第122話 来訪者
劇場版《レイヴン》公開から三か月後――。
木星圏から、一隻の船が地球へ向かっていた。
正確には――かつて船だったものが。
◇
地球連邦軍――軌道監視施設。
「識別結果が出ました」
オペレーターの声に、室内の視線が集まった。
大型モニターには、宇宙空間を進む異形の物体が映し出されている。人工物であった痕跡は残っているものの、船体の大部分が銀色の物質に覆われ、本来の形状を失いつつあった。
「照合率、九十八パーセント」
「何だ?」
オペレーターが一瞬、言葉を詰まらせる。
「木星探査船――《エウロパ》です」
室内が静まり返った。
「……エウロパ?」
「はい」
「百年以上前の船だぞ」
有人木星探査船《エウロパ》。
人類がまだ木星圏へ本格的に進出する以前、その調査のために送り出された船。
既に歴史資料の中にしか存在しないはずの船だった。
「乗員の生命反応は?」
「ありません」
「航行システムは?」
「反応なし」
「なら、どうやって地球へ向かっている?」
誰も答えられなかった。
推進機関は停止している。航行システムも動いていない。それでも《エウロパ》は明確に地球へ進路を取っている。
「……表面の銀色の物質は何だ?」
「不明です。既知の金属、複合素材のいずれとも一致しません」
映像が拡大される。
銀色の物質が船体を覆っている。
いや――覆っているという表現すら正確ではない。
船体そのものが、別の何かへ変質しているようにも見えた。
「連邦軍司令部へ報告。危険物として扱え」
「了解」
「地球圏への侵入は阻止する」
◇
地球――王留美所有施設。
「レイナス」
「ん?」
ソファに座って端末を眺めていたレイナスが顔を上げた。
留美が自分の端末を差し出す。
「これを見たかしら?」
「何だ?」
画面にはニュース速報が表示されていた。
《百年以上前の木星探査船、地球圏へ接近》
レイナスの視線が止まる。
船の名前は《エウロパ》。
そして――木星。
「…………」
留美が口元を緩めた。
「木星ですって」
「……その先は言わなくていい」
「まだ何も言ってないでしょう?」
「三か月も付き合ってりゃ、その顔の意味くらい分かる」
「そう?」
「『次の戦場は木星か』って言いたいんだろ」
留美が吹き出した。
「自分で言ってるじゃない」
「言わせたのはお前だよ」
レイナスは端末を受け取り、公開されている《エウロパ》の画像を拡大した。
軽口を叩いていた表情が少し変わる。
船体を覆っている銀色の物質。
三か月前。
劇場版《レイヴン》のスタッフロール後にも、木星から現れる銀色の物体が描かれていた。
「……出来すぎてるな」
「映画と?」
「ああ。まあ、映画会社に未来予知のできる奴がいるって話よりは、ただの偶然って方がまだ安上がりだ」
「レイヴン2の脚本を取り寄せてみる?」
「勘弁してくれ。現実の厄介事だけで手一杯だ。架空の俺の予定まで管理してられん」
留美が笑う。
その時、レイナスの端末が鳴った。
表示された名前を見る。
「……スメラギか」
レイナスが通信を開く。
「久しぶりだな」
『レイナス』
スメラギ・李・ノリエガの声。
『ニュースは見た?』
「今、留美から見せてもらったところだ」
『連邦軍からヴェーダへ情報が入ってる。公開されていないデータもあるわ』
「わざわざ俺に電話してきたってことは、面倒な方の仕事か」
『まだ何とも言えない。でも、普通じゃない』
「百年以上前の船が勝手に帰ってきた時点で、普通って線は消えてるだろ」
『そうね』
レイナスは小さく息を吐いて立ち上がった。
「分かった。そっちへ行く」
通信を切る。
留美がレイナスを見る。
「行くのね?」
「どうも護衛業より前の職場から呼び出しらしい」
「兼業だったの?」
「俺も今知った」
レイナスは上着を取った。
「悪いな。雇い主を置いて出るのは契約違反か?」
「今回は特別に許してあげるわ」
「そいつは助かる。違約金まで請求されたら、世界を守る前に財布が死ぬ」
「その代わり、ちゃんと帰ってきなさい」
レイナスの手が止まる。
留美は冗談を言っていなかった。
「ああ」
レイナスは上着を羽織る。
「仕事を途中で放り出すのは性に合わん。片付いたら戻る」
「レイヴン2の公開までには?」
「そっちは業務予定に入れるな」
留美は楽しそうに笑った。
◇
宇宙。
《エウロパ》へ、連邦軍の迎撃部隊が接近していた。
通信への応答はない。
警告にも反応しない。
進路も変わらない。
地球へ向かう速度だけが維持されている。
『対象、警告を無視』
『最終警告を送信』
反応なし。
『攻撃許可』
ミサイルが発射された。
複数の弾頭が《エウロパ》へ直撃する。
閃光。
爆発。
船体が砕け散り、無数の残骸が宇宙空間へ飛散した。
『対象破壊を確認』
そこで終わった。
誰もがそう考えた。
だが――。
砕けた船体の中で、銀色の物質が動いた。
一つの塊が形を変える。
さらに一つ。
残骸へ付着していた銀色が、液体のように蠢いている。
『……何だ、あれは?』
レーダーに新たな反応。
《エウロパ》の残骸の一部が、自ら軌道を変えた。
地球へ向かって。
◇
地球――映画館。
スクリーンいっぱいに、青白い光が炸裂した。
『俺が背負ってきた百年を――』
黒いコートを脱ぎ捨てたレイヴンが拳を握る。
『たった一人分だと思うな!』
「レイヴーン!」
客席から一斉に声が上がった。
その中でもアーミア・リーは、両手に応援上映用のライトを握っていた。
「頑張ってー!」
今日は劇場版《レイヴン》の応援上映。
しかも――。
三回目である。
通常上映は、それとは別に既に何度も観ている。
それでも飽きる様子はなかった。
敵の巨大兵器から主砲が放たれる。
レイヴンが正面から受け止める。
『重いな……』
「頑張って、レイヴン!」
『だが――百年分の後悔よりは軽い!』
「かっこいい……!」
何度観てもいい。
台詞も知っている。
この後の展開だって全部覚えている。
それでも、レイヴンが青白い光を纏って巨大兵器へ突っ込んでいく場面では、アーミアは周囲の観客と一緒になって声を上げた。
そして――。
『まとめて道を開けろォォォッ!!』
「いけーっ!」
巨大兵器が爆発する。
劇場中から拍手と歓声が上がった。
アーミアも夢中で拍手する。
三回目の応援上映でも、その熱量はまったく変わっていなかった。
◇
上映終了後。
「楽しかった……」
映画館から出てきたアーミアは満足そうだった。
一緒に来ていた友人が呆れたように笑う。
「三回目だよね?」
「応援上映はね」
「そこ強調するんだ」
「通常上映とは違うから」
「映画は同じでしょ?」
「違うよ」
「どこが?」
「レイヴンが出てきた時に、みんなで応援できる」
「そこ?」
「大事だよ」
即答だった。
友人が笑う。
「通常上映も何回観たの?」
「それは……」
アーミアが少し視線を逸らす。
「数えてない」
「絶対覚えてるでしょ」
「覚えてない」
「怪しい」
アーミアは端末を取り出した。
そこには劇場版《レイヴン》公式サイト。
三か月経った今でも、《レイヴン2》の詳細は発表されていない。
「早く続報出ないかな……」
「まだ観る気?」
「当たり前だよ」
「次、木星なんでしょう?」
「うん!」
アーミアの顔が明るくなる。
「最後に出てきた銀色のやつ、絶対次の敵だと思う」
「またレイヴンが殴って終わりじゃない?」
「そんな単純じゃないよ」
「そうかなあ」
「レイヴンは強いだけじゃないんだから」
妙に真剣だった。
友人は笑いながら手を振る。
「はいはい。じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
アーミアも手を振り返した。
一人になってからも、機嫌よく歩き続ける。
まさか数時間後。
映画の中で見たものによく似た銀色の存在と、自分自身が遭遇することになるとは思いもしなかった。
◇
アーミアは自宅の前に立った。
「ただいま……」
誰に言うでもなく呟き、鍵を取り出す。
ドアノブへ手を伸ばした。
その指が触れる寸前。
「……?」
手が止まった。
何かがおかしい。
いつものドアノブ。
そう見える。
だが、僅かに形が違う。
銀色の表面が微かに揺れた。
「……なに、これ?」
次の瞬間。
ドアノブが崩れた。
「え――」
銀色の物体が一気にアーミアの腕へ伸びる。
「きゃっ!」
避ける暇はなかった。
銀色が右手を包む。
冷たい。
そう感じた直後、鋭い痛みが走った。
「痛っ……!」
アーミアが必死に腕を振る。
離れない。
それどころか、銀色は皮膚の上を這い、手首から腕、肩へと広がっていく。
「なに……これ……!」
壁へ腕を叩きつける。
剥がれない。
指を掛けようとしても、既にどこまでが自分の身体なのか分からない。
銀色が――身体の内側へ入り込んでくる。
「いや……!」
視界が揺れる。
頭の中へ何かが流れ込んできた。
音ではない。
言葉でもない。
遠い場所。
星。
無数の銀色。
知らない景色。
理解するより早く、膨大な情報が意識を押し潰していく。
「やめ……て……」
膝が崩れた。
◇
同時刻――都市部。
レイナスが足を止めた。
スメラギとの合流へ向かっていた最中だった。
「……妙だな」
胸の奥で《アニマ》が僅かに揺れる。
敵意ではない。
殺気でもない。
だが、明らかに普通ではない何かが近くにいる。
レイナスは周囲を見る。
人々はいつも通り歩いている。
車も走っている。
表向きには何も起きていない。
「寄り道してる場合じゃないんだが……」
一度だけ進行方向を見る。
それから、異物感を覚えた方角へ視線を戻した。
「こういうのを放っておくと、大抵あとで余計に手間が増えるんだよな」
レイナスは進路を変えた。
◇
アーミアの身体を銀色が侵食していく。
意識が薄れる。
「誰か……」
声にならない。
足音が聞こえた。
次の瞬間。
銀色の物体が大きく揺れた。
誰かが、アーミアの腕を掴んだ。
「……こいつか」
低い男の声。
レイナスは少女の腕へ絡みつく銀色を見ていた。
見たことのない物質。
だが、観察している時間はない。
「面倒なことになってるな」
銀色が動く。
アーミアから一部が離れ、今度はレイナスの手へ絡みついた。
「おっと」
一瞬で指が覆われる。
手の甲。
手首。
銀色が這い上がる。
レイナスは自分の腕を見る。
痛みより先に、異常な感覚が伝わってきた。
外側から張り付いているだけではない。
身体の構造そのものへ入り込もうとしている。
「……なるほど」
銀色が肘へ迫る。
「触った相手を取り込む仕組みか。随分と強引な挨拶だな」
アーミアが薄く目を開いた。
ぼやけた視界。
自分を庇うように立つ男。
帽子も伊達眼鏡もない。
それでも。
いや――だからこそ、分かった。
何度も見た顔。
スクリーンで。
パンフレットで。
端末の中で。
「……レイ……ヴン……?」
レイナスが少女へ視線を向ける。
「悪いが、人違いだ」
「……ほん……もの……」
「訂正は元気になってから聞く。今は黙ってろ」
銀色がさらに侵食する。
その瞬間。
青白い光が、レイナスの身体から滲み出した。
《アニマ》。
皮膚の表面だけではない。
肉体内部へ。
侵入した銀色の物質へ直接流れ込む。
ELSが震えた。
さらに侵食しようとする。
だが――進めない。
レイナスが自分の腕を見る。
「人の身体に勝手に入ってきて、好きに弄れると思ったか?」
《アニマ》が膨れ上がる。
体内へ入り込んでいた銀色が押し戻される。
侵食された部分が、一つずつ元へ戻っていく。
銀色の物質がレイナスの腕から浮かび上がった。
「悪いが、こっちは長年使ってる身体なんでね」
さらに《アニマ》を叩き込む。
「勝手に仕様変更されちゃ困るんだよ」
青白い光が弾けた。
銀色の塊が、レイナスの身体から強制的に引き剥がされる。
宙へ飛んだ。
形を変える。
逃げるように動く。
レイナスが右手を向ける。
《アニマ》が収束した。
「もう一度触られるのも面倒だ」
青白い光が銀色を貫いた。
銀色の物体が砕ける。
床へ落ちた破片は動かない。
完全に停止していた。
レイナスは自分の腕を確かめる。
傷も侵食も残っていない。
「……壊せるか」
そこで初めて、レイナスの意識が完全にアーミアへ戻った。
まだ少女の身体には銀色が残っている。
「さて……こっちが本題だな」
しゃがみ込む。
「聞こえるか?」
アーミアの瞼が僅かに動いた。
「……レイヴン……」
「まだ言うか」
レイナスの手が青白く光る。
アーミアの身体へ《アニマ》を流し込み、侵食によって乱れた生命活動を支える。
「いいから寝てろ。話は目が覚めてからだ」
「……会え……た……」
「その話も後だ」
アーミアの意識が落ちる。
レイナスは少女を抱き上げた。
「まったく……スメラギに遅刻の理由を説明する仕事まで増えたな」
足元には、停止した銀色の破片。
レイナスはそれを一度だけ見下ろす。
先ほどまで動いていたものが、今は完全に沈黙していた。
◇
宇宙。
地球。
月。
木星圏。
そして――さらに遠く。
散らばっていた銀色の存在が、一斉に反応した。
ほんの一瞬。
一つの個体が停止する直前に得た情報が、全てへ伝わっていく。
接触。
同化。
侵食。
そして――拒絶。
同化したはずの対象から、逆に押し出された。
切り離された。
破壊された。
青白い力。
それを持つ、一人の存在。
レイナス・レノアーク。
銀色のそれに、人間と同じ意味での恐怖はない。
だが、得られた情報は共有された。
接触による理解が成立しない。
同化を維持できない。
個体の存続すら困難になる。
――最大限の脅威。
やがて、銀色の群れが再び動き始めた。
ただ一つ。
レイナス・レノアークという存在を――避けるように。