第142話 父と娘
西暦2314年――地球連邦軍・外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》
広大な格納庫を、整備員たちが忙しく行き交っていた。
ブレイヴ。
GN-X IV。
輸送艇。
補給コンテナ。
ELS本体の到達を前に、地球連邦軍の戦力が次々と集結している。
その一角。
ブレイヴ指揮官用試験機のコックピットから、グラハム・エーカーが降りてきた。
「少佐」
待っていたビリーが端末を差し出す。
「最終調整の結果だ。疑似太陽炉の出力は問題ない。TRANS-AMも使用できる」
「時間制限は?」
「変わらないよ。使いどころを間違えないでくれ」
「承知した」
グラハムが機体を見上げる。
「相手は数で押してくる。ならば、速度を失うわけにはいかない」
「分かってるならいいんだけどね」
ビリーの横から、ミーナが顔を出した。
「私もビリーに賛成」
「二対一か」
「日頃の行いよ」
「手厳しいな」
ビリーが苦笑する。
「君は昔から、機体の限界と自分の限界を同じものだと思ってるところがあるからね」
「技術者が限界を決め、パイロットがその先を求める。健全な関係ではないか」
「その先で壊さないならね」
「努力しよう」
「そこは約束してくれないか?」
グラハムが笑った。
その時、ビリーの端末に通信が入る。
表示を確認し、表情を引き締めた。
「カティ准将からだ。作戦会議が始まる」
グラハムの顔から笑みが消える。
「行こう」
◇
外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》・作戦会議室
巨大な立体映像が展開されている。
中心には地球。
その外側に、連邦軍の防衛線。
さらに遠方。
銀色の巨大反応。
ELS本体。
カティ・マネキン准将が全体を見渡した。
「ELS本体の地球圏到達に備え、第一防衛線をここに設定する」
表示が切り替わる。
「宇宙艦隊を中心に編成。GN-X IV部隊を各防衛宙域へ展開し、ブレイヴ隊は機動戦力として運用する」
セルゲイ・スミルノフ大佐が尋ねる。
「ソレスタルビーイング側との連携は?」
「通信系統を限定接続する。指揮権は統合しない」
カティは即答した。
「我々は我々の判断で戦う。向こうも同じだ。ただし、戦況情報とELSの行動データは可能な限り共有する」
「了解しました」
「目的はELSの全滅ではない」
会議室の視線が集まる。
「地球および居住圏への到達阻止。そして、ソレスタルビーイングが対話を試みるための時間を確保する」
グラハムが腕を組む。
「つまり我々が戦線を支え、その間に彼らが答えを探す」
「そういうことだ」
「明快ですな」
カティがグラハムを見る。
「少佐」
「はい」
「先に言っておく。無用な自己犠牲は認めない」
グラハムが僅かに目を細めた。
「私を名指しですか」
「必要だから言っている」
横にいたセルゲイも口を開く。
「私も准将に同意する」
「大佐まで」
「戦力が一機減れば、その分を誰かが埋めることになる。今回は特にな」
グラハムは二人を見た。
「なるほど。そこまで言われては仕方ありません」
「本当に理解したのか?」
カティの声は疑わしげだった。
グラハムは肩を竦める。
「少なくとも今回は、戦場で散るつもりはありません」
「今回は?」
ビリーが小さく呟いた。
グラハムは聞こえなかったことにした。
◇
会議終了後――艦内通路
セルゲイの端末に通信要求が入った。
発信元はプトレマイオス2。
静かな区画へ移動し、通信を開く。
「セルゲイ・スミルノフだ」
画面が切り替わった。
『大佐』
その声を聞いた瞬間、セルゲイの表情が僅かに緩んだ。
「マリー」
画面の向こうにマリー・パーファシーがいる。
少し後ろにはアレルヤの姿もあった。
『お時間、大丈夫ですか?』
「ああ。ちょうど会議が終わったところだ」
『連邦軍も準備を?』
「既に始まっている」
セルゲイは少し間を置いた。
「そちらも出るのだろう」
『はい』
即答だった。
「ハルートか」
『はい。アレルヤと一緒に』
セルゲイの視線がアレルヤへ移る。
『お久しぶりです、大佐』
「元気そうだな、アレルヤ・ハプティズム」
『大佐も』
「そう見えるなら何よりだ」
短い沈黙。
マリーが口を開く。
『大佐も、前線へ?』
「ああ」
『……そうですか』
それだけだった。
だが、セルゲイにはその声の意味が分かった。
「マリー」
『はい』
「生きて帰れ」
マリーが目を見開く。
「これは軍人としての命令ではない」
セルゲイは娘を見る。
「私個人の願いだ」
『……はい、大佐』
「アレルヤ」
『はい』
「マリーを頼む」
アレルヤは一瞬だけマリーを見る。
『僕が守る、とは言いません』
セルゲイの眉が僅かに動いた。
『マリーは、僕に守られるだけの人じゃない。僕たちは一緒に戦って、一緒に帰ります』
マリーがアレルヤを見る。
セルゲイはしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「そうか」
その口元に僅かな笑みが浮かんだ。
「ならば二人とも帰ってこい」
『はい』
二人の声が重なった。
◇
通信が終わる。
セルゲイは暗くなった端末を見つめていた。
「大切な人との話は終わりましたかな?」
声に振り返る。
グラハムが通路の向こうから歩いてきた。
「聞いていたのか、少佐」
「まさか。私はそこまで無粋ではありません」
「ならいい」
二人は並んで歩き始めた。
「大佐」
「何だ」
「先ほどの会議ですが」
グラハムが前を向いたまま言う。
「准将は、私が無用な自己犠牲に走ると本気で思っているのでしょうか」
「思っているから名指ししたんだろう」
「大佐も?」
「同じだ」
「これは手厳しい」
セルゲイは横目でグラハムを見る。
「違うのか?」
グラハムは少し考えた。
「以前の私なら、否定できなかったかもしれません」
「以前?」
「戦うことそのものに答えを求めていた頃です」
セルゲイは黙って聞いている。
グラハムは続けた。
「だが今は、まだ死ねない理由がある」
「ほう」
「友との付き合いもあります。そして――」
グラハムの脳裏に、一機の青白いガンダムが浮かんだ。
そのパイロット。
何度も戦場で交わりながら、未だ決着をつけていない男。
「先約がありましてね」
「先約?」
セルゲイが怪訝な顔をする。
「レイナス・レノアークです」
その名前に、セルゲイもすぐ理解した。
「あの男か」
「ええ」
グラハムの口元が上がる。
「以前、彼との再戦を予約しているのです」
「……予約?」
「本人にも了承を取っています」
セルゲイは数秒黙った。
「お前たちは戦いにまで予約が必要なのか」
「人気のある相手ですからな」
「そういう話ではない」
グラハムは楽しそうに笑う。
「ELSとの戦いが終われば、改めて彼に挑む。そう約束しています」
セルゲイの表情が少し変わった。
「なら、今回の戦いで命を捨てるわけにはいかないな」
「当然です」
グラハムは迷わなかった。
「先約を残したまま退場するなど、あまりにも礼を欠く」
「それが理由で生き残るというなら、何でも構わん」
「大佐にも先ほど、同じ理由ができたのでは?」
セルゲイが足を止める。
グラハムも止まった。
「マリー・パーファシー」
セルゲイはしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに答える。
「……ああ」
娘に生きて帰れと言った。
ならば。
自分だけが帰らないわけにはいかない。
「互いに忙しくなりそうですな」
「まずはELSをどうにかしてから言え」
「もちろんです」
二人は再び歩き始めた。
◇
プトレマイオス2・ハルート整備区画
通信を終えたマリーが、しばらく端末を見ていた。
アレルヤは隣で待っている。
「アレルヤ」
「うん?」
「ありがとう」
「何が?」
「さっきのこと」
アレルヤは少し困ったように笑った。
「本当のことを言っただけだよ」
マリーがハルートを見上げる。
「一緒に戦って、一緒に帰る」
「ああ」
「ハレルヤも?」
アレルヤの目つきが僅かに変わった。
『当たり前だろ』
低い声。
マリーが笑う。
『勝手に二人で話をまとめてんじゃねえよ。俺まで巻き込まれてんだからな』
「嫌なの?」
『まさか』
口元が吊り上がる。
『こんだけ派手な相手だ。途中退場なんざ御免だね』
アレルヤへ戻る。
「だそうだよ」
「ふふっ」
マリーは笑った。
三人。
一つの機体。
かつて互いの存在に苦しみ。
奪われ。
戦い。
それでも今は、同じ方向を見ている。
ハルートの装甲へ整備灯が反射する。
その向こうでは、別の機体の作業も続いていた。
サバーニャ。
ラファエル。
デュナメス・ヴァリアント。
アルティオールネクスト。
そしてダブルオークアンタ。
ELS本体が来る。
戦いは避けられないかもしれない。
それでも。
その先へ帰る理由を持つ者たちは――
一人ではなかった。