第137話 届かない声
西暦2314年――プトレマイオス2・ブリッジ
アルゴ遭難から二日。
地球圏へ向かうELS本隊の動きに、大きな変化はない。
だが本隊から分離した小規模な群れは複数確認されており、その一つが現在、プトレマイオス2から比較的近い無人宙域を通過しようとしていた。
「周辺に有人施設なし。航行予定だった民間船も連邦軍の管制で迂回済みです」
フェルトが報告する。
隣ではクリスが、観測データと周辺航路を重ねていた。
「ELSは前回より少数。今のところ、こっちへ向かってくる様子もないわ」
「相変わらず何考えてるのか分かんねえな」
リヒティが表示された銀色の光点を見る。
「分かれば苦労しないわよ」
クリスが返し、スメラギへ顔を向けた。
「少なくとも、今なら周りを巻き込む心配はないと思う」
「接触を試すなら、条件は悪くないわね」
スメラギが頷いた。
ブリッジには刹那、ティエリア、レイナス、アーミア。
ニールと絹江、アニューもいる。
イアンとミレイナは00ライザーから送られてくる機体データを確認し、ラッセは操艦席で待機していた。
アルゴで、人類は一つの事実を突きつけられた。
ELSに敵意がなくとも、人は死ぬ。
触れ、取り込み、同じものになる。
それがELSにとって相手を知るための行為だとしても、人間はその方法では生きられない。
「俺が行く」
刹那が言った。
スメラギが振り返る。
「前回より深く接触するつもり?」
「ああ」
「アルゴで起きたことを伝えるために?」
「それだけじゃない」
刹那はメインモニターに映るELSを見る。
「俺たちは、まだELSを知らない」
「向こうも同じだと?」
「ああ」
ティエリアが刹那を見る。
「ELSが脳量子波を利用していることは確認できている。だが、彼らがどれほどの情報をやり取りしているのかは分からない」
「分かっている」
「異常を感じたら接触を切れ。君自身が倒れては対話を続けることもできない」
「ああ」
少し離れていたレイナスが口を開く。
「俺は離れてた方がいいな」
スメラギが頷く。
「そうね。あなたが近づくとELSの動きそのものが変わる」
「刹那が客を呼んで、俺が店先で追い返してたんじゃ話にならない」
「アルティオールネクストは後方待機。必要になったら呼ぶわ」
「了解。今日は暇で終わるのが理想だな」
アーミアが銀色の右手を見る。
「私も、また何か感じるかもしれません」
刹那が彼女を見る。
「何か感じても、自分から深く追うな」
「はい」
「向こうから流れ込んできても、無理に全部を受け止める必要はない」
「分かりました」
一拍置いて、アーミアが刹那を見る。
「刹那さんもですよ」
「ああ」
レイナスが横から口を挟む。
「今のは覚えとけよ」
「覚えている」
「なら俺の仕事を増やすな」
刹那は何も返さず、ブリッジの出口へ向かった。
レイナスがその背中を見る。
「……返事がない方が不安なんだが」
「刹那だもの」
スメラギの一言に、レイナスは肩を竦めた。
◇
プトレマイオス2・格納庫
粒子貯蔵タンク型ダブルオーライザー。
イアンとミレイナが最後の確認を進めていた。
「機体は問題ない」
イアンが端末を閉じる。
「今回は機体の限界を見る試験じゃない。危ないと思ったらすぐ切れ」
「ああ」
「ちゃんと戻ってきてくださいです」
ミレイナが続ける。
「了解した」
サバーニャの前では、ライルがヘルメットを抱えていた。
ニールが近づく。
「刹那を頼むぞ」
「ああ。兄さんはこっちを頼む」
「分かった」
それだけで会話は終わった。
少し離れたところでは、アニューがライルを待っている。
「ライル」
「ん?」
「帰ってきて」
ライルが笑う。
「ああ。帰ってくる」
アニューも小さく笑った。
「それならいいわ」
アレルヤとマリーはハルートへ。
ティエリアはラファエルへ向かう。
レイナスもアルティオールネクストのコックピットへ乗り込んだ。
今回は後方待機。
ELSとの接触において、彼の存在は対話を阻害する可能性がある。
それでも何か起きた時のために出る。
やがて発進準備が整った。
『刹那・F・セイエイ。ダブルオーライザー、出る』
00ライザーがカタパルトから飛び出す。
続いてサバーニャ。
ハルート。
ラファエル。
最後にアルティオールネクストが宇宙へ出た。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「00ライザー、予定ポイントへ到達します」
フェルトが報告する。
「サバーニャ、ハルート、ラファエルは後方位置を維持」
「アルティオールネクストも指定位置。ずいぶん離れてるわね」
クリスが画面を切り替える。
ラッセが前方を見たまま言う。
「それでも何かあれば、あいつならすぐ来るだろ」
「でしょうね」
スメラギは腕を組み、メインモニターを見つめる。
銀色の群れ。
その手前に、00ライザーが一機。
「ELS群、進路変更!」
フェルトの声が上がる。
「00ライザーへ向かっています!」
「脳量子波反応も上がってる!」
クリスが数値を追う。
「前回と同じ。刹那を認識したみたい!」
「00ライザーは?」
「正常です。粒子貯蔵量も問題ありません!」
ミレイナが答える。
リヒティが画面を睨む。
「一斉に向き変えやがった……」
アーミアの銀色の右手が、わずかに動いた。
◇
ダブルオーライザー・コックピット
来る。
刹那には分かった。
知りたい。
触れたい。
近づきたい。
ELSから感じるものは、以前と変わらない。
だから今度はこちらから伝える。
「俺はここにいる」
銀色の群れが集まり始める。
「お前たちを知りたい」
そして。
「俺たちのことも、知ってほしい」
刹那の瞳が金色に輝く。
「TRANS-AM」
00ライザーが赤く染まった。
大量のGN粒子が周囲へ広がる。
「TRANS-AM――BURST」
青白い光が宇宙を満たした。
ELSを包み込む。
刹那の意識が、その中へ広がっていった。
◇
「TRANS-AM BURST確認!」
クリスの指が端末上を走る。
「粒子展開正常!」
「ELS群、全個体が反応しています!」
フェルトが続ける。
「脳量子波反応、さらに上昇!」
「刹那の状態は?」
スメラギが問う。
「バイタルは正常です!」
ミレイナが答える。
「でも、脳波の変動が大きくなっています!」
「刹那、聞こえる?」
スメラギが通信を開く。
返事はない。
「通信障害?」
リヒティが確認する。
クリスが首を横に振る。
「回線は生きてる。向こうが応答してないだけ」
その時。
「……っ!」
アーミアが銀色の右手を押さえた。
絹江がすぐに気づく。
「アーミア?」
「来ます……」
「何が?」
「分からない……いっぱい……!」
アーミアの瞳が金色に変わった。
◇
光。
巨大な光。
その周囲に、無数の存在がいる。
一つ。
無数。
その区別が曖昧だった。
誰かが触れれば、皆が知る。
誰かが知れば、それが全体へ広がる。
やがて。
光が変わる。
それまで存在していた場所が失われていく。
何かが旅立った。
暗い宇宙。
長い時間。
どこかを探している。
何かを探している。
やがて巨大な惑星へ辿り着く。
木星。
その周囲にある天体。
触れる。
知る。
そこに残されたものを通して、さらに遠くを知る。
青い星。
地球。
無数の生命。
知らない。
だから知りたい。
触れたい。
混ざりたい。
同じになれば、分かる。
「違う……」
アーミアが呟く。
アルゴが浮かぶ。
銀色へ変わった船。
離れていく救命艇。
戻らなかった人々。
「私たちは……そうじゃない」
人間は一つではない。
一人一人が違う。
誰かが知ったことを、全員が同じように知ることはできない。
そして。
死んだ人間は戻らない。
伝えようとした。
だが。
さらに巨大な情報が押し寄せる。
「――っ!」
アーミアが右腕を抱える。
その瞬間。
流れが弱くなった。
遠ざかる。
「……え?」
アーミアが銀色の右手を見る。
何が起きたのかは分からない。
ただ。
自分の中にいるELSが、それ以上の流入を遮った。
そんな感覚が残った。
◇
ダブルオーライザー・コックピット
刹那には、遮るものがない。
星。
喪失。
旅。
木星。
地球。
無数の記憶。
無数の感覚。
一つずつではない。
すべてが同時に押し寄せる。
「俺たちは……」
刹那も伝える。
人間は一つではない。
一人一人が違う。
他人のすべてを知ることはできない。
だから言葉を使う。
だから理解しようとする。
それでも。
一つになることはできない。
「お前たちとは……違う」
もっと。
知りたい。
触れたい。
さらに深く。
「死は……」
アルゴで失われた人々。
これまで見てきた死。
戦場。
仲間。
敵。
名前も知らない人々。
ELSから流れ込む情報と、自分の記憶が重なっていく。
「死んだ人間は……戻らない」
『刹那』
ティエリアの声。
遠い。
『刹那、応答しろ』
「まだ……」
『接触を切れ。これ以上は危険だ』
届いていない。
まだ。
『刹那!』
「まだ……届いていない……!」
頭の奥で何かが弾けた。
視界が白く染まる。
00ライザーを包んでいた光が消えた。
◇
「TRANS-AM BURST停止!」
クリスが叫ぶ。
直後、フェルトが続ける。
「00ライザー、反応低下! 刹那から応答ありません!」
「バイタル急変!」
ミレイナの声が震える。
「脳波に異常です!」
スメラギが立ち上がる。
「刹那を回収して!」
『了解!』
ラファエルが加速した。
サバーニャとハルートも前へ出る。
だが、ELSは止まらない。
00ライザーへ向かって集まり続ける。
『まだ刹那を追ってる!』
アレルヤが叫ぶ。
『ライル、左から来る!』
『見えてる!』
サバーニャが射撃を開始する。
00ライザーへ迫るELSだけを正確に撃ち抜く。
ハルートが反対側へ回り、群れを引き離す。
ラファエルが00ライザーへ接近した。
『刹那! 応答しろ!』
返事はない。
『機体を確保する!』
「さらにELSが集まってる!」
クリスが表示を拡大する。
「このままだと包囲される!」
フェルトが後方の機影を見る。
「アルティオールネクスト、動きます!」
「レイナス!」
スメラギが呼ぶ。
『聞こえてる』
アルティオールネクストが加速する。
『今行く』
白い機体が戦域へ飛び込んだ。
直後。
ELSの流れが大きく歪む。
00ライザーへ一直線に向かっていた銀色の群れが、アルティオールネクストを避けるように左右へ割れた。
ブリッジでリヒティが目を見開く。
「すげえ……本当に避けやがった」
「全部じゃない!」
クリスが表示を切り替える。
「何体かは迂回して00ライザーを追ってる!」
刹那への強い興味。
レイナスへの忌避。
二つが同時に働いている。
『ライル、アレルヤ。抜けた奴を頼む』
『了解!』
『こっちは任せて!』
サバーニャとハルートが射線を作る。
『ティエリア、刹那を連れて帰れ』
『分かった』
ラファエルが00ライザーを確保する。
『レイナス、君も長居するな』
『する気はない。俺まで持って帰られたら赤字どころじゃない』
アルティオールネクストが00ライザーとELSの間に立つ。
銀色の群れが近づき。
レイナスを認識し。
次々と進路を変える。
『確かな理由は知らん』
レイナスは、かつて自分の身体へ侵入したELSを思い出す。
『ただ、心当たりなら一つある』
ラファエルが00ライザーを曳航する。
サバーニャとハルートが左右を固め、プトレマイオス2へ向かう。
最後にアルティオールネクストが後退した。
「全機、帰投コースに入りました!」
フェルトが報告する。
「ELSは?」
スメラギが問う。
クリスが観測を続ける。
「まだ追ってくる個体はいる。でも速度が落ちてる。このままなら振り切れる!」
ラッセが操艦系へ手を掛ける。
「収容準備に入るぞ」
「お願い」
プトレマイオス2が回頭する。
◇
プトレマイオス2・医務室
刹那は意識を失ったままだった。
医療端末を確認していたティエリアの表情が険しくなる。
「脳への損傷が大きい」
フェルトがベッドの横で息を呑む。
スメラギが問う。
「回復できる?」
「この状態では――」
「俺がやる」
レイナスが前へ出た。
ティエリアが振り返る。
「《アニマ》か」
「ああ」
レイナスが刹那の頭部へ手を添える。
「脳だろうが身体の一部には違いない。損傷なら治せる」
青白い《アニマ》が広がった。
柔らかな光が刹那の身体を包み、やがて頭部へ集中する。
損傷した組織へ浸透し。
傷ついた部分を修復していく。
医務室には、スメラギ、ティエリア、フェルト、イアン、ミレイナ。
少し離れてアーミア、絹江、ニール、アニュー。
クリスとリヒティはブリッジに残り、ラッセと共に周辺警戒を続けている。
数分後。
《アニマ》の光が弱くなった。
レイナスが手を離す。
「確認してくれ」
ティエリアが医療端末を見る。
数値が変化していく。
「……損傷が修復されている」
イアンも確認する。
「脳機能も正常値まで戻った」
フェルトが刹那を見る。
「じゃあ……」
その時。
刹那の指が動いた。
「刹那?」
瞼がゆっくりと開く。
「……ここは」
「プトレマイオス2だ」
ティエリアが答える。
刹那は天井を見たまま、記憶を辿る。
「ELSは……」
「接触を中断した。君を回収して撤退した」
「そうか」
身体を起こそうとする。
レイナスが肩を押し戻した。
「寝てろ。今治したところだ」
刹那がレイナスを見る。
「《アニマ》か」
「ああ。頭の中まで派手に壊してくれたおかげで、こっちは予定外の仕事だ」
「助かった」
「治療費は高いぞ」
「金はない」
レイナスが止まる。
「……お前、そういう返しを覚えたのか」
「事実だ」
「成長の方向を間違えてないか?」
フェルトが小さく息を吐いた。
緊張していた表情が、ようやく少し緩む。
ティエリアは刹那へ尋ねた。
「話せるか?」
「ああ」
「何を見た?」
刹那はすぐには答えなかった。
やがて。
「……分からない」
「分からない?」
「多すぎた」
星。
喪失。
長い旅。
木星。
地球。
そして。
知ろうとする意思。
「敵意は感じなかった」
ティエリアが続ける。
「だが、アルゴでは人が死んだ」
「ああ」
刹那は目を閉じる。
「ELSは、人間の死を理解していない」
「私も……そう感じました」
アーミアが言った。
刹那が彼女を見る。
「同じになれば分かる。たぶん、あの子たちにとってはそれが普通なんです」
アーミアは銀色の右手を見る。
「でも、人間はそれじゃ駄目です」
「ああ」
ティエリアが刹那へ問う。
「こちらの意思は伝わったのか?」
沈黙。
「……届かなかった」
その一言だけは、はっきりしていた。
◇
「アーミア」
ティエリアが彼女を見る。
「君は途中で流入が止まったと言ったな」
「はい」
アーミアが銀色の右手を持ち上げる。
「この子が止めてくれた……ような感じがしました」
「君自身が接触を切ったわけではない?」
「違います。急に遠くなったんです」
アニューが右腕の状態を確認する。
「今は安定してる。身体にも異常はないわ」
「ありがとうございます」
レイナスが少し近づく。
銀色の右手が、すっとアーミアの身体の反対側へ逃げた。
「……そこはいつも通りか」
アーミアが苦笑する。
「先生だけは駄目みたいです」
「宇宙人相手に個人指定で出禁食らうとは思わなかったな」
刹那がベッドから言う。
「原因に心当たりはあるんだろう」
「あるから余計に面倒なんだよ」
レイナスが答える。
「向こうがどこまで覚えてるのか、こっちには確認の取りようがない」
アーミアが右手を見つめる。
自分へ流れ込んできたもの。
失われた場所。
長い旅。
「……帰る場所」
その言葉が漏れた。
アーミアの表情が変わる。
「どうした?」
レイナスが気づく。
「私……」
銀色の右手を握る。
「家族が今どこにいるのか、まだ分からない」
絹江が表情を変えた。
アーミアがELSに襲われた日。
自宅へ戻った時、家には誰もいなかった。
避難したのか。
別の場所で保護されたのか。
それとも。
何も分かっていない。
「私も調べるわ」
絹江が言った。
「え?」
「避難者の情報だけじゃなく、病院や保護施設も当たってみる。使える伝手はあるから」
スメラギも頷く。
「連邦にも照会をかけるわ。あの日の避難記録から追えるかもしれない」
アーミアは二人を見る。
しばらくして、小さく頭を下げた。
「……お願いします」
ニールが絹江を見る。
「俺も手伝う」
「ええ。お願い」
レイナスは何も言わなかった。
ただ、アーミアの隣に残った。
◇
数時間後――プトレマイオス2・ブリッジ
刹那は再検査を終え、医務室で休んでいる。
《アニマ》による治療後、脳機能に異常は確認されなかった。
だが。
ELSとの対話は成立しなかった。
「周辺のELS群、完全に離脱したわ」
クリスが観測画面を確認する。
「こっちを追う動きもなし」
「やっと一息つけるな」
リヒティが背もたれに身体を預ける。
ラッセが前方を見たまま答える。
「一息だけだ。大元はまだこっちに向かってる」
メインモニターには、地球圏へ進み続けるELS本隊の観測情報。
スメラギが腕を組む。
「敵意はない」
ティエリアが言った。
「少なくとも、刹那とアーミアが受け取ったものからは、積極的に人類を滅ぼそうとする意思は確認できない」
「でも危険性は変わらないわ」
スメラギが続ける。
「相手に殺意がなくても、接触されれば人間は死ぬ」
「そして、こちらの意思はまだ届いていない」
フェルトが小さく呟く。
「刹那でも……駄目だったんですね」
「今回の方法では、だ」
ティエリアが答える。
「刹那自身の能力が足りないと決まったわけじゃない」
イアンが腕を組む。
「だが同じことをもう一回やらせるわけにもいかん」
「当然だ」
後方にいたレイナスが答える。
「治せるから壊していい、なんて話になったら安全管理も何もない」
スメラギがメインモニターを見る。
ELSは止まらない。
こちらが理解するまで待ってくれるわけでもない。
アーミアも銀色の右手を見る。
二日前。
人類は、ELSの接触が命を奪うことを知った。
今日。
そのELSが、何かを知ろうとしていることも知った。
だが。
知ろうとしていることと。
分かり合えることは、同じではない。
刹那の声は届かなかった。
ELSの声も、人類にはまだ大きすぎる。
その間にも。
銀色の群れは、地球へ近づき続けていた。