第134話 三つ目
プトレマイオス2・会議室。
「……残り二個?」
ミーナの視線がアーミアへ向いたまま止まっている。
レイナスは数秒黙った。
「今のは忘れろ」
「無理」
「だろうな」
「二個って何?」
「聞き間違いじゃないか?」
「はっきり二個って言ったわよ」
「疲れてるんだ。休暇を申請した方がいい」
「話を逸らさない!」
レイナスは椅子へ深く座り直した。
「口を滑らせた側にも黙秘権くらいあるだろ」
「あると思うよ」
ビリーが答えた。
レイナスがそちらを見る。
「話の分かる奴がいて助かった」
「でも僕も気になる」
「前言撤回だ。やっぱり研究者は信用ならん」
ビリーが苦笑する。
その横ではグラハムも興味を隠していなかった。
スメラギは小さく息を吐くと、アーミアへ視線を向けた。
「アーミア」
「はい」
「どうする?」
決定を押しつけるつもりはなかった。
ここまで話すと決めたのはスメラギたちだが、これ以上はアーミア自身のことだ。
アーミアは少し考えてから頷いた。
「話して大丈夫です」
「本当に?」
「はい。ビリーさんとミーナさんなら」
ミーナが僅かに目を見開く。
アーミアは続けた。
「さっき、ちゃんと私に聞いてから右手に触ってくれましたから」
「……それだけ?」
「大事なことだと思います」
ミーナは銀色の右手を見た。
研究対象としての興味が先走りかけていた自覚はある。
だからこそ、その言葉は意外に重かった。
「分かったわ」
ミーナは姿勢を正した。
「勝手なことはしない。約束する」
ビリーも頷く。
「僕もだ。君が望まないことを強制するつもりはないよ」
グラハムも続く。
「ここで知ったことを、無断で軍へ報告することもない」
「ありがとうございます」
アーミアが頭を下げた。
レイナスはそのやり取りを見てから、スメラギへ視線を向ける。
「信用調査は一応合格ってところか」
「あなたの採点じゃないでしょう?」
「俺ならミーナは採血の件で減点してる」
「まだ言うの!?」
「信用ってのは積み立て式なんだ。一度引き出したら、戻すのに時間が掛かる」
「採血を頼んだだけでしょう!」
「三回な」
「回数まで数えてたの!?」
「請求漏れは赤字の元だからな」
「請求しないで!」
会議室に小さな笑いが起きた。
その空気が落ち着くのを待ってから、スメラギがアーミアを見る。
「じゃあ、二つ目を」
「はい」
アーミアが左手を持ち上げた。
銀色の右手とは違う。
どこから見ても普通の少女の手だ。
ミーナが首を傾げる。
「左手?」
「見ていてください」
アーミアは目を閉じた。
一度、息を整える。
レイナスは何も言わない。
手本も見せない。
ただ腕を組んで、その様子を見ている。
やがて――。
アーミアの左手に、小さな青白い光が灯った。
柔らかな光。
GN粒子とは異なる輝き。
ビリーの表情が変わる。
グラハムも僅かに身を乗り出した。
彼はこの力を知っている。
「《アニマ》……」
グラハムが呟いた。
「ああ」
レイナスが答える。
「俺が使ってるのと同じものだ」
「待って」
ミーナがアーミアとレイナスを交互に見る。
「同じって……レイナスが教えたの?」
「いや」
即答だった。
「勝手に覚えた」
「…………は?」
「俺も最初はそう言った」
アーミアが苦笑する。
「本当に、最初は教えてもらってないんです」
ビリーが携帯端末を操作しながら尋ねる。
「では、どうやって?」
アーミアは左手の光を消した。
「ELSに襲われた時、レイナスさんの《アニマ》を感じたんです」
「最初の接触の時?」
「はい」
アーミアは銀色の右手を見る。
「あの時、私はELSに同化されかけていました。それをレイナスさんが助けてくれて」
レイナスが引き継ぐ。
「アーミアに取り付いてたELSを《アニマ》で引き剥がした。そこまでは予定通りだったんだが、その後そいつが俺の方へ入ってきた」
ミーナが反応する。
「さっき話してたELSね」
「ああ。俺が中から追い出した奴だ」
アーミアは左手を見つめる。
「その時の《アニマ》が、すごく印象に残ってたんです。温かい感じというか……」
少し言葉を探す。
「それで後になって、一人でその時の感覚を思い出してみたんです」
「それだけ?」
ミーナが尋ねる。
「はい」
「それで出たの?」
「出ました」
「…………」
ミーナが黙った。
ビリーも計測端末とアーミアを交互に見る。
グラハムですら、すぐには言葉が出てこない。
レイナスだけが深く頷いた。
「そうなるよな。俺も初めて見せられた時は同じ顔してた」
ミーナがレイナスを見る。
「本当に何も教えてなかったの?」
「何も」
「《アニマ》の使い方も?」
「教えてない」
「出し方も?」
「教えてない」
「理屈も?」
「そもそも俺が説明できん」
「それでどうやってこの子は――」
「だから俺に聞くな」
レイナスは心底困ったように言った。
「百年以上使ってる俺を差し置いて、新人が説明書も無しに起動させたんだ。教育担当になる前に勝手に現場へ入られたようなもんだぞ」
「先生になったのは、その後なんです」
アーミアが補足する。
ビリーが反応する。
「先生?」
「はい。《アニマ》が出た後で、レイナスさんに見せました」
アーミアは少し笑う。
「その時は、すごく驚いてました」
「余計な証言を足すな」
「本当じゃないですか」
「いきなり『これって《アニマ》ですか?』って持ってこられた側の身にもなれ。検品してない新製品が勝手に納品されてきた気分だったぞ」
ミーナが呆れる。
「それで教えることにしたの?」
「放置する方が高くつく」
レイナスはアーミアの左手を見る。
「使えるようになった以上、制御くらい覚えさせないと危ない。事故ってから修理するより、先に教育した方が安いだろ」
「だから先生なんです」
アーミアが言う。
「本人が勝手にそう呼び始めただけだ」
「でも教えてくれてます」
「業務上必要だからな」
「先生、昨日も一時間付き合ってくれましたよね」
「勤務実績を勝手に公開するな」
「一時間……」
ミーナがニヤリとする。
レイナスが嫌そうな顔をした。
「その顔をやめろ。追加業務を思いついた奴の顔だ」
ビリーは冗談に加わらず、端末の数値を見ていた。
「計測できない……」
「何が?」
グラハムが尋ねる。
「エネルギーの存在そのものは周囲への影響から分かる。でも、既知のどのエネルギー体系にも当てはまらない。少なくともGN粒子とは別物だ」
「そうだ」
ティエリアが答える。
「ヴェーダでも《アニマ》の発生原理は解明できていない」
ビリーがレイナスを見る。
「君はこれを百年以上使っているんだね?」
「ああ」
「どうやって習得した?」
「長い話になるし、今のELS案件とは直接関係ない」
「そうか……」
明らかに残念そうだった。
レイナスが指を差す。
「その顔も覚えがあるぞ。調査項目を一行追加した奴の顔だ」
「否定はしないよ」
「素直なのが余計に怖いな」
ミーナは再びアーミアを見る。
「でも、ELSとの融合後に《アニマ》を自力で発現した……」
「因果関係は分からない」
ティエリアが先に釘を刺す。
「ELSとの融合が《アニマ》発現の原因だと示す証拠はない」
「分かってるわ」
ミーナもすぐに頷く。
「関連している可能性と、原因だと断定することは別。そこは分ける」
レイナスが小さく頷いた。
「研究者としての信用、一点追加だな」
「あなたの査定制度、まだ続いてたの?」
「採血分を取り戻すにはまだ足りない」
「しつこい!」
再び空気が緩む。
だが――。
ミーナは忘れていなかった。
指を一本立てる。
「これで二つ目」
レイナスの顔が僅かに引きつった。
「よく覚えてたな」
「当然でしょ」
「研究者の記憶力を甘く見た俺のミスだ」
「三つ目は?」
「ここで昼休憩にしないか?」
「まだ昼じゃないわよ」
「宇宙に昼も夜もあるか」
「屁理屈!」
レイナスがスメラギを見る。
「交渉決裂だ。管理職、頼む」
「自分で蒔いた種でしょう?」
「だから処理を上へ回してる。正しい業務フローだ」
スメラギは呆れながらも、刹那を見る。
刹那は小さく頷いた。
「俺から説明する」
ビリーとミーナの視線が刹那へ向く。
刹那はアーミアの隣へ立った。
「三つ目は、俺と同じだ」
「あなたと?」
ミーナが眉を寄せる。
グラハムは、その言葉だけで何かを察したようだった。
刹那がアーミアを見る。
アーミアも頷く。
次の瞬間。
彼女の灰色がかった瞳が、金色へ変わった。
「…………」
ミーナが完全に止まる。
ビリーも息を呑んだ。
グラハムはその瞳を見つめる。
見覚えがある。
刹那・F・セイエイ。
彼が変革を遂げた証。
そして刹那自身の瞳も、同じ金色へ変わる。
二人が並んだ。
「まさか……」
グラハムが呟く。
刹那が答えた。
「アーミアも、イノベイターだ」
沈黙。
数秒。
ミーナが立ち上がった。
「ちょっと待って!」
レイナスが指を折る。
「今日はそれ何回目だ?」
「そんなことどうでもいい!」
「俺にとっては会議時間の見積もりに必要なんだが」
「ELSと融合して、《アニマ》を勝手に覚えて、その上イノベイター!?」
「要約するとそうなるな」
「何なの、この子!?」
アーミアが困った顔になる。
「私にも分かりません……」
「本人が一番困ってるんだ。返品も交換もできないんだから、あまり責めるな」
「商品みたいに言わないでください、先生」
「例えだ」
ビリーが真剣な表情で尋ねる。
「覚醒したのはいつだい?」
アーミアが答える。
「木星からELSの本隊が出てきた時です」
「その瞬間?」
「はい」
刹那が続ける。
「あの時、アーミアの脳量子波が急激に強くなった。俺にも分かった」
「ELSが原因なの?」
ミーナが尋ねる。
刹那は首を振る。
「分からない」
「ELSとの融合が影響した可能性は?」
「分からない」
「《アニマ》は?」
「それも分からない」
ミーナが椅子へ座り直す。
「……本当に分からないことだらけね」
「だから先に言っただろ」
レイナスが腕を組む。
「現場ってのはそんなもんだ。原因不明、仕様不明、納期だけ確定。今回は納期が地球到着日ってだけで、いつもより規模がでかい」
ミーナが思わず笑う。
「人類存亡を仕事の納期みたいに言わないで」
「締切を過ぎたら困るって意味じゃ同じだ」
ビリーはアーミアを見つめる。
「刹那と同じイノベイター……」
「同じとは限らない」
刹那が訂正する。
ビリーが顔を上げた。
「どういう意味だい?」
「俺は時間をかけて変わった」
刹那は自分の手を見る。
「戦いの中で脳量子波が変化し、少しずつ覚醒していった。アーミアは違う」
銀色の右手。
《アニマ》を発現する左手。
金色の瞳。
「ELSとの融合。《アニマ》。そしてイノベイターへの覚醒。それぞれがどう関係しているのか、俺には分からない」
アーミアが少し不安そうに刹那を見る。
「私、普通のイノベイターじゃないんでしょうか」
刹那はすぐには答えなかった。
分からないことを、分かったようには言わない。
「俺にも分からない」
それから、静かに続ける。
「だから、これから知ればいい」
アーミアは刹那を見つめ――。
「はい、先輩」
グラハムが反応する。
「先輩?」
「刹那さんはイノベイターの先輩です」
刹那は否定しない。
レイナスが肩をすくめる。
「俺は《アニマ》の先生、刹那はイノベイターの先輩。教育部門だけ勝手に組織化されていくな」
「先生は先生です」
「正式採用した覚えはないぞ」
「もう手遅れです」
「雇用契約書も無しに既成事実だけ積み上げるのやめてくれないか?」
ミーナが笑う。
だが、ビリーはすぐに表情を戻した。
「これは重要だ」
スメラギを見る。
「クジョウ――いや、スメラギ。この情報を僕たちに見せた理由は分かっているつもりだ」
スメラギが頷く。
「ELSを理解するには、もう軍事技術だけを見ていても足りない」
「そうだね」
「でも、アーミアの情報を無制限に連邦軍へ渡すつもりはないわ」
「分かっている」
ビリーはアーミアを見る。
「本人の意思が最優先だ」
ミーナも頷いた。
「私も約束する」
グラハムが続ける。
「軍への報告内容はこちらで調整しよう。少なくとも彼女の存在をそのまま記録へ載せることはしない」
スメラギは三人を順番に見る。
「お願い」
話が一段落したところで、刹那が木星方面の予測図を見る。
銀色の群れ。
今も地球圏へ向かっている。
「俺は、もう一度ELSと接触する」
ミーナの表情が変わる。
「また?」
「ああ」
「前回でも相当な負荷だったんでしょう?」
「それでも必要だ」
刹那はモニターから目を逸らさない。
「ELSは俺たちを知ろうとしている。なら、俺もあいつらを知らなければならない」
「危険よ」
スメラギが言う。
「分かっている」
レイナスから、今度は軽口が出なかった。
しばらく考えてから口を開く。
「やるなら準備が要るな」
刹那が振り返る。
「止めないのか?」
「止めて請求書が消えるなら止めるさ」
レイナスは木星方面を示す。
「だが向こうはこっちへ来てる。居留守を使って帰ってくれる客じゃない」
視線が鋭くなる。
「だったら玄関を壊される前に、何の用で来たのか聞くしかないだろ」
刹那が頷く。
「俺もそう思う」
ビリーが端末を閉じた。
「なら、こちらの観測データも使ってくれ。ELS本隊の構造、移動速度、ワームホール形成時の記録。整理して渡す」
ミーナもすぐに続く。
「私も木星側の観測を最初から洗い直す。ワームホールが開く前に何が起きていたのか、まだ拾えてない情報があるかもしれない」
「ヴェーダ側でも再解析する」
ティエリアが言う。
グラハムも立ち上がった。
「私は連邦軍へ戻る。対話が失敗した場合に備え、軍も動かさねばならん」
スメラギが頷く。
「戦わずに済む保証はないものね」
「ああ。だが、戦う以外の選択肢が存在するなら、それを潰すつもりもない」
それぞれが動き始める。
アーミアは自分の右手を見る。
ELS。
そして左手を開く。
《アニマ》。
最後に、窓へ映った自分の瞳を見る。
今はもう、いつもの灰色へ戻っている。
普通の学生だったはずの少女に、あまりにも多くのものが重なった。
それでも――。
彼女はここにいる。
レイナスが資料をまとめながら、ちらりとアーミアを見る。
「アーミア」
「はい?」
「今日の訓練、一時間遅らせる」
「会議が長引いたからですか?」
「ああ。見積もり通り残業になった」
「じゃあ今日は休みでも――」
「それとこれとは別会計だ」
「やるんですね」
「勝手に覚えた奴ほど基礎を後回しにするからな。そこは先生の仕事らしい」
アーミアが少し笑う。
「はい、先生」
レイナスは一瞬だけ嫌そうな顔をしたが、もう訂正はしなかった。
地球圏へ近づくELS本隊。
残された時間の中で、人類側もまた少しずつ準備を始めていた。