第2話 観測者
西暦2307年――ソレスタルビーイング武力介入開始から数日後・某都市
世界は、騒がしくなっていた。
ソレスタルビーイング。
突如として姿を現し、世界中のあらゆる戦争行為に武力介入すると宣言した私設武装組織。
テレビをつければガンダム。
ネットワークへ接続してもガンダム。
新聞にもガンダム。
専門家を名乗る者たちが、連日のように彼らの目的を分析している。
理想主義者。
テロリスト。
革命家。
狂信者。
あるいは、三大国家群のいずれかが秘密裏に用意した特殊部隊。
意見は様々だった。
だが、一つだけ共通している。
誰も、ソレスタルビーイングの正体を知らない。
「ま、そうなるよな」
安宿のベッドへ腰掛けながら、レイナスは端末を操作していた。
画面には、これまでに確認されたガンダムの映像が並んでいる。
個別の機体名は、まだ分からない。
しかし複数の映像を集めて比較すれば、それぞれの特徴くらいは見えてくる。
最初に見た白と青を基調とする近接戦闘型。
長距離射撃を行う機体。
飛行形態への変形能力を持つ機体。
そして、他と比較して明らかに重装甲な機体。
「最低でも四機。それぞれ役割まで分けてる……ちゃんとした部隊編成か」
素人集団ではない。
レイナスは映像を切り替えた。
どの機体からも、例の粒子が放出されている。
淡い緑色の光。
既存のMSとは根本的に異なる性能。
その二つが無関係とは考えにくい。
「動力……推進……それだけじゃなさそうだな。便利な粒子ってだけなら話は早いんだが」
映像を巻き戻す。
ガンダムが高速で方向転換する瞬間。
粒子の放出量が変化している。
「んー……分からん」
あっさり諦めた。
一般へ公開されている映像だけで未知の技術体系を解明できるなら、苦労はしない。
それよりも。
「実物、触らせてもらえりゃ早いんだけどな」
ぽつりと漏らしてから、レイナスは少し考えた。
「……貸してくれないだろうな」
当たり前である。
世界中から追われ始めている秘密組織へ突然出向き、「ガンダムを見せてくれ」と頼む。
不審者以外の何者でもない。
「その前に居場所が分からねえか」
端末を閉じる。
ガンダムが次にどこへ現れるかも分からない。
世界中の紛争地域を飛び回って探すほど暇でもない。
何より――。
時計を見る。
「……やべ。仕事だ」
世界を越えてきた人間にも、出勤時間は存在する。
むしろ身分も資産もない今の方が、以前より切実だった。
◇
同日昼――工業区画
金属音が響いている。
レイナスは作業服姿で、機械部品が積まれた台車を押していた。
この世界へ来てから一週間ほど。
最初は日雇い仕事を転々としていたが、現在は小規模な工場で働いている。
身元について細かく聞かれなかったことが大きい。
もちろん、いつまでもこの生活を続けられるとは思っていない。
正式な身分証明が必要になる場面はいずれ来る。
住居。
銀行。
通信契約。
普通に生活しようとすればするほど、身元不明という立場が重くなる。
「世界を越えるんなら、身分証くらいサービスで付けてくれてもいいだろ……」
誰に向けた愚痴なのか、自分でも分からない。
「レイナス! それ終わったら三番の方頼む!」
奥から声が飛ぶ。
「はいよ」
台車を止める。
部品を持ち上げようとして、一度手を止めた。
重量表示を見る。
周囲を見る。
近くの作業員が二人で似た部品を運んでいる。
「……これは二人か」
前に注意された。
自分の感覚で仕事をすると目立つ。
レイナスは近くにいた作業員へ声を掛けた。
「悪い、こっち持ってくれ」
「おう」
二人で運ぶ。
自分一人なら片手でも足りる。
だが、それをやる必要はない。
目立たない。
それが現在の基本方針だった。
この世界で自分の立場が決まるまでは、余計な騒ぎを起こさない。
《アニマ》も使わない。
普通に働き。
普通に金を受け取り。
普通に飯を食う。
その程度でいい。
少なくとも――。
このときまでは。
◇
同日午後――工業区画・搬入口
最初に聞こえたのは、甲高い破裂音だった。
続いて衝撃。
建物全体が小さく揺れる。
「何だ!?」
作業員たちが一斉に外を見る。
レイナスも作業の手を止めた。
黒煙。
工場から少し離れた道路で、貨物車両が横転している。
ただの交通事故ではない。
その向こうから、複数の武装した男たちが走ってきた。
レイナスの眉間に皺が寄る。
「おいおい……勘弁してくれよ。こっちは真面目に日銭稼いでるってのに」
この地域では、政府と反政府勢力による小規模な衝突が続いている。
だが、ここは戦闘地域から離れているはずだった。
「中に入れ!」
誰かが叫ぶ。
作業員たちが動き始める。
その直後。
銃声。
壁へ弾丸が当たり、火花が散った。
悲鳴が上がる。
レイナスは武装集団を見る。
狙った射撃ではない。
威嚇。
目的は工場に保管されている物資だろう。
それなら大人しく渡してしまえばいい。
命と工場の在庫。
比べるまでもない。
レイナスも、そのまま他の作業員と避難するつもりだった。
再び銃声が響くまでは。
「ぐっ……!」
一人の作業員が倒れた。
肩から血が流れる。
「おい!」
周囲の人間が駆け寄る。
即死する傷ではない。
だが。
レイナスは小さく息を吐いた。
「……撃っちまったか」
面倒そうに頭を掻く。
本当に面倒だった。
せっかく見つけた仕事だ。
職場の人間も悪くない。
できれば何事もなく給料を受け取って帰りたかった。
「レイナス!?」
「悪い。ちょっと行ってくる」
「行くってどこに!?」
「向こう」
武装集団を指差す。
「馬鹿! 銃持ってんだぞ!」
「見りゃ分かるよ」
歩き出す。
武装した男が気づいた。
銃口が向く。
「止まれ!」
レイナスは歩き続ける。
「止まれと言っている!」
「聞こえてるって」
肩を竦める。
「できれば俺も大人しくしてたいんだけどな。人撃っといて、それはちょっと虫が良すぎるだろ」
発砲。
乾いた音が響いた。
直後。
レイナスの姿が消える。
「――なっ!?」
次の瞬間には、男の目の前。
「悪いな」
腹部へ拳を入れる。
男が崩れ落ちた。
《アニマ》は使っていない。
必要すらなかった。
残る男たちが一斉に銃を向ける。
「撃て!」
「はいはい。そう来るよな」
レイナスが地面を蹴った。
銃口。
指。
姿勢。
視線。
撃たれた弾を見てから避ける必要などない。
撃つ前に分かる。
一人目。
銃を持つ腕を掴んで捻る。
武器を落とさせ、そのまま地面へ転がす。
二人目。
身体を沈めて射線を外し、懐へ入る。
「よっと」
蹴り。
男が吹き飛ぶ。
三人目が背後から銃口を向ける。
振り返らない。
身体だけを半歩ずらす。
銃弾が横を通過した。
「後ろから撃つなら、殺気くらい隠せよ」
肘打ち。
沈黙。
十秒もかからなかった。
武装していた男たちは全員、地面に倒れている。
誰も死んではいない。
レイナスは手を軽く払った。
「これで終わり……なら助かるんだが」
その願いは、数秒で裏切られた。
地面が揺れる。
一度。
二度。
重量物が地面を踏みつける音。
レイナスが顔を上げた。
工場の建物越しに、巨大な影が動いている。
「あー……」
資料で見覚えがある。
旧式のモビルスーツ。
最新鋭機ではない。
それでも、生身の人間を相手にするには過剰すぎる兵器だった。
工場の向こう側から機体が姿を現す。
「MSまで持ち込んでんのかよ!」
作業員が叫ぶ。
レイナスも同意したかった。
「ずいぶん豪勢なお出迎えじゃないか。俺一人に使うにはもったいないぞ」
もちろん自分を狙って持ってきたわけではない。
MSの腕が動く。
機関砲。
銃口が工場側へ向けられる。
その先には、まだ逃げ切れていない作業員たちがいる。
負傷者もいる。
「……そいつは駄目だ」
声から軽さが消えた。
右手を開く。
《アニマ》を巡らせる。
生命と精神から生まれ、意思によって形を得る力。
全身へ。
脚へ。
そして右腕へ。
青白い光が、レイナスの身体を包んだ。
周囲の空気が震える。
「な、何だ……?」
背後で誰かが声を漏らした。
レイナスはMSを見上げる。
「悪いな」
一歩。
腰を落とす。
「そいつを撃たせるわけにはいかねえんだ」
踏み込んだ。
轟音。
足元のコンクリートが砕けた。
レイナスの身体が一気に加速する。
MSのセンサーが動く。
遅い。
巨体がレイナスを捉えるより先に、その懐へ潜り込んでいた。
見上げる。
装甲。
関節。
フレーム構造。
この世界へ来てから資料で見ただけの機体。
だが、構造自体は理解できる。
「なるほどな」
右拳を握る。
《アニマ》を収束。
「宇宙世紀のMSより、ずいぶん素直な造りじゃないか」
MSの腕が動いた。
巨大な拳が振り下ろされる。
レイナスは口元を僅かに上げた。
「遅えよ」
一歩横へ。
巨大な拳が地面を砕く。
同時に踏み込む。
「こっちだ」
拳を叩き込んだ。
轟音。
装甲が陥没する。
数メートル級の巨体が、その一撃だけで後方へよろめいた。
「…………は?」
作業員の声。
MSが姿勢を立て直そうとする。
「頑丈なのは結構」
レイナスが地面を蹴る。
跳躍。
MSの胸部装甲へ着地する。
「嫌いじゃないぜ、そういうの」
機体が腕を伸ばす。
振り払おうとしている。
「けど――」
レイナスは胸部へ掌を当てた。
《アニマ》が集束する。
青白い光が強くなる。
「人に銃向けた時点で、こっちも遠慮してやれねえな」
掌から《アニマ》を叩き込んだ。
爆発ではない。
衝撃が装甲を貫通し、内部構造へ直接走る。
火花。
装甲の継ぎ目から煙が噴き出す。
頭部センサーが明滅。
右腕が落ちる。
脚部の駆動系が沈黙した。
巨体が膝をつく。
レイナスは胸部から飛び降りた。
着地。
数秒遅れて、MSが完全に停止する。
静かになった。
レイナスは振り返った。
作業員たち。
倒れている武装集団。
全員がこちらを見ている。
誰も喋らない。
「…………」
レイナスも黙る。
停止したMSを見る。
自分の右手を見る。
工場の壁に設置されている監視カメラを見る。
「あー……」
頭を掻いた。
「こいつは言い訳するだけ無駄だな」
ようやく作業員の一人が口を開いた。
「お、お前……何なんだ……?」
レイナスは少し考えた。
「それ、俺も説明に困ってるんだよ」
「人間がMSを殴って壊すか普通!?」
「普通じゃない自覚はある」
「じゃあ何なんだよ!」
「とりあえず怪しい奴じゃない、ってことで納得してくれないか?」
「できるか!」
即答だった。
レイナスは頷く。
「だよな。俺でも無理だわ」
遠くからサイレンが聞こえてくる。
レイナスの表情が変わった。
警察。
軍。
どちらにしても困る。
「悪い。撃たれた人、頼む」
「待て! どこ行くんだ!」
「ここに残ったら絶対面倒なことになるだろ」
既に十分面倒なことになっている。
「じゃあな。給料、結構よかったんだけどな……」
妙に名残惜しそうな言葉を残して、レイナスは走り出した。
◇
数時間後――別地区
安宿へは戻らなかった。
工場側が悪いわけではない。
だが、警察や軍が調査すれば勤務記録から宿泊先まで辿られる可能性がある。
レイナスは人通りの少ない道を歩きながら、深いため息をついた。
「無職に逆戻りか……」
世界を越えてきたことより、そちらの方が現実味のある悩みだった。
「せっかく仕事覚えてきたところだったんだけどな」
後悔はしていない。
あのまま放置していれば人が死んでいた。
なら動く。
そこは変わらない。
問題は、その後だ。
「身分証もねえ。仕事もなくなった。宿も変えた方がいい……順調に悪化してるな、俺の生活」
端末を確認する。
工場の事件は、既に地域ニュースへ出ていた。
ただし情報は錯綜している。
武装勢力同士の戦闘。
軍の介入。
MSの機関故障。
そんな推測が並んでいる。
レイナスは画面を眺める。
「よし。その線で行こう」
誰に同意を求めるでもなく頷く。
「MSは勝手に壊れた。俺は知らん」
もちろん、監視映像が出れば終わる。
「……無理があるか」
端末を閉じた。
そのとき。
街頭の大型モニターが速報へ切り替わった。
別の地域で発生した武力衝突。
政府軍。
武装勢力。
その上空から、光が降りる。
レイナスが足を止めた。
「今度はそっちか」
ガンダム。
例の緑色の粒子を放ちながら、一機のガンダムが戦場へ降下していく。
周囲の人々もモニターを見上げた。
ガンダムは政府軍だけを狙わない。
武装勢力だけを狙うわけでもない。
双方の兵器を攻撃し、戦闘能力を奪っていく。
「本当にやるんだな」
国家。
思想。
立場。
それらを問わず、戦争を行う者へ介入する。
声明通りだった。
「徹底してるじゃないか」
正しいかどうかは、まだ分からない。
この方法で戦争がなくなるとも思えない。
だが。
少なくとも、口だけではない。
「……ま、人の心配してる場合じゃないか」
ガンダムから視線を外す。
「今夜の宿と明日の飯。それから仕事……」
少し考える。
「世界平和より、今の俺にはそっちの方が切実だな」
レイナスは再び歩き出した。
◇
同日――某所
「こちらをご覧ください」
紅龍が映像を再生した。
工場。
武装した男たち。
そして、一人の男。
王留美は黙って画面を見ていた。
男が銃撃を回避する。
複数の武装した人間を、短時間で制圧。
そこまでなら説明はできる。
極めて高度な訓練を受けた人間。
身体能力に優れた特殊部隊員。
可能性はいくつかある。
問題は、その先だった。
映像にモビルスーツが現れる。
留美の目が細くなった。
男の身体を、青白い光が包む。
次の瞬間。
映像から姿が消えた。
カメラが捉え直したときには、既にMSの懐へ入っている。
拳。
装甲が陥没した。
数トンどころではない質量を持つMSが揺れる。
男が跳ぶ。
胸部へ着地。
掌を当てる。
青白い光。
そして――。
MSの各部から火花が噴き出し、停止した。
映像が終わる。
沈黙。
留美は画面を見つめたまま口を開いた。
「……もう一度お願いします」
紅龍が映像を戻した。
再生。
接近。
打撃。
装甲変形。
二度目の攻撃。
機能停止。
二度見ても結果は変わらない。
「映像の加工は?」
「確認済みです。入手した原本に編集された形跡はありません」
「MS側に異常があった可能性は?」
「直前まで正常に作動しています」
留美は映像を止めた。
青白い光を纏った男が、MSの正面に立っている。
「……これは、何なのでしょう」
紅龍は答えない。
「新型の強化服……には見えませんね」
「装備らしきものは確認できません」
「では、この光は?」
「不明です」
留美は僅かに笑った。
「分からないことばかりですね」
「申し訳ありません」
「責めているわけではありません」
留美は画面へ視線を戻した。
「名前は?」
「レイナス・レノアーク。少なくとも現在は、その名前を使用しています」
別の資料が表示される。
内容は、ほとんど空白だった。
「経歴は?」
「不明です」
「年齢は?」
「外見は20歳前後」
「所属」
「確認できません」
「国籍」
「それも不明です」
「過去の記録は?」
「現在確認できている最古の記録が、一週間ほど前です」
留美の指が止まる。
「一週間?」
「はい。それ以前の記録が存在しません」
紅龍は資料を切り替えた。
「出現後は日雇い労働を数件。その後、この工場で勤務しています。犯罪歴、軍歴、戸籍、教育記録――いずれも確認できません」
留美は少し考えた。
「ソレスタルビーイングとの接点は?」
「現時点ではありません」
「三大国家群の特殊部隊という可能性は?」
「照会できる範囲では該当者なし。ただし、完全には否定できません」
「当然ですね」
留美は再び映像を再生した。
男がMSを殴る。
その姿だけを見れば、恐ろしい。
だが。
最初の銃撃戦では一人も殺していない。
MSを破壊したのも、工場に残っていた人間へ銃口が向いた後。
事件後には、その場に残ることなく逃走している。
金品も奪っていない。
武装集団を追撃することもない。
行動だけを見れば。
「工場の人間を守った……」
「そのように見えます」
「これほどの力を持ちながら、一週間も日雇い労働を?」
「記録上は」
留美は思わず小さく笑った。
「変わった方ですね」
それから、表情を戻す。
「接触しましょう」
紅龍が留美を見る。
「よろしいのですか?」
「ええ」
「危険性は未知数です」
「だからこそです」
留美は画面を止めた。
レイナスがMSを見上げている。
「敵対する必要はありません。こちらから刺激することも避けましょう」
「では?」
「まずは話を」
留美は微笑む。
「レイナス・レノアークという人間が、何を望んでいるのか。それくらいは知っておきたいですから」
紅龍が頷いた。
「承知しました」
画面には、経歴の存在しない男。
一週間前まで、この世界のどこにもいなかった人物。
そして。
その名が初めて、ソレスタルビーイング側の記録へ刻まれた。
レイナス・レノアーク。
二つの道が交わるまで。
そう時間はかからない。