第23話 暇を持て余した男たち
西暦2307年――プトレマイオス・共有スペース
武力介入の予定なし。
整備作業も順調。
トリニティに関する新しい情報も、今のところ入っていない。
プトレマイオスに、珍しく穏やかな時間が流れていた。
だからこそ問題が起きた。
「暇だな」
ソファに座ったレイナスが呟く。
近くにいたアレルヤが顔を上げた。
「そうだね。こういう時間も珍しいけど」
「平和なのはいいことだ。仕事がないってことだからな」
「武力介入する組織の人間が言うと、ちょっと複雑だね」
「俺は正式な構成員じゃない。今日は堂々と暇を持て余せる立場だよ」
レイナスはそう言って、ソファへ深く身体を預けた。
向かい側ではティエリアが端末を操作している。
少し離れた場所には刹那。
こちらは無言で端末上のエクシアのデータを確認していた。
四人が同じ場所にいる。
それだけなら何も問題はない。
問題なのは、レイナスが本当に暇だったことである。
「アレルヤ」
「何?」
「何か面白いことないか?」
「僕に聞かれても……」
「二人いれば、一人よりは知恵が出る」
ティエリアが端末から目を離さず口を挟む。
「無駄な知恵なら出さない方がいい」
「ティエリア。暇ってのはな、放っておくと人間を駄目にする」
「君は放っておかなくても余計なことをするだろう」
アレルヤが僅かに俯いた。
肩が動いている。
レイナスはそちらを見る。
「アレルヤ」
「何?」
「今、笑ったか?」
「笑ってないよ」
「そうか」
「……少しだけ」
「正直でよろしい」
レイナスは怒るでもなく頷いた。
その視線が、今度は刹那へ向く。
刹那は変わらずエクシアのデータを見ている。
「刹那」
「何だ」
「暇じゃないか?」
「暇ではない」
「何してる?」
「エクシアのデータを見ている」
「それは見れば分かる」
「なら聞くな」
「強いな、お前」
会話が一往復で終わった。
レイナスは少し考える。
「……よし」
アレルヤが警戒する。
「何が『よし』なの?」
「せっかく四人いるんだ。親睦を深めよう」
ティエリアが顔を上げた。
「必要ない」
「早いな」
「僕たちは任務を遂行するためにここにいる。無意味な遊びで時間を浪費する必要はない」
「ティエリア」
レイナスは妙に真剣な顔になる。
「人間関係への投資を惜しむ組織に、明るい未来はないぞ」
「……何の話だ?」
「職場ってのはな、給料だけじゃ回らない。最後にものを言うのは人間関係だ」
アレルヤが苦笑する。
「レイナス、たまにすごく現実的なこと言うよね」
「百年以上生きてると色々あるんだよ」
ティエリアが眉を寄せる。
「昨日まで、その年齢を理由に年寄り扱いするなと言っていなかったか?」
「経験だけ使わせてもらう。年齢の評価とは別会計だ」
「都合が良すぎる!」
「使える資産は使わないともったいないだろ」
アレルヤがとうとう笑った。
◇
「で、何をするの?」
数分後。
アレルヤが尋ねる。
レイナスは腕を組んでいた。
「そこを考えてる」
「何も決めてなかったんだ……」
「企画ってのは走りながら形になることもある」
「何も考えてなかっただけだろう」
ティエリアの指摘は容赦がない。
「結果が出れば過程は美談になる」
「出なかったら?」
アレルヤに聞かれ、レイナスは少し考えた。
「その時は反省会だな」
「便利だね、その考え方」
「生きやすいぞ」
刹那だけはまだエクシアを見ている。
レイナスはテーブルにあった小さなケースを手に取った。
中には整備班が使う識別用のマーカーがいくつか入っている。
それを見て。
少し考える。
「ゲームでもするか」
「ゲーム?」
アレルヤが反応した。
「そう。せっかく四人いる」
ティエリアが嫌そうな顔をする。
「断る」
「まだ内容も言ってないぞ」
「君が発案した時点で嫌な予感しかしない」
「信用ってのは積み上げるのに時間がかかるのに、失う時は一瞬だな」
「君の場合は自業自得だ」
「それを言われると弱い」
レイナスはあっさり認めた。
そこへ共有スペースの扉が開く。
「何やってんだ?」
ラッセだった。
後ろからリヒティも顔を出す。
「何か集まってます?」
「ちょうどいいところに来た」
レイナスが二人を手招きする。
ラッセが露骨に警戒した。
「その言い方でいいことがあった試しがない気がするんだが」
「まだ付き合いは短いだろ」
「短くても分かることはある」
「最近みんな俺の扱いを覚えるのが早くないか?」
リヒティが笑う。
「で、何するんすか?」
「それを今から考える」
「決まってないんすか!?」
◇
結局。
全員で考えた結果――ではなく、レイナスが半ば強引に決めた結果。
簡単な反応速度勝負をすることになった。
テーブル中央にマーカーを一本置く。
ランダムなタイミングでリヒティが合図を出し、先に取った方が勝ち。
ただそれだけである。
「……くだらない」
ティエリアが言う。
だが席には座っている。
レイナスはそこを見逃さなかった。
「嫌ならやらなくてもいいんだぞ?」
「君に負けたまま終わる方が不愉快だ」
「まだ始まってもいないのに?」
「黙れ」
最初はアレルヤとレイナス。
向かい合う。
ラッセが腕を組んで見物している。
リヒティが合図役だ。
「いきますよー」
レイナスが右手を構える。
アレルヤも集中する。
「まだっすよ」
「分かってる」
「まだ――」
レイナスの手が動いた。
「あっ!」
マーカーを取る。
「まだって言ったじゃないですか!」
「……身体が勝手に」
「反則だよ、レイナス」
アレルヤが笑う。
「悪い。条件反射だ」
ティエリアが冷たい目を向ける。
「百年以上生きた結果がフライングか」
レイナスがティエリアを見る。
「長く生きるとな、待てない時もある」
「格好をつけて言うことじゃない!」
ラッセが吹き出した。
「駄目だ。こいつ昨日からこんなのか?」
「最近この方向に強くなってきたっすね」
リヒティも笑っている。
「もう一回だ」
レイナスは何事もなかったようにマーカーを戻した。
「失敗を引きずる男はモテない」
アレルヤが首を傾げる。
「それ、今関係ある?」
「ないな」
「ないんだ……」
二回目。
「まだっすよ」
二人とも動かない。
「まだ……」
動かない。
リヒティが少し間を置く。
「はい!」
二人の手が動いた。
ほぼ同時。
だが。
レイナスの指が先にマーカーへ触れた。
「よし」
「速いね……」
「こういう地味な勝負ほど、勝つと嬉しいもんだ」
「《アニマ》は?」
ティエリアが言った。
レイナスが止まる。
「使ってない」
「本当か?」
「使ってないって」
刹那がレイナスを見る。
「身体能力そのものが普通ではない」
「刹那。今は俺の味方をしてくれてもいい場面だぞ」
「事実を言っただけだ」
「そういう真っ直ぐなところは嫌いじゃないけど、今は困るな」
ラッセが笑う。
「そもそも、お前を混ぜたら勝負にならねえだろ」
レイナスはマーカーを置く。
そして妙に真剣な顔で言った。
「持って生まれた才能を理由に競技から締め出す。それは果たして公平と言えるのか?」
「百年以上生きてるんだろ?」
「生まれた時期は選べない」
「そっちじゃねえ!」
◇
レイナスは審判側へ回された。
「納得いかないな」
「一番公平だよ」
アレルヤが言う。
次は刹那とティエリア。
向かい合う二人を見て、レイナスは少し楽しそうだった。
「いい勝負になりそうだ」
ティエリアが構える。
「くだらない遊びだ」
「まだ言ってるのか?」
「だが、やる以上は勝つ」
「その精神は嫌いじゃない」
刹那も無言で構えた。
レイナスは二人を見る。
「じゃあいくぞ」
沈黙。
「まだだ」
二人とも動かない。
「まだ――」
レイナスが一拍置く。
「今日の晩飯、何だろうな」
ティエリアの眉が動いた。
「何?」
「今だ」
刹那が取った。
「なっ――!」
ティエリアが立ち上がる。
「今の合図は何だ!」
「『今だ』」
「その前に無関係な発言を挟んだだろう!」
「実戦じゃ敵が親切にカウントしてくれるとは限らない」
レイナスは腕を組み、もっともらしく頷いた。
「日常の中にも戦場はある。油断した方が負ける。それだけの話だ」
「マーカー一本取る遊びだろう!」
「規模の大小で本質は変わらない」
「変わる!」
ラッセが壁に手をついて笑っている。
リヒティも完全に俯いていた。
アレルヤは困ったように笑いながら、ティエリアを宥める。
「まあまあ。次は普通にやればいいよ」
「当然だ!」
刹那は手にしたマーカーを見る。
「俺の勝ちだ」
「刹那!」
「違うのか?」
「……違わない!」
ティエリアが座り直す。
レイナスは小さく頷いた。
「負けを認められるのは大人の証拠だ」
「君にだけは言われたくない!」
◇
何度か勝負を続けるうちに、当初は端末から目を離そうともしなかった刹那まで普通に参加していた。
アレルヤは楽しそうだった。
ティエリアは一番真剣になっていた。
ラッセとリヒティは完全に観客である。
そしてレイナスは審判の立場を悪用していた。
「まだ」
刹那とアレルヤが待つ。
「まだだ」
二人とも動かない。
「人生ってのは待つ時間の方が長い。焦ったところで、来ないものは来ない」
ラッセが笑う。
「また始まったぞ」
リヒティも頷く。
「台詞だけなら格好いいんすけどね」
アレルヤが構えたまま苦笑する。
「レイナス、早くしてくれない?」
「焦るな。待つことを覚えた男は強い」
「何を待ってるんだ?」
刹那が聞く。
「合図だ」
「お前が出すんだろ」
「……それもそうだな。はい」
二人の手が動いた。
アレルヤが取る。
刹那が僅かに遅れた。
「僕の勝ちだね」
「ああ」
刹那は素直に認める。
レイナスが頷く。
「いい勝負だった」
ティエリアが睨む。
「君は何もしていないだろう」
「場を作った」
「遊びを始めただけだ!」
「人を動かすのは一人じゃできない仕事だぞ」
「自分を指導者のように言うな!」
そこへ通信端末が鳴った。
全員が一瞬で静かになる。
レイナスが端末を見る。
「……スメラギからだ」
ティエリアがすぐに姿勢を正した。
「任務か?」
レイナスが通信を開く。
『あなたたち、さっきから何してるの?』
「…………」
全員が止まった。
どうやら共有スペースの様子を、どこかで聞いたらしい。
レイナスは一度周囲を見る。
刹那。
アレルヤ。
ティエリア。
ラッセ。
リヒティ。
そしてテーブル中央のマーカー。
「チームワーク向上のための訓練だ」
即答だった。
『へえ』
スメラギの声に、明らかな疑いが混じる。
『具体的には?』
「反応速度、集中力、状況判断。それと不測の事態への対応能力を――」
ティエリアが立ち上がった。
「ただの遊びです!」
レイナスが振り返る。
「ティエリア」
「何だ!」
「仲間を売るのが早いぞ」
「仲間にされた覚えはない!」
『なるほどね』
スメラギの声が笑っている。
レイナスは小さく息を吐いた。
「……まあ、待ってくれ。何事にも息抜きは必要だ。張り詰めた糸はいつか切れる。だから時には――」
『次のミッションプラン、確認しておいてね』
「はい」
一瞬で折れた。
通信が切れる。
ラッセがレイナスを見る。
「随分早かったな」
「勝てない話で粘るほど元気じゃないんでね」
「そこだけは格好いいっすね」
リヒティが感心する。
レイナスは端末を拾い上げた。
「さて。仕事だ」
アレルヤも立ち上がる。
「結局、誰が一番勝ったんだろう?」
全員が止まった。
ティエリアが記録を確認する。
「……僕だ」
僅かに。
本当に僅かに。
その声が誇らしげだった。
レイナスが笑う。
「くだらない遊びじゃなかったのか?」
「やる以上は勝つと言ったはずだ」
「なるほど。一本取られたな」
ティエリアは端末を閉じる。
「次は君も正規の条件で参加しろ」
「俺?」
「ああ」
「俺が入ると公平じゃないんじゃなかったか?」
「ハンデを設定する」
「そこまでして俺を負かしたいのか?」
「当然だ」
刹那が口を開く。
「俺もやる」
アレルヤも笑う。
「じゃあ僕も」
レイナスは三人を見回した。
少しだけ考える。
それから口元を上げた。
「仕方ない。若い連中に胸を貸すのもベテランの仕事か」
「昨日は若手だと言っていただろう!」
ティエリアの声が響く。
レイナスは歩き出しながら、肩越しに答えた。
「肩書きってのは、都合よく使ってこそ価値があるんだよ」
「そんな価値観があるか!」
ラッセとリヒティの笑い声を背に、レイナスは次の仕事へ向かった。
少なくとも次の勝負までには、百歳を超えたベテランにも勝ち目のあるハンデを、ティエリアが本気で考えてくるらしかった。