第30話 船の中のソレスタルビーイング
西暦2307年――プトレマイオス・居住区
絹江・クロスロードがプトレマイオスへ移ってから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、地上にいた頃に抱いていたソレスタルビーイングの印象は、すでにかなり崩れていた。
世界中の紛争へ武力介入を行う私設武装組織。
四機のガンダムを保有し、国家さえ敵に回す存在。
取材する側から見れば、その実態は巨大な謎だった。
構成人員。
資金源。
拠点。
目的。
意思決定の仕組み。
どれを調べても、ほとんど実像へ届かない。
だからこそ、もっと巨大で、もっと冷たい組織を想像していた。
実際にその内部へ入ってみれば――。
「クリス、そっちの処理は終わった?」
「あとちょっとー」
「さっきも同じこと言ってなかった?」
「今度のちょっとは本当!」
「その台詞、信用なくすよ」
「リヒティひどくない?」
そんな会話が、普通に聞こえてくる。
絹江は食堂の入口で足を止めた。
「どうしました?」
声をかけてきたのはフェルトだった。
「いえ……」
絹江は食堂を見回す。
「少し、意外で」
「何が?」
「ソレスタルビーイングです」
フェルトは首を傾げた。
絹江は苦笑する。
「外から見ていた時は、こんな場所だとは思っていませんでした」
「……どんな場所だと思ってたの?」
「もっと殺伐としているのかと」
フェルトが食堂を見る。
クリスがリヒティと言い合い、アレルヤがその横で困ったように笑っている。
奥ではラッセが食事をしていた。
「殺伐……」
フェルトは少し考えた。
「戦闘の時は、そうかも」
「普段は違う?」
「ずっと緊張してたら、疲れるから」
簡単な答えだった。
だが、それが妙に現実的だった。
「それもそうですね」
「座る?」
「ええ」
二人が席へ向かう。
そこへロックオンが入ってきた。
「お、もう慣れたか?」
「まだそこまでは」
「まあ、急ぐこともねえさ。逃げる船でもねえし」
絹江が少し眉を上げる。
「私からすると、世界中から追われている船ですけど」
「……言われてみりゃそうだな」
ロックオンが笑い、向かいの席へ座った。
少しして、アレルヤやクリスたちも集まってくる。
絹江は改めて周囲を見た。
そして、以前から感じていた疑問を口にした。
「思っていた以上に、皆さんお若いんですね」
「まあな」
ロックオンが答える。
「一人で平均年齢をぶち上げてる奴がいるけどな」
絹江は一瞬きょとんとしてから、小さく吹き出した。
「それってレイナスさん?」
「他に誰がいるんだよ」
「そういえば……」
絹江は興味を引かれたように身を乗り出した。
「皆さん、本当に信じているんですか? レイナスさんが百歳以上だという話」
微妙な沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはアレルヤだった。
「信じてるかって聞かれると、難しいかな」
「難しい?」
「本人はそう言ってる。でも、僕たちには確かめる方法がないから」
ティエリアが淡々と続ける。
「彼が百歳以上であることも、別世界から来たという話も、現時点では本人の証言に過ぎない」
「では、信じていない?」
「そうとも言っていない。客観的に判断できる材料が不足している」
「ティエリアってこういう時、絶対に断言しないよね」
クリスが笑う。
「確認できない情報を事実として扱う方がおかしい」
「記者としては、ティエリアさんの言っていることが正しいですね」
絹江が言うと、ティエリアは僅かに頷いた。
ロックオンが肩をすくめる。
「ただまあ、普通じゃねえのは間違いないけどな」
「生身でモビルスーツと戦うんですよね」
「見たことあるか?」
「目の前で銃を握り潰されました」
「ああ……」
ロックオンは納得した。
「それなら話が早い」
「話が早くなる基準がおかしいと思うんですけど」
絹江が笑う。
フェルトが静かに言った。
「私は、本当なのかなって思ってる」
絹江が彼女を見る。
「百歳以上という話?」
「うん」
「どうして?」
「……分からない」
フェルトは少しだけ考える。
「でも、レイナスがそれで何か得をしてるようには見えないから」
ロックオンが笑った。
「むしろ損してるよな」
「珍獣扱いされてるしね」
クリスが続ける。
「本人が聞いたら嫌がりそうですね」
「もう慣れてるんじゃない?」
「何に?」
突然、後ろから声がした。
クリスの動きが止まる。
全員が振り返った。
食堂の入口にレイナスが立っている。
地上での調査から戻ったばかりらしく、まだ上着も脱いでいない。
「俺が何に慣れてるって?」
「珍獣扱い」
クリスが正直に答えた。
「……聞かなきゃよかったな」
レイナスは軽く息を吐き、食事を取りに向かった。
ロックオンが笑う。
「ちょうどお前の年齢について話してたんだよ」
「本人抜きで年齢談義か。随分景気の悪い話題を選んだな」
「絹江が気になったんだとよ」
レイナスが絹江を見る。
「またそこですか?」
「記者としては、かなり気になるところですよ」
「記事にするなら、せめて写真は選ばせてくださいね」
「そこなんですか?」
「百歳超えで世間に出るなら、写りくらいは気にしたっていいでしょう」
絹江が笑った。
「そもそも証明できないので記事にはできません」
「それは助かります。経歴不詳だけでも十分怪しいのに、百歳まで足したら胡散臭さの大安売りだ」
レイナスが食事を持って席につく。
その時、クリスがふと首を傾げた。
「そういえばさ」
「今度は何?」
「レイナスって、なんで絹江さんと話す時は敬語なの?」
レイナスの手が止まった。
「……ああ」
言われて初めて気づいたように、絹江を見る。
「そういえば、そうだな」
「自分で気づいてなかったの?」
「いちいち喋り方に予算を割いてないからな。自然にそうなってた」
「予算?」
「気にするところが増えると疲れるだろ」
クリスが笑う。
「でも、私たちには普通に喋るじゃない」
「最初からそうだったからな」
「じゃあ絹江さんは?」
レイナスは少し考えた。
「それも最初からですよね?」
絹江に確認する。
「ええ。助けていただいた時から」
「なら、そのまま残ってるだけじゃないですか」
「それだけ?」
「人間関係なんて、案外そんなもんだろ。問題なく回ってるなら、わざわざ仕様変更する必要もない」
「仕事みたいに言うなよ」
ロックオンが笑う。
「仕事より面倒なんだから、管理くらい慎重な方がいいんだよ」
「じゃあ、どうして最初から敬語だったんです?」
絹江自身が尋ねた。
「そうですね……」
レイナスは少し考える。
「初対面だったのと、絹江さんが俺より年上に見えたからじゃないですか?」
数秒。
誰も喋らなかった。
ロックオンが先に耐えられなくなった。
「お前、百歳超えてんだよな?」
「ああ」
「だったら絹江の方が年下だろ」
「……」
レイナスが止まった。
「あー……」
クリスが吹き出す。
「忘れてたの!?」
「忘れたわけじゃない。普段の勘定に入れてなかっただけだよ」
「同じじゃねえか」
「違うだろ。毎回『俺は百歳以上、相手は何歳』なんて確認してから喋ってたら、それだけで一日が終わる」
「終わらねえよ」
「ものの例えだ」
絹江も笑いを堪えきれなかった。
「すみません」
「絹江さんまで笑います?」
「だって、ご自分で百歳以上だと言っているのに」
「長生きしても、毎日年齢を意識して暮らすわけじゃないですからね」
レイナスは少し肩をすくめる。
「それに、百年分を律儀に勘定へ入れたところで、この世界じゃ年功手当もつかない。使い道のない数字ですよ」
ロックオンが笑う。
「また金の話か」
「数字を見ると損得を考えるのは仕方ないだろ」
「百歳ってそういう数字じゃねえよ」
「使えない資産ほど扱いに困るものはないんだよ」
「百年を資産扱いするな」
今度はアレルヤまで笑った。
絹江はそんな彼らを見ながら、ふと思う。
地上で初めて会った時。
レイナスは恐ろしく強い男に見えた。
実際、それは間違っていない。
銃を握り潰し、サーシェスを素手で圧倒した。
けれど、この船で見る彼は少し違う。
特別な存在であることを、自分から特別扱いする気がない。
だから周囲も遠慮しない。
「皆さん、レイナスさんと随分親しいんですね」
その言葉に、レイナスが少しだけ眉を上げた。
ロックオンが答える。
「まあ、付き合いもそれなりに長くなったからな」
「最初から?」
「いや」
アレルヤが首を振る。
「最初はかなり警戒してたよ」
「当然だ」
ティエリアが言う。
「素性不明。目的不明。能力も未知。警戒しない理由がない」
「改めて並べると、よく船に乗せたよな」
レイナスが自分で言う。
「そこは自覚あるのね」
スメラギが食堂へ入ってきた。
「ありますよ。俺が逆の立場でも、少なくとも財布は同じ部屋に置かない」
「盗まないでしょ?」
「信用の話ですよ。最初から無条件で信用する方が危ない」
スメラギがレイナスを見る。
「その割には随分居着いたわね」
「居心地が悪くなかったからな」
レイナスはあっさり答えた。
「肩書きと居心地は別勘定だよ。正式なメンバーじゃなくても、飯を食う席くらいはあっていいだろ」
スメラギは少し笑った。
「今さら追い出すのも面倒だものね」
「そこはもう少し情のある言い方を期待したんだけどな」
「百年生きてても期待するの?」
クリスが聞く。
「百年生きても期待くらいするよ。そこまで枯れてない」
「見た目は若いしね」
「そこは大事だぞ」
「即答した」
「百歳って部分だけ広まって見た目まで爺さん扱いされたら、さすがに割に合わないだろ」
絹江がまた笑った。
それを見たロックオンが口元を緩める。
「ずいぶん笑うようになったな」
「え?」
「ここへ来た時は、もっと張り詰めてただろ」
言われて、絹江自身が気づく。
確かにそうだった。
サーシェスに殺されかけた直後。
弟のもとへ戻ることもできず、正体を追っていたソレスタルビーイングの船へ連れてこられた。
警戒しない方がおかしい。
「……そうかもしれません」
「悪いことじゃねえさ」
ロックオンはそれだけ言って、コーヒーを口へ運んだ。
絹江は彼を見る。
この男もまた、KPSAによって家族を失っている。
詳しいことはまだ知らない。
彼自身も話そうとはしなかった。
「ロックオン」
「ん?」
「それ、本名じゃありませんよね?」
ロックオンのカップが止まった。
クリスが目を輝かせる。
「お」
「なんでそこで食いつくんだよ」
「だって面白そうだし」
絹江は構わず続けた。
「コードネームでしょう?」
「まあな」
「本名は?」
一瞬。
ロックオンの表情から軽さが消えた。
だが絹江は、その変化を見逃さなかった。
「……なんてな」
ロックオンはすぐに笑う。
「記者さん相手に個人情報を安売りするほど、俺も商売下手じゃねえよ」
「では、今は聞きません」
「あっさり引くんだな」
「話したくない人から無理に聞き出すのが記者の仕事ではありませんから」
ロックオンが少しだけ目を細める。
「そういうもんか?」
「そういうものです」
「俺、記者ってのはもっと強引なもんだと思ってたよ」
「偏見ですね」
「悪かったって」
少し間が空く。
絹江はコーヒーを一口飲んだ。
「でも」
「ん?」
「いつか、自分から教えてください」
ロックオンが彼女を見る。
「本名を?」
「ええ」
「……予約まで取るのか、記者ってのは」
「忘れられると困りますから」
ロックオンは少し困ったように笑った。
「覚えとくよ」
そのやり取りを、レイナスは食事をしながら聞いていた。
何も言わない。
クリスがレイナスへ視線を向ける。
何か言いたそうな顔だった。
レイナスは先回りして、僅かに首を振った。
クリスが口を閉じる。
絹江は気づいていない。
ロックオンも気づかなかったことにした。
その時、食堂の端末が短く鳴った。
空気が変わる。
スメラギが表示を確認する。
先ほどまでの穏やかな表情が消えた。
「GN-X部隊が動いたわ」
ロックオンが立ち上がる。
「どこへ?」
「トリニティの活動圏に近い」
刹那も無言で席を立つ。
アレルヤ、ティエリアも続いた。
数秒前まで笑っていた若者たちの顔が、一瞬でガンダムマイスターのものへ変わる。
絹江は、その変化を目の前で見た。
クリスも端末へ向かう。
フェルトも席を立つ。
リヒティとラッセも続く。
日常が、あっという間に戦場へ切り替わった。
絹江は立ち尽くしたまま、その光景を見ていた。
「驚きました?」
隣から声がした。
レイナスだった。
彼だけはまだ出撃する機体がない。
だが、その目から先ほどまでの軽さは消えている。
「……少し」
「俺も最初はそうでしたよ」
「レイナスさんでも?」
「普段の顔と戦場の顔は別ですからね。ここにいると、その切り替わりだけは嫌でも見慣れる」
レイナスも端末へ視線を向ける。
GN-X。
トリニティ。
そして、背後にいるはずの何者か。
「平和な食事ってのは、終わる時だけ妙に早いんだよな」
先ほどまで笑い声があった食堂から、人が消えていく。
絹江は初めて理解した。
彼らが若いという事実と。
彼らが戦争の中にいるという事実は。
何一つ、矛盾していなかった。