第145話 完成まで
西暦2314年――プトレマイオス2・第一格納庫
ダブルオークアンタの周囲には、整備用の足場とケーブルが幾重にも伸びていた。
外装の大部分は既に組み上がっている。
機体としての姿は、ほぼ完成していた。
だが、本当に時間を食っているのは見えない部分だった。
「ヴェーダとの接続確認、もう一度いきます!」
ミレイナの声が飛ぶ。
「ティエリアさん、準備はいいですか?」
『問題ない。始めてくれ』
格納庫上部の作業区画で、イアンが端末を睨む。
数値が次々と流れていく。
その横には刹那。
少し離れた場所にレイナスとアーミアもいた。
「接続率上昇……安定しています!」
「量子演算系は?」
『正常だ。小型ヴェーダ端末からの処理も予定範囲内に収まっている』
ティエリアの声に、イアンが息を吐く。
「問題は実際にELSと繋いだ時だな」
刹那が端末を見る。
「前回とは違う」
「ああ。違ってもらわないと困る」
イアンが振り返る。
「お前がまた倒れて、そのたびにレイナスに治してもらう前提で機体を作ってるわけじゃない」
「分かっている」
レイナスが横から口を挟む。
「俺もそんな保守契約を結んだ覚えはないぞ」
「先生、治せるんですよね?」
「治せるのと、壊れていいのは別の話だ」
「それはそうですね」
「人間は交換部品が利かない。覚えとけ」
「はい、先生」
素直に返され、レイナスが少しだけ黙る。
イアンは気にせず作業へ戻った。
「刹那。今度はヴェーダとティエリアが間に入る。お前一人で全部受け取るな」
「ああ」
『僕の役目でもある』
ティエリアの声が続く。
『ELSから流入する情報をヴェーダで処理し、刹那が受け取れる形へ近づける。どこまで可能かは実際の接触まで分からないが、ダブルオーライザーの時のように無防備に受けることはない』
「俺もヴェーダへ返す」
『そのためのクアンタだ』
短い言葉だった。
それで十分に通じている。
レイナスは完成間近の機体を見上げた。
「しかし、贅沢な機体だな」
イアンが嫌そうに振り返る。
「乗りたがるなよ」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてある」
「新型見て興味持つくらい標準業務だ」
「お前の標準は信用ならん」
アーミアがクアンタを見上げる。
「先生が乗ったら駄目なんですか?」
「駄目だ」
刹那が即答した。
レイナスが横を見る。
「早いな」
「俺のガンダムだ」
「……お前がそこまで言うなら取らんよ」
イアンが笑う。
「珍しく話が早いな」
「人を何だと思ってるんだ」
◇
プトレマイオス2・第二格納庫
第一格納庫とは違う銃声が響いていた。
実弾ではない。
射撃管制システムによる模擬射撃。
デュナメス・ヴァリアントの照準が、次々と表示される仮想標的を捉えていく。
一発。
二発。
三発。
標的だけが正確に消える。
「右肩、前よりいい」
ミレイナから回されたデータを見ながら、ライルが言った。
『調整してもらったからな』
コックピットからニールの声が返る。
サバーニャも隣の整備台に固定されていた。
「俺の方は数が来るほど仕事になる」
『こっちは多すぎると残業だ』
「兄さん、レイナスに影響されてない?」
『あいつほど金の話はしてないだろ』
「そこじゃねえよ」
近くで聞いていたアニューが笑った。
「でも、役割ははっきりしてるわね」
ニールがコックピットから降りてくる。
「ライルが広く削って、俺が抜けた奴を狙う」
「逆でもいいけどな」
「お前、狙撃できるのか?」
「できるよ」
ライルが肩を竦める。
「兄さんほど気持ち悪い精度じゃないだけで」
「褒めてる?」
「一応」
アニューが二人を見る。
「本当に似てないわね」
「よく言われる」
兄弟の声が重なった。
今度はアニューが笑った。
格納庫の入口から、その様子を見ている人物がいた。
絹江だった。
ニールが気づく。
「終わった?」
「ええ。連邦側にももう一度照会をかけてもらったわ」
その一言で、ニールの表情が少し変わる。
ライルとアニューも事情を察した。
「アーミアの家族か」
「まだ決定的な情報はないけどね」
絹江は端末を抱え直す。
「避難記録だけじゃなくて、民間の輸送記録や一時収容施設まで範囲を広げてもらってる。記録そのものが混乱しているから、時間はかかると思う」
「本人には?」
「分かっているところまで話すわ。期待させるようなことも、諦めさせるようなことも言えないもの」
ニールが頷いた。
「それがいい」
「あなたは?」
「俺?」
「準備」
絹江の視線がヴァリアントへ向く。
「終わったの?」
ニールも振り返る。
「まだ細かい調整はあるけど、出せる状態にはなったよ」
「そう」
絹江はそれ以上聞かなかった。
代わりにニールを見る。
「帰ってくるんでしょう?」
「ああ」
以前にも交わした話だった。
だから、今度は長く言葉を重ねる必要はない。
「今回も帰ってくるよ」
「なら、待ってる」
それだけだった。
◇
プトレマイオス2・食堂
「……どうしてこうなったんでしょう」
アーミアが呟いた。
目の前には王留美。
隣にはフェルト。
向かいにはクリス。
少し離れた席にはスメラギまでいる。
「何が?」
クリスが聞く。
「私、訓練が終わってご飯を食べに来ただけなんですけど」
「私たちも同じよ」
留美が優雅にカップを置いた。
「何もおかしくないでしょう?」
「先生の昔話を聞く流れになってます」
「ああ、それ?」
クリスが笑う。
「私も聞きたい」
「クリスまで……」
フェルトが静かに言う。
「私も少し気になる」
「フェルトさんまで!?」
スメラギは食事をしながら肩を竦めた。
「私に振らないでね。レイナスと知り合ったのは留美の方が先なんだから」
留美が微笑む。
「大した話ではないわよ?」
「先生は知らなくていいって言ってました」
「本人がそう言うなら、余計に気になるじゃない」
クリスが即答する。
「ですよね」
「アーミア、順応が早いわね」
その時。
食堂の扉が開いた。
レイナスが入ってくる。
全員の視線が集まった。
「……何だよ」
誰も答えない。
レイナスが席を見る。
留美。
アーミア。
クリス。
フェルト。
スメラギ。
「嫌な予感しかしないな」
「あら、レイナス」
留美がにこやかに言う。
「ちょうどいいところに来たわ」
「帰る」
即座に踵を返す。
「先生!」
「俺は何も聞いてない」
「まだ何も言ってません!」
「だから今のうちに逃げる」
クリスが笑う。
「レイナス、昔の話してよ」
「却下」
「先生が留美さんにスカウトされた時の話です」
「却下」
「二回言った」
「重要だからな」
留美は楽しそうにレイナスを見る。
「別に隠すようなことでもないでしょう?」
「お前が話すと余計な脚色が入る」
「あら、失礼ね」
「じゃあ俺がいるところで話せ」
レイナスはそう言って――止まった。
クリスが笑みを深くする。
「座るんだ?」
「……しまった」
「先生、どうぞ」
アーミアが隣の椅子を引く。
レイナスは数秒その椅子を見た。
逃げれば後で何を言われるか分からない。
残れば確実に面倒だ。
どちらを選んでも赤字。
「……ELSより厄介な案件抱えてないか、俺」
「比べる相手を選びなさい」
スメラギが呆れる。
結局、レイナスは座った。
留美が満足そうに微笑む。
「では、どこから話そうかしら?」
「なるべく短く」
「注文が多いわね」
「当事者の権利だ」
「では――」
留美が少し考える。
「私が初めて会った時から、あなたが随分と変わった人だったところから?」
「開始地点から悪意がある」
アーミアが笑う。
決戦準備の最中。
世界中がELSの到来を待っている。
それでも、プトレマイオス2の中から日常が消えたわけではなかった。
◇
同日――プトレマイオス2・ブリッジ
食堂から戻ったクリスが席へ着く。
フェルトもオペレーター席へ戻り、リヒティが航路データを更新していた。
「連邦軍から最新配置データ来たよ」
クリスの声で、スメラギが振り返る。
「表示して」
地球圏を囲むように展開する艦隊。
その数は、これまでとは比較にならない。
GN-X IV部隊。
ブレイヴ隊。
各方面から集められた艦艇。
防衛線が形になりつつある。
「カティ准将から、CBとの通信回線も最終確認したいって」
「繋いで」
「了解」
ラッセが操舵席からモニターを見る。
「いよいよって感じだな」
「ええ」
スメラギは短く答える。
その時、別のウィンドウが開いた。
クアンタ開発班からの報告。
クリスが読み上げる。
「ダブルオークアンタ、主要システム統合試験に移行。予定より少し前倒し」
フェルトが振り返る。
「間に合いそう?」
スメラギはすぐには答えなかった。
完成する。
それだけでは足りない。
刹那が乗り。
ヴェーダと繋がり。
ティエリアが支え。
ELSへ声を届けられて、初めて意味を持つ。
「間に合わせるわ」
スメラギはモニターを見る。
「連邦軍が作ってくれる時間を、無駄にはできないもの」
クリスが頷く。
「了解」
リヒティが次の航路データを開く。
「こちらも配置変更に合わせます」
「お願い」
準備は続く。
兵器を完成させる者。
戦う者。
帰る場所を探す者。
そして。
まだ見たこともない相手へ、声を届けようとする者。
決戦の日へ向けて。
必要なものが、一つずつ揃い始めていた。