第135話 備える者たち
地球連邦軍管理下――外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》。
プトレマイオス2を訪問したグラハム、ビリー、ミーナが戻ったのは、それから間もなくのことだった。
会議室ではカティ・マネキン准将とセルゲイ・スミルノフ大佐が、三人の帰還を待っていた。
巨大モニターには、木星方面から地球圏へ接近を続けるELS本隊の予測進路が表示されている。
その数字は、確実に減り続けていた。
「報告を」
カティが促す。
最初に口を開いたのはグラハムだった。
「ソレスタルビーイングとの情報交換は有益でした。少なくとも、先日の接触については提供された記録以上の事情が判明しています」
「ELSがレイナス・レノアークを避けた件か?」
「はい」
カティの問いにグラハムが頷く。
「彼は過去にELSから同化を受けています」
セルゲイの眉が動いた。
「同化された?」
「正確には途中までです。体内へ侵入したELSを、彼は《アニマ》を用いて自力で排除。その後、同じ力で活動を停止させたそうです」
会議室に短い沈黙が落ちた。
カティは表情を変えない。
「それが、ELSが彼を避ける理由だと?」
「本人も断定はしていません。ただし、心当たりとしてはそれが最も大きいと」
「別個体が同じ反応を示した点は?」
今度はビリーが答えた。
「ELS同士で情報を共有している可能性があります」
手元の端末を操作する。
モニターに、先日の接触映像が表示された。
アルティオールネクストが前へ出る。
その瞬間、小型ELS群が進路を変更する。
「レイナスと最初に接触したELSと、この映像に映っているELSは別個体です。それにもかかわらず、複数の個体が同じような回避行動を取った」
ビリーが映像を止める。
「偶然とは考えにくい」
セルゲイが腕を組む。
「情報共有か……」
「そう考えれば、《エウロパ》を模倣した個体の存在にも説明がつきます」
ミーナが続けた。
「ELSは接触した物体の構造を取り込み、それを別の個体でも再現できる可能性がある。どこまで、どれほど速く共有されるのかは分からないけど」
カティが映像を見る。
「ならば、我々がELSに対して行った行動も共有される可能性があるということだな」
「あると思うわ」
ミーナの返答に迷いはない。
「一体を攻撃すれば、その情報が他のELSにも伝わるかもしれない」
セルゲイが低く呟く。
「敵として認識される可能性もある、か」
「それも否定できない」
ビリーが答えた。
カティはしばらく黙っていた。
やがて映像を切り替える。
次に表示されたのはダブルオーライザー。
小型ELSが集中して接近している。
「こちらは?」
「刹那・F・セイエイです」
グラハムが答える。
「イノベイターとして強い脳量子波を持つ。ELSは彼に対し、明確な接近傾向を示しています」
「攻撃ではないのか?」
セルゲイが尋ねる。
「本人はそう考えていません」
「理由は?」
「接触時、ELSから大量の情報が流れ込んできたそうです。彼は、ELSが人間を知ろうとしているのではないかと考えている」
セルゲイの表情が険しくなる。
「知るために同化する、と?」
「恐らく」
ビリーが答える。
「我々にとっては致命的な行為でも、ELS側がそれを攻撃と認識しているとは限りません」
「意思疎通の方法そのものが違うということか」
「その可能性があります」
カティは腕を組んだ。
「悪意の有無は問題ではない」
全員の視線が集まる。
「彼らに敵意がなくとも、人間が死亡するなら危険であることに変わりはない。軍として、それを無視することはできない」
「同感です」
グラハムが答えた。
「ただし、敵意がないのであれば対話の余地はある」
「刹那・F・セイエイが、それを試みるつもりなのだな?」
「はい」
カティはセルゲイを見る。
「どう思う?」
セルゲイは少し考える。
「成功するなら、それに越したことはありません」
それから、モニターに映る巨大なELS本隊へ目を向けた。
「ですが、人類の存亡を一人の青年の対話能力だけに預けるわけにもいかないでしょう」
「ああ」
カティが頷く。
「対話を試みることと、迎撃準備を放棄することは同義ではない」
端末を操作する。
地球圏を中心とした戦術図が表示された。
「ELSが現在の進路を維持した場合、いずれ地球圏へ到達する」
複数の防衛線が描かれていく。
「連邦軍は迎撃体制の構築を開始する」
グラハムの表情が引き締まった。
「対話が失敗した場合に備えて、ですか」
「それだけではない」
カティは首を振る。
「我々には、ELSがどの時点で危険な行動へ移行したと判断するのか、その基準すらない」
モニターに先日の映像が再び表示される。
ELSは接近した。
だが、ソレスタルビーイング側が攻撃しなかったことで離れていった。
「不用意な攻撃によって、こちらから戦端を開くことは避ける」
カティの声が低くなる。
「だが、民間船や居住施設への同化が始まった場合は別だ。人命保護を最優先とする」
「交戦規定を作る必要がありますね」
ビリーが言う。
「そうだ」
カティは即答した。
「ELSとの遭遇時、独断で発砲させるな。可能な限り距離を取らせる。接触された場合の対応も統一する」
「難しいでしょうな」
セルゲイが言う。
「兵士にとって、接近してくる正体不明の物体を攻撃するなという命令は」
「分かっている」
カティの表情は変わらない。
「だからこそ、今のうちに徹底する」
グラハムが戦術図を見る。
「ELSが機体を模倣する可能性については?」
ビリーが答える。
「十分に考えられる」
「《エウロパ》を再現できるなら、モビルスーツも例外ではないか」
「その通りだよ」
ビリーが表示を切り替えた。
ブレイヴ指揮官用試験機のデータが映る。
「ELSが機械構造をどの程度まで理解して模倣するのかは分からない。ただ、接触させて確認するような実験は勧めない」
グラハムが僅かに残念そうな顔をする。
カティが即座に見る。
「グラハム少佐」
「何でしょう、准将」
「試すな」
「まだ何も言っておりませんが」
「顔に出ている」
セルゲイが僅かに笑う。
ビリーも肩をすくめた。
「僕も同意見だよ。ブレイヴを持っていかれてからでは遅い」
「愛機を奪われる趣味はない」
グラハムはそう答えたものの、完全には納得していない顔だった。
ミーナが呆れる。
「本当にやめてよ。未知の金属生命体に最新鋭機を触らせてみました、なんて報告書を私は読みたくないわ」
「そこまで無謀ではない」
「あなたの場合、基準が信用できないのよ」
「心外だな」
「ビリー。この人、昔からこうなの?」
「昔からだよ」
「カタギリまで!」
カティが机を軽く指で叩いた。
「話を戻す」
一瞬で空気が締まる。
「他に、ソレスタルビーイング側から得た情報は?」
その問いに、三人が一瞬だけ黙った。
アーミア・リー。
ELSと融合した右腕。
《アニマ》。
イノベイターへの覚醒。
その情報は、ここには出さない。
グラハムが代表して答えた。
「ELSとの接触に関する追加情報はいくつか得ています。ただし、情報提供者との約束があります。現段階では詳細を報告できません」
カティの目が細くなる。
「軍へ報告できない情報か?」
「はい」
「理由は?」
「個人の安全に関わるためです」
短い沈黙。
カティはグラハムを見る。
続いてビリー。
ミーナ。
三人とも態度を変えない。
「ELSへの対応に直接影響する情報か?」
グラハムは慎重に答えた。
「将来的には、重要になる可能性があります」
「現時点では?」
「即座に軍事行動を変更する必要がある情報ではありません」
カティは数秒考えた。
「分かった」
それだけだった。
ミーナが少し意外そうに見る。
「聞かないの?」
「聞く必要が生じれば聞く」
カティは淡々と答える。
「今必要なのは、ELS本隊への対応だ。情報提供者との信頼関係を壊してまで、緊急性のない情報を取り上げる意味はない」
グラハムが僅かに頷いた。
「感謝します」
「ただし」
カティの声が鋭くなる。
「軍および民間人の安全に直接関わると判断した時点で報告しろ」
「了解しました」
「ビリー、ミーナ」
二人を見る。
「ELSの解析を続行。ソレスタルビーイングから提供されるデータも利用しろ。ただし、先方の許可なくヴェーダへ接続しようなどとは考えるな」
ビリーが苦笑する。
「さすがにしないよ」
「念のためだ」
「信用がないな」
グラハムが横から言う。
「技術者とはそういうものらしい」
ビリーが振り返る。
「君にだけは言われたくないよ」
「同感だわ」
ミーナも加わった。
カティは三人を無視してセルゲイを見る。
「スミルノフ大佐」
「はっ」
「各方面軍との調整を頼む。特に宇宙居住区周辺の避難計画を優先しろ」
「了解しました」
「まだ避難命令は出さない。だが、必要になってから計画を作ったのでは遅い」
「同感です」
セルゲイが立ち上がる。
カティは最後にグラハムを見る。
「グラハム少佐」
「はっ」
「ブレイヴ隊の即応体制を整えろ」
グラハムの表情が変わる。
「了解しました」
「ただし、ELSへの独断接触は禁止する」
「……了解しました」
僅かな間。
カティが眉を上げる。
「今の間は何だ?」
「何も」
「記録しておけ」
室内のオペレーターが一瞬困った顔をする。
グラハムが苦笑した。
「准将、そこまで信用がありませんか」
「実績に基づく判断だ」
セルゲイが今度こそ笑った。
会議が終わり、それぞれが席を立つ。
ミーナも端末を抱えて出口へ向かおうとした。
その隣へビリーが並ぶ。
「ミーナ」
「何?」
「アーミアのことだけど」
足が止まる。
ビリーは声を落とした。
「僕たちが想像していた以上に重要な存在かもしれない」
「分かってる」
「ELSと人間が共存できる可能性を、すでに身体で示している」
「それだけじゃないわ」
ミーナは小さく首を振った。
「《アニマ》を自分で発現して、イノベイターにも覚醒した」
「関連があると思う?」
「分からない」
即答だった。
「だから調べたい。でも――」
ミーナはそこで言葉を切った。
プトレマイオス2で、自分が銀色の右手へ触れる前。
アーミアへ許可を求めた時のことを思い出す。
「調べたいからって、何をしてもいいわけじゃない」
ビリーが少し笑った。
「君がそう言うとはね」
「何よ」
「いや。いい変化だと思っただけだよ」
ミーナは一瞬黙り――。
すぐにビリーの腕へ自分の腕を絡めた。
「じゃあ、もっと近くで観察してみる?」
「何を?」
「私を」
「……研究の話じゃなかったのかい?」
「研究だけしてたら人生終わっちゃうわよ」
ビリーが困ったように眼鏡を押し上げる。
二人の少し前を歩いていたグラハムは振り返らない。
「私は先に失礼する」
「グラハム!」
「男女間の案件に仲介手数料は出ないのでな」
ビリーが足を止めた。
「……レイナスの悪影響を受けてないかい?」
グラハムも一瞬止まる。
「否定はできんな」
ミーナが吹き出した。
その頃――。
地球圏各地の連邦軍基地へ、命令が届き始めていた。
宇宙艦隊の再編。
民間航路の確認。
スペースコロニーおよび軌道居住施設からの避難経路策定。
ELS遭遇時の暫定交戦規定。
まだ、人類の大半は知らない。
木星の彼方から何が近づいているのか。
それが敵なのかさえ、誰にも分からない。
だからこそ、軍は最悪に備える。
そして別の場所では――。
戦う以外の答えを探す者たちも、動き始めていた。