第21話 百年分の貫禄
西暦2307年――プトレマイオス・ブリッジ
チームトリニティとの接触から数日。
三機のガンダムスローネはプトレマイオスへ合流することなく、独自の武力介入を続けていた。
同じソレスタルビーイングを名乗りながら、指揮系統は別。作戦情報もほとんど共有されず、こちらから行動を制御する権限もない。
スメラギたちにできることは、各地から集めた情報を追い、その行動を監視することくらいだった。
「また動いたわ」
クリスの操作で、メインモニターへ映像が表示される。
赤いGN粒子を残して飛翔する三機のガンダム。
スローネアイン。
スローネツヴァイ。
スローネドライ。
その中でもレイナスの視線は、ツヴァイから射出された小型兵器を追っていた。
GNファング。
複数の兵器が母機を離れ、それぞれ別方向から標的へ殺到する。
「……やっぱり面白いな、あれ」
クリスが振り返る。
「感心してる場合?」
「してないよ。見てるだけだ」
「すごく乗りたそうな顔してるけど」
「人間関係とMSの評価は分けた方が公平だろ」
「便利な理屈」
「そうとも言う」
スメラギが別の資料へ目を通しながら口を挟む。
「レイナス。念のため言っておくけど、トリニティへ接触するつもりはないわよ」
「分かってる。向こうも好きに動いてるみたいだしな」
「ならいいけど」
「見るくらいは許してくれよ。せっかく三機も新しいガンダムが出てきたんだ」
「あなたの場合、見るの次が怖いのよ」
「随分信用をなくしたもんだ」
クリスが即座に答える。
「フラッグ」
「返した」
「イナクト」
「……あれは戦場だったから仕方ない」
「返してないでしょ?」
「返せる状態じゃなくなったからな」
「誰のせい?」
レイナスは黙った。
スメラギが小さく笑い、再び資料へ目を落とす。
「今のところ、トリニティは武力介入を継続している。やり方については気になるところもあるけれど、まだ判断材料が足りないわ」
ティエリアは納得していない。
「そもそも、彼らがソレスタルビーイングを名乗る根拠すら確認できていない」
「だから監視してるのよ」
スメラギの返答に、ティエリアはそれ以上何も言わなかった。
レイナスも画面へ視線を戻す。
先日直接会った三人について、分かったことはほとんどない。
ヨハンは比較的話が通じる。
ミハエルは直情的。
ネーナは掴みどころがない。
それ以上の評価を下すには、まだ早い。
何より気になるのは、彼らがこちらについて知りすぎていたことだった。
王留美との関係。
《アニマ》という名称。
別世界から来たという本人の申告まで把握していた。
こちらは彼らを知らなかった。
向こうは、こちらを知っていた。
「レイナス?」
フェルトの声で、思考が途切れる。
「ん?」
「映像、終わったよ」
見ると、モニターはすでに別の画面へ切り替わっていた。
「考え事?」
「ちょっとな」
「トリニティのこと?」
「半分は」
「もう半分は?」
レイナスは先ほどまでツヴァイが映っていた画面を見る。
「ファング」
クリスが吹き出した。
「結局そっちじゃない!」
「気になるものは仕方ないだろ」
◇
同日夜――プトレマイオス・食堂
その日の食事を終えても、レイナスは食堂に残っていた。
正面にはロックオン。
少し離れた席では、クリスが端末を弄っている。フェルトも飲み物を手に座っていた。
ここ数日はトリニティの出現もあり、艦内の空気もどこか落ち着かなかった。
だからこそ、こういう時間は貴重だった。
レイナスはロックオンの前に置かれた酒へ目を向ける。
「せっかくだ。ここは大人同士、酒でも飲んで親睦を深めようじゃないか」
ロックオンがグラスを持ち上げかけて、ふと止まった。
レイナスを見る。
「お前は大人っていうより年寄りだろうが」
「…………」
レイナスの手が止まった。
ロックオンも止まった。
冗談のつもりだったのだろう。
だが、思った以上に綺麗に刺さった。
「……レイナス?」
レイナスはゆっくりグラスを置いた。
「ぐうの音も出ねえ……」
数秒の沈黙。
最初に耐えられなくなったのはクリスだった。
「ちょっと待って……!」
口元を押さえているが、肩は完全に震えている。
「そうじゃない! そういえば本当にそうじゃない! レイナスって百歳超えてるんでしょ!?」
「自称だ」
「こういう時だけ自称に逃げるの!?」
「俺だって逃げ道くらい欲しいんだよ」
普段なら、百年以上生きているという話を疑われても気にしない。
証明する手段がないのだから、信じないのも当然だと思っている。
だが――年寄り。
その呼ばれ方だけは、予想外の方向から来た。
ロックオンが申し訳程度にグラスを上げる。
「悪かったって。そこまで効くとは思わなかった」
「俺も効くとは思ってなかったよ」
レイナスは自分の手を見る。
外見に老化らしい老化はない。鏡を見ても、そこにいるのは二十代程度の男だ。
「見た目だけなら、お前と大して変わらないはずなんだけどな……」
「でも百歳超えてんだろ?」
「ロックオン」
「何だ?」
「今それを重ねる必要あったか?」
「事実確認だ」
「そういう冷静な正論が一番刺さるんだよ」
とうとうクリスが声を上げて笑った。
「人生の大先輩じゃない!」
「その呼び方もやめてくれ」
「レイナス先輩?」
「そうじゃない」
「じゃあ長老?」
「クリス」
「はい?」
「酒を飲む前から頭痛がしてきた」
「治せるんじゃないの? 《アニマ》で」
「精神的な方は専門外なんだよ」
ロックオンも吹き出した。
「考えてみりゃ、俺が酒に付き合ってやるんじゃなくて、付き合ってもらう側だったな」
「だから話をそっちへ広げるなって」
「人生相談でもするか?」
「聞くだけなら聞くぞ。解決できる保証はしないけどな」
「そこは百年の経験で何とかしてくれよ」
レイナスは苦笑しながらグラスを手に取った。
「長く生きれば何でも分かると思ったら大間違いだぞ。分からないことが増えるだけだ」
「お、今のはちょっと年長者っぽい」
「もう何を言ってもそっちへ持っていく気だろ」
クリスが笑いながら、今度はフェルトを見る。
「フェルトはどう思う?」
「何が?」
「レイナスがお爺ちゃんだった件」
「お爺ちゃんではないだろ」
そこだけはレイナスが少し早めに否定した。
フェルトはレイナスを見る。
からかっている様子はない。
本当に考えている。
そして数秒後。
「……でも、イアンより年上なんだよね?」
「…………」
今度こそ、レイナスは完全に黙った。
ロックオンが顔を背ける。
クリスはテーブルへ突っ伏した。
「ちょっ……フェルト、それ……!」
「?」
フェルトだけが分かっていない。
レイナスは天井を見る。
イアン。
この艦で自分より遥かに年長に見える男で、技術者としての経験も豊富だ。
レイナス自身、自然と年上の人間に接するような感覚で話していた。
だが実年齢だけを比べれば――。
「……そうなるな」
フェルトが首を傾げる。
「違った?」
「いや。合ってる。たぶん今日一番正確な指摘だ」
「じゃあ、どうして落ち込んでるの?」
「フェルト」
レイナスはゆっくり彼女を見る。
「世の中には、正しいからこそ聞きたくない話もあるんだよ」
「……?」
「その顔を見る限り、まだ分からなくていい」
クリスが顔を上げる。
「何か急に年長者っぽい!」
「もう勘弁してくれ」
ロックオンだけでなく、クリスまで声を上げて笑った。
フェルトはまだ少し不思議そうだったが、やがて口元に僅かな笑みを浮かべる。
レイナスはそれを見て、ようやくグラスを持ち上げた。
「……まあいい。飲もう」
ロックオンもグラスを上げる。
「そうだな、爺さん」
「酒を取り上げるぞ」
「悪かった悪かった」
今度はレイナスも笑った。
◇
翌日――プトレマイオス・格納庫
「もう一度言うぞ」
イアンはテスト用フレームを指差した。
「今日は強度変化の測定だけだ。余計なことはするな」
「分かってる」
「タクラマカンみたいに、いきなり限界まで《アニマ》を流すな」
「あれは戦場だったから仕方ないだろ」
「だから今日は仕方なくない。決めた量だけ流せ」
「了解」
レイナスはテスト用フレームへ手を置いた。
タクラマカンでイナクトに行ったものと同じ。ただし、規模は遥かに小さい。
掌から広がった青白い光が、金属製のフレームを包んでいく。
イアンは端末に表示される数値を追った。
「そのまま維持しろ」
「ああ」
「強度上昇……予想より高いな」
「もう少し上げるか?」
「上げるな」
「まだ余裕あるぞ」
「お前の余裕は聞いとらん」
即答だった。
レイナスは素直に現状を維持する。
イアンが試験装置を操作し、徐々にフレームへ負荷を加えていく。
通常なら変形が始まる領域。
それでも耐える。
さらに負荷を増やしても、まだ保っていた。
「なるほど……単純な表面硬化じゃない。構造全体の耐久性が上がっとるな」
イアンの表情が、完全に技術者のものへ変わる。
レイナスもフレームを見ながら《アニマ》の流れを調整していた。
そして――。
「イアン」
「何だ」
「もう少しいけそうだ」
「待て」
感覚的には、まだ十分に余裕がある。
タクラマカンでイナクト全体へ流した量と比較すれば、ほんの僅かだった。
「ほんの少しだけなら」
「レイナス、待てと言っとる!」
青白い光が強くなる。
計測値が跳ね上がった。
「ほら。まだ――」
イアンの端末から警告音が鳴った。
「切れ!」
レイナスが即座に《アニマ》を解除する。
青白い光が消えた。
一秒。
二秒。
何も起こらない。
レイナスがイアンを見る。
「大丈夫じゃないか?」
直後。
ギィン――。
嫌な音が響いた。
二人が同時にフレームを見る。
中央部分が、ゆっくりと歪んでいく。
「…………」
「…………」
イアンは端末を見た。
フレームを見た。
最後にレイナスを見る。
「レイナス」
「はい」
「何をした?」
「少しだけ上げた」
「上げるなと言ったな?」
「言った」
「決めた量だけ流せと言ったな?」
「言った」
「お前も了解と言ったな?」
「言ったな」
「なら、なぜ上げた!」
レイナスは変形したフレームを見る。
「……いけると思った」
「いけてないだろうが!」
格納庫へ怒声が響く。
レイナスは片耳を押さえながら、フレームをもう一度確認した。
「壊れてはいない。ちょっと曲がっただけだ」
「それを壊れたと言うんだ!」
「まあ、そうとも言う」
「そうとしか言わん!」
イアンは頭を抱えた。
タクラマカンでは普通のMSを一機潰し、その後に現地調達したイナクトまで壊して帰ってきた。
もっと遡れば、ユニオンのフラッグへ勝手に乗った前歴まである。
そして今度は、管理された実験環境でこれだ。
「まったく……」
イアンは大きく息を吐いた。
そして昨夜の一件など知るはずもなく、レイナスにとって最悪の言葉を選んだ。
「ワシの倍以上生きとるくせに、何をやっとるんだお前は!」
「…………」
レイナスが止まった。
怒られたからではない。
そこではない。
イアンが怪訝そうにする。
「何だ?」
「……イアン」
「何だ」
「それ、今日の俺にはかなり効くんだ」
「知らん!」
「ですよね」
「反省しろ!」
「してるよ。フレームには悪いことをした」
「ワシにも謝れ!」
「それもそうだ。悪かった」
素直に頭を下げた、その時だった。
格納庫の入口から、押し殺したような笑い声が聞こえた。
「ぷっ……!」
レイナスは顔を上げなかった。
「……クリス」
「ご、ごめん……! でも……!」
「いつからいた?」
「『ワシの倍以上』くらいから」
「一番聞かれたくないところだけ綺麗に聞かれてるな……」
さらに。
「レイナス」
フェルトの声まで聞こえた。
レイナスはようやく振り返る。
クリスの隣にフェルトもいる。
「フェルトまでいたのか」
「うん」
「そうか……」
フェルトはイアンを見る。
「イアン」
「何だ?」
「レイナスって、本当にイアンの倍以上なの?」
「本人の話が本当ならな」
「そうなんだ」
レイナスは嫌な予感がした。
「フェルト」
「何?」
「今はそれ以上考えなくていいぞ」
フェルトは少し考えた。
「なのに、イアンに怒られてるんだね」
「…………」
クリスが壁へ手をついた。
「フェルト……! もう、やめてあげて……!」
「?」
本人に悪意はない。
だからこそ逃げ場がない。
レイナスは額へ手を当てた。
「昨日から妙に年齢が重いな……」
イアンが鼻を鳴らす。
「年齢相応に落ち着けば言われん」
「それは百年生きても難しかったんだよ」
「威張るな!」
「威張ってないって」
フェルトが変形したフレームを見る。
「これ、直る?」
「交換だ」
イアンが即答した。
フェルトは今度はレイナスを見る。
レイナスもフレームを見る。
「……弁償?」
「お前に給料は出とらんだろ」
「助かった」
「助かっとらん!」
クリスがまた笑い出した。
◇
同日夕刻――プトレマイオス・格納庫
夕方。
レイナスは一人で格納庫へ戻っていた。
変形させたテストフレームはすでに取り外され、代わりに計測結果だけが端末へ残されている。
笑い話にはなった。
だが、得られたものは大きい。
《アニマ》を通している間、物質は本来なら耐えられない負荷にまで耐えることができる。そして流す量を増やせば、その効果も高くなる。
問題は解除した後だった。
一時的に支えられていた負荷が、本来の物質へ一気に返ってくる。
タクラマカンのイナクトと同じ。
「やっぱり、前借りか……」
借りたものは返さなければならない。
ならば、最初から返せるだけの機体を用意するのか。
あるいは、そもそもツケを残さない方法を探すのか。
今はまだ答えがない。
背後から足音がして、レイナスが振り返る。
フェルトだった。
「また何かするの?」
「今日はもうしないよ。さすがにこれ以上やったら、本気でイアンに追い出される」
「そう」
フェルトは隣まで来ると、端末に残ったデータを見る。
「でも、失敗じゃなかったんだね」
レイナスは少し意外そうに彼女を見る。
「どうして?」
「データ、残ったから」
「……そうだな」
壊したことだけ見れば失敗。
だが、何が壊れるのか。どこまで耐えられるのか。解除した後に何が起きるのか。
それが分かれば、次へ進める。
「フェルト」
「何?」
「さっきは結構刺さったけど、今ので少し立ち直ったよ」
「何が?」
「分からないならいい」
フェルトはやはり不思議そうだった。
レイナスは笑って、端末の電源を落とす。
「戻ろう。今日は大人しくしとく」
「うん」
二人で格納庫を出ようとしたところで、向こうからロックオンが歩いてきた。
「お、いたいた」
レイナスが嫌そうな顔をする。
「何だよ」
「クリスから聞いたぞ」
「早いな……」
ロックオンは笑いを堪えながら、レイナスの肩を叩いた。
「百年生きても、人間って成長できるんだな」
レイナスはしばらく黙っていた。
やがて、肩に置かれた手を外す。
「……昨日の酒代、返せ」
「そこに来るか?」
「年寄りは金に細かいんだよ」
自分で言ってから。
レイナスは止まった。
ロックオンも止まった。
フェルトがレイナスを見る。
「自分で年寄りって――」
「フェルト」
「何?」
「今日はもう帰ろう」
「うん」
背後でロックオンが笑い出す。
レイナスは振り返らなかった。