
当然のように満席が続出していた。
◇
地球――映画館。
「……仕事のはずなのに、何故俺は映画館にいる」
帽子を深めに被り、伊達眼鏡を掛けたレイナスが呟いた。
その隣を歩く王留美は、何の疑問もないという顔をしている。
「私の護衛なのだから、当然、私が映画館に来たらそこで護衛よ」
「お前な……」
「何か間違ってる?」
「理屈としては何一つ間違ってないのが腹立つな」
「仕事熱心で結構じゃない」
「護衛対象が自分から人混みの中へ突っ込んでいく仕事を、世間じゃ仕事熱心とは言わない」
留美は楽しそうに笑った。
「それに、公開初日に観たかったの」
「一人で来い」
「だから一人で来たら護衛できないでしょう?」
「……綺麗に逃げ道を塞いできたな」
レイナスは諦めて周囲を確認する。
公開初日の映画館だけあり、人が多い。
しかも至るところにレイヴンがいた。
壁。
柱。
天井から吊り下げられた広告。
売店。
等身大パネル。
黒いコートを纏い、青白い光を背負った男が、どこを向いてもこちらを見ている。
「……落ち着かんな」
「何が?」
「自分に似た奴が十人くらいこっち見てる」
「人気者ね、レイヴンさん」
「その呼び方はやめろ。今日は特にな」
レイナスが帽子を少し深くする。
ただでさえ昔から顔が知られている。
そこへレイヴン人気まで加わった今、素顔のまま映画館を歩く気にはなれなかった。
しかも今日は、よりにもよって劇場版《レイヴン》の公開初日である。
「ここでバレたら洒落にならんぞ」
「本物が公開初日に観に来ているなんて、誰も思わないんじゃない?」
「その油断で前に子供に見破られたんだよ」
その時だった。
「レイナス」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
「……ニール?」
ニール・ディランディが立っていた。
その隣には絹江・クロスロード。
さらに少し後ろから、フェルト・グレイスもやってくる。
レイナスは三人を順番に見る。
「お前らまで何してるんだ」
「映画を観に来た」
ニールが答える。
「見れば分かる。何で初日なんだ」
「話題作だからな」
「他人事だと思って楽しんでるだろ」
「まあな」
「否定しろよ」
絹江がレイナスの帽子と眼鏡を見る。
「その格好でも、分かる人には分かるんじゃない?」
「だから目立たないようにしてるんだよ。完全に別人になるつもりはない」
「レイナスの場合、声で気付かれる可能性もあるわね」
「上映中は黙ってろってことか」
留美がすぐに口を挟む。
「無理でしょう?」
「何でだよ」
「レイヴンが喋るたびに訂正するじゃない」
ニールが笑った。
「確かに」
「お前ら、俺を何だと思ってるんだ」
フェルトも小さく笑う。
「前の映画でも、ずっと突っ込んでたって聞いたわ」
「誰から聞いた」
「ミレイナよ。すごく楽しそうに話してた」
「情報源が最悪だな……」
「でも、ちょっと分かる気がする」
「フェルトまで言うのか」
「だって、自分にそっくりな人が全然違うことを言ってるんでしょう? 気になるわよ」
「まあ、そうなんだが……」
レイナスは五人を見回した。
「しかし、妙な面子になったな」
ニール。
絹江。
留美。
フェルト。
そして、自分。
「刹那たちは?」
「今日は別行動みたいよ」
フェルトが答える。
「そうか」
レイナスは劇場入口を見る。
巨大なレイヴンが拳を構えている。
その横には、
《伝説には、まだ誰も知らない過去がある》
と書かれていた。
「……半年経っても、その文章を見ると嫌な予感しかしないな」
ニールが肩を叩く。
「覚悟決めろよ、主役」
「主役はあいつだ」
「モデルはお前だろ」
「モデルと完成品は別物だ。あそこまで加工されたら製造者責任は俺にはない」
絹江が笑う。
「でも気になるから来たんでしょう?」
「違う。仕事だ」
レイナスは留美を指す。
「俺はこいつの護衛で来ただけだ」
「そうね」
留美が頷く。
「上映が終わるまで、隣の席でしっかり護衛してもらうわ」
「仕事内容に映画鑑賞が組み込まれてるボディガードなんて聞いたことないぞ」
「新しい経験ができてよかったじゃない」
「百年以上生きてても、まだ初体験って残ってるもんだな」
◇
上映開始。
照明が落ちる。
レイナスの右隣には留美。
左隣にはフェルト。
少し離れてニールと絹江。
スクリーンが暗転した。
静寂。
やがて、男の声が響く。
『人は俺を英雄と呼ぶ』
レイナスの眉が早くも動く。
『だが――英雄なんて言葉は、墓石に刻むには少し軽すぎる』
「開始十秒だぞ……」
「レイナス」
フェルトが小声で注意する。
「映画館なんだから、もう少し静かにしないと」
「まだ小声だろ」
「そういう問題じゃないでしょう?」
柔らかな声だったが、視線はしっかりこちらを向いている。
レイナスは黙ってスクリーンへ戻った。
『俺が失ったものを数えれば――』
燃える都市。
崩れ落ちる建物。
その中を、一人の少年が歩いている。
『夜空の星より多い』
「盛るにしても――」
フェルトが横を見る。
レイナスは途中で口を閉じた。
フェルトが少しだけ笑った。
スクリーンでは、少年が成長していく。
戦場。
また戦場。
さらに別の戦場。
時代が変わっても、レイヴンだけが変わらない。
『百年』
ナレーションが響く。
『男は戦い続けた』
『国のためではない』
『正義のためでもない』
『ただ――』
成長したレイヴンが炎の中で振り返る。
『俺が戦わなければ、泣く奴がいる』
『それだけで、拳を握る理由には十分だ』
ニールがレイナスを横目で見る。
「今のは?」
「言ってない」
「ちょっとそれっぽかったぞ」
「言ってないものは言ってない」
「レイナス」
フェルトがもう一度呼ぶ。
「……悪い」
「ふふっ」
「何だよ」
「ちゃんと謝るんだなって思って」
「俺を何だと思ってるんだ」
◇
映画の中で描かれたのは、レイヴンの知られざる百年だった。
当然。
ほぼ全て創作である。
最初の大戦。
レイヴンはたった一人で小国を救った。
『国境なんてものは地図の上にしかない』
砲撃の中を歩く。
『だが、人の命は地図の外にもある』
レイナスは黙っていた。
留美が横を見る。
「今のは突っ込まないの?」
「もう全部拾うのは諦めた。仕事でも不具合が百件超えたら重要なところから処理するだろ」
次の時代。
レイヴンは独裁者へ反旗を翻す。
捕らえられた民衆の前へ一人で現れた。
『跪けと言ったな?』
兵士たちが銃を構える。
『悪いが――俺の膝は、未来へ歩くためにしか曲がらない』
ニールが肩を震わせる。
レイナスは前を向いたまま言った。
「笑うなら静かに笑え」
さらに数十年後。
レイヴンは宇宙へ上がる。
巨大なモビルスーツを生身で迎え撃つ。
『人が空を見上げるのは――』
青白い《アニマ》が拳を包む。
『神に祈るためじゃない』
敵機の攻撃を正面から弾く。
『いつかそこへ辿り着くためだ!』
拳が装甲を貫く。
大爆発。
劇場中から歓声が上がった。
フェルトが小声で呟く。
「……これは、本当にやりそう」
「フェルト?」
「だって、生身でモビルスーツを壊したのは本当でしょう?」
「事実を材料にされると反論しづらいんだよな……」
映画はさらに進む。
やがて時代は、劇場版《ソレスタルビーイング》へと繋がっていく。
レイヴンは長い放浪の末、マイケル・チャンたちと出会う。
『どうして俺たちを助ける!』
マイケルが叫ぶ。
レイヴンは振り返らない。
『理由が必要か?』
『何?』
『目の前で誰かが困っている』
黒いコートが風に揺れる。
『俺には、それで十分だ』
レイナスが眉を寄せる。
「……なんか今回、前より微妙にまともじゃないか?」
絹江が後ろから小声で返す。
「人気が出たから、ちゃんと掘り下げたんじゃない?」
「最初からやれよ」
直後。
敵の大軍が出現する。
レイヴンが笑った。
『もっとも――』
嫌な間。
『俺の前に立った時点で、奴らの人生はエンドロールだがな』
レイナスが背もたれへ沈んだ。
「安心した。いつものレイヴンだ」
フェルトが吹き出す。
「もう……」
◇
終盤。
映画オリジナルの巨大兵器が世界を狙う。
マイケルたちは別の戦場にいる。
止められるのはレイヴンだけ。
敵の司令官が叫ぶ。
『貴様一人で何ができる!』
レイヴンは黒いコートを脱ぎ捨てた。
『一人?』
青白い光が全身を包む。
『俺が背負ってきた百年を――』
一歩。
『たった一人分だと思うな!』
《アニマ》を模した光が巨大な翼のように広がった。
「……そんな使い方はできんぞ」
レイナスが呟く。
フェルトはもう注意しなかった。
スクリーンへ見入っている。
巨大兵器の主砲が発射される。
レイヴンは真正面から受け止めた。
『重いな……』
光が押し戻される。
『だが――』
レイヴンが笑う。
『百年分の後悔よりは軽い!』
レイナスが眼鏡を押し上げた。
「どんな比較だよ」
ニールが完全に笑っている。
それでも映画の熱量は凄まじかった。
レイヴンが砲撃を押し返す。
装甲が剥がれ落ちる。
青白い光を纏い、そのまま巨大兵器へ突入する。
『運命だろうが!』
一撃。
『宿命だろうが!』
二撃。
『俺の前に立つなら――!』
巨大兵器の中枢へ拳を叩き込む。
『まとめて道を開けろォォォッ!!』
青白い光が宇宙を染めた。
巨大兵器が崩壊していく。
爆発の中から、レイヴンが一人で飛び出した。
『終わったな』
地球を背にする。
『だが、勘違いするな』
カメラがその横顔へ寄る。
『俺が世界を救ったんじゃない』
レイヴンが僅かに笑う。
『世界が――まだ終わりたくないと言っただけだ』
レイナスは黙ってスクリーンを見た。
留美が小声で尋ねる。
「今のは?」
「……言わない」
「嫌い?」
「そこまでは言ってない」
留美が笑った。
やがて地球へ帰還したレイヴンは、再び一人で歩き始める。
マイケルが背中へ叫ぶ。
『どこへ行くんだ、レイヴン!』
レイヴンは立ち止まらない。
『さあな』
『また戦うのか!』
『戦場を探して歩く趣味はない』
レイナスの眉が上がる。
「そこは正しい」
『だが――』
レイヴンが空を見る。
『誰かが助けを求めるなら、俺の休暇はまた延期だ』
「急に俺っぽくなったな」
フェルトが微笑む。
「ちょっと似てたわね」
「脚本家も二時間以上書いてりゃ疲れて素に戻るのかね」
レイヴンは夕陽の中へ消えていく。
画面が暗転した。
劇場版《レイヴン》
――完。
◇
スタッフロールが流れる。
劇場内には余韻が残っていた。
ニールが息を吐く。
「思ったより面白かったな」
「そうね」
絹江も頷く。
「完全な創作だけど、映画としては前作よりまとまってたと思う」
留美がレイナスを見る。
「本人は?」
「俺に聞くな」
「でも最後まで観たでしょう?」
「仕事だからな」
「映画の途中から護衛対象を一度も見てなかったけど?」
「周囲は見てた」
「本当に?」
「細かいな、雇い主」
フェルトがレイナスの方を見る。
「私は好きだったわ」
「映画が?」
「ええ。レイヴンはちょっと格好つけすぎだけど」
「ちょっとで済むか?」
フェルトはくすっと笑う。
「でも、レイナスとは全然違うから。途中から別の人だと思って観てた」
「それが一番正しい見方だよ」
スタッフロールが終盤へ差しかかる。
何人かの観客が席を立ち始めた。
レイナスも腰を浮かせる。
「終わったな。帰るぞ」
「待って」
絹江が止める。
「こういう映画って、スタッフロールの後に何かあるかもしれないでしょう?」
「嫌なこと言うなよ」
照明は点かない。
レイナスは再び座った。
「……半年後にまた仕事が増えるような映像だけは勘弁してくれ」
そして。
スタッフロールが終わった。
暗闇。
数秒の静寂。
映像が戻る。
映し出されたのは――木星。
レイナスの顔から表情が消えた。
「……おい」
巨大な木星。
その周囲に、銀色の何かが浮かんでいる。
最初は小さな点。
やがて、それが動き始めた。
一つ。
二つ。
無数の銀色の物体が、木星の影から姿を現す。
劇場がざわめいた。
留美がスクリーンを見る。
「何、あれ?」
「知らん」
レイナスも真顔で答えた。
映像が切り替わる。
宇宙船の窓越しに木星を見つめるレイヴン。
黒いコート。
腕を組み、銀色の物体を見据えている。
口元に不敵な笑み。
『フッ――』
レイナスが嫌そうな顔をする。
「もう嫌な予感しかしない」
レイヴンが言った。
『次の戦場は木星か』
一瞬の暗転。
そして。
To be continued
【レイヴン2】
劇場中から歓声が上がった。
レイナスは動かなかった。
ニールがゆっくり横を見る。
「……半年後かな?」
「やめろ」
「このシリーズ、公開スパン早いものね」
絹江まで言う。
「やめてくれ」
留美が楽しそうに笑う。
「次も護衛をお願いするわね、レイヴンさん?」
レイナスは天井を見上げた。
「契約更新の時期、ちょっと考え直すか……」
フェルトが笑う。
「でも、次も気になるでしょう?」
「ならない」
「本当に?」
「木星だろうが土星だろうが知らん。次は絶対に来ない」
留美が頷いた。
「分かったわ」
「何だ、その顔は」
「次の公開初日に予定を空けておくわね」
「話を聞け」
◇
同じ日――別の映画館。
スタッフロールが終わっても、アーミア・リーは席を立っていなかった。
両手には劇場版《レイヴン》のパンフレット。
膝の上には初日限定のレイヴングッズ。
上映中、一度も眠くならなかった。
それどころか、前作以上だった。
百年を戦い続けたレイヴン。
国を救うレイヴン。
宇宙で戦うレイヴン。
巨大兵器を拳で破壊するレイヴン。
アーミアにとっては、最初から最後まで完璧だった。
「……やっぱり、かっこいい」
周囲から聞こえてくる感想も耳に入らない。
パンフレットを開く。
お気に入りのページには、黒いコートを纏ったレイヴンの大きな写真。
その横に台詞が載っている。
《俺が背負ってきた百年を、たった一人分だと思うな》
アーミアはじっと見つめる。
「……百年も戦ってるんだ」
映画の設定である。
だが、アーミアはかなり真剣に受け止めていた。
モデルとなったレイナス・レノアークについても、以前から自分なりに調べている。
映画ほどではないにしても、普通の人間ではないことは間違いない。
生身でモビルスーツと戦ったという話。
複数のガンダムへ関わった記録。
そして、常識では説明できない青白い力。
知れば知るほど、レイヴンとレイナスの境界がアーミアの中で曖昧になっていった。
「本物も……こんな感じなのかな」
もし会えたら。
何を話そう。
レイヴン・バーストを見せてほしいと言ったら、やってくれるだろうか。
そんなことを考えていた時だった。
スクリーンへ木星が映った。
「……?」
アーミアが顔を上げる。
木星の影。
そこから、銀色の物体が現れる。
一つ。
二つ。
さらに増えていく。
「何、これ……」
そしてレイヴン。
『フッ、次の戦場は木星か』
アーミアの目が大きく開いた。
暗転。
To be continued
【レイヴン2】
「…………」
数秒。
「レイヴン2……!」
一気に顔が明るくなる。
周囲でも歓声が上がっている。
アーミアはパンフレットを胸元へ抱いた。
「絶対観る……!」
公開日はまだ分からない。
制作がどこまで進んでいるのかも知らない。
そんなことは問題ではなかった。
レイヴンが帰ってくる。
しかも次は木星。
それだけで十分だった。
アーミアはもう一度スクリーンを見る。
そこには既に何も映っていない。
けれど頭の中には、最後のレイヴンの姿が残っていた。
『次の戦場は木星か』
「……かっこいい」
満足そうに笑い、アーミアはようやく席を立った。