第147話 襲来
西暦2314年――プトレマイオス2・ブリッジ
警報が鳴った。
それは戦闘警報ではない。
長い間、全員が待ち続けていた観測結果を知らせるものだった。
「長距離観測データ、更新!」
クリスの声が飛ぶ。
フェルトが受信した情報をメインモニターへ展開する。
「連邦軍観測網からも同一データを受信。誤差修正します」
無数の数値が書き換わっていく。
予測ではない。
推定でもない。
地球圏へ接近する巨大な反応が、ついに観測可能な領域へ入った。
リヒティが息を呑む。
「……でかい」
モニター中央に表示された銀色の天体。
比較表示された月よりもなお巨大に見える。
そして、その周囲を埋め尽くしている無数の反応。
ラッセが操舵席から振り返る。
「全部ELSか?」
「そうみたい」
クリスの指が止まらない。
「小型、中型、大型……分類できない反応も大量にある。数は――」
一瞬、言葉が途切れる。
「無理。多すぎる」
スメラギは巨大な反応を見つめる。
これまで人類が接触してきたELSは、そのほんの一部に過ぎなかった。
「到達予測は?」
フェルトが計算結果を確認する。
「連邦軍第一防衛線との接触まで、約十二時間」
ブリッジが静まった。
十二時間。
九十五日から始まった猶予が、そこまで減った。
「連邦軍へ確認」
スメラギが立ち上がる。
「予定通り共同通信回線を開く。全員、第一種戦闘配置へ移行」
「了解!」
クリスが艦内回線を開く。
『総員、第一種戦闘配置! 繰り返します、総員第一種戦闘配置!』
警報が切り替わる。
今度こそ。
戦闘警報だった。
◇
プトレマイオス2・居住区
アーミアは壁に手をついた。
「……っ」
銀色の右腕が震えている。
痛みではない。
恐怖とも少し違う。
遠い。
それでも確かに感じる。
あまりにも多い。
一つなのか。
無数なのか。
その区別すら曖昧になるほどの何かが、近づいてくる。
「アーミア」
声に顔を上げる。
刹那がいた。
その瞳は金色に変わっている。
「刹那さん……」
「感じるか」
「はい」
アーミアは右腕を押さえる。
「今までと全然違います」
刹那も同じ方向を見ていた。
壁の向こう。
艦の外。
さらに遥か遠く。
「来る」
短い言葉。
アーミアが頷く。
「……怖いです」
「俺もだ」
思わず刹那を見る。
「刹那さんも?」
「ああ」
即答だった。
「分からないものは怖い」
刹那はアーミアを見る。
「だから、知りたい」
アーミアの右手がまた震えた。
彼女はその手を左手で包む。
淡い青白い《アニマ》が灯る。
震えが少し弱くなった。
「私にも、できることがありますか?」
「ある」
「何ですか?」
「感じたものを伝えてくれ」
刹那は言った。
「俺が見落とすものを、お前なら感じるかもしれない」
「……はい」
「戦う必要はない」
アーミアが少し笑う。
「それ、先生にも言われました」
「そうか」
「『素人を現場に出して事故ったら、後始末する俺の仕事が増える』って」
刹那が少し考える。
「レイナスらしい」
「ですよね」
警報が鳴り続けている。
それでもアーミアの表情から、先ほどまでの強張りは少し消えていた。
◇
地球連邦軍・外宇宙航行艦《ソレスタルビーイング》
巨大スクリーンをELSの反応が埋め尽くしていた。
「総数、算出不能!」
「先行するELS群、第一防衛線へ接近中!」
「各艦隊、配置完了!」
報告が飛び交う。
カティは中央指揮席から全体を見渡す。
「予定通りだ。防衛線を維持しろ。突出するな」
「了解!」
別回線が開く。
『ブレイヴ隊、発進準備完了』
グラハムだった。
「待機しろ、少佐。まだ出るな」
『了解した』
不満は聞こえない。
その後方ではビリーとミーナがELSの観測データを解析していた。
「やっぱり形状が一定じゃない」
ミーナが表示を拡大する。
「これまで確認された形態だけじゃないわ。接近しながら変形を繰り返してる個体もいる」
ビリーが別のデータを重ねる。
「人類側の艦艇やモビルスーツに近い形も増えている」
「学習してる?」
「その可能性は高い」
二人の会話を聞きながら、カティはプトレマイオス2との回線を開いた。
モニターにスメラギが映る。
『こちらも確認したわ』
「予定通り第一防衛線で迎える」
『クアンタは完成した。こちらも出られる』
「刹那・F・セイエイは温存しろ」
スメラギが一瞬黙る。
『理由を聞いても?』
「対話のための機体を、対話に辿り着く前に消耗させる意味はない」
『同感よ』
「他の戦力で進路を作る」
スメラギが表示された配置を見る。
『アルティオールネクストも使うわ』
「ELSがレイナス・レノアークを避ける傾向か」
『絶対ではないけど、利用できる可能性はある』
「分かった。そちらの判断に任せる」
二人とも、それ以上は言わなかった。
互いの指揮権へ踏み込まない。
必要な情報だけを共有する。
通信が切れる。
カティは巨大な銀色の反応を見る。
「全軍へ通達」
オペレーターが回線を開く。
「我々の目的はELSの殲滅ではない」
声が全艦隊へ流れる。
「地球への到達を阻止し、ソレスタルビーイングによる対話の機会を確保する」
カティの視線が鋭くなる。
「だが、接触を許せば艦も機体も取り込まれる。躊躇するな」
一拍。
「生き残れ。その上で、防衛線を維持しろ」
◇
プトレマイオス2・第二格納庫
「デュナメス・ヴァリアント、最終チェック完了!」
整備員の声に、ニールがヘルメットを抱えて機体を見上げる。
隣ではライルがサバーニャへ向かっていた。
「兄さん」
「ん?」
「競争する?」
「何を」
「撃墜数」
ニールが笑う。
「やめとくよ」
「怖じ気づいた?」
「相手の数見ただろ。数え終わる前に日が暮れる」
「それもそうか」
ライルも笑う。
アニューがライルの前に立つ。
「ライル」
「分かってる」
「まだ何も言ってない」
「帰ってこい、だろ?」
アニューが少しだけ眉を寄せる。
「先に言わないでよ」
「悪い」
「……帰ってきて」
「ああ」
短く答え、ライルはアニューの額へ自分の額を軽く触れさせる。
「行ってくる」
少し離れた場所では、絹江がニールを待っていた。
「こっちも同じこと言われるのかな」
ニールが笑う。
「言わせたい?」
「いや」
絹江はニールの胸を軽く叩いた。
「もう言ったでしょう」
「ああ」
「だから行ってきて」
ニールが頷く。
「行ってくる」
二人のロックオンが、それぞれのガンダムへ向かう。
今度は復讐のためではない。
帰ってくるために戦う。
◇
プトレマイオス2・第三格納庫
「ハルート、システムオールグリーン」
アレルヤがコックピットへ乗り込む。
後席にはマリー。
「アレルヤ」
「うん」
「大佐から言われたわ」
何を、とは言わなかった。
アレルヤには分かっている。
生きて帰れ。
「守る、とは言わないよ」
アレルヤが操縦桿を握る。
「ええ」
「一緒に戦って、一緒に帰ろう」
「はい」
『甘いなァ、アレルヤ』
頭の奥から声が響く。
アレルヤが苦笑する。
「ハレルヤ」
『だがまあ、死ぬ気がねえのは悪くねえ』
「君も含めてだからね」
『俺まで勘定に入れんな』
「同じ身体だろ」
『チッ』
マリーが笑う。
「ハレルヤも元気そうね」
『聞こえてねえくせに言うな』
「何となく分かります」
『……こいつも面倒になったな』
「僕もそう思う」
『テメェ』
ハルートのカメラアイが点灯する。
◇
プトレマイオス2・第一格納庫
アルティオールネクストのコックピットへ向かおうとしたレイナスの前に、王留美が立っていた。
「何だ?」
「護衛をお願いするわ」
レイナスが格納庫を見回す。
「今から外に出るんだが」
「知っているわ」
「物理的に離れるぞ」
「契約違反かしら?」
「普通ならな」
留美は微笑む。
「では、今回は特例ということで」
「勝手に契約変更するな」
「戻ってくれば問題ないでしょう?」
レイナスが一瞬黙る。
「……簡単に言うな」
「あら」
留美の表情は変わらない。
「難しい注文だったかしら?」
レイナスは留美を見る。
「いや」
ヘルメットを被る。
「追加料金で請け負う」
「高くても構わないわ」
「言ったな?」
「ええ」
留美が一歩退く。
「行ってらっしゃい、レイナス」
「行ってくる」
その後ろからアーミアが走ってくる。
「先生!」
レイナスが振り返る。
「何だ」
「私、ブリッジにいます」
「ああ」
「何か分かったら、すぐ伝えます」
「頼む」
アーミアが頷く。
そして少し迷ってから言った。
「……気をつけてください」
「そっちもな」
「私は艦内ですよ?」
「前線に出る艦の中だ。安全圏じゃない」
アーミアは一瞬黙り、頷いた。
「はい」
レイナスはアルティオールネクストへ乗り込む。
青白い粒子が格納庫を照らした。
◇
プトレマイオス2・ブリッジ
各機の状態が次々と表示される。
クリスが読み上げる。
「サバーニャ、発進準備完了!」
「デュナメス・ヴァリアント、準備完了!」
「ハルート、準備完了!」
フェルトが続く。
「ラファエル、発進可能」
「アルティオールネクスト、カタパルトへ移動」
ラッセが艦首を連邦軍の防衛線へ向ける。
リヒティが周辺航路を監視する。
留美と紅龍は後方席。
アーミアは専用に用意された観測端末の前に座っていた。
銀色の右手が、微かに震え続けている。
スメラギが全員を見る。
「ダブルオークアンタは待機」
格納庫から刹那の声が返る。
『了解』
「刹那」
『何だ』
「あなたの出番は、まだ先よ」
一瞬の間。
『分かっている』
スメラギは頷く。
「第一次出撃隊、発進」
カタパルトが開く。
最初に飛び出したのはガンダムサバーニャ。
『ライル・ディランディ、サバーニャ。狙い撃つぜ!』
続いて。
『ニール・ディランディ。デュナメス・ヴァリアント、出る!』
二機の狙撃型ガンダムが並ぶ。
ハルートが変形しながら射出される。
『アレルヤ・ハプティズ、マリー・パーファシー。ガンダムハルート、行きます!』
『ティエリア・アーデ、ラファエルガンダム。出る』
最後に。
青白い粒子を纏ったアルティオールネクストがカタパルトへ立つ。
『レイナス・レノアーク』
一瞬だけ間が空く。
『さて――長い前払い期間も終わりだ』
アルティオールネクストのカメラアイが輝く。
『そろそろ仕事を始めるか』
機体が射出された。
◇
宇宙――地球連邦軍第一防衛線
無数の艦艇。
無数のモビルスーツ。
その先頭近くに、ブレイヴ指揮官用試験機がいた。
グラハムが遠方を見据える。
まだ肉眼では見えない。
だがレーダーは既に銀色の反応で埋まり始めている。
『少佐』
部下の声。
『先行ELS群、防衛線到達まで三十分』
「了解した」
グラハムは操縦桿を握り直す。
脳裏を過ぎるのは、かつて交わした約束。
レイナス・レノアークとの再戦。
まだ果たしていない。
「ここで死ぬわけにはいかんな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
直後。
通信回線へ声が入った。
『ブレイヴ指揮官機、聞こえるか』
グラハムの口元が上がる。
「その声はレイナス・レノアークか」
『予約客が生きてるか確認しに来た』
「無論だ」
『なら結構。先払いだけして消える客は困るんでね』
「安心したまえ」
グラハムの声が弾む。
「君との決着を付けるまでは、死ぬつもりはない!」
『それでいい。今日の仕事は別件だ』
「承知している!」
二機が同じ方向を見る。
そして。
星空の一角が――銀色に染まり始めた。
一つや二つではない。
視界そのものを覆い尽くすような銀の群れ。
その奥には。
人類がこれまで見たこともない巨大な影がある。
通信から、カティの声が響く。
『全軍、戦闘態勢』
各機の武装が展開される。
サバーニャ。
デュナメス・ヴァリアント。
ハルート。
ラファエル。
ブレイヴ。
GN-X IV。
そして、アルティオールネクスト。
地球を背に。
人類の防衛線が完成する。
『射程圏まで――十秒』
銀色の群れが迫る。
『九』
誰も喋らない。
『八』
アルティオールネクストの手に《アニマソード》が形成される。
『七』
サバーニャの無数の砲門が開く。
『六』
デュナメス・ヴァリアントがライフルを構える。
『五』
ハルートのセンサーが大量の標的を捉える。
『四』
ブレイヴが機首を上げる。
『三』
ラファエルが砲口を向ける。
『二』
カティが右手を上げる。
『一』
振り下ろした。
「全軍――迎撃開始!」
宇宙を、光が埋め尽くした。