第129話 普通だったはずの少女
プトレマイオス2――ブリッジ。
木星・大赤斑に発生したワームホール。
そこから出現した巨大なELS群は、今も観測映像の中で銀色の光を放っていた。
ヴェーダが算出した地球圏到達予測――九十五日。
つい先ほど、その存在を誰よりも強く感じ取った少女は、メインモニターに表示された数字を見上げていた。
アーミア・リー。
少し前まで、彼女はどこにでもいる普通の学生だった。
少なくとも――本人はそのつもりだった。
「九十五日……」
「昨日まで左手を光らせて喜んでた奴が、今日は宇宙人の本隊を見てる。随分と仕事の増え方が雑だな」
壁に背を預けていたレイナスがぼやく。
アーミアが振り返った。
「私のせいじゃないですよ?」
「分かってる。俺だって好きで担当案件を増やしてるわけじゃない」
「担当案件って私ですか?」
「他に誰がいる」
「生徒です」
「そこはまだ正式契約してない」
「先生」
「勝手に契約を成立させるな」
いつもの調子で返したレイナスだったが、アーミアの視線はすぐにモニターへ戻った。
銀色の右手を胸元へ寄せる。
ELS。
自分の身体には、その一部が融合している。
左手には《アニマ》。
そして先ほど、木星からELSの本隊が姿を現した瞬間――また新しい変化が起きた。
金色に輝いた瞳。
それまで感じられなかったものが、突然自分の中へ流れ込んできた。
「……あの」
アーミアが刹那を見る。
「そもそも、イノベイターって何なんですか?」
刹那が振り返った。
「人類が変革した姿だ」
「変革……」
「脳量子波が強くなって、離れた場所にいる人間の存在や意思を感じ取れる。GN粒子があれば、互いの声を伝えることもできる」
アーミアは自分の胸へ手を置いた。
「さっき私が感じたのも?」
「おそらく」
「おそらく?」
「俺にも全部は分からない」
刹那は静かに答える。
「俺もまだ途中だ」
「刹那さんでも分からないんですか?」
「ああ」
その横からレイナスが口を挟む。
「安心しろ。こっちも似たようなもんだ」
「先生も?」
「《アニマ》なんて百年以上使ってるが、説明書の一枚も届いた覚えはない。気づいたら使えてた奴が、気づいたら使えるようになった奴を教えてる。教育体制としては終わってるな」
「先生、自分で言います?」
「事実だろ」
「じゃあ、二人とも手探りなんですね」
「人材不足ってのは怖いな」
スメラギが呆れたようにレイナスを見る。
「あなたの場合、代わりがいないのよ」
「それを人材不足って言うんだ」
アーミアは刹那へ向き直った。
「イノベイターって、ELSと話すための人間なんですか?」
「分からない」
刹那は即答した。
「でも、戦うためだけの変化じゃないと俺は思っている」
「どうして?」
「声が聞こえるからだ」
刹那は木星のELSを見つめる。
「違う人間でも、相手を知ることはできる。俺は、この力をそのために使いたい」
アーミアは少し考える。
やがて、納得したように頷いた。
「じゃあ、刹那さんが私の先輩ですね」
「……先輩?」
「イノベイターの」
刹那が珍しく返答に困る。
レイナスが小さく笑った。
「よかったな。役職が増えたぞ」
「お前も先生だ」
「俺はまだ認めてない」
「先生」
「聞こえない」
「レイナス先生」
「悪化してるぞ」
ブリッジに小さな笑いが起きた。
その時、扉が開いた。
「失礼します」
入ってきた女性を見て、ニールが席を立つ。
「絹江」
「ニール」
絹江・クロスロード。
ニールは彼女が持っていた荷物を自然に受け取った。
「来るなら連絡してくれりゃ迎えに行ったのに」
「したわよ」
「……ん?」
端末を確認する。
「本当だ」
「もう」
「悪い悪い」
そんな二人を、アーミアが興味深そうに見ていた。
絹江もすぐに彼女へ気づく。
そして――銀色の右手を見た。
「あなたがアーミア?」
「はい。アーミア・リーです」
「絹江・クロスロード。記者をしてるわ」
「初めまして」
「初めまして」
絹江は改めて右手を見る。
「……痛くない?」
最初の質問は、それだった。
アーミアは少し意外そうな顔をしてから首を振る。
「今は大丈夫です」
「そう」
スメラギが席を勧めた。
「絹江には、外から見た状況も含めて協力してもらうことになったわ」
「公表するにしても、まず何が起きているのか知らないと記事にもできないから」
絹江が端末を取り出す。
ティエリアが木星の観測情報を表示した。
「地球外変異性金属体――ELS。木星の大赤斑に形成されたワームホールから、巨大な群体が出現した」
「到達まで九十五日……」
「現時点でのヴェーダの予測だ」
絹江は画面を見つめる。
「連邦政府は?」
「すでに把握している。ただし一般への情報公開については検討段階にある」
「隠し続けられる話じゃないわね」
「ええ」
スメラギが頷く。
「だからこそ、出し方を間違えたくない」
絹江は端末へ情報を書き込んだ後、再びアーミアを見る。
どうしても銀色の右手へ目が行く。
「その右手もELSなのよね?」
「はい」
アーミアが持ち上げて見せる。
「私の場合、もう身体とくっついてるみたいです」
「除去は?」
ティエリアが答えた。
「危険だ。ELSはすでに彼女の身体組織と融合している。無理に除去すれば、アーミア自身を損傷させる可能性がある」
「今のところ普通に動きます。ただ――」
アーミアがレイナスを見る。
「変な癖があります」
「俺を見るな。悪い癖みたいに言うな」
「先生、ちょっとこっち来てください」
「嫌な実演だな」
レイナスが近づく。
その瞬間だった。
アーミアの銀色の右手が、すっと身体の反対側へ逃げた。
絹江が目を見開く。
「今、自分で動かした?」
「いいえ」
レイナスが右へ動く。
銀色の手は左へ。
今度は左へ動く。
右手も反対側へ逃げる。
「……避けてる?」
「毎回こうだ」
レイナスが足を止める。
「初対面の印象が悪かったらしい」
「先生の身体に入ってきたELSを《アニマ》で無理やり引き剥がして壊したんですよね?」
「人聞きが悪いな。勝手に入ってきた奴を追い出しただけだ」
「壊してますよね?」
「退去時に多少揉めた」
絹江が呆れたようにレイナスを見る。
「多少……?」
ティエリアは二人のやり取りには加わらず、右手の動きを観察していた。
「問題は、アーミアと融合しているELSが、なぜレイナスを避けるのかだ」
「同じELSだから、情報を共有している?」
絹江が尋ねる。
「可能性はある。しかし現時点では仮説にすぎない」
レイナスが距離を取る。
銀色の右手はゆっくり元へ戻った。
「まあ、向こうが近寄りたくないなら話は早い。俺も二度目の不法侵入は御免だ」
「右手だけならそうですけどね」
「余計なこと言うな。仕事が増える」
アーミアは右手を下ろした。
そして、何気なく左手を持ち上げる。
「こっちはELSじゃないです」
「え?」
絹江がそちらを見る。
アーミアが集中した。
掌に、淡い青白い光が灯る。
「…………」
絹江が固まった。
視線がアーミアの左手へ。
次にレイナスへ。
もう一度、アーミアへ。
「……ちょっと待って」
「はい?」
「それ……」
青白い光は消えない。
絹江は明らかに困惑していた。
「《アニマ》よね?」
「はい」
「なんで?」
「え?」
「なんであなたが《アニマ》を使ってるの!?」
声がブリッジに響いた。
アーミアが思わず肩を竦める。
「使えるようになったので……」
「そういうことを聞いてるんじゃないわよ!」
絹江がレイナスを見る。
「これ、あなたの《アニマ》よね!?」
「俺の所有物じゃないが、同じものだとは思う」
「同じものだと思う、じゃなくて!」
「俺に怒るな。こっちも被害者だ」
「何の被害よ!」
「突然、生徒が増えた」
「先生」
「お前は黙ってろ」
絹江は頭を整理するように額へ手を当てる。
「待って。この子、普通の学生だったのよね?」
「はい」
アーミアが答える。
「いつから使えるの?」
「昨日です」
「昨日!?」
また声が大きくなった。
「昨日まで使えなかったの!?」
「たぶん」
「たぶんって……」
「使おうとしたことがなかったので」
「そりゃ普通はそうでしょうけど!」
絹江がレイナスを見る。
「あなたが教えたの?」
「逆だ。教える前に光らせてきた」
「どういうこと?」
「俺が知りたい」
レイナスはアーミアの左手を見る。
「こいつをELSから助けた時、《アニマ》を使った。その時の感覚を思い出してたらしい」
「温かかったので」
「それで?」
「光りました」
絹江が黙った。
「…………」
「俺も最初は同じ顔になった」
レイナスが言う。
「百年以上使ってきたが、自分以外が使ってるのを見たのは初めてだ。なのに本人に聞いても『温かいのを思い出したら出ました』だ。説明する側の身にもなってほしい」
「先生だって、気づいたら使えてたんでしょう?」
「だから困ってるんだよ。再現性ゼロの経験談しか持ってない奴に新人教育を振るな」
絹江は改めてアーミアを見る。
銀色の右手。
青白く光る左手。
つい最近まで普通の学生だった少女だ。
「……ELSと融合して、《アニマ》まで?」
「はい」
「それだけ?」
アーミアが固まった。
レイナスが視線を逸らした。
ティエリアも何も言わない。
その反応だけで、絹江には分かった。
「……まだあるの?」
「あります」
アーミアがおずおずと答えた。
「あるんだよ」
レイナスが深いため息をつく。
「俺もそろそろ追加注文を止めてほしいところなんだがな」
アーミアが集中する。
淡い《アニマ》が消える。
代わって――。
その瞳が金色に輝いた。
絹江は完全に言葉を失った。
「…………」
「イノベイターに覚醒したと考えられる」
ティエリアが説明する。
「ついさっきだ」
「ついさっき?」
「木星のELS本隊が出現した時です」
アーミアが答える。
絹江がゆっくり椅子へ座った。
「ちょっと待ってね」
「はい」
「ELSと融合してる」
「はい」
「《アニマ》が使える」
「はい」
「イノベイターにもなった」
「……はい」
絹江がアーミアをじっと見る。
「あなた、本当に普通の学生だったの?」
「私もだんだん自信なくなってきました」
「そこは持っとけ」
レイナスが口を挟む。
「少なくとも少し前までは普通だった。たぶん」
「先生まで『たぶん』って言わないでください!」
「俺がお前の出生から知ってるわけじゃないだろ」
スメラギが苦笑しながらも、すぐに表情を戻した。
「問題は、その三つがどう関係しているのか分からないことよ」
ティエリアが頷く。
「ELSとの融合が《アニマ》発現に関与した証拠はない。《アニマ》がイノベイターへの覚醒を促した証拠もない。逆も同様だ」
「今のところ、全部別件として考えるしかないってことね」
絹江が言う。
「そうなる」
「別件三つを一人で抱えてるのか」
レイナスがアーミアを見る。
「大した新人だな。俺なら二つ目で担当外って突き返してる」
「先生は突き返さないじゃないですか」
「突き返す先がないんだよ」
その時だった。
刹那が突然、顔を上げた。
表情が変わる。
「――来る」
ブリッジの空気が一変した。
アーミアも数秒遅れて反応する。
金色の瞳が大きく見開かれた。
銀色の右手が震える。
「……近い」
「ELSか?」
ティエリアが問う。
「ああ」
刹那は艦の外へ意識を向けている。
「いる」
アーミアも胸元を押さえた。
「私にも……分かります」
スメラギがすぐに振り返る。
「フェルト、周辺宙域を走査!」
「了解!」
だが、艦のセンサーが対象を捉えるより先に、連邦軍から緊急通信が入った。
「スメラギさん、連邦軍から映像データ!」
「出して!」
メインモニターが切り替わる。
そこに映し出されたものを見て、全員が息を呑んだ。
宇宙を進む、一隻の船。
「……《エウロパ》?」
絹江が呟く。
かつて木星へ向かい、長い年月を経て地球圏へ帰還した木星探査船。
だが《エウロパ》はすでに連邦軍によって破壊されている。
「同型船?」
スメラギが尋ねる。
「記録上、存在しない」
ティエリアが即座に答える。
レイナスはモニターを眺めた。
「一度壊した船が新品同然で戻ってくるか。イアンが聞いたら泣いて喜びそうな話だな」
「レイナス」
「分かってる。そんな都合のいい話じゃないんだろ」
刹那が立ち上がる。
「ELSだ」
アーミアが映像を見る。
「中にいるんですか?」
「違う」
刹那は首を振った。
「あれそのものがELSだ」
直後。
《エウロパ》の船体が波打った。
硬質な外殻が、液体のように形を変える。
その表面から銀色の物体が次々と分離した。
一つ。
十。
百。
無数の小型ELSが《エウロパ》型ELSの周囲へ広がっていく。
「小型物体、多数出現!」
フェルトが叫ぶ。
「《エウロパ》型も進路を変更しています!」
「進路は?」
スメラギの問いに、フェルトが軌道を算出する。
予測線が伸びる。
地球ではない。
月でもない。
その線は――プトレマイオス2へ向かっていた。
「本艦です!」
絹江が息を呑む。
「こっちに?」
アーミアの表情が強張る。
「……見つかった」
「分かるのか?」
レイナスが聞く。
「はい」
アーミアは金色の瞳で《エウロパ》型ELSを見つめる。
「こっちを感じてる。私だけじゃない……」
刹那も頷いた。
「脳量子波に反応している」
ティエリアが二人を見る。
「刹那とアーミア。二人の強い脳量子波を感知した可能性が高い」
「どちらが目的?」
スメラギが尋ねる。
「判別できない。両方に反応している可能性もある」
《エウロパ》型ELSは速度を上げていた。
その周囲を、小型ELSの群れが飛ぶ。
アーミアが息を呑む。
「どうしましょう、先生」
「俺に聞くな。宇宙人との面会予定なんぞ入れた覚えはない」
「でも来てます」
「見りゃ分かる」
レイナスはモニターを見上げる。
「九十五日あると思った矢先に、先発組が直行便で来やがったか。予定表くらい送ってこいってんだ」
スメラギが席を立った。
「第一種戦闘配置」
警報が艦内に響く。
「全機、出撃準備。ただし先制攻撃は禁止。ELSが何を目的にしているのか、可能な限り確認する」
「接触されたら?」
レイナスが尋ねる。
「その前に止める」
「了解。現場で話が変わったら?」
「判断は任せる。でも壊すのは最後よ」
レイナスが頭を掻いた。
「攻撃するな、触らせるな、目的は調べろ。相変わらず現場泣かせの注文だな」
「できるでしょう?」
「できるかどうかじゃなく、やるしかない仕事ってのが一番面倒なんだよ」
そう言いながら、もう格納庫へ向かっている。
アーミアも後を追おうとした。
「先生!」
レイナスが足を止める。
「お前はここだ」
「でも私も――」
「昨日《アニマ》を出して、今日イノベイターになった奴を、その日のうちに宇宙人の群れへ放り込めるか」
「でも、私を目指してるかもしれないんですよ?」
「だからだ」
レイナスは振り返る。
「相手が何をするかも分からんのに、わざわざ荷札つけて届けてやる必要はない」
「……先生は?」
「俺は現場担当だ。こういう時に働かないと、普段好き勝手やってる分の帳尻が合わん」
「気をつけてください」
「アルティオール壊したらイアンに殺される。ELSよりそっちの方が怖い」
「聞こえてるぞ、レイナス!」
通信越しにイアンの声が飛んできた。
レイナスが肩をすくめる。
「ほらな」
扉が閉じた。
やがて格納庫から、白いガンダムが宇宙へ放たれる。
ガンダムアルティオール。
続いて、刹那たちの機体も発進していく。
その先では、《エウロパ》の姿を模した巨大なELSがプトレマイオス2へ近づいていた。
そして、その周囲を埋め尽くす無数の小型ELS。
刹那とアーミア。
二人の脳量子波に引かれ、銀色の群れは近づいてくる。
だが――。
その群れが共有している情報は、それだけではなかった。
アーミアの銀色の右手だけが示していた反応。
その意味を、彼らはまだ知らない。
アルティオールが銀色の群れへ向かって加速した。