第125話 ELS
地球――医療施設。
検査が一通り終わり、ティエリアたちは病室を離れていた。
アーミアはベッドの上で、自分の右手を眺めている。
銀色の指を曲げる。
開く。
やはり普通に動いた。
「…………」
先ほどまでは刹那たちがいたから、考える暇もなかった。
一人になって改めて見ると、嫌でも現実を意識する。
自分の身体が変わった。
しかも、何に変わったのかさえ分からない。
「……レイナスさん」
まだ病室に残っていたレイナスが顔を上げた。
「どうした?」
「私の右手、このままなんでしょうか?」
レイナスはすぐには答えなかった。
銀色になった右手を見る。
「分からんな」
「やっぱり……」
「分からないものを適当に大丈夫だと言っても仕方ない。今のところ、お前の身体から無理に引き剥がす方が危ないって話だ」
アーミアが右手を握る。
「レイナスさんは元に戻ったんですよね?」
「ああ」
「どうやったんですか?」
「《アニマ》で体内に入ってきた奴を押し返した。まだ完全に馴染む前だったってのもあるだろうがな」
アーミアは少し考えた。
「じゃあ、私も《アニマ》が使えたら……?」
レイナスが腕を組む。
「《アニマ》が使えるようになれば、あるいは……」
「本当ですか?」
「期待させる前に言っておくが、保証はできんぞ」
レイナスは続ける。
「俺の場合は自分の身体に《アニマ》を通して、外から入ってきた異物だけを押し出せた。お前の場合、もう右手の一部として馴染んでる。今から同じことをやって、どこまでが自分でどこからが異物なのか判別できるかは分からない」
アーミアの表情が少し沈む。
「それに、《アニマ》が誰にでも使えるのかも分からん」
「レイナスさんしか使えないんですか?」
「今のところはな」
「教えても無理ですか?」
「俺自身、教科書を読んで覚えたわけじゃない。そこが一番面倒なんだよ」
「……そうなんですね」
レイナスはアーミアを見る。
「ただ、今すぐ諦める必要もない。右手は動く。感覚もある。身体に悪影響が出てるわけでもない」
「はい」
「だったら、まず正体を調べる方が先だ。外すか残すかは、その後でも遅くない」
アーミアは右手を見つめた。
銀色の指が、彼女の意思通りにゆっくり閉じる。
「……分かりました」
その時、レイナスの端末が鳴った。
表示を見る。
「ティエリアか」
通信を開く。
『レイナス、まだアーミアと一緒か?』
「ああ。何か分かったか?」
『連邦政府とヴェーダ双方の解析結果がまとまった』
ティエリアの声には、先ほどまでとは違う確信があった。
『こちらへ戻ってくれ。彼らについて新しい情報がある』
レイナスはアーミアを見る。
「正体不明から一歩進んだらしい」
◇
プトレマイオス2――ブリッジ。
レイナスが戻ると、メインモニターには大量の観測データが表示されていた。
刹那、アレルヤ、マリーも残っている。
スメラギがレイナスを見る。
「アーミアは?」
「安定してる。本人は右手の方が気になってるがな」
ティエリアがモニターを切り替えた。
「連邦側で、銀色の物質について暫定的な分類名が決まった」
画面に文字が表示される。
Extraterrestrial Living-metal Shape-shifter
レイナスが読む。
「地球外……変異性金属体?」
「ああ」
ティエリアが頷く。
「略称――《ELS》」
「エルス……」
刹那がその名を口にする。
スメラギは画面を見上げた。
「地球外生命体だと正式に認めたってこと?」
「少なくとも、既知の無機物として扱うことは不適切だと判断された。自己変化、情報処理、外部刺激への反応。そして脳量子波に類する現象」
ティエリアがデータを切り替える。
「ヴェーダも、生命体として扱うべきだと結論している」
レイナスは腕を組んだ。
「ようやく名前が付いたか」
「名前が分かっただけよ」
スメラギが言う。
「目的はまだ何も分かってない」
「そこが一番大事なんだがな」
刹那がモニターを見る。
《エウロパ》から分離したELS。
地球へ到達した個体。
人間へ接触した個体。
そしてアーミア。
「知ろうとしている」
刹那が呟いた。
「まだそう感じるの?」
スメラギが尋ねる。
「ああ」
「何を?」
「俺たちを」
刹那は自分の胸元へ手を置いた。
「言葉じゃない。質問でもない。でも、触れて、取り込んで……相手を知ろうとしている」
アレルヤが表情を曇らせる。
「問題は、向こうに悪意がなくても僕たちには危険だってことだね」
マリーも頷く。
「アーミアさんのように、身体そのものが変わってしまいます」
「それどころか、普通の人間なら耐えられない可能性もある」
ティエリアが補足する。
レイナスはモニターを見ながら言った。
「会話の仕方を知らない相手が、いきなり相手の頭を開けて中身を確認してるようなもんか」
「乱暴だが、現状には近い」
「そりゃ事故も起きる」
刹那がレイナスを見る。
「だから、別の方法を伝える必要がある」
レイナスも刹那を見る。
「できそうか?」
「分からない」
刹那は迷わず答えた。
「でも、俺には聞こえる」
淡い金色が、その瞳に浮かぶ。
「向こうにも俺が聞こえるなら、試す」
レイナスは少しだけ口元を上げた。
「そっちは任せる。俺が近づいたら話し合いどころじゃなさそうだからな」
アレルヤが苦笑する。
「アーミアの右手、そんなに逃げるの?」
「見事なもんだぞ。俺が近づくだけで隠れる」
マリーが少し不思議そうに尋ねる。
「でも、アーミアさん自身は普通にレイナスさんと話せるんですよね?」
「ああ。本人はな」
レイナスは少し考える。
「右手と意見が合ってない」
◇
医療施設。
「ELS……」
アーミアは端末に表示された文字を読んだ。
ティエリアから送られてきた説明。
地球外変異性金属体――ELS。
自分の右手と一体化しているものにも、ようやく名前がついた。
「エルス……」
右手を見る。
銀色の表面が僅かに揺れたような気がした。
「あなた、ELSっていうんだ」
返事はない。
当然だと思った。
それでも、昨日までの正体不明の何かとは少しだけ違って感じる。
「……私のこと、分かる?」
右手は動かない。
アーミアは苦笑した。
「分からないよね」
窓の外へ視線を向ける。
その時だった。
――何かが触れた。
身体ではない。
もっと内側。
頭の奥。
アーミアは目を閉じる。
銀色。
星。
暗い宇宙。
そして。
無数の何か。
「……まただ」
昨日よりも、少しだけはっきりしている。
怖い。
けれど、それだけではなかった。
何かを伝えようとしている。
そんな気がする。
アーミアは右手を胸元へ引き寄せた。
「何が言いたいの……?」
答えは返らない。
やがて感覚が薄れていく。
アーミアが息を吐いた、その時。
病室の扉が開いた。
「検査の時間――」
入ってきた医師へ、アーミアの右手が反応することはなかった。
普通に動く。
普通に触れられる。
アーミアはそれを見て、ふと思う。
レイナスにだけ逃げる。
「…………」
昨日。
レイナスの身体へ入ったELSは、《アニマ》によって強制的に引き剥がされた。
そして破壊された。
その場にいた自分は、ほとんど意識を失っていた。
今、自分と一体化しているELSが、その出来事をどこまで知っているのか。
アーミアには分からない。
ただ一つ。
レイナスが近づいた時だけ。
自分の意思とは関係なく右手が逃げる。
それだけは確かだった。
「……そんなに怖いのかな」
銀色の右手を見つめる。
「レイナスさん、そんなに怖くないよ?」
右手は何も答えない。
アーミアは少し考えてから付け足した。
「映画より普通だったし」
銀色の指が、ほんの僅かに動いた。
「……今の、返事?」
もう一度聞いてみる。
反応はない。
アーミアは首を傾げた。
まだ何も分からない。
自分の右手が元に戻るのかも。
ELSが何者なのかも。
自分の中へ流れ込んでくるものが何なのかも。
ただ。
正体不明だった銀色の来訪者には――。
ようやく一つ、呼ぶための名前ができた。
「ELS……か」
アーミアはもう一度、その名を口にした。