第40話 束の間の静寂
西暦2307年――宇宙・プトレマイオス
国連軍の撤退から、しばらく。
プトレマイオス周辺の宙域に敵影はなかった。
だからといって、安全になったわけではない。
国連軍は戦力を失ったものの、壊滅したわけではない。残存するGN-X部隊は後方へ下がり、損傷機の修復と部隊の再編成を進めている。
次がある。
誰もが、そう考えていた。
それでも。
戦えない時間と、戦わなくていい時間は違う。
今だけは後者だった。
◇
プトレマイオス・格納庫
鹵獲したGN-Xは固定アームに収められ、装甲の一部を外されていた。
擬似GNドライヴ周辺には計測機器が取り付けられ、整備班が慌ただしく行き来している。
その様子を少し離れたところから眺めていたレイナスへ、イアンが声を飛ばした。
「まだいたのか」
「邪魔はしてないだろ」
「三十分前にも同じところに立ってたぞ」
「せっかく敵の新型を丸ごと持って帰ったんだ。気になるくらいは勘弁してくれ」
レイナスはGN-Xを見上げた。
自分で操縦したからこそ分かる。
量産機としては明らかに破格の性能だった。
それを今、イアンたちが一つずつ分解して調べている。
見ているだけでも退屈はしない。
「で、どうなんだ?」
「それを調べてる最中だ」
「そう急かしたつもりはないよ。まだ使えそうなら、それで十分だ」
イアンが端末から顔を上げた。
「もう次に乗る気でいるのか」
「他に空いてる機体もないからな。解析が終わって問題がなければ、候補には入れてくれ」
以前のように、戦場へ出るたび適当な機体を探すわけにもいかない。
少なくともGN-Xなら、ガンダムと同じ戦場についていける。
「勝手に持ち出すなよ」
レイナスは一瞬黙った。
フラッグ。
イナクト。
そして今回のGN-X。
過去を並べれば、イアンがそう言う理由も分からなくはない。
「……まあ、その辺の実績は俺も否定できないか」
「分かったら休んでこい。戦闘が終わったばかりだろ」
「分かったよ。後は任せる」
今度は素直に踵を返した。
数歩進んでから、もう一度GN-Xを見る。
「だから見るな!」
レイナスは振り返らず、片手だけ上げた。
◇
プトレマイオス・食堂
クリスはテーブルへ突っ伏していた。
「疲れた……」
その向かいで、リヒティが飲み物を口にする。
「生きてるだけいいだろ」
「それはそうなんだけどさぁ」
クリスが顔だけを横へ向けた。
「戦闘終わったら終わったで、記録整理、損傷確認、通信ログ整理。休憩って何?」
「今やってるだろ」
「これは力尽きてるの」
少し離れた席。
アレルヤは食事を取りながら、そのやり取りを聞いて笑っていた。
「でも、こういう時間も久しぶりな気がするね」
「言わないでよ」
クリスが顔を上げる。
「そういうこと言うと、すぐ次が来そうだから」
「ごめん」
「謝られると余計怖い!」
リヒティが笑った。
食堂には普段より多くのクルーがいる。
整備班。
ブリッジ要員。
戦闘配置から外れた者たち。
誰もが疲れていた。
それでも、話し声がある。
食器の触れる音がする。
そんな当たり前のものが、今は妙に貴重だった。
◇
プトレマイオス・ブリッジ
スメラギは椅子に座ったまま、手元の端末を眺めていた。
敵部隊の推定状況。
各国軍の動き。
補給線。
GN-Xの配備状況。
どれも不確定な情報ばかりだった。
「スメラギさん」
フェルトの声。
「何?」
「休まないんですか?」
スメラギは画面から目を離した。
「もう少ししたらね」
フェルトはじっと見る。
「……何?」
「前にもそう言ってました」
「言った?」
「二時間前に」
スメラギは時計を見る。
本当に二時間経っている。
「嫌なところで正確ね」
「仕事なので」
フェルトは真顔だった。
スメラギは苦笑して端末を閉じる。
「分かったわ。三十分だけ休んでくる」
「一時間」
「フェルト?」
「一時間です」
少しの沈黙。
「……はい」
スメラギが立ち上がる。
フェルトはその背中を見送り、正面へ向き直った。
その横には、格納庫から送られてきたGN-Xの解析データが表示されている。
視線が一度だけ、そこへ向いた。
あの戦闘。
レイナスが生身で艦を出ていった時のことを思い出す。
フェルトは小さく息を吐いた。
「……無茶しないって言ったのに」
誰にも聞こえない程度の声だった。
◇
プトレマイオス・展望区画
地球が見える。
絹江は窓の前に立っていた。
記者として世界を追ってきた。
イオリア・シュヘンベルグ。
ソレスタルビーイング。
ガンダム。
ラグナ・ハーヴェイ。
GN-X。
アリー・アル・サーシェス。
追えば追うほど、知りたいものは増えていった。
その代わり。
知ったことで、戻れなくなった場所もある。
「ここにいたのか」
後ろから声がした。
「ロックオンさん」
ロックオンが隣まで来る。
「休んでる?」
「そのつもりです」
「その割には難しい顔してたけどな」
「考えることが多いんです」
「記者ってのも大変だ」
「ガンダムマイスターほどではないと思います」
「比べるもんでもないだろ」
ロックオンは窓の外へ目を向けた。
地球がゆっくりと流れていく。
しばらく、二人とも話さなかった。
沈黙は気まずくなかった。
絹江が先に口を開いた。
「国連軍は?」
「再編成中らしい」
「また来ますか」
「来るだろうな」
迷いのない答えだった。
絹江はロックオンを見る。
「怖くないんですか?」
「怖いさ」
即答だった。
絹江が少し意外そうな顔をする。
ロックオンは笑った。
「何だよ、その顔」
「怖くないと言うのかと思いました」
「そんな格好つけてもしょうがないだろ。撃たれりゃ死ぬし、死にたくもない」
「……そうですね」
「それに」
ロックオンの表情から、少しだけ笑みが消える。
「約束もしたしな」
絹江は何も言わなかった。
サーシェスを一人で追わない。
そして。
死なない。
戦闘へ出る直前、自分が言った言葉も覚えている。
「守ってくださいね」
「ああ」
今度は冗談で流さなかった。
絹江は地球へ視線を戻す。
「私も守ります」
「勝手にサーシェスを追わない、って方か」
「もちろんです」
再び静かな時間が流れた。
ロックオンは窓に映る自分の姿を見た。
ロックオン・ストラトス。
ソレスタルビーイングのガンダムマイスター。
狙撃手。
そして――コードネーム。
以前、絹江に聞かれた。
それが本名なのかと。
あの時は答えなかった。
――いつか、自分から教えてください。
その言葉は覚えていた。
「絹江」
「はい?」
「前に名前の話しただろ」
絹江が振り向いた。
「覚えています」
「だよな」
ロックオンは少し笑った。
だが、次の言葉は軽口にはしなかった。
「ニールだ」
絹江の表情が止まった。
「え?」
「俺の名前。ニール・ディランディ」
絹江はすぐには答えなかった。
驚いたようにロックオンを見ている。
「……教えてくれるんですね」
「ああ」
「どうして今?」
ロックオンは窓の向こうへ視線を戻した。
次の戦いが近い。
その事実が無関係とは言えない。
けれど、それだけではなかった。
「前に言っただろ。覚えとくって」
絹江も思い出した。
いつか自分から教えてほしい。
それに対して彼は確かにそう答えた。
「今なら教えてもいいと思った。それだけだ」
絹江はしばらくその横顔を見ていた。
記者なら、ここから先はいくらでも質問できる。
なぜコードネームを使っているのか。
ディランディという姓。
家族。
過去。
けれど。
今は聞かなかった。
「分かりました」
「聞かないのか?」
「自分から教えてくれたことを、すぐ取材に変えるほど無粋ではありません」
「そりゃ助かる」
絹江が微笑む。
「ニールさん」
ロックオンの目が僅かに動いた。
「……ここじゃ、その名前で呼ばれることがないからな」
「嫌でした?」
「いや」
少しだけ間を置く。
「悪くない」
二人は再び地球を見る。
今度の沈黙は、先ほどまでとは少しだけ違っていた。
◇
プトレマイオス・居住区画
レイナスはベッドへ身体を預けていた。
机の上には端末。
TRANS-AMの戦闘記録も、GN-Xの解析資料も今は閉じている。
頭の中にはまだ、赤く染まったエクシアが残っていた。
試してみたいこともある。
だが急いで形にする必要はない。
戦闘直後に思いついたものを、そのまま答えだと思い込むほど若いつもりもなかった。
それに、次の戦いまでに休める保証もない。
今は休む。
それも必要な仕事だった。
端末が鳴った。
表示された名前はイアン。
レイナスは少し眉を上げ、通信を開く。
「どうした?」
『本当に休んでるかと思ってな』
「言われた通り部屋にいるよ。さすがに格納庫へ戻ったら、今度こそ追い出されそうだからな」
『分かってるならいい』
「わざわざ確認の通信まで入れるとは思わなかったけど」
『お前が妙なことを始めるよりマシだ』
レイナスは苦笑した。
「今日は大人しくしてるよ。そっちも根を詰めすぎるな」
『誰に言っとる』
「お互い様だろ」
短く笑って、通信を切る。
レイナスは端末を机へ戻した。
GN-X。
TRANS-AM。
国連軍。
サーシェス。
考えればいくらでも出てくる。
だからこそ、今は考えない。
目を閉じる。
次に戦う時まで。
束の間でも、身体を休めておく。
◇
国連軍・再編成拠点
格納庫では損傷したGN-Xの修復が続けられていた。
失われた機体。
損傷した機体。
パイロットを失った機体。
戦力は減った。
それでも、まだ戦える。
次の作戦へ向けた再編成が急ピッチで進められている。
その一角。
返還されたGN-Xパイロットが、簡素な会議室に座っていた。
向かいにはグラハム・エーカー。
「報告書は読ませてもらった」
グラハムが端末をテーブルへ置く。
「だが、文字だけではどうにも理解し難い箇所がある」
「……どの部分でしょうか」
「君のGN-Xを奪った男についてだ」
パイロットの表情が強張った。
「報告書に書いた通りです」
「生身で宇宙へ出てきた」
「はい」
「飛行中のGN-Xへ取りついた」
「はい」
「君を機外へ出し、そのまま機体を奪った」
「……はい」
グラハムはしばらく黙った。
「実に興味深い」
パイロットには、とてもそう思えなかった。
「その男について、覚えていることを聞かせてほしい」
「若い男です。見た目は二十歳前後。普通の宇宙服ではありませんでした」
「機体へ取りつく際に、何か装備を?」
「いえ。ただ……青白い光が見えました」
グラハムの目が細くなる。
「青白い光?」
「身体の周囲にありました。何なのかは分かりません」
「他には?」
パイロットは一度言葉を止めた。
自分でも、口にすれば荒唐無稽だと思う。
「コクピット周辺の装甲を……素手で変形させました」
グラハムの表情が止まる。
「GN-Xの装甲をかね?」
「はい」
「素手で」
「はい」
沈黙が落ちた。
だがグラハムの脳裏には、すでに一人の男が浮かんでいる。
かつて戦場でフラッグへ乗り込み。
その後、何事もなかったかのように返してきた男。
地上でも直接言葉を交わした。
「名前は?」
「本人からは聞いていません。ただ、通信で呼ばれていました」
「何と?」
「レイナス、と」
グラハムはゆっくりと背もたれへ身体を預けた。
「やはり、君だったか」
「ご存じなんですか?」
「二度ほど言葉を交わしたことがある」
グラハムの口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「その時から普通の男ではないと思っていたが……私の認識は、まだ甘かったらしい」
パイロットは返す言葉がなかった。
グラハムは再び端末を見る。
「君自身への扱いは?」
「機体から降ろされた後、ソレスタルビーイング側に回収されました。軽い怪我の治療を受けて、その後こちらへ返還されています」
「尋問は?」
「ありません」
「そうか」
グラハムは立ち上がった。
「十分だ。休みたまえ」
「はっ」
会議室を出る。
廊下の先では、修復中のGN-Xが見えた。
グラハムは足を止める。
レイナス・レノアーク。
フラッグを扱い。
今度はGN-Xを奪った。
それも、生身で。
「機体を選ばぬ男だとは思っていたが……」
そこまで口にして、グラハムは小さく笑った。
戦場の外で会った時とは違う。
次に相まみえるなら。
今度こそ互いに、戦う者として向き合うことになるだろう。
格納庫では、次の戦いへ向けて整備の音が響き続けていた。
一方。
遠く離れたプトレマイオスでは、束の間の休息が流れている。
長くは続かない。
それでも今は。
誰もまだ、戦ってはいなかった。