第131話 地球連邦軍
ELSとの最初の本格的な接触から、およそ一日が経過していた。
外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》――司令区画。
かつてリボンズ・アルマークがヴェーダと共に占拠していた巨大艦は、現在では地球連邦側の管理下に置かれている。
その一角に設けられた司令区画には、地球連邦軍の関係者が集まっていた。
大型スクリーンに映し出されているのは木星。
大赤斑に発生したワームホールと、そこから姿を現した途方もなく巨大な銀色の物体。
地球外変異性金属体――《ELS》。
カティ・マネキン准将は、その映像を見上げた。
「最新の到達予測は?」
オペレーターが端末を確認する。
「大きな変化はありません。地球圏到達まで、残り九十四日です」
「九十四日……」
セルゲイ・スミルノフ大佐が低く呟いた。
一日が経過した。
ELSが何者なのか。
なぜ地球を目指しているのか。
その答えを得られないまま、残された時間だけが減っている。
「昨日、ソレスタルビーイングが接触した個体の記録を」
カティの指示で画面が切り替わった。
映し出されたのは《エウロパ》を模した巨大ELS。
その周囲を無数の小型ELSが飛行している。
映像の中へ、数機のガンダムが進入する。
ビリー・カタギリが端末を操作した。
「この記録はソレスタルビーイングから提供されたものだ。ただし、こちらに渡されたのは戦闘記録と観測データが中心で、搭乗員に関する情報はほとんど含まれていない」
「当然だな」
カティが答える。
協力関係にあるとはいえ、ソレスタルビーイングが組織の内部情報まで連邦政府へ開示する理由はない。
映像が進む。
小型ELSの一群が、一機のガンダムへ向かっていく。
その進路へ白い機体が割り込んだ。
ガンダムアルティオールネクスト。
直後――。
ELSの群れが割れた。
一部は急激に進路を変え、アルティオールネクストを大きく迂回する。
「ここだ」
ビリーが映像を止めた。
セルゲイが目を細める。
「明確に避けているな」
「そう見える」
「機体を避けているのか?」
「そこまでは分からない」
ビリーが別の観測データを表示する。
「ソレスタルビーイングからの報告では、機体ではなくパイロットに反応している可能性が高いそうだ」
カティが資料を見る。
そこに記されている名前は一つ。
「レイナス・レノアーク」
その名については説明するまでもなかった。
ソレスタルビーイングの構成員としては例外的に、顔も本名も広く知られている人物。
軍にも、過去の戦闘記録が大量に残されている。
「ELSが彼を避ける理由は?」
「不明」
ビリーが即答した。
「レノアーク自身にも分からないそうだ。ただ、偶然と片づけるには反応がはっきりしすぎている」
ミーナ・カーマインが別の映像を開く。
アルティオールネクストを避けたELSが、そのまま逃げていく――ことはなかった。
大きく迂回し、再び別のガンダムへ向かっていく。
「ここも気になるのよね」
「避けても接触そのものを諦めてはいない」
セルゲイが言った。
「そう」
ミーナが頷く。
「レノアークへ近づくことを嫌がっているように見える。でも、それとは別に接近したい対象が存在する」
「この機体か」
カティが映像を見る。
青と白を基調としたガンダム。
ダブルオーライザー。
「こちらもELSから強い反応を受けている。ただし――」
ビリーが端末を操作する。
「パイロットの情報は提供されていない」
その時だった。
「刹那・F・セイエイだ」
グラハム・エーカー少佐が口を開いた。
全員の視線が集まる。
カティが眉を動かした。
「知っているのか?」
「ああ」
グラハムは画面のダブルオーライザーを見つめている。
「私が知る限り、あのガンダムのパイロットは刹那・F・セイエイ。幾度となく戦場で相まみえた男だ」
ビリーが端末へ名前を入力する。
「ソレスタルビーイングから提供された資料には載っていない名前だね」
「ならば私からの情報として扱ってくれ」
「確度は?」
カティが確認する。
「本人と直接会っている。間違えるはずもない」
カティは数秒考えた後、オペレーターへ視線を送った。
「情報源をエーカー少佐として記録。現時点では軍内部情報として扱え」
「了解」
ビリーが映像を拡大する。
「刹那・F・セイエイ……か」
「そして、もう一つ」
グラハムが続ける。
「彼は以前の戦いで変革を遂げた」
セルゲイが振り返った。
「変革?」
「イノベイターだ」
司令区画が静かになる。
カティがグラハムを見る。
「確かなのか?」
「あの戦場にいた者なら分かる。少なくとも、以前の彼とは明らかに違っていた」
ビリーが少し考える。
「それなら、この反応にも説明がつくかもしれない」
脳量子波の観測データが表示される。
「イノベイターが強い脳量子波を発する存在なら、ELSがそこへ反応している可能性がある」
「可能性、ね」
ミーナが釘を刺す。
「今あるのは一例だけよ」
「分かってる。断定はしない」
ビリーは映像を進めた。
アルティオールネクストを避けながら、それでもダブルオーライザーへ接近しようとするELS。
「少なくとも観測された行動は説明できる。ELSにはレノアークを避ける傾向がある。一方で、ダブルオーライザー――刹那・F・セイエイへ接近しようとする傾向もある」
セルゲイが腕を組む。
「二つが同時に働いた結果、迂回したということか」
「そう考えれば辻褄は合う」
「だが、なぜレノアークを避けるのかは分からない」
「そこは完全に不明だね」
その時、グラハムが小さく笑った。
「実に彼らしい」
ミーナが振り返る。
「宇宙人に避けられるのが?」
「そこまで言ってはいない」
「でも今、そういう意味だったでしょ?」
グラハムは答えず、映像のアルティオールネクストを眺める。
ビリーが苦笑した。
「この中でレノアークと直接面識があるのも、グラハムだけなんだよね」
「何度か戦った」
「どんな人なの?」
ミーナが尋ねる。
グラハムは少し考え込んだ。
「説明が難しい男だ」
「軍の記録を読んでもそう思うわ」
ミーナが端末を操作する。
「生身でMSを破壊。敵機を鹵獲。正体不明の能力を使用。百年以上生きている可能性あり……途中から報告書なのか創作なのか分からなくなるのよ」
「概ね事実だ」
「本当に?」
「ああ」
セルゲイがグラハムを見る。
「私も記録には目を通したが、直接見た人間から聞いても俄には信じ難いな」
「私も最初からすべて信じていたわけではない」
グラハムが答える。
「だが、実際に会えば考えは変わる」
「それでELSにも避けられている、と」
ビリーが言う。
「そこは私にも分からん」
グラハムは即答した。
「さすがに地球外生命体との付き合い方まで聞いたことはない」
「安心したわ。そこまで知ってたら逆に怖いもの」
ミーナが肩をすくめる。
カティが軽く咳払いした。
「人物評はその辺りにしろ」
空気が引き締まる。
画面には再び《エウロパ》型ELSが表示された。
「問題はこちらだ」
カティが言う。
「現時点でELSに明確な敵意があるとは確認されていない」
セルゲイが頷く。
「しかし接触された人間は同化される」
「ああ」
《エウロパ》型ELSが形状を変化させる映像が流れる。
「相手に殺意があるかどうかは関係ない。結果として人命が失われるのであれば、軍として対処する必要がある」
「意思と結果は別、か」
「そういうことだ」
カティは別の資料を開いた。
「暫定的な交戦規定を策定する。可能な限り先制攻撃は避ける。ただし、有人施設や民間人への接触が避けられないと判断した場合は迎撃を許可する」
セルゲイが頷く。
「妥当だろう」
「同時に避難計画を進める。ELS本隊が地球圏へ到達してから動いたのでは遅すぎる」
「承知した」
カティはビリーとミーナを見る。
「解析の進捗は?」
「正直、まだ入口だよ」
ビリーが《エウロパ》型ELSを拡大する。
「特に気になっているのがこれだ」
「《エウロパ》の再現か」
セルゲイが言う。
「そう。元になった船はすでに破壊されている。それにもかかわらず、ELSはその姿を再現した」
ミーナが構造解析を表示する。
「外見だけじゃない。観測できる範囲では、かなり細かい部分まで模倣している」
「接触した物体の情報を保存できるのか?」
カティが尋ねる。
「可能性はある。でも、それをどんな仕組みで保存しているのかは分からない」
ビリーが続ける。
「個体間で情報を共有している可能性もある。だが、そもそもELSに人間と同じ意味での『個体』が存在するのか、それすら不明だ」
ミーナが連邦軍のMSデータを表示した。
「そして、もしELSが接触した物体を模倣できるなら――」
画面にブレイヴが映る。
「MSを取り込んだ場合は?」
沈黙。
グラハムの目がわずかに細くなる。
ビリーが即座に横を見る。
「グラハム」
「まだ何も言っていないぞ」
「顔で分かる」
「未知の生命体が我々の技術をどう解釈するのか。興味深いとは思わないか?」
「技術者としては思うよ」
ビリーは眼鏡を押し上げた。
「でも君のブレイヴで実験する気はないからね」
ミーナも頷く。
「私も反対」
「私がいつ実験すると言った?」
「言う前に止めてるの」
カティが額に手を当てた。
「エーカー少佐」
「はい」
「ELSへの意図的な接触は禁止する」
「……了解した」
セルゲイが口元を緩めた。
「信用されているな、少佐」
「別の意味でな」
グラハムが答える。
わずかに緩んだ空気は、カティが木星の映像を戻したことで消えた。
大赤斑。
ワームホール。
そして、その向こうから現れた銀色の大群。
「残り九十四日だ」
カティの声が司令区画に響く。
「ELSを敵と決めつけることはしない。しかし、対話が成立すると楽観することもしない」
全員がスクリーンを見る。
「連邦軍は地球圏の防衛体制を再編する。スミルノフ大佐には各部隊の連携と避難計画の策定を任せる」
「了解した」
「エーカー少佐にはブレイヴを中心とした部隊の実戦運用を進めてもらう」
「了解」
「カタギリ、カーマイン両名はELSの解析を継続。撃破する方法だけではなく、接触を回避する手段についても検討しろ」
「分かった」
「了解」
カティはそこで一度言葉を切った。
画面の隅には、昨日の接触記録が残っている。
ELSへ近づいたダブルオーライザー。
そのパイロットが何を考え、何を感じたのか。
連邦軍には分からない。
ソレスタルビーイングが何を知っているのかも、すべて共有されているわけではない。
「ソレスタルビーイングとは、可能な範囲で情報共有を続ける」
セルゲイがカティを見る。
「彼らに対話を任せるのか?」
「任せるとは言っていない」
カティは静かに答えた。
「ただ、昨日の記録を見る限り、我々より先にELSへ接触を試みている。それを無視する理由もない」
グラハムがダブルオーライザーを見る。
「刹那・F・セイエイか」
「エーカー少佐の情報が正しければ、だがな」
「そこは保証しよう」
グラハムの表情から、先ほどまでの軽さが消える。
「彼は昔から、答えを求め続ける男だった」
カティはそれ以上を聞かなかった。
連邦軍には連邦軍の役割がある。
未知の生命体を調べる者。
万一に備えて武器を整える者。
人々を避難させる者。
そして、もし可能ならば――戦わずに済む道を探す者。
どれか一つだけに賭けるわけにはいかない。
「各員、行動を開始しろ」
カティの指示と共に、それぞれが動き出した。
会議を終え、セルゲイとカティが先に司令区画を離れていく。
ビリーも端末を閉じようとしたところで、隣にいたミーナがふと口を開いた。
「ねえ、ビリー」
「ん?」
ミーナの視線は、まだスクリーンに残っているガンダムアルティオールネクストへ向いていた。
「ソレスタルビーイングに接触できないかしら?」
ビリーの手が止まる。
「……何のために?」
「決まってるじゃない」
ミーナは映像の中の白いガンダムを指差した。
「直接聞きたいことが山ほどあるのよ」
その指先の先。
画面には、ELSの群れを避けさせるアルティオールネクストの姿が映っていた。