第29話 保護された記者
西暦2307年――地上・王留美の拠点
「沙慈には連絡しました」
絹江・クロスロードは端末をテーブルへ置いた。
向かいに座っていたレイナスが顔を上げる。
「何て?」
「仕事の都合で、しばらく家に帰れない。詳しいことは話せないけど無事だから心配しないで、って」
「信じてもらえました?」
「怪しまれました」
「まあ、そうなるか」
突然、姉からそんな連絡が来れば当然だった。
まして沙慈の周囲では、ルイスが結婚式場への攻撃に巻き込まれたばかりだ。
絹江もそれを分かっている。
だからこそ、弟のところへ帰りたいという気持ちは強かった。
「本当なら、今すぐ沙慈のところへ行きたいです」
「でしょうね」
「止めないんですか?」
「止めてほしいんです?」
絹江がレイナスを見る。
「……そういう返しをしますか」
「行くなって命令する権利は俺にはありませんからね」
レイナスは端末を閉じた。
「ただ、今あなたが弟さんのところへ戻れば、あの男が追ってくる可能性がある。それは昨日話した通りです」
アリー・アル・サーシェス。
絹江を殺そうとした男。
名前と経歴が判明しても、現在地は掴めていない。
「弟さんが病院へ通ってるなら、なおさらです。人の出入りも多いし、ルイスさんまで巻き込む可能性がある」
「……分かっています」
「なら、今はそれで十分です」
絹江が少し意外そうに見る。
「説得しないんですね」
「もう理解してる人に同じ説明を繰り返しても、嫌われるだけですよ」
「経験談ですか?」
「長く生きてると、説教が効く回数にも限度があるって分かってくるんです」
「また百歳の話ですか?」
「便利なんですよ、この設定」
「設定?」
「あ」
レイナスが止まる。
絹江の目が鋭くなった。
「今、設定って言いました?」
「言葉の綾です」
「本当に百歳を超えているんですか?」
「その話は取材対象外で」
「昨日は取材を止めないと言いましたよね?」
「だからって俺まで取材対象に含めるのは契約違反じゃないかな」
「契約なんてしてません」
「それはこっちに不利だな……」
少し離れたところで聞いていた王留美が、小さく息を吐いた。
「そろそろよろしいですか?」
「助かる」
「まだ質問は終わってませんけど」
「宇宙へ上がったら暇な人がたくさんいますよ」
「あなたより?」
「俺は今、ちゃんと仕事してます」
王留美が端末を差し出す。
「移送の準備が整いました」
絹江の表情から笑みが消える。
「……本当に、ソレスタルビーイングの船へ?」
「はい」
「私がずっと追っていた組織ですよ」
「奇遇ですね。向こうも今、あなたを気にしてます」
「どういう意味です?」
レイナスは少し考えた。
サーシェス。
KPSA。
刹那。
ロックオン。
そこまでを絹江へ話す権限は、自分にはない。
「それは着いてから、話せる人に聞いてください」
絹江はその返答だけで察したらしい。
「話せないことが多いんですね」
「組織ってのは大体そうですよ。俺も全部は教えてもらってない」
「あなたも?」
「一応、外部協力者なんでね」
「その割には自由に出入りしているようですが」
「居候も長くなると態度が大きくなるんですよ」
王留美が立ち上がる。
「時間です」
◇
数時間後――プトレマイオス・格納庫
シャトルが格納庫へ収容される。
気密が確認され、ハッチが開いた。
絹江が外へ出る。
最初に目に入ったのは、巨大な格納庫だった。
そして。
「……ガンダム」
思わず声が漏れる。
実際に見るのは初めてだった。
画面越しに何度も見た機体。
世界各地へ現れ、武力介入を続けてきた存在。
その一機が、すぐ目の前にある。
「本物ですよ」
後ろからレイナスが降りてくる。
絹江が振り返った。
「あなたは何度も見ているんですよね」
「最近は毎日ですね」
「慣れました?」
レイナスはガンダムを見上げる。
「それとこれとは別です」
「……好きなんですね」
「否定はしません」
妙に真面目な返事だった。
「そこだけは即答なんですね」
「人生、好きなものくらい素直に認めた方が得ですよ」
「百年以上生きた経験?」
「今日はその話から離れません?」
格納庫の奥から数人が近づいてきた。
スメラギ。
アレルヤ。
ティエリア。
そしてロックオン。
「ようこそ、って言っていいのかしらね」
スメラギが絹江の前へ立つ。
「スメラギ・李・ノリエガよ」
「絹江・クロスロードです」
互いに視線を合わせる。
記者と、ソレスタルビーイングの戦術予報士。
本来なら別の形で出会っていたかもしれない二人だった。
「まず確認しておくわ」
スメラギが言う。
「あなたは捕虜じゃない。ソレスタルビーイングへ加入する義務もないわ」
「では、私はここで自由に取材を?」
「それは駄目」
即答だった。
絹江が僅かに眉を上げる。
「あなたの安全と、私たちの機密保持。その両方が必要なの。この艦にいる間、移動できる場所と通信には制限を掛けさせてもらうわ」
「報道も禁止?」
「今ここで見聞きしたものを、そのまま外へ送られるのは困る」
「随分と都合のいい保護ですね」
スメラギは否定しなかった。
「そうね。だから選択肢は用意する」
「選択肢?」
「ここで保護を受けるか、地上の別の安全な場所へ移るか。あなたが決めていい」
絹江は少し黙った。
「ここに残ります」
「即決ね」
「ここまで来て地上へ戻ったら、記者として一生後悔しそうなので」
スメラギが苦笑する。
「理由はともかく、分かったわ」
「ただし」
今度は絹江が言う。
「話せる範囲で構いません。私にも質問させてください」
「答えられる範囲なら」
「ありがとうございます」
後ろでレイナスがロックオンへ小声で言う。
「強いな」
「記者ってのはあれくらいじゃねえの?」
「俺は数時間で三回くらい取材対象にされかけた」
「お前の場合、突っ込みどころが多いんだよ」
「人間、長く生きれば話題が増えるのは仕方ないだろ」
「百年分か?」
「利息込みでな」
絹江が振り返った。
「聞こえてますよ」
二人とも黙った。
スメラギが額を押さえる。
「とりあえず、部屋へ案内するわ」
◇
プトレマイオス・居住区
必要最低限の説明を終え、絹江には一室が与えられた。
荷物はほとんどない。
急な避難だったのだから当然だった。
レイナスは再び地上へ戻る準備のため、先に格納庫へ向かっている。
部屋の前にはロックオンが残っていた。
「必要なものがあったら言ってくれ。用意できる範囲で何とかする」
「ありがとうございます」
「まあ、ホテルみたいなサービスは期待しないでくれよ」
「命を狙われないだけで十分です」
軽い調子で言ったつもりだったのだろう。
だがロックオンの表情が変わった。
「……悪い」
「どうして謝るんです?」
「いや」
一度言葉を切る。
「昨日の今日だ。笑い話にするようなことじゃなかったな」
絹江は少し驚いた。
「あなたが謝ることじゃありません」
「そうか?」
「撃とうとしたのはあなたじゃないでしょう」
「そりゃそうだけどな」
絹江はロックオンを見る。
格納庫で紹介された時から気になっていた。
この男だけ。
自分の名前を聞いた時の反応が少し違った。
「あなたも、あの人を知っているんですか?」
ロックオンの表情が止まる。
「あの人?」
「アリー・アル・サーシェス」
一瞬。
目が変わった。
それだけで十分だった。
「……知ってるんですね」
「俺が直接会ったことはない」
「では、どうして?」
ロックオンは壁へ背を預けた。
少し迷ってから、口を開く。
「KPSAは知ってる」
「KPSA……」
「俺の家族は、奴らの自爆テロで死んだ」
絹江の表情が変わった。
「……ご家族が?」
「ああ」
それ以上の詳細は話さない。
名前も。
場所も。
自分が誰なのかも。
「だから俺はここにいる」
ロックオンは軽く肩をすくめた。
「世界からテロをなくす。そういう理由でガンダムに乗ってる」
絹江はすぐには答えなかった。
やがて静かに尋ねる。
「それで、サーシェスを?」
「KPSAの人間で、刹那をあそこへ引き込んだ張本人らしい」
「刹那?」
「うちのガンダムマイスターだ」
ロックオンは一瞬だけ迷う。
「……ここから先は本人から聞いた方がいい」
絹江は頷いた。
「分かりました」
意外なほど素直に引いた。
ロックオンが少し驚く。
「聞かねえのか?」
「本人から聞いた方がいいと言ったのはあなたでしょう」
「記者なら食い下がるかと思った」
「取材源を守るのも記者の仕事です。話したくないことを無理やり聞き出すのとは違います」
「へえ」
「何ですか?」
「いや」
ロックオンは少しだけ笑った。
「俺が記者って仕事を誤解してたらしい」
「どんな仕事だと思っていたんです?」
「秘密を嗅ぎつけたら、相手が泣くまで追い回す仕事」
「偏見です」
「悪かったって」
絹江も少しだけ笑った。
それから。
「でも、調べるのをやめるつもりはありません」
ロックオンの笑みが消える。
「……サーシェスをか?」
「彼だけじゃありません。イオリア・シュヘンベルグも、ソレスタルビーイングも、KPSAとの繋がりも」
「一回殺されかけてんだぞ」
「だからです」
「だからって――」
「私が何を知ったから殺されそうになったのか、それすら分かってないんです」
ロックオンは黙る。
「ここでやめたら、何も分からないままです」
「死んだら記事も書けねえだろ」
絹江の目が僅かに細くなった。
「同じことを言われました」
「誰に?」
「レイナスさんに」
「……あいつ、たまにはまともなこと言うな」
「本人に言ったら怒りますよ」
「言わなきゃバレねえよ」
その時。
『聞こえてるぞ、ロックオン』
天井のスピーカーから声がした。
ロックオンが固まる。
絹江も上を見る。
『出発前の通信確認してたら、随分いい評価が聞こえてきたな』
「……地上に帰ったんじゃなかったのかよ」
『今からだよ』
「盗み聞きは趣味が悪いぞ」
『人聞きが悪いな。そっちが開いてる回線の近くで喋ってただけだ』
「切れ」
『はいはい。若い二人の邪魔をするほど野暮じゃないよ』
「何の話だ!」
通信が切れた。
数秒。
絹江がロックオンを見る。
「若い二人?」
「忘れてくれ」
「気になりますね」
「記者魂をそこで発揮すんな!」
初めて。
絹江が声を出して笑った。
◇
プトレマイオス・格納庫
シャトルへ乗り込む直前。
レイナスは通信機を外しながら笑っていた。
「何がそんなに面白いのです?」
同行する王留美が尋ねる。
「いや。世の中、本人たちが気づく前に周りが騒ぐと大体ろくなことにならないなと思って」
「先ほど、ご自分から騒いでいたようですが」
レイナスの足が止まる。
「……聞いてた?」
「はい」
「忘れてくれ」
「難しいですね」
「記録から消せないかな」
「残念ながら」
レイナスはシャトルへ乗り込んだ。
「過去ってのは、どうでもいいものほど消えてくれないんだよな」
◇
翌日――地上・王留美の拠点
レイナスは再びGN-Xの調査へ戻っていた。
資金。
部品。
輸送。
開発施設。
どこを辿っても奇妙だった。
「痕跡がなさすぎる」
レイナスが端末を置く。
王留美も同意する。
「三大国家群がそれぞれ開発したものではありません」
「それはもう確定でいいだろうな」
「大量の疑似GNドライヴを短期間で用意した形跡もありません」
「つまり、最近造ったんじゃない」
レイナスが椅子へ深く座る。
「前から用意してた奴がいる」
「ええ」
「それを三大国家群へ渡した」
「目的は?」
「そこまでは分からない」
レイナスはGN-Xの画像を見る。
「ただ、結果だけなら簡単だ」
「結果?」
「ガンダムだけが持ってた優位性が消える」
王留美が何か答えようとした時。
緊急通信が入った。
画面を確認する。
「GN-X部隊が出撃しました」
レイナスが身を起こす。
「相手は?」
表示された映像。
三機のガンダム。
アイン。
ツヴァイ。
ドライ。
「トリニティです」
◇
戦闘空域
『右から来るぞ!』
ミハエルが叫ぶ。
ツヴァイが旋回。
直後、赤いGNビームが通過した。
『くそっ!』
GNファングを射出する。
一機のGN-Xが回避。
そこへ別の二機が入る。
『ミハエル、突出するな!』
ヨハンのアインが援護射撃。
だがGN-X部隊は散開し、すぐに包囲を組み直す。
『何なのよ、こいつら!』
ネーナのドライにも二機が迫る。
今までとは違う。
通常のモビルスーツなら、スローネの速度についてくることすら難しかった。
だがGN-Xは追ってくる。
攻撃を避ける。
撃ち返す。
何より、数がいる。
『GN粒子残量低下!』
ネーナが叫ぶ。
ヨハンが即座に判断する。
『撤退する!』
『はあ!?』
『長期戦はこちらが不利だ! 離脱しろ!』
ミハエルが舌打ちする。
『覚えてろよ、てめえら!』
『ミハ兄、早く!』
三機のスローネが戦域を離れる。
GN-X部隊は追撃するが、深追いはしなかった。
それで十分だった。
ガンダムを退かせた。
初めて。
世界の軍隊が、GNドライヴ搭載ガンダムを正面から押し返した。
◇
地上・王留美の拠点
戦闘映像を見終えたレイナスは、しばらく画面を見つめていた。
「どうでした?」
王留美が尋ねる。
「強い」
即答。
「パイロットも選抜されてる。でも、それ以上に機体がいい」
映像を巻き戻す。
「単機性能ならスローネの方がまだ上だと思う。でも、GN-Xは数を揃えられる」
「量産機としての完成度ですか」
「ああ」
レイナスは少し前へ身を乗り出した。
「いいな、これ」
王留美が横を見る。
「何がです?」
「GN-X」
「先ほどまで世界情勢の話をしていたと思うのですが」
「それと機体の出来は別勘定だよ」
「欲しいのですか?」
「……」
レイナスが黙る。
「レイナス?」
「質問の仕方に悪意を感じるな」
「乗りたいですか?」
「乗りたい」
迷いはなかった。
王留美がため息をつく。
「スメラギさんへ報告しておきます」
「なんで?」
「警戒のためです」
「まだ何もしてないだろ」
「イナクト」
「緊急避難」
「ユニオンフラッグ」
「返した」
「GN-X」
レイナスが画面を見る。
少しだけ考える。
「……まだ縁がない」
「まだ?」
「言葉尻を取るのは感心しないな」
王留美は答えなかった。
レイナスはもう一度GN-Xの映像を見る。
「でも、三大国家群にこれだけ配れるなら――」
表情が変わる。
「造った側には、まだあるかもしれないな」
「何を考えています?」
「調査だよ」
「本当に?」
「もちろん」
レイナスは椅子へ座り直す。
「仕事と趣味が同じ方向を向く日もある。そういう日は大事にした方がいい」
王留美は何も言わず、スメラギへの報告欄に一行を追加した。
レイナスが横から覗く。
「今、何書いた?」
「警戒事項です」
「消してくれ」
「嫌です」
◇
同日――トリニティ拠点
「ふざけんなよ!」
ミハエルが椅子を蹴った。
「何なんだよ、あいつら! 俺たちと同じGNドライヴ積みやがって!」
「同じではない」
ヨハンが端末を操作する。
「だが、基本原理は近い」
「そんな話してんじゃねえ!」
「ミハ兄、うるさい!」
ネーナも苛立っていた。
「こっちだって最悪なんだから!」
「何がだよ!」
「ヴェーダに入れない!」
ヨハンの手が止まった。
「……何?」
「さっきからずっと!」
ネーナが操作する。
拒絶。
再試行。
また拒絶。
ヨハンの表情が険しくなる。
「貸せ」
自分でも操作する。
結果は変わらない。
「どういうことだ……」
敵はGN-Xを手に入れた。
軍事的優位は失われつつある。
補給にも限界がある。
そして今。
ヴェーダからも切り離されようとしている。
ミハエルが苛立ったまま言う。
「だったらラグナに聞けばいいだろ!」
ネーナも顔を上げる。
ヨハンは数秒考え、通信を開いた。
「……そうだな」
呼び出す。
応答なし。
もう一度。
「ラグナ・ハーヴェイ。応答してください」
沈黙。
「ラグナ?」
三度目。
それでも返事はない。
ミハエルの苛立った表情から、少しずつ余裕が消えていく。
ネーナも兄を見る。
「ヨハン兄……?」
ヨハンは返事をしなかった。
通信画面にはただ、
NO RESPONSE
の文字だけが表示されていた。