第144話 雇用主
西暦2314年――プトレマイオス2・格納庫
「接近するシャトルを確認しました」
フェルトの声が格納庫内へ流れる。
「識別コード照合。問題ありません」
アルティオールネクストの足元で端末を見ていたレイナスが顔を上げた。
少し離れた場所では、アーミアが左手に《アニマ》を纏わせ、その出力を一定に保つ訓練を続けている。
「補給便か?」
『違うよ』
クリスの声が続いた。
『お客さん』
「今から?」
『レイナスはよく知ってる人』
レイナスの眉が動く。
「その言い方で来る奴、大体ろくな用事じゃないんだよな」
「先生、お知り合い多いですよね」
「長く生きてりゃ勝手に増える。金と違って貯まっても嬉しくない」
「それ、本人には言わない方がいいですよ」
「誰が来るか聞いてないだろ」
誘導灯に従って、一機のシャトルが格納庫へ進入する。
着艦。
固定。
気密確認。
やがてハッチが開いた。
最初に姿を見せた人物を見て、レイナスが目を細める。
長い黒髪。
整った身なり。
宇宙船の格納庫へ降り立ってなお、どこか場違いなほど優雅な佇まい。
王留美だった。
後ろには紅龍もいる。
「久しぶりね、レイナス」
「……留美?」
「あら。もう少し歓迎してくれてもいいのではなくて?」
レイナスは留美とシャトルを交互に見る。
「何でここにいる?」
「随分なご挨拶ね」
「ELS本体が地球に向かってる時に、わざわざ前線へ来た奴に言ってる」
「理由なら後で話すわ」
留美の視線がアーミアへ向いた。
「あなたがアーミアさんね」
「はい。アーミア・リーです」
「王留美です。お話は聞いています」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。よろしくお願いします」
アーミアが頭を下げる。
その様子を見ていたレイナスが口を挟んだ。
「俺の時と随分扱いが違うな」
留美が振り返る。
「初対面の方には礼を尽くすものよ」
「俺には?」
「今さらでしょう?」
「扱いが雑になってないか?」
「長い付き合いだもの」
さらりと返された。
アーミアが二人を見比べる。
「先生とは長いんですか?」
「ええ。彼をソレスタルビーイングへ招いたのは私なの」
「えっ」
アーミアの視線が勢いよくレイナスへ向く。
「先生、スカウトされたんですか?」
「昔の話だ」
「もう少し感謝してくれてもいいと思うのだけれど?」
「してるしてる」
「心が籠もっていないわね」
「十年以上前の請求書を今さら出すな」
「あら。あなたなら十年前の請求書でも利息を付けそうだけれど?」
「相手によるな」
「では私は?」
「払える奴からは取る」
留美が楽しそうに笑う。
その後ろでは紅龍たちが荷物を運び出し始めていた。
レイナスの視線が止まる。
一つ。
二つ。
まだ出てくる。
「……待て」
「何かしら?」
「その荷物は何だ」
「見て分からない?」
「分かるから聞いてる。何泊する気だ」
留美は少しだけ首を傾げた。
「ELSの件が片付くまでかしら?」
「旅行に来たみたいに言うな」
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
「来るなら、もう少し早く連絡しなさいよ」
スメラギが呆れた顔で言う。
「あら。連絡はしたでしょう?」
「着艦直前にね」
「無断ではないわ」
「そういう問題じゃないのよ」
留美は涼しい顔をしている。
クリスは到着者の登録を進め、フェルトは留美が持ち込んだデータを確認していた。
「留美、地上の避難支援は?」
スメラギが尋ねる。
「引き継ぎは済ませてあるわ。私がいなければ止まるような体制では困るもの」
大型モニターへ避難支援網が表示された。
民間輸送船。
医療物資。
避難施設。
各地域の連絡担当。
複数の経路が相互に補完するよう組まれている。
クリスが表示を追う。
「前にもらった時より、輸送枠がかなり増えてる」
「使える伝手は一通り使ったわ。こういう時に人脈を眠らせておく理由もないでしょう?」
「相変わらず仕事が早いね」
「あら、褒めても何も出ないわよ?」
「そこは何か出してよ」
「ELSの件が終わったら考えてあげる」
クリスが笑う。
フェルトもデータを確認しながら口を開いた。
「医療物資も増えてる」
「そちらは少し苦労したわ。必要としている場所が多すぎるもの」
「ありがとう、留美」
「私にできることをしただけよ」
スメラギが一通り確認し終える。
「地上は任せられる状態にした。それで、自分はこっちに来たってわけね」
「ええ」
「どうして?」
留美はすぐには答えなかった。
ちょうどその時、ブリッジへレイナスが入ってくる。
留美の視線がそちらへ向いた。
レイナスが気づく。
「何だ」
留美の口元に小さな笑みが浮かんだ。
「決まっているでしょう?」
「何が」
「護衛される側が、護衛の側にいるのは当然でしょう?」
一瞬。
ブリッジが静かになった。
レイナスが眉を寄せる。
「……待て。普通は逆だろ」
「あら、どうして?」
「護衛対象は危険な場所から遠ざけるもんだ」
「遠ざける場所があるのなら、そうでしょうね」
レイナスが留美を見る。
「地上があるだろ」
「あら」
留美はわずかに首を傾げた。
「本気で言っているの?」
「……何がだ」
「あなたたちがELSを止められなかった時、地上だけは無事でいられるのかしら?」
レイナスの口が止まった。
誰も答えなかった。
答えは、既に分かっている。
ELS本体は地球へ向かっている。
連邦軍とソレスタルビーイングがここで食い止められなければ、その先にあるのは地球だ。
留美は穏やかな声のまま続ける。
「ここにいれば先に危険が来る。地上にいれば後から来る。それだけの違いでしょう?」
「……まあ、そうなるな」
「なら、私には大した違いではないわ」
「いや、時間差はあるぞ」
「その時間で、あなたがいない地球へ逃げ続けろと?」
留美は小さく笑った。
「それはあまり趣味がよくないわね」
レイナスが額を押さえる。
「お前な……」
「それに」
留美は一歩、レイナスへ近づいた。
「私の護衛はあなたの仕事でしょう?」
「そこでその話に戻るのか」
「ええ」
「ELS相手まで契約に入れた覚えはないぞ」
「契約書に『地球外生命体を除く』とでも書いてあったかしら?」
レイナスが黙った。
クリスが肩を震わせる。
「……クリス」
「ごめん。続けて」
「笑ってるだろ」
「ちょっとだけ」
留美は何事もなかったように続ける。
「あなたがここにいるのなら、私もここにいる。それだけよ」
「ずいぶん簡単に言うな」
「難しく考える必要があるの?」
レイナスはしばらく留美を見る。
長い付き合いだ。
この顔をしている時に何を言っても、まず動かないことも知っている。
「……護衛料、高く付くぞ」
「あら」
留美の笑みが深くなる。
「ようやく話がまとまったわね」
「まとまってない。見積もりの話を始めただけだ」
「では、後で提出してちょうだい」
「本当に出すからな」
「楽しみにしているわ」
スメラギが肩を竦める。
「決まりね」
「スメラギ」
「何?」
「最初から追い返す気なかっただろ」
「留美がいると情報面で助かるもの」
「あら。スメラギさんもこう言っているわよ?」
「勝ち誇るな」
「勝ったつもりはないわ」
「その顔で言われても信用できん」
フェルトが小さく笑う。
留美はそちらを見る。
「フェルトまで笑うの?」
「少しだけ」
「まあ。昔はもっと素直だったのに」
「留美にだけは言われたくない」
フェルトが静かに返す。
留美は一瞬目を丸くしてから、楽しそうに笑った。
「言うようになったわね」
レイナスが周囲を見る。
「完全に俺が少数派じゃないか」
「日頃の行いじゃない?」
クリスが言う。
「覚えてろよ」
「ELSが終わった後ならね」
「その予定だよ」
その返答だけは、軽口ではなかった。
一瞬だけ空気が変わる。
留美はレイナスを見る。
だが何も言わず、いつもの微笑を戻した。
「では、滞在に問題はないということでよろしいかしら?」
「勝手に議事録を締めるな」
◇
プトレマイオス2・居住区
留美に割り当てられた部屋へ向かう。
紅龍が先に荷物を運び、その後ろをレイナス、留美、アーミアが歩いていた。
「王留美さんって、本当に先生と長いんですね」
アーミアが言う。
「ええ。随分長くなったわね」
「私が知り合った頃から、この人は今とあまり変わっていないけれど」
「失礼だな。多少は成長してる」
「どこが?」
「給料の交渉とか」
「あら。昔からしていたでしょう?」
「今の方が上手い」
「胸を張るところなのかしら」
アーミアが笑う。
「でも、先生をソレスタルビーイングに誘った時って、どんな感じだったんですか?」
「アーミア」
「はい?」
「世の中には知らなくていい昔話もある」
「聞きたいです」
「即答するな」
留美が口元へ手を添える。
「そうね。どこから話そうかしら」
「留美」
「何?」
「余計な教育をするな」
「あら。事実を話すだけよ?」
「それが一番困るんだよ」
アーミアの目が輝いている。
「聞きたいです」
「だそうよ、レイナス」
「お前ら意気投合するの早すぎないか?」
「いい子じゃない」
「否定はしないが、変な知識を与えるな」
「変な知識?」
留美が微笑む。
「例えば?」
「掘り返す気満々じゃないか」
「せっかくだもの」
レイナスは深くため息をついた。
「……面倒な奴が一人増えた」
「あら」
留美が足を止める。
「一人?」
アーミアも気づいた。
「先生、今の私も入ってます?」
「ノーコメント」
「先生!」
「回答には追加料金が発生する」
「誰に請求するんですか!」
「留美」
「私?」
「元を辿れば、お前が俺をCBに連れてきた」
留美は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑う。
「随分と長い請求書ね」
「利息も付いてる」
「では、ELSの件が終わったらゆっくり精査してあげるわ」
「踏み倒す気満々じゃないか」
「失礼ね」
留美は涼しい顔で言った。
「内容に納得できれば、払ってあげてもよくてよ?」
「その言い方する奴は大体払わないんだよ」
アーミアがレイナスを見る。
「先生、勝てそうにないですね」
「昔からこうなんだ」
「あら。私がいつも勝っていたみたいな言い方ね」
「違うのか?」
「さあ、どうだったかしら?」
留美は答えず、先へ歩いていく。
レイナスが小さく息を吐く。
「ほらな」
◇
プトレマイオス2・個室
荷物を置き終えた留美は、端末を開いた。
地上で組み上げた支援網は今も動いている。
避難船の運航状況。
医療物資の輸送。
避難施設の収容人数。
問題が出た地域には既に代替経路が割り振られていた。
留美は必要な指示だけを送り、画面を切り替える。
ELS本体。
巨大な銀色の反応は、今も地球へ近づいている。
護衛される側が、護衛の側にいる。
先ほど口にした理由は嘘ではない。
レイナスは今も彼女の護衛を引き受けている。
ならば、その側にいる。
それに、地上へ残ったところで安全が保証されるわけではない。
連邦軍とソレスタルビーイングがELSを止められなければ、次に危険へ晒されるのは地球だ。
早いか。
遅いか。
違いは、それだけ。
ならば留美にとって、ここへ来ない理由にはならなかった。
だが――それだけでここまで来たわけでもない。
スメラギ。
フェルト。
クリス。
リヒティ。
ラッセ。
イアン。
ミレイナ。
刹那。
ティエリア。
アレルヤ。
マリー。
ニール。
ライル。
アニュー。
長く関わってきた者たちが、この艦にいる。
そして今では、アーミアという新しい少女まで加わった。
ソレスタルビーイングを支援し始めた頃には、想像もしなかった未来だった。
通信端末が鳴る。
『留美?』
フェルトだった。
「どうしたの?」
『部屋、大丈夫?』
「ええ。十分よ。ありがとう」
『何か足りなかったら言って』
「そうね……」
留美は少し考えた。
やがて、いたずらを思いついたように微笑む。
「では、一つお願いしてもいいかしら?」
『何?』
「レイナスの部屋は、ここから近いの?」
数秒。
沈黙。
『……護衛のため?』
「もちろん」
通信の向こうからクリスの笑い声が聞こえた。
『絶対それだけじゃないでしょ』
「あら、クリスもいたの?」
『いるよ。で、本当は?』
「護衛のためよ」
『二回言った』
「大切なことだもの」
フェルトの小さな笑い声まで聞こえる。
『聞いてみる?』
「お願いするわ」
『たぶん嫌がるよ』
「知っているわ」
即答だった。
数分後。
艦内通信が鳴る。
『留美』
レイナスだった。
「何かしら?」
『部屋はそこから動かさんぞ』
「あら。どうして?」
『護衛対象が護衛の生活圏まで侵食してくる契約は結んでない』
「契約内容を確認したかしら?」
『確認するまでもない』
「そう」
留美は窓の向こうへ目を向ける。
「では、ELSの件が終わったら契約を見直しましょう」
『仕事を増やすな』
「あなたの本業でしょう?」
『契約更新は別料金だ』
「あら。それなら見積書をお願いするわ」
一瞬。
通信の向こうが黙った。
『……本当に出すぞ』
「楽しみにしているわ」
『後悔するなよ』
通信が切れる。
留美は小さく笑った。
地球では避難が進み。
連邦軍は戦力を集め。
プトレマイオス2では、決戦への準備が続いている。
ELS本体が来るまでの時間は減り続けていた。
それでも留美は、ここへ来たことを後悔していなかった。
待つだけではなく。
長く共に歩いてきた者たちと、最後まで同じ場所にいる。
今の彼女には、それが自然な選択だった。