第128話 接触
プトレマイオス2――格納庫。
「先生、レイヴン・バーストやりたいです」
「知らん」
即答だった。
レイナスは整備用コンテナに腰掛けたまま、端末から顔すら上げない。
少し離れた場所では、アーミアが左手を前へ突き出している。
青白い《アニマ》は、以前より安定していた。
まだ弱い。
それでも意識して出し、しばらく維持し、自分の意思で消す。そこまではできるようになっている。
だから次へ進みたい。
そう言われて時間を作った結果がこれだった。
「映画だと、ここから《アニマ》を集めてました」
「映画だろ」
「こう、全身から左手に集めて」
「右手は使うなよ」
アーミアが銀色の右手を見る。
「駄目ですか?」
「お前の身体とELSの境目がまだ分かってない。余計なことして何が起きるか分からんうちは左だけにしろ」
「分かりました」
素直に右手を下ろす。
そして左手を天井へ掲げた。
「天よ、地よ……」
「やめろ」
「まだ最初ですよ」
「最初で止めてるんだよ」
「蒼き生命の奔流よ――」
「続けるな」
「我が左手に集いて――」
「アーミア」
「はい」
「映画は忘れろと言ったよな?」
「参考資料です」
「教材として不適切だ」
「五百億ですよ?」
「売上で技が撃てるなら俺も苦労しない」
アーミアは不満そうに左手を下ろした。
「でも《レイヴン・バースト》って《アニマブラスト》が元なんですよね?」
「たぶんな」
「じゃあ最終的にはできます?」
「《アニマブラスト》ならな」
「レイヴン・バーストは?」
「知らん」
「名前が違うだけじゃないですか」
「大違いだ。俺がその名前を認めた瞬間、映画会社の捏造が公式設定になる」
「本人公認ですね」
「絶対に嫌だ」
「じゃあ《アニマブラスト》を教えてください」
「まだ早い」
「えー」
「昨日まで手を光らせて喜んでた奴が、今日は砲撃技か。工程を飛ばすな」
レイナスが端末を置いて立ち上がる。
「まず維持。次に動かす。身体のどこを《アニマ》が通ってるか、自分で分かるようになれ。それから形を作る」
「先生っぽい」
「俺も今、自分で言ってて驚いた」
「もっと『感じろ』とか言うのかと思ってました」
「それで分かるなら最初から教える必要ないだろ」
レイナスがアーミアの左手を指す。
「出せ」
「はい」
青白い光が灯る。
「そのまま維持」
「はい」
「腕を動かせ」
アーミアがゆっくり左腕を横へ動かす。
光も追従する。
「もう少し速く」
腕を振る。
青白い光が乱れた。
「あっ」
「止めるな。そのまま戻せ」
アーミアが集中する。
薄くなった光が、再び左手を包んだ。
「……できた」
「今の感覚は忘れるな。映画の台詞は忘れろ」
「レイヴン・バーストも?」
「特にな」
「先生、頑固ですね」
「生徒がしつこいと先生も苦労するらしいな。初めて知ったよ」
その時だった。
銀色の右手が震えた。
「……?」
レイナスの表情が変わる。
アーミアも右手を見る。
これまでとは違う。
レイナスを避ける時の反射的な動きではない。
銀色の指が大きく開いた。
「先生……」
「ああ」
次の瞬間。
アーミアの身体が硬直した。
「――っ」
右腕から何かが来る。
遠い。
あまりにも遠い。
それなのに、今までとは比較にならないほど強い。
「アーミア?」
レイナスが一歩近づく。
銀色の右手は反射的に身体の後ろへ逃げた。
「そこは律儀に避けるのか」
だが、アーミア本人は笑わない。
「……見える」
「何が?」
「分からない……」
アーミアが頭を押さえる。
「赤い……大きな渦……」
「赤い渦?」
格納庫に警報が響いた。
『レイナス! アーミア! 至急ブリッジへ!』
スメラギの声だった。
レイナスが端末を腰へ戻す。
「はい、授業終了。今度は何が増えた」
アーミアは返事をしなかった。
銀色の右手を押さえたまま、何かを見ている。
「アーミア」
「……木星」
レイナスの足が止まる。
「何?」
アーミアが顔を上げた。
「木星です」
「……今度は木星か」
レイナスは天井を仰いだ。
「せめて一件ずつ来てくれないかね」
◇
プトレマイオス2――ブリッジ。
二人が到着した時には、全員の視線がメインモニターへ集まっていた。
そこに映っていたのは木星。
より正確には――。
「大赤斑……?」
アーミアが呟く。
ティエリアが端末を操作する。
「木星大気圏上層で異常な空間歪曲を確認した。現在も拡大している」
「自然現象じゃないの?」
スメラギが尋ねる。
「違う」
映像が拡大される。
大赤斑。
巨大な嵐の中心付近に、黒い点が浮かんでいる。
いや。
点ではない。
広がっている。
木星の大気そのものを歪めながら。
「空間歪曲、さらに拡大!」
フェルトの声が飛ぶ。
「重力場も異常だ!」
ラッセが観測値を確認する。
大赤斑の中心に生まれた黒い空間が、一気に拡大した。
周囲の雲が引き延ばされる。
光が歪む。
ティエリアが目を見開く。
「これは――」
「ワームホール……?」
スメラギが呟く。
「そうとしか考えられない」
レイナスはモニターを見上げた。
「木星にワームホールねえ……」
「何?」
「いや。映画の次回予告を思い出しただけだ」
スメラギが嫌そうな顔をする。
「今それ言う?」
「俺だって言いたくなかったよ」
直後。
ワームホールの向こう側から。
銀色の何かが現れた。
最初は小さく見えた。
だが、比較対象が木星だと気づいた瞬間、その認識が崩れる。
巨大。
あまりにも巨大だった。
銀色の構造体。
いや。
生物。
その周囲から、さらに無数の銀色の物体が溢れ出してくる。
「……冗談だろ」
ラッセが呟いた。
ヴェーダが観測結果を次々と更新する。
質量推定値が跳ね上がる。
さらに増える。
終わらない。
クリスがモニターを見上げる。
「これ……今まで来てたのと桁が違わない?」
「桁どころじゃない」
ティエリアが答える。
「地球圏で確認されたELSとは比較にならない規模だ」
「つまり」
スメラギが銀色の巨大な存在を見る。
「これが本体?」
誰も断言できない。
ただ一人。
アーミアだけが違った。
「……そう」
全員が振り返る。
銀色の右手が激しく震えている。
「アーミア?」
マリーが近づく。
「たくさん……」
アーミアの呼吸が乱れる。
「すごく……たくさん……」
頭の中へ流れ込んでくる。
声ではない。
言葉でもない。
それなのに、分かる。
無数。
数えるという発想そのものが意味を失うほどの存在。
遠い。
木星。
そのさらに向こう。
銀色。
星。
長い時間。
探す。
知りたい。
触れる。
一つになる。
「……っ!」
アーミアが頭を押さえた。
「アーミア!」
アレルヤが駆け寄る。
「脳量子波が……!」
マリーも表情を変えた。
「急激に強くなっています!」
刹那も額へ手を当てる。
その瞳が微かに金色を帯びた。
「来ている」
「刹那?」
「向こうから……俺たちを見ている」
そして。
アーミアの中で何かが弾けた。
「――っ!」
世界そのものは変わっていない。
ブリッジ。
モニター。
周囲にいる人々。
全部同じだ。
なのに。
今まで存在しなかった感覚が一気に開いた。
刹那。
アレルヤ。
マリー。
ティエリア。
姿を見なくても、そこにいると分かる。
さらに遠く。
艦内の人々。
その向こう。
地球。
月。
もっと遠く。
そして。
木星。
「……何、これ」
アーミアが顔を上げた。
瞳が。
金色に輝いていた。
マリーが息を呑む。
「アーミア……その目」
「え?」
レイナスが横から覗き込む。
「……おい」
「何ですか?」
「鏡いるか?」
「何でです?」
「目が光ってる」
「…………はい?」
アーミアがモニターに映った自分を見る。
金色。
「えっ」
自分の目を指差す。
「何ですか、これ」
「俺に聞くな」
「先生ですよね!?」
「《アニマ》の先生だ。目を光らせる授業はやってない」
「でも光ってます!」
「見れば分かる」
「どうすれば戻るんですか!?」
「知らん。俺の目は光らない」
「先生!」
「担当外だ!」
緊迫していたブリッジに、一瞬だけ妙な空気が流れた。
スメラギが額を押さえる。
「あなたたち、少し静かにして」
「俺は巻き込まれた側だぞ」
「先生なんでしょう?」
「そこを便利に使うな」
ティエリアだけは端末から目を離さない。
「脳量子波の計測値が急激に上昇している。ELSとの融合による反応だけでは説明できない」
刹那がアーミアを見る。
同じ金色の瞳。
「イノベイター……」
アーミアが刹那を見る。
「私が?」
「ああ」
「今日?」
「おそらく」
「昨日《アニマ》が出たばっかりなんですけど」
レイナスが横から口を挟む。
「順番待ちって概念がないらしいな、お前の身体」
「私に言わないでくださいよ」
「俺も誰に言えばいいのか分からん」
アレルヤが苦笑しながらも、アーミアを注意深く見ている。
「僕たちの脳量子波とも違う。刹那に近い」
マリーも頷いた。
「でも、ELSの反応も重なっています」
ティエリアが計測結果を拡大する。
「現時点で通常のイノベイター覚醒と完全に同一とは断定できない。ただし――」
アーミアを見る。
「人間としての脳量子波能力が大幅に変化したことは確実だ」
「要するに?」
アーミアが聞く。
「検査項目が増えた」
レイナスが先に答えた。
スメラギが両手で頭を抱えた。
「言わないで……」
「昨日からずっとそれしか増えてないだろ」
「誰のせいよ」
「今回は間違いなく俺じゃない」
「先生」
「お前もこっちを見るな」
それでも。
レイナスの表情が少しずつ変わる。
視線がメインモニターへ戻る。
ワームホールから現れ続ける銀色の群れ。
さすがに、これは笑って済ませる規模ではない。
「で」
レイナスがモニターを指す。
「あいつら、観光で木星まで来たってわけじゃないんだろ」
ティエリアが進路予測を表示する。
「ワームホール通過後の個体群は、すでに移動を開始している」
「方向は?」
「地球圏」
ブリッジから軽さが消えた。
スメラギが席へ戻る。
「到達までの時間を出して」
「算出中」
現在位置。
移動速度。
加速率。
巨大ELSを中心とした群体全体の進路。
ヴェーダが膨大な観測データを処理する。
その間にも、ワームホールから銀色の物体が流れ込み続ける。
やがて。
数字が表示された。
ティエリアが僅かに目を細める。
「地球圏到達予測――」
全員が見る。
「九十五日後だ」
静寂。
「九十五日……」
フェルトが小さく呟く。
ラッセが息を吐いた。
「三か月ちょっとか」
「長いのか短いのか、判断に困るな」
レイナスが腕を組む。
スメラギが横目で見る。
「少なくとも、のんびりしていられる時間じゃないわ」
「だろうな。九十五日後にあれ全部が玄関先に来るなら、今から片付け始めても間に合う気がしない」
ティエリアが表示を切り替える。
「連邦政府も異常を把握した。観測データの共有要請が来ている」
「当然ね。今回は隠して動ける規模じゃない」
スメラギの指示が飛ぶ。
「ティエリア、ヴェーダの情報を整理して連邦へ。フェルトとクリスは地球圏内で確認されたELSの動向を継続監視。ラッセ、プトレマイオス2はいつでも動かせるようにして」
「了解」
ブリッジが動き始める。
アーミアだけが、まだ木星を見ていた。
「……先生」
「何だ」
「私にも何かできますか?」
レイナスはモニターから目を離さない。
「さあな」
「先生!?」
「こっちも今日初めてイノベイターになった奴の扱いなんか知らん。ELSと《アニマ》までセットだぞ。取扱説明書があるなら俺が読みたい」
「でも、九十五日しかないんですよ?」
「九十五日“も”あるだろ」
ようやくアーミアを見る。
「昨日まで左手を光らせて喜んでた奴が、今日は木星から来る宇宙人の本隊と戦う話に飛ぶな。段階ってもんがある」
「先生なら何とかしてください」
「先生って呼べば何でも解決すると思うなよ」
「レイヴンなら――」
「そいつに頼め」
「先生です」
「戻ってくるな」
「じゃあ何をすればいいんですか?」
レイナスが少し考える。
「とりあえず目の光らせ方を自分で把握しろ」
「そこからですか!?」
「俺に聞くな。さっき言っただろ、担当外だ」
「《アニマ》は?」
「そっちは見る。暴発されてアルティオールに穴でも開けられたら、俺がイアンに怒られる」
「心配するの私じゃなくてアルティオールなんですか?」
「お前が無事なのは前提だ。その次に機体」
「先生……」
「何だよ」
「ガンダム好きですよね」
「今さら気づいたのか?」
アーミアが呆れたように笑う。
その笑顔を見てから、レイナスは再び木星へ視線を戻した。
「まあ、使えるもんが増えたなら使い方くらいは覚えとけ。教えられる範囲なら付き合う」
「はい、先生」
「ただしレイヴン・バーストは教えない」
「まだ何も言ってません」
「先に潰した」
金色の瞳でアーミアも木星を見る。
右手にはELS。
左手には《アニマ》。
そして今、新たに開いた脳量子波。
その向こう。
木星の大赤斑に開いたワームホールから、ELS本体は今も姿を現し続けていた。
地球圏到達まで――九十五日。