第139話 帰る場所
西暦2314年――プトレマイオス2・個室区画
「アーミアさん」
絹江に呼び止められ、アーミアは足を止めた。
ここ数日、絹江には家族の消息を調べてもらっている。
ELSに襲われたあの日。
アーミアは自宅へ戻り、玄関のドアノブへ触れたところでELSに取り込まれかけた。
レイナスに助けられたため、そのまま家の中を確認することもできなかった。
家族があの時どこにいたのか。
今どこにいるのか。
それさえ分かっていない。
「何か分かりましたか?」
「少しだけ」
絹江は端末を開いた。
「避難者名簿と病院の搬送記録、それから一時保護施設の記録を調べてもらったの」
アーミアの表情が強張る。
「それで……」
「まだ、ご家族の名前は見つかってない」
「……そうですか」
「ただ、当時の記録にはかなり抜けがあるわ。だから、これだけで何かを決めつけることはできない」
生きているとも。
死んでいるとも。
今はまだ言えない。
絹江は安易な慰めを口にしなかった。
「連邦側にも範囲を広げて確認してもらってる。もう少し時間をちょうだい」
「ありがとうございます」
アーミアは頭を下げた。
「私にも何かできませんか?」
「探す方は任せて」
「でも……」
「こういう時くらい記者を使ってくれていいのよ」
絹江は少し笑った。
「情報を探すのが仕事だから」
「じゃあ……お願いします」
「ええ」
そこへニールが歩いてきた。
「まだ調べてたのか?」
「今終わったところ」
「昨日も遅かっただろ。少し休めよ」
「あなたに言われたくないわ」
「俺?」
「昨日、何時まで格納庫にいたの?」
ニールが一瞬黙る。
「……日付が変わる前には戻った」
「何時?」
「そこまで細かく覚えてないな」
「覚えてる顔してるけど」
アーミアが思わず笑った。
ニールが振り向く。
「何だ?」
「いえ。仲いいなと思って」
ニールはあっさり頷く。
「まあな」
絹江が横目で見る。
「そこは迷わないのね」
「否定する理由ないだろ?」
絹江は一瞬だけ黙った。
「……そうね」
今度はアーミアの方が二人を見比べた。
少し羨ましいと思った。
家族が見つかれば、自分も帰れる。
そんな単純な話ではなくなっていることは、アーミア自身にも分かっている。
銀色になった右腕。
イノベイターとして目覚めた身体。
そして《アニマ》。
あの日までとは、何もかもが違う。
それでも。
帰る場所がなくなったと決まったわけではない。
「じゃあ私、先生のところに行ってきます」
「訓練?」
「はい」
「無理はしないでね」
「大丈夫です」
アーミアは二人へ頭を下げ、格納庫へ向かった。
◇
プトレマイオス2・格納庫
「遅い」
格納庫へ入った途端、レイナスが言った。
「すみません!」
「三分」
「三分くらいなら……」
「毎回三分ずつ踏み倒してたら、そのうち結構な額になるぞ」
「時間って請求されるんですか?」
「俺にはされてる気がする」
レイナスが端末を閉じる。
「まあいい。始めるぞ」
「はい、先生」
アーミアが左手を前へ出した。
青白い《アニマ》が灯る。
以前のような頼りない明滅はない。
出力そのものは小さい。
だが、一定量を維持するだけなら、かなり安定するようになっていた。
「そのまま」
「はい」
「出力を上げるな。今は維持だけ考えろ」
青白い光が左手を包み続ける。
十秒。
二十秒。
三十秒。
レイナスが手を上げた。
「止めろ」
アーミアが《アニマ》を消す。
「どうですか?」
「前より安定してる」
「おお」
「そこで気を抜くな」
「もう消してますよ?」
「次に褒めた時の話だ」
「先回りしすぎじゃないですか?」
「何回か教えてりゃ傾向くらい分かる」
アーミアは左手を握ったり開いたりする。
「もう一回やります」
「今日はここまで」
「まだできます」
「できるのと、やっていいのは別だ」
「先生はもっと使ってるじゃないですか」
「俺を基準にするな。参考資料として不適切だ」
「先生なのに?」
「教材と教師は別枠だ」
アーミアが不満そうに頬を膨らませる。
レイナスは取り合わず、訓練記録を端末へ入力した。
その時。
アーミアが右手を見た。
銀色の指を開き、しばらく眺める。
「先生」
「今度は何だ?」
「ちょっと近づいてください」
レイナスが顔を上げた。
「また俺で実験する気か?」
「確認です」
「嫌な言い換えを覚えたな」
それでも一歩近づく。
銀色の右手が、すっとアーミアの身体の後ろへ逃げた。
アーミアも身体ごと振り返る。
「やっぱり」
「確認するまでもなかっただろ」
「じゃあ、これは?」
アーミアが右手を前へ戻した。
目を閉じる。
今度は左手ではない。
淡い青白い光が、銀色の右手を包み始めた。
レイナスの眉が上がる。
「右にも回せるようになったのか」
「昨日、少しだけできました」
「先に言え」
「今言いました」
「事後報告は先じゃない」
青白い光が安定する。
銀色の表面を覆うように《アニマ》が留まり続けた。
アーミアが右手を差し出す。
「もう一回、近づいてください」
「今度は何が起きるんだよ」
「分かりません」
「実験する側が一番言っちゃいけない台詞だぞ」
レイナスが一歩近づく。
右手は動かない。
もう一歩。
それでも逃げない。
二人とも黙った。
アーミアが右手を見る。
「……逃げない」
「みたいだな」
「触ってみてください」
「そこまでやるのか?」
「ここまで来たら気になるじゃないですか」
「まあ、それは分かる」
レイナスがゆっくり指先を伸ばす。
銀色の右手は逃げない。
指先が触れた。
何も起きなかった。
アーミアが目を見開く。
「触れた……」
「俺も見てた」
レイナスは手を離した。
「一回《アニマ》を切ってみろ」
「はい」
青白い光が消える。
レイナスが再び手を近づける。
銀色の右手が即座に引っ込んだ。
「……露骨だな」
アーミアが吹き出した。
「先生、《アニマ》が嫌なんじゃないみたいです」
「それは前から分かってる」
「じゃあ、やっぱり先生が嫌なんですね」
「宇宙規模で出禁食らってる身としては、今さら傷つかんよ」
アーミアは笑いながら、右手を見る。
すぐにその表情が変わった。
「でも……どうして《アニマ》を纏ってると平気なんだろう」
「そこはまだ分からんな」
アーミアは再び右手を青白い光で包む。
レイナスが近づく。
今度も逃げない。
「再現はできる」
「はい」
「なら今はそれでいい。分からない部分まで勝手に答えを付ける必要はない」
アーミアは右手を見つめた。
「守られてるって思ってるのかな」
レイナスも少し考える。
「可能性としてはある。ただ、本人に聞けない以上は保留だ」
「本人……」
「そこにいるんだから本人でいいだろ」
「そうですね」
アーミアが笑う。
自分の《アニマ》に包まれている間だけ。
右腕にいるELSは、理解できないはずのレイナスからも逃げない。
理由はまだ分からない。
それでも、アーミアには少し嬉しかった。
人間の自分。
ELSと混ざった右腕。
そして、自分自身で生み出した《アニマ》。
別々だったものが、少しずつ同じ場所に収まり始めている気がした。
「先生」
「ん?」
アーミアが青白い光に包まれた右手を差し出す。
「もう一回」
「何を?」
「握手」
レイナスは右手を見る。
「……俺よりそいつの訓練になってないか?」
「いいから」
「分かったよ」
レイナスも右手を出した。
銀色の手と、人間の手が重なる。
今度もELSは逃げない。
アーミアが嬉しそうに笑った。
レイナスはその右手を見ながら、ほんの少しだけ目を細める。
ELSと人間。
今はまだ、誰にもその距離の埋め方が分からない。
けれど少なくともここには。
触れることのできた一組がいた。
◇
プトレマイオス2・第二格納庫
少し離れた整備区画。
ニールは一機のガンダムを見上げていた。
デュナメス。
かつて自分と共に戦った機体の系譜。
修復と改修を重ねたその機体は、さらに大きく手を加えられている。
狙撃能力を軸にしながら、長期戦を想定した継戦能力と精密射撃性能を強化。
ELSとの戦闘を見据えた改修だった。
背後から足音がする。
「兄さん」
ニールが振り返る。
「ライルか」
ライルが兄の隣へ並び、機体を見上げた。
「随分変わったな」
「イアンがやり始めたら止まらなくてな」
「兄さんも止めなかったんだろ」
「乗る機体が強くなって困る理由はない」
「そりゃそうだ」
その先にはサバーニャがある。
同じ狙撃戦を得意としながら、二機の思想はまるで違う。
ニールは一点を正確に撃ち抜く。
ライルは多数の火器を自在に操り、広い戦域を制圧する。
兄弟だからといって、同じ戦い方をする必要はない。
「今度は一緒に出ることになりそうだな」
ニールが言った。
「ああ」
「お前と肩を並べて戦う日が来るとはな」
「嫌か?」
「まさか」
ニールは笑う。
「楽しみにしてる」
ライルも小さく笑った。
「足引っ張るなよ、兄さん」
「言うようになったな」
「俺だって何年マイスターやってると思ってる」
「なら心配いらないか」
ニールはサバーニャを見る。
ライルはもう、自分の後を追っているわけではない。
自分がいなくなった穴を埋めるためでもない。
ライル・ディランディとして。
自分の戦い方で、ここにいる。
「ライル」
「何だ?」
「生きて帰るぞ」
弟は一瞬だけ兄を見る。
それから、当然のように答えた。
「ああ」
短い返事だった。
それで足りた。
ニールには絹江がいる。
ライルにはアニューがいる。
二人とも、戦場の外に続く人生を持っている。
かつて復讐のために銃を握った兄と。
兄の代わりではないと自分の道を選んだ弟。
次に狙い撃つのは、過去のためではない。
自分たちが帰る場所を――
その先にある未来を守るためだった。