第126話 温もり
プトレマイオス2――格納庫。
輸送艇のハッチが開いた。
アーミアは一歩外へ出たところで、そのまま立ち止まった。
広い格納庫。行き交う整備員。壁面を走る配管やケーブル。そして、その奥に並ぶモビルスーツ。
視線が忙しく左右へ動く。
「……ここが、プトレマイオス」
「そうだ」
先に降りたレイナスが振り返った。
「残念ながら映画のセットじゃない。壊せば普通に修理が増えるから、触る時は気をつけろ」
「壊しませんよ」
「初めて来た奴は大体そう言う」
「私以外にも壊した人がいるんですか?」
「俺とかな」
「レイナスさんじゃないですか」
「だから経験者として忠告してる」
何かがおかしい気がしたが、アーミアは追及を諦めた。
その視線が格納庫の奥で止まる。
白を基調とした一機。
他の機体とは明らかに違う。
「あれ……」
アーミアの目が輝いた。
「もしかして、アルティオールですか?」
「ああ」
「本物の?」
「この流れで偽物が置いてあったら、俺が一番驚く」
アーミアが歩き出す。
すぐにレイナスがその前へ腕を出した。
「待て」
「見るだけです」
「その台詞は信用しないことにしてる」
「何でですか」
「俺なら乗りたくなるからだ」
「レイナスさん基準にしないでください」
「自分がやりそうなことは、他人もやると思っといた方が事故は減る」
「絶対違うと思います」
レイナスはアルティオールを見上げた。
「まあ、検査が終わったら好きに見ればいい。今は先に用事を片付ける」
「乗ってもいいですか?」
「駄目に決まってるだろ」
「見るだけって言ったのレイナスさんですよ」
「もう一段要求を上げるのが早すぎる」
アーミアは名残惜しそうにアルティオールを振り返りながら、レイナスについていった。
◇
プトレマイオス2――ブリッジ。
扉が開く。
「連れてきたぞ」
レイナスが開口一番そう告げた。
スメラギが振り返る。
「荷物みたいに言わないの」
「こっちは予定外の護送までやってきたんだ。引き渡したところで一区切りつけさせてくれ」
「誰に引き渡すの?」
「そっち」
「却下」
「早いな」
「あなたも検査対象でしょう?」
「何でだよ」
「ELSに同化されかけて、《アニマ》で自力排除した唯一の人間だから」
「……そういやそうだったな」
レイナスが嫌そうな顔をした。
「古巣に顔を出して早々、仕事が増えた」
「懐かしいでしょう?」
「嫌なところだけな」
アーミアが小さく笑った。
その声に気づき、スメラギの表情が柔らかくなる。
「改めて。スメラギ・李・ノリエガよ」
「アーミア・リーです。よろしくお願いします」
「よろしくね」
近くには刹那、ティエリア、アレルヤ、マリーもいた。
四人とは医療施設ですでに会っている。
マリーがアーミアへ近づく。
「体調はどうですか?」
「大丈夫です」
「右手は?」
アーミアが銀色の右手を持ち上げた。
「変わってません。勝手に動くのも……レイナスさんが近くにいなければ」
「そこだけ聞くと俺が悪いみたいだな」
「実際、レイナスを避けているように見える」
ティエリアが言った。
「お前まで言うのか」
「観察結果を述べただけだ」
「便利な言葉だな、観察結果」
刹那がアーミアの右手を見る。
銀色の指は動かない。
「今は静かだ」
「分かるんですか?」
「ああ。微かに」
アーミアは刹那を見る。
医療施設で会った時よりは、もう緊張しない。
少なくとも、マイケルとは呼ばなくなった。
その様子を確認してから、スメラギが周囲を見渡した。
「しばらくここで検査を受けることになるでしょうし、他のみんなも紹介しておくわ」
「はい」
ここからは、アーミアにとって初対面の人間が多い。
ソレスタルビーイングの構成員は、その多くが今も一般社会に素性を公開していない。
顔も本名も以前から知られているレイナスの方が、むしろ例外だった。
ピンク色の髪の女性が歩み寄る。
「フェルト・グレイスよ。よろしくね、アーミア」
「よろしくお願いします」
「艦内で分からないことがあったら聞いて。私じゃなくても、近くの人に声を掛ければ大丈夫よ」
「はい」
続いて、フェルトの横から少女が顔を出した。
「ミレイナ・ヴァスティですぅ!」
勢いにアーミアが少し仰け反る。
「よろしくお願いします」
「ELSと身体の一部が融合してるんですよね? 痛くないんですか? 触った感じは金属なんですか? あと――」
「ミレイナ」
フェルトが止めた。
「一度に聞きすぎよ」
「まだ三つですぅ」
「十分多いわ」
「痛くはないですよ」
アーミアが笑って答える。
ミレイナの目が輝いた。
「じゃあ触っても――」
「検査が先だ」
ティエリアに止められる。
「はーい」
そのやり取りに、アーミアの緊張も少し抜けた。
「クリスティナ・シエラ。クリスでいいわよ」
「リヒテンダール・ツエーリ。俺もリヒティで」
「よろしくお願いします」
さらに体格のいい男が軽く手を上げる。
「ラッセ・アイオンだ。よろしくな」
「よろしくお願いします」
「しばらく乗るなら、そのうち艦内にも慣れる」
「迷いませんか?」
「最初はな。分からなくなったら誰か捕まえればいい」
レイナスが横から言った。
「迷ったらラッセについて行けば大体ブリッジには戻れるぞ」
「お前も昔は普通に迷ってただろ」
「昔の話だ」
「人には言うんだな」
「自分が苦労したところは先に教える。親切だろ?」
「自分で言わなきゃな」
ラッセが笑う。
その時、格納庫側の扉が開いた。
「揃ってるな」
イアンが入ってくる。
「イアン・ヴァスティだ」
「よろしくお願いします」
「例の右手は後で詳しく見せてもらう。こっちでもできるだけデータを取ってみるつもりだ」
「お願いします」
「パパ、私も見ますぅ!」
「お前は自分の仕事を片付けたのか?」
「終わってますぅ」
「なら手伝え」
「結局仕事が増えました!」
レイナスが横から口を挟む。
「いい教育してるな、イアン」
「お前にだけは言われたくない」
「俺もそう思う」
そこへ三人がやってきた。
男が二人。
女性が一人。
アーミアは男二人を見比べ、目を瞬いた。
似ている。
ほとんど同じ顔だ。
「ニール・ディランディだ」
「ライル・ディランディ。こっちが兄貴」
「……双子?」
「ああ」
ニールが笑った。
「見れば分かる説明じゃないだろ、兄さん」
「初対面なんだから必要だろ」
二人のやり取りを見ていた女性が微笑む。
「アニュー・リターナーよ。よろしくね、アーミア」
「よろしくお願いします」
アニューは銀色の右手へ一度だけ視線を向けた。
だが、それ以上気にする様子もなくアーミアを見る。
「慣れない場所でしょうけど、困ったことがあったら遠慮なく言って」
「はい」
「アニューは俺と一緒にいることが多いから、俺を探してる時も聞けば大体分かるよ」
ライルが言う。
アニューが横を見る。
「逆もね」
「まあね」
短いやり取りだったが、二人が親しいことはアーミアにも何となく分かった。
スメラギからニールとライルが二人ともガンダムマイスターだと聞かされ、アーミアが首を傾げる。
「映画だと……一人でしたよね?」
ニールが苦笑した。
「ウォーレンか」
「はい」
「たぶん俺だな」
ライルが兄を見る。
「そこは兄さんだろうね」
「何でお前が他人事なんだ」
「映画に俺がいないんだから仕方ないだろ」
アニューが少し笑った。
「私もいなかったわ」
「私もです」
マリーが静かに加わる。
アーミアは驚く。
「そういえば……」
「四時間近くあったのにね」
アレルヤが苦笑した。
「四時間近くあったからって全員出せるわけじゃないだろ」
レイナスが腕を組む。
「俺なんか頼んでもないのに百年分増やされたぞ」
「レイヴンの過去編、面白かったですよ」
「俺には一切覚えがない」
「でも、あれだけ具体的なら一つくらい本当の話が――」
「ない」
「即答ですね」
「俺本人が知らない過去を映画会社が知ってたら、そっちの方が怖い」
クリスが笑う。
「でも五百億の男でしょう?」
「俺じゃない。レイヴンだ」
「モデルはレイナスでしょう?」
「そこを混ぜるから話がおかしくなる」
アーミアが真面目な顔で頷いた。
「大丈夫です。今はちゃんと区別してます」
「そうか。助かる」
「レイナスさんが本物で、レイヴンが映画版です」
「何の本物だよ」
「レイヴンの」
「区別できてないじゃないか」
ブリッジに笑いが広がった。
アーミアも笑う。
プトレマイオス2。
映画の中では、もっと張り詰めた場所に見えた。
世界を背負って戦う人たちが集まる、特別な場所。
実際に来てみれば、確かに普通の場所ではない。
それでも、ここにいるのは映画の登場人物ではなかった。
笑ったり、冗談を言ったり、仕事を押しつけ合ったりする人たちだった。
想像していたより、ずっと普通だった。
◇
検査の結果、アーミアの身体に急激な変化は確認されなかった。
右手と融合したELSは依然として身体組織と密接に結びついている。
侵食が進んでいる様子はない。
一方で、脳量子波に似た反応は引き続き検出された。
何が起きているのかを判断するには、まだ情報が足りない。
しばらくプトレマイオス2で経過を見ることになり、アーミアには艦内の個室が用意された。
一人になる。
ベッドへ腰掛けると、急に静かになった。
アーミアは銀色の右手を見る。
指を曲げる。
自分の意思で動く。
それなのに、レイナスが近づくと勝手に逃げる。
「……変なの」
しばらく眺めてから、反対側の左手へ視線を移した。
医療施設でレイナスに聞いたことを思い出す。
――《アニマ》が使えるようになれば、あるいは。
アーミアは左手を開いた。
「《アニマ》……」
知識ならある。
ただし、そのほとんどは映画から得たものだ。
劇場版《ソレスタルビーイング》。
劇場版《レイヴン》。
映画の中で、レイヴンは《アニマ》を自在に操っていた。
青白い光を纏い、人間離れした身体能力を発揮し、モビルスーツすら生身で破壊する。
その力について映画では何度も説明されていた。
魂の力。
生命の力。
己の内に眠る可能性。
「…………」
アーミアは左手を見た。
「魂って何……?」
考えても分からない。
生命の力と言われても、もっと分からない。
映画のレイヴンは拳を握れば青白い光を纏い、後は格好いい台詞を叫んで敵を吹き飛ばしていた。
「……参考にならない」
本人に聞けば、もう少しまともな答えが返ってくるだろうか。
少し考える。
レイナスなら。
――知らん。気づいたら使えてた。
そんな答えが返ってきそうな気もする。
「教えるの下手そう……」
本人が聞いていないのをいいことに呟いた。
そこで、ふと思う。
自分は映画でしか《アニマ》を知らないわけではない。
一度だけ。
本物に触れている。
ELSに襲われた時。
右腕から銀色のものが入り込んできた。
身体が変わっていく。
自分ではどうすることもできない。
怖かった。
その時。
レイナスが自分の腕を掴んだ。
「…………」
アーミアは目を閉じる。
あの瞬間を思い出す。
《アニマ》が身体へ流れ込んできた。
熱とは違った。
なのに。
温かかった。
冷たくなっていく身体の奥へ、何かが染み込んでくるような感覚。
銀色の異物が押し戻されていく。
それまで恐怖でいっぱいだったのに、その温もりに包まれた時だけは、不思議と安心できた。
映画のレイヴンが叫んでいた言葉が頭をよぎる。
魂の力。
生命の力。
やはり意味は分からない。
でも。
「あの温もりが《アニマ》なら……」
それなら。
少しだけ分かる気がした。
アーミアは左手を開く。
映画の真似はしない。
力むこともしない。
あの時、自分の中へ流れ込んできたものを思い出す。
温かかった。
優しかった。
それでいて、身体へ入り込んだELSを押し返すほど強かった。
「…………」
左手へ意識を向ける。
何かを出そうとは考えない。
ただ。
あの温もりを、自分の中で探す。
どこにあるのか。
そもそも自分にもあるのか。
分からない。
それでも。
「……あ」
何かを感じた。
ほんの僅か。
胸の奥から。
腕へ。
そして左手へ。
温かいものが流れたような気がした。
アーミアが目を開ける。
「…………え?」
左手が。
薄っすらと――青白く光っていた。
強い光ではない。
部屋を照らすほどでもない。
意識しなければ見落としてしまいそうな、淡い光。
それでも。
確かにある。
アーミアは息を止めたまま左手を持ち上げた。
光も一緒についてくる。
「……これ」
心臓が早くなる。
「《アニマ》……?」
そう口にした途端、驚いて集中が途切れた。
青白い光が消える。
「あっ」
慌てて左手を見る。
もう何もない。
「…………」
しばらく固まる。
もう一度、目を閉じた。
「温かいの……温かいの……」
何も起きない。
「さっきできたのに……」
左手を睨む。
やはり光らない。
それでも、見間違いではなかった。
確かに青白く光った。
アーミアは左手を胸元へ引き寄せる。
そして、その隣。
銀色の右手を見る。
「もしかしたら……」
右手が元に戻るかもしれない。
そう考えた瞬間、胸が高鳴った。
今はまだ、ほんの僅かな光。
それが何を意味するのか。
アーミア自身にも、まだ分かっていなかった。。