第32話 奪う者
西暦2307年――地上・ラグナ・ハーヴェイ邸
重いカーテンに閉ざされた室内に、乾いた銃声が響いた。
銃弾を受けたラグナ・ハーヴェイの身体が椅子から崩れ落ちる。磨き上げられた床に血が広がり始めても、正面に立つ男は眉一つ動かさなかった。
アリー・アル・サーシェス。
少し前には絹江・クロスロードへ銃口を向け、レイナスと遭遇した男だった。
サーシェスは手にした拳銃を下ろし、動かなくなったラグナを一瞥する。
「ま、こんなもんか」
それだけだった。
罪悪感も、殺した相手への興味もない。
彼の関心はすでに別のところへ移っていた。
ラグナの端末を操作し、残された情報を確認する。幾重にも保護されたデータの先に、サーシェスが求めていたものがあった。
三機のガンダムスローネ。
そして、その現在位置。
画面に映し出された赤い機体を見て、サーシェスの口元が吊り上がる。
スローネツヴァイ。
「こいつが俺の次の機体か」
まるで最初から自分の物だったかのような口ぶりだった。
端末を閉じる。
誰がガンダムを造ったのか。
何のために世界へ介入しているのか。
その裏で誰が何を企んでいるのか。
サーシェスにとって、そんなものはどうでもよかった。
戦争がある。
強い兵器がある。
そして、それを自分が使える。
それで十分だった。
◇
プトレマイオス・ブリッジ
メインモニターには、世界各地から集められた情報が並んでいた。
GN-Xが三大国家群へ配備されてから、戦場の様相は急速に変わっている。
それまでガンダムを捕捉することさえ難しかった各国軍が、今では同じGN粒子を纏う機体で追撃してくる。単機性能ではガンダム側に分があったとしても、数と連携まで加われば無視できる差ではなかった。
その影響を最初にまともに受けたのが、チームトリニティだった。
「最後にスローネ三機が確認されたのはここ」
クリスが地図上の一点を拡大する。
「GN-X部隊と交戦した後、戦域から離脱。それ以降、大規模な武力介入は確認されてない」
「通信は?」
スメラギの問いに、フェルトが首を振った。
「応答ありません。複数の回線で呼びかけていますが、反応なしです」
「意図的に無視してる可能性もあるか」
ロックオンが腕を組む。
「それは否定できないわね」
トリニティとは、すでに明確な距離を置いている。
ネーナによる民間人への攻撃が判明した以上、以前と同じように扱うことはできない。
だからといって、三人の動向そのものを無視できるわけでもなかった。
スメラギはティエリアへ視線を向ける。
「ヴェーダから何か拾えない?」
「試している」
ティエリアの指が端末を走る。
ヴェーダへの接続そのものは正常だった。
だが、検索を重ねてもトリニティの現在地へ直接繋がる情報は出てこない。
そもそも彼らについては、最初から不自然なほど情報が少ない。
機体の開発経緯。
三人の素性。
所属。
そして、彼らに指示を与えていた者。
これまで何度調べても、ヴェーダから得られる情報には限界があった。
「駄目だ」
ティエリアが画面から目を離す。
「現在位置を特定できる情報はない」
「GN-X側は?」
「各国軍が捜索を続けている。だが、こちらで確認できる情報以上のものはない」
ロックオンが地図を睨む。
「完全に潜ったか」
「そうならいいけどね」
スメラギの声は重かった。
戦う力を失ったわけではない。
それでも、三機のガンダムが揃って沈黙している。
何かが起きている。
その感覚だけが強くなっていた。
「レイナスからは?」
「まだ新しい連絡はありません」
フェルトが答える。
「王留美とGN-Xの調査を続けています」
スメラギは小さく息を吐いた。
「地上は二人に任せるしかないわね」
ブリッジの照明に照らされた地球の画像を見つめる。
世界が動く速度が、明らかに上がっている。
その流れの中心に自分たちがいるはずなのに、見えていないものが多すぎた。
◇
地上・王留美の拠点
「ラグナ・ハーヴェイ……」
レイナスは端末に表示された名前を読み上げた。
その下には企業情報が延々と続いている。
国際輸送。
エネルギー。
重工業。
金融。
直接ラグナの名を冠していない企業まで含めれば、その影響力はさらに広い。
ここ数日、王留美と二人でGN-Xへ繋がる資金と物流を追い続けてきた。
しかし、真正面から辿ろうとすると必ず途中で途切れる。
そこで調べ方を変えた。
機体そのものを追うのではなく、それを造るために必要なものを追った。
特殊素材。
生産設備。
技術者。
輸送能力。
そして金。
その一つ一つは無関係に見える。
だが複数の経路を重ねると、同じ巨大な影が浮かび上がり始めた。
「随分と大物が出てきたな」
レイナスが資料を流し見る。
「ただ、これだけじゃ弱い」
「ええ」
王留美も同意する。
「ラグナ・ハーヴェイの影響下にある企業は多すぎます。複数の取引が重なったというだけでは、GN-Xとの関係を証明できません」
「ですよね」
レイナスは椅子へ深く腰を下ろした。
ようやく尻尾らしきものが見えたと思ったが、掴むにはまだ遠い。
「仕事ってのは、終わりが見えた頃に追加分が出てくるようにできてるんだよな」
「誰がそのような仕組みに?」
「知らない。知ってたら百年前に苦情を入れてる」
王留美が僅かに笑った。
「ですが、調べる価値はあります」
「ああ」
レイナスはラグナの経歴へ戻る。
「直接会えるなら早いんだけどな」
「難しいでしょうね」
「でしょうね。身元不明の男が『新型モビルスーツについて聞きたい』なんて訪ねていったら、受付で終わる」
「身元は用意できますが」
「その身元で大企業の総裁に会える肩書きまで付けたら、後で帳尻合わせる方が大仕事だろ」
「では、周辺から?」
「それが堅いな」
レイナスが端末へ手を伸ばした時だった。
王留美の通信端末が鳴った。
彼女が表示を確認する。
その表情から、先ほどまでの僅かな笑みが消えた。
「……レイナス」
「何か出た?」
「ラグナ・ハーヴェイが死亡したとの情報です」
伸ばしかけていた手が止まる。
「いつ?」
「詳細はまだ確認中です。自宅で死亡しているところを発見されたと」
「死因は?」
王留美が数秒待つ。
追加情報が表示された。
「銃撃」
レイナスの目が細くなった。
数日前なら、大企業の総裁が殺されたというニュースで終わっていただろう。
だが今は違う。
GN-Xを追った先で、ようやく名前が浮かんだ。
その直後に本人が殺された。
「……タイミングが良すぎるな」
「サーシェスでしょうか」
王留美が口にした名前に、レイナスはすぐには頷かなかった。
路地裏で交戦した時の感触を思い出す。
躊躇なく絹江を殺そうとした男。
人を殺すこと自体に抵抗がないのは間違いない。
それでも、それとラグナ殺害の犯人であることは別の話だった。
「候補には入る。でも、それだけだ」
「断定はしない?」
「外した時の損が大きいからな」
レイナスはラグナの資料を閉じる。
「思い込みで一人を追ってる間に本命が逃げました、じゃ収支が合わない」
判断材料が足りない。
なら、集める。
それだけだった。
「ラグナが死ぬ前に会った人間を洗ってください。通信記録も。出入りした車両が残ってるなら、そっちも」
「分かりました」
「俺も動く」
レイナスは上着を取った。
王留美が彼を見る。
「サーシェスが見つかった場合は?」
レイナスの動きは止まらなかった。
「まず確認する」
扉へ向かいながら答える。
「ラグナの件に関係してるなら話を聞く。絹江さんの時みたいに誰かを殺そうとしてるなら、その場で止める」
「抵抗されたら?」
「その時は相手次第だよ」
扉の前で振り返る。
その表情に迷いはなかった。
「一度見逃した相手だからって、二度目まで同じ条件で扱う義理はないだろ」
◇
トリニティ拠点
ネーナは端末を何度も操作していた。
アクセス要求。
拒否。
再接続。
また拒否。
表示される結果は何度繰り返しても変わらない。
「なんで……」
指の動きが止まる。
少し前まで当然のように利用できていたヴェーダが、今は自分たちを完全に拒絶していた。
「なんで繋がらないのよ!」
ネーナの声が室内に響く。
ミハエルは苛立った様子で椅子を蹴った。
「まだやってんのかよ!」
「だって繋がらないんだもん!」
「だったらヴェーダなんか放っとけ! 俺たちにはガンダムがある!」
「そういう問題じゃない!」
「二人ともやめろ」
ヨハンの声で、二人が黙る。
彼自身にも余裕はなかった。
ヴェーダとの接続は失われた。
GN-X部隊には追われている。
そして今、もう一つ問題が増えた。
ヨハンは通信回線を開く。
呼び出し先はラグナ・ハーヴェイ。
応答はない。
別回線へ切り替える。
それでも同じだった。
「ラグナ・ハーヴェイ。応答してください」
沈黙。
ネーナが不安そうに兄を見る。
「ヨハン兄……?」
ヨハンは三度目の呼び出しを行おうとして、止めた。
外部回線から新しい情報が入っていた。
画面に表示された名前。
その横にある文字を見て、表情が固まる。
死亡。
「……ラグナ?」
ネーナが画面を覗き込む。
「嘘……」
ミハエルも近づく。
「なんだよ、これ」
ヨハンは記事を確認する。
詳細は少ない。
自宅で死亡。
銃撃された可能性。
犯人不明。
「じゃあ俺たち、どうすんだよ」
ミハエルが言う。
今度は怒鳴っていなかった。
ヨハンは弟と妹を見る。
「ここを離れる」
「どこへ?」
「追跡されにくい場所へ移動する」
「逃げるのかよ」
「生き残るんだ」
ヨハンの声が強くなる。
「状況が変わった。今までと同じようには動けない」
ミハエルは納得していない。
それでも反論する前に、警報が鳴った。
三人が一斉に振り返る。
「何!?」
ネーナが端末へ走る。
「接近反応……一機!」
「GN-Xか?」
「違う!」
モニターに機影が表示される。
三人とも見覚えのない機体だった。
ヨハンが立ち上がる。
「全員、警戒しろ」
◇
トリニティ拠点・格納区画
格納区画には三機のスローネが並んでいた。
整備設備も補給物資も、以前ほど潤沢ではない。それでも三機は、今なお世界でも有数の戦闘能力を持つモビルスーツだった。
ミハエルは警報を聞くなり、ツヴァイへ向かっていた。
「一機で何しに来たんだよ」
苛立ちを隠さない。
GN-Xなら叩き潰す。
違う相手なら、なおさらだった。
「ミハエル、勝手に動くな」
後ろからヨハンが追う。
ネーナも続いていた。
その時。
格納区画へ通じる別の入口から、一人の男が姿を現した。
軍服ではない。
三大国家群の兵士にも見えない。
男は三人よりも、その背後にある機体を見ていた。
赤いガンダム。
スローネツヴァイ。
「……誰だ、てめえ」
ミハエルが足を止める。
男――アリー・アル・サーシェスは、ようやく三人へ視線を向けた。
「俺か?」
楽しそうに笑う。
「ただの傭兵だよ」
ヨハンの表情が険しくなる。
知らない男だった。
少なくとも、自分たちの協力者ではない。
「ここへどうやって入った」
「入口から」
「ふざけるな」
「別にふざけちゃいねえさ」
サーシェスの視線が再びツヴァイへ向く。
その目つきに、ミハエルが気づいた。
「……おい」
一歩前へ出る。
「俺のガンダムに何の用だ?」
「俺の?」
サーシェスが笑った。
その言い方が気に入らなかったのか、ミハエルの顔に怒りが浮かぶ。
「何がおかしい!」
「いやなに」
サーシェスの右手が、自然な動きで腰へ下がっていく。
ヨハンがそれに気づいた。
「ミハエル!」
声と銃声が、ほとんど同時だった。
ミハエルの身体が揺れる。
何が起きたのか理解できないまま、自分の胸元へ視線を落とした。
赤い染みが広がっていく。
「……は?」
ネーナの顔から血の気が引いた。
「ミハ兄……?」
膝が崩れる。
ミハエルの身体が床へ倒れた。
金属質の床に響いた音だけが、妙に大きかった。
「ミハエル!」
ヨハンが叫ぶ。
ネーナは動けない。
目の前に倒れた兄と、その向こうに立つ男を交互に見る。
サーシェスは硝煙の上がる銃を下ろした。
その顔には、何の感慨も浮かんでいなかった。
「悪いな」
そう言いながら、視線はすでにミハエルから外れている。
その先にあるのはスローネツヴァイ。
「そいつ、俺が使うことになってんだ」
ヨハンの表情が変わった。
「貴様――!」
サーシェスは笑った。
「いい機体じゃねえか」
奪う者の目が、赤いガンダムを捉えていた。