第143話 地上にて
西暦2314年――地球・日本
テレビには、連日ELSのニュースが流れていた。
地球連邦軍の集結。
各コロニーで進む避難準備。
非常用物資の配布。
そして、地球へ向かい続ける巨大な銀色の天体。
沙慈・クロスロードはテレビの音量を少し下げた。
テーブルの向こうでは、ルイス・ハレヴィが端末を見ている。
「またレイヴン?」
沙慈が尋ねる。
「違うわよ」
ルイスが画面を見せた。
「避難経路の更新」
「ああ……」
「何だと思ったの?」
「最近ずっと見てたから」
「だって、あれは気になるでしょ」
ルイスは別の画面を開く。
そこには見慣れた男の顔があった。
レイナス・レノアーク。
そして、その横には映画版のレイヴン。
《本物のレイヴンは人類を救えるか》
大げさな見出しが付いている。
「本人が見たら嫌な顔しそうだね」
「絶対するわ」
ルイスが笑った。
「『俺に押しつけるな』とか言いそう」
「それも絶対言う」
二人とも、本人を知っている。
だからこそ。
世間で膨らみ続ける『英雄レイナス・レノアーク』と、実際の男との落差が分かってしまう。
「でも……」
ルイスの声が少しだけ小さくなる。
「出るのよね。みんな」
沙慈は頷いた。
「たぶん」
刹那。
アレルヤ。
ティエリア。
ロックオン。
スメラギ。
そしてレイナス。
かつて同じ艦にいた人々が、再び戦おうとしている。
今度は人間同士ではない。
地球そのものへ近づいてくる、未知の存在を相手に。
ルイスは自分の手を見る。
「私も、あそこにいたんだよね」
沙慈は何も言わなかった。
「アロウズに入って。モビルスーツに乗って」
「ルイス」
「分かってる」
ルイスは顔を上げる。
「戻りたいって言ってるんじゃないわ」
その表情に迷いはなかった。
「もう、あそこには戻らない」
沙慈は少しだけ息を吐いた。
「うん」
「私はここにいる」
「うん」
「だから沙慈も、勝手にどこか行かないでよ」
「僕?」
「前科あるでしょ」
「……あるね」
否定できなかった。
ルイスが少し笑う。
その時。
テレビの映像が切り替わった。
『地球連邦政府は、ELS本体の接近に伴う避難計画について――』
二人の表情が戻る。
現実は続いている。
怖くないわけではない。
だが。
沙慈はルイスの隣へ座った。
二人で画面を見る。
以前は、戦争によって引き裂かれた。
今度は違う。
何が来ても。
二人でここにいる。
◇
地球――王留美の私邸
「避難船の追加枠、確保できました」
紅龍が端末を差し出す。
王留美は内容を確認した。
「医療関係者と子供を優先してください。物資の輸送経路は?」
「三系統です。一つが使用不能になっても残りで補えます」
「食料と医薬品を別便に。まとめて失えば意味がありません」
「分かりました」
紅龍が部屋を出ていく。
王留美は次の資料を開いた。
戦場へ出ることだけが戦いではない。
ELSの存在が公表されてから、世界各地で避難と備蓄が始まっている。
その裏側で必要になるのは。
金。
輸送手段。
人脈。
場所。
彼女が持っているものだった。
端末に別の通知が表示された。
《劇場版レイヴン 興行収入600億突破》
留美の手が止まる。
数秒。
「……六百億」
思わず声に出た。
そこへ紅龍が戻ってきた。
「どうしました?」
「いいえ」
留美は記事を閉じようとして――やめた。
画面には、レイナスとレイヴンを並べた写真。
《現実のレイヴンはELSから地球を救うのか》
留美は小さく息を吐く。
「随分と勝手な話ですね」
「レイナスさんですか?」
「ええ」
彼女は記事を読む。
「本人が一番嫌がりそうです」
「でしょうね」
「ですが……」
留美は画面のレイナスを見る。
彼を最初にソレスタルビーイングへ引き入れたのは自分だった。
あの頃から、規格の外にいる男だった。
それでも。
何でもできるわけではない。
「一人に世界を背負わせるものではありません」
留美は記事を閉じた。
「こちらはこちらの仕事をしましょう」
「はい」
「避難計画を続けます」
今、自分がやるべきことは分かっている。
彼が戦場で時間を稼ぐなら。
自分は、その時間で助けられる人間を一人でも増やす。
それだけだった。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「地球側の避難計画、更新されました」
フェルトが報告する。
「王留美からも追加データ。民間輸送網の一部を避難用に転用したみたい」
クリスが別画面へ展開した。
スメラギが確認する。
「かなり動いたわね」
「各国政府だけじゃ、ここまで早く輸送枠を増やせなかったと思う」
「留美らしいわ」
ラッセが表示された数字を見る。
「地上も地上で戦争だな」
「そうね」
スメラギは頷く。
戦う者。
逃がす者。
治療する者。
物資を運ぶ者。
情報を伝える者。
全員が同じ場所にいる必要などない。
その時、クリスが顔を上げた。
「スメラギさん、クアンタの作業進捗来たよ」
「出して」
大型モニターへダブルオークアンタが表示される。
完成形は、もう見えていた。
機体そのものの組み上げは終盤。
問題は内部。
量子演算系。
ヴェーダとの接続。
そして、刹那へ流れ込む情報を処理するためのシステム。
「ヴェーダ側の調整は?」
ティエリアが答える。
「僕が進めている。小型端末との接続自体は問題ない」
「ELSの情報量に耐えられる?」
「保証はできない」
ティエリアは正直に言った。
「ただし、ダブルオーライザーの時とは違う。流入する情報をそのまま刹那へ渡すのではなく、ヴェーダ側で処理し、選別する」
「どこまで削る?」
「それも実際に接触してみなければ分からない」
スメラギは黙る。
一度。
刹那はELSの情報を受け止めきれず、倒れた。
同じ失敗はできない。
「刹那は?」
「格納庫です」
◇
プトレマイオス2・格納庫
ダブルオークアンタの前に、刹那・F・セイエイは立っていた。
隣にはレイナス。
二人とも、しばらく何も言わない。
「またガンダムだな」
先に口を開いたのはレイナスだった。
「ああ」
「しかも今度は、お前専用もいいところだ」
刹那が機体を見上げる。
「俺が望んだ」
「戦うためじゃなく?」
「戦いを止めるために」
レイナスが少しだけ笑う。
「随分と面倒な注文をしたな」
「そうかもしれない」
「兵器屋に『戦争を終わらせる兵器を作れ』って発注するようなもんだ。仕様書を書いた奴も頭抱えただろ」
「イアンには言われた」
「だろうな」
刹那はクアンタから視線を外さない。
「それでも必要だ」
「ああ」
レイナスの返事は軽くなかった。
「ダブルオーライザーでは届かなかった」
刹那が言う。
「ELSの中にあるものは見えた。感じた。だが、俺の側から返すことができなかった」
「次は?」
「届かせる」
迷いのない答えだった。
レイナスが刹那を見る。
「また全部抱え込む気じゃないだろうな」
「しない」
即答だった。
「前と同じことは繰り返さない」
「ならいい」
刹那が僅かに視線を向ける。
レイナスはクアンタを見上げたまま続ける。
「今回はティエリアもヴェーダもいる。機体も最初からその仕事用だ。使えるものは全部使え」
「ああ」
「それでも駄目だったら?」
刹那は少し考えた。
「別の方法を探す」
レイナスが口元を上げる。
「随分としぶとくなったな」
「お前に言われたくない」
「それはそうだ」
後ろから声が飛んだ。
「先生ー!」
レイナスの顔が僅かに曇る。
「嫌な予感がする」
アーミアが走ってくる。
「刹那さんもいたんですね」
「ああ」
「ちょうどよかったです!」
「何がだ」
アーミアが端末を掲げる。
「レイヴンの興行収入、六百五十億が見えてきたそうです!」
レイナスが無言になる。
刹那も数秒黙った。
「……増えているのか」
「はい!」
「刹那、食いつくな」
「事実を確認しただけだ」
「お前までそっちに行くと収拾つかなくなる」
アーミアが笑う。
その時。
格納庫の奥からイアンの声が響いた。
「遊んでるなら手伝え! こっちは時間がないんだ!」
「ほら先生」
「何で俺まで勘定に入ってる」
「先生、暇そうです」
「人の予定表を勝手に空欄扱いするな」
レイナスはそう言いながらも歩き出した。
アーミアが後を追う。
刹那は二人を見送ってから、もう一度クアンタを見上げた。
対話のためのガンダム。
一人で世界を救うための機体ではない。
自分だけでELSを理解するためのものでもない。
ティエリアがいる。
ヴェーダがある。
仲間がいる。
連邦軍が時間を作る。
レイナスたちが道を開く。
その先で。
自分が、ELSへ問いかける。
刹那は静かに機体へ手を触れた。
「今度こそ――」
その声は小さい。
だが迷いはなかった。
「俺たちの声を、届ける」