第123話 銀色の少女
地球――医療施設。
「……で、遅れた理由がその子?」
通信画面の向こうで、スメラギが僅かに眉を上げた。
「ああ。道端で厄介事を拾った」
レイナスは処置室の外にある椅子へ腰を下ろしていた。
「正確には人を拾ったんだが、ついてきたオマケの方が相当まずい」
『銀色の物体ね』
「俺の腕にも入り込んできた。皮膚に張り付くなんて可愛いもんじゃない。身体そのものを別の何かに変えようとしてた」
『あなたは?』
「見ての通りだ」
レイナスが片腕を上げる。
傷はない。
変色も残っていない。
『どうやって?』
「《アニマ》で押し出した。素直に出て行ってくれなかったんで、最後は力ずくだ」
スメラギの表情が険しくなる。
『それで壊せたの?』
「ああ。少なくとも俺が触った個体は止まった」
レイナスは壁の向こうへ視線を向けた。
「問題は、あの子の方だ」
救急搬送された少女――アーミア・リー。
侵食はレイナスが到着した時点でかなり進んでいた。
《アニマ》で生命活動は安定させたものの、既に身体へ同化していた銀色の物質を、レイナスは無理に剥がさなかった。
自分の場合とは条件が違う。
外から無理に引き剥がして、少女自身の組織まで壊してしまえば本末転倒だった。
『ヴェーダにも送って。ティエリアに解析してもらうわ』
「そうしてくれ。俺が分かるのは、殴れば壊れるってところまでだ。医者でも研究者でもない」
『十分大きな情報よ』
「だったら遅刻は帳消しってことで頼む」
『考えておくわ』
「そこは即決してくれよ」
通信が切れる。
レイナスは背もたれへ身体を預けた。
「さて……」
処置室のランプはまだ消えない。
結果を待つしかなかった。
◇
しばらくして。
処置室の扉が開いた。
医師が出てくる。
レイナスは立ち上がった。
「容体は?」
「安定しています」
まず、その言葉が返ってきた。
「生命活動に大きな問題はありません。ただ……」
医師が言葉を選ぶ。
「銀色の物質は、既に彼女の身体組織と一体化しています」
「取り除けないか?」
「少なくとも、通常の外科処置では不可能です」
レイナスの表情が僅かに険しくなる。
「どこまで進んでる?」
「身体の一部です。ですが、境界がありません」
医師は端末を見せた。
画像の中で、人間の組織と銀色の物質が入り交じっている。
「異物が付着しているのではありません。彼女自身の細胞構造と置換、あるいは融合しているとしか……」
「俺の時と同じか」
「あなたにも?」
「ああ。ただ、俺は入ってきたところを《アニマ》で追い出した。あの子は俺が来るまでに時間が経ちすぎてる」
レイナスは画像をしばらく見た。
「無理に剥がせば?」
「彼女自身の身体を切除するのと同じ結果になる可能性があります」
「なら触らない方がいいな」
即答だった。
「命が優先だ。除去するにしても、方法が分かってからでいい」
医師が頷く。
「現在は安定しています。あなたが行った処置も大きかったのでしょう」
「俺は倒れないように支えただけだよ。ここから先は専門家の仕事だ」
レイナスは端末を返した。
「目は覚ましそうか?」
「近いうちに」
「そうか」
その時だった。
処置室の中から声がした。
「……レイヴン……」
レイナスが止まった。
医師も振り返る。
「…………」
もう一度。
「レイヴン……」
レイナスは額へ手を当てた。
「そっちが先に戻ったか……」
◇
アーミアが目を開ける。
白い天井。
知らない部屋。
身体が重い。
「……ここ……」
「病院だ」
男の声。
アーミアの目が動く。
ベッドの横。
椅子に座った男がいた。
映画館のスクリーンで何度も見た顔。
パンフレットにも載っている。
端末で何度検索したか分からない。
アーミアの目が大きく開いた。
「……レイヴン」
「違う」
即答だった。
「え?」
「俺はレイナス・レノアーク。レイヴンは映画の登場人物だ」
「でも……」
「顔が似てるのは認める。俺がモデルらしいからな。だが、あんな台詞を日常的に言った覚えはない」
アーミアは数秒、レイナスを見る。
「……本物のレイナス・レノアーク?」
「そっちは合ってる」
「本物……」
「偽物を用意するほど暇な病院じゃないだろ」
アーミアの目が輝いた。
「本物のレイヴン……!」
「振り出しに戻すな」
「でも、レイナス・レノアークがレイヴンのモデルで――」
「モデルと完成品は別物だ。そこを一緒にされると俺の身に覚えのない経歴が百年分増える」
「百年以上生きてるのは本当なんですよね?」
レイナスが止まった。
「……そこまで調べてるのか」
「はい」
「熱心だな」
「ファンなので」
「誰の?」
「レイヴンの」
「そうか。そこはレイヴンなのか」
アーミアは小さく笑った。
そして――。
表情が変わった。
自分の身体。
違和感。
右腕を持ち上げる。
「…………」
一部が銀色になっている。
「なに……これ……」
レイナスから軽さが消えた。
「落ち着いて聞け」
アーミアが銀色になった自分の腕を見つめる。
「取れなかったんですか?」
「ああ」
レイナスは誤魔化さなかった。
「俺が見つけた時には、お前の身体とかなり深く混ざってた。無理に剥がせば、お前自身を傷つける可能性がある」
アーミアの顔から血の気が引く。
「私……どうなるんですか?」
「分からない」
「…………」
「分からないものを、大丈夫だなんて言って安心させる気もない」
レイナスは椅子から立ち上がった。
「ただ、今のところ命に問題はない。身体も安定してる。専門家にも調べてもらってる」
アーミアは銀色の腕を見つめたまま動かない。
レイナスは少し間を置いた。
「それに、こいつは壊せる」
アーミアが顔を上げる。
「……壊せる?」
「ああ」
レイナスが自分の腕を見せる。
「俺にも同じものが入ってきた」
「え?」
「腕の途中まで持っていかれた。《アニマ》で引き剥がして、そのまま壊した」
アーミアの目がさらに大きくなる。
「映画と同じ……」
「待て」
「青白い力で――」
「待て待て」
「やっぱりレイヴン・バースト――」
「違う」
今度は少し強めだった。
「そこは絶対に違う。《アニマ》だ」
「アニマ……」
「そうだ」
「レイヴン・バーストの元になった?」
「……たぶんな」
「じゃあ本当に――」
「この話を続けると、俺の方が治療を受けたくなってくるな」
アーミアが初めて少し笑った。
レイナスもそれを確認して、息を吐く。
「まあ、今は身体を休めろ。映画の話なら元気になってからいくらでも聞く」
「本当ですか?」
「……いや、いくらでもは撤回する。勤務時間内で頼む」
「勤務?」
「今は別件で呼び出されてる最中なんだよ。お前を拾ったせいで予定が全部後ろにずれた」
「ご、ごめんなさい」
「謝るな。好きで襲われたわけじゃないだろ」
レイナスは扉へ向かう。
その背中へ、アーミアが声を掛けた。
「あの!」
「ん?」
「助けてくれて……ありがとうございます」
レイナスは振り返った。
「礼なら、ちゃんと退院してからでいい」
「はい」
「あと」
「?」
「レイヴンじゃないからな」
アーミアは少し考える。
「……レイナスさん」
「よし。まず一件片付いた」
レイナスが部屋を出ていく。
扉が閉まる。
アーミアはしばらく、その扉を見つめていた。
そして銀色になった自分の腕へ視線を落とす。
怖い。
当然だった。
自分の身体が、自分の知らないものへ変わっている。
それでも。
脳裏に残っている。
銀色の何かに飲み込まれかけた時。
青白い光の中で、自分の前に立っていた男。
映画のレイヴンとは違った。
大仰な台詞も言わなかった。
黒いコートも着ていなかった。
それでも――。
「……本当にいたんだ」
アーミアは小さく呟いた。
◇
プトレマイオス2。
「遅かったわね」
ブリッジへ入ってきたレイナスを、スメラギが迎えた。
「こっちは救急搬送から事情聴取まで追加作業だ。予定通り来いって方が無理がある」
「少女の容体は?」
「安定してる。だが、銀色の物質が身体に残った」
スメラギの表情が引き締まる。
ブリッジには既に、ティエリア、刹那、フェルトたちの姿もあった。
散っていたメンバーが再び集まり始めている。
ティエリアが口を開く。
「君から送られたデータはヴェーダで解析中だ」
「何か分かったか?」
「少なくとも、既知の人工物ではない」
「だろうな」
レイナスは空いている席へ腰を下ろした。
「人工物なら、人体へ入って勝手に改造始めるなんて仕様は随分と趣味が悪い」
刹那がレイナスを見る。
「お前にも入ったのか?」
「ああ」
「大丈夫なのか?」
「追い出した」
「……追い出した?」
「《アニマ》でな。入ってきたものを内側から押し返して引き剥がした」
ティエリアの目が僅かに見開かれる。
「同化を解除したのか?」
「解除ってほど上品なもんじゃない。力ずくで叩き出しただけだ」
「その後は?」
「壊した」
短い答え。
ティエリアが考え込む。
「非常に重要な情報だ」
「俺としては、二度目は勘弁してほしいがな」
その時。
フェルトが顔を上げた。
「スメラギさん。連邦軍から新しいデータです」
「出して」
メインモニターへ映像が表示される。
《エウロパ》の残骸。
その中に存在する、銀色の物質。
そして――地球各地で確認され始めた不可解な現象。
刹那が額を押さえた。
「……声がする」
全員が振り向く。
「刹那?」
フェルトが心配そうに見る。
刹那の金色の瞳が、僅かに光を帯びていた。
「遠い……」
「何が聞こえる?」
スメラギが尋ねる。
刹那は目を閉じる。
「言葉じゃない」
短い沈黙。
「何かが……俺たちを知ろうとしている」
レイナスがモニターの銀色を見る。
「俺のところに来た奴も、似たようなもんだったのかね」
ティエリアが答える。
「可能性はある。君への侵入も、攻撃ではなく情報取得を目的とした行動だったのかもしれない」
「身体を勝手に作り替える情報収集か」
レイナスは腕を組んだ。
「随分と相手の都合を無視した聞き取り調査だな」
その瞬間。
ヴェーダから新たな解析結果が表示された。
ティエリアの表情が変わる。
「スメラギ」
「何?」
「銀色の物質から――生命活動に類似した反応が検出された」
ブリッジが静まり返った。
スメラギが画面を見る。
「……生命?」
「まだ断定はできない。だが、少なくとも単なる機械や金属ではない」
レイナスはモニターを見上げる。
三か月前。
映画館の巨大スクリーン。
木星。
そこから現れた銀色の物体。
そして、あの台詞。
『フッ、次の戦場は木星か』
レイナスは額へ手を当てた。
「……冗談じゃないぞ」
フェルトが不思議そうに見る。
「どうしたの?」
「いや」
レイナスは銀色の映像から目を離さなかった。
「映画の続編より先に、現実の方が公開されそうだと思ってな」