第49話 漂流
西暦2308年――宇宙・旧戦闘宙域
戦いが終わった宇宙は、妙に静かだった。
少し前まで無数のGN粒子と砲火が飛び交っていた宙域には、大小さまざまな残骸が漂っている。爆発の光も、敵味方を示す識別信号も、時間が経つにつれて一つずつ消えていった。
その中に、一機のGN-Xが取り残されている。
レイナスはコクピットで通信装置を操作し、何度目かになる救難信号を送った。
反応はない。
「……まあ、そう簡単にはいかないか」
モニターへ目を向ける。
推進器は停止。
姿勢制御も最低限。
長距離通信もまともに機能していない。
少し前まで「ほぼ新品」と喜んでいた機体とは思えない有様だった。
「せっかく状態のいいのを手に入れたってのにな」
一拍置く。
「……いや。手に入れたって言い方はまずいか」
パトリックの顔が浮かんだ。
正確には顔より声の方が印象に残っている。
――返せぇぇぇっ!!
「まあ……あいつからすればそうなるよな」
今さらながら納得する。
もっとも、返そうにもこの状態ではどうしようもない。
レイナスは背もたれへ身体を預けた。
「欲しけりゃ取りに来てくれ。場所はこの辺だ」
当然、返事はなかった。
◇
問題は機体だけではない。
レイナスは横を見る。
ハッチは閉じていない。
正確には、閉められない。
パトリックからGN-Xを奪った際に強引に開放したため、気密機構まで壊れている。
現在、レイナスの身体とその周囲の空気は《アニマ》によって保護されていた。
宇宙空間で活動すること自体はできる。
しかし《アニマ》が酸素まで作ってくれるわけではない。
「こういうところだけは現実的なんだよな……」
できることと、できないこと。
そこを間違えれば死ぬ。
レイナスは機体の残存電力と通信機能を確認した。
救難信号はまだ送れる。
ならば、ここに残る。
GN-Xを捨てて生身で飛び出すこともできるが、周囲には向かう先がない。宇宙空間で人間一人を探すより、十数メートルのモビルスーツを探す方が遥かに簡単だ。
まして、こいつは国連軍の最新鋭機。
誰かのセンサーに引っ掛かる可能性も高い。
「遭難して初めて分かるな」
レイナスはGN-Xの計器盤を軽く叩いた。
「でかいってのも立派な長所だ」
もう一度、救難信号を送る。
反応なし。
「……ただし、救助が来ればの話だけどな」
そこが一番大きな問題だった。
◇
一時間。
二時間。
時間だけが過ぎていく。
《アニマ》を維持すること自体は、レイナスにとって大きな負担ではない。
だからといって、何日でもこの状態でいられるわけではなかった。
酸素。
食料。
水。
どれも《アニマ》では作れない。
「こういう時、便利な能力にも経費ってのがあるのがよく分かる」
呟いてから、レイナスは眉を寄せた。
「……経費で済めば安いんだが」
命まで請求されたら割に合わない。
端末を操作する。
何か暇を潰せるものでもないかと思ったが、当然ながら軍用MSに娯楽用のデータなど入っていない。
戦闘記録。
機体診断。
軍用通信。
どれを見ても面白くない。
「敵から機体を借りる時は、その辺も確認しないとな」
数秒。
「……次がある前提なのもどうなんだ」
自分で言って、自分でやめる。
静寂が戻った。
レイナスは目を閉じた。
フェルトの声が蘇る。
――帰ってきて。
「ああ」
誰もいないコクピットで返す。
「帰るよ」
約束した。
なら帰る。
問題は方法だけだ。
「専用機もまだだからな」
口元がわずかに緩む。
「ここで死んだら、本当に借り物が最後になる」
それだけは締まらない。
目を開け、再び救難信号を確認する。
まだ応答はない。
◇
さらに時間が経った。
国連軍の反応も、すでにほとんど残っていない。
戦場だった場所には残骸だけが取り残されている。
国連軍に拾われなかったことについては、幸運と考えるべきだろう。
GN-Xに乗った所属不明者。
しかも機体番号を調べられれば、正規のパイロットではないとすぐ分かる。
「事情聴取で済めばいいけどな」
捕虜。
拘束。
下手をすればもっと面倒なことになる。
「せっかく戦争が終わったのに、今度は取調室じゃ割に合わない」
そう考えると、今の孤独も多少はマシに思えてくる。
多少は、だが。
その時だった。
通信装置から小さな電子音が鳴る。
レイナスの表情が変わった。
「……来たか?」
受信。
微弱。
軍用コードではない。
民間船舶用の自動応答信号。
救難信号を拾った船がいる。
レイナスはすぐ通信を開いた。
「こちら遭難機。聞こえるか」
ノイズ。
数秒。
『――こちら貨物船セレーネ。救難信号を確認した』
人の声。
レイナスは背もたれへ深く身体を預けた。
「助かった。ちゃんと人間の声だ」
『……そちらの状態は?』
「機体は動かない。俺は問題ない」
『機体識別では国連軍所属のGN-Xになっている。所属と階級を』
早速そこだった。
レイナスは少し黙る。
「……やっぱり聞くよな」
『当然だ』
「まあ、立場が逆なら俺も聞く」
『それで?』
「所属は……今は無しってことにしてくれ」
『何?』
「階級もない」
『待て。ではなぜ国連軍の機体に乗っている?』
もっともな質問だった。
レイナスは少し考えた。
正直に、
――戦闘中に国連軍のパイロットから奪いました。
と言って信用してもらえるだろうか。
「……話すと長くなる」
『簡単でいい』
「簡単にすると、もっと怪しくなる」
通信の向こうが黙った。
『……盗んだのか?』
「そこまで簡単にしなくてもいいだろ」
『否定しないのか』
レイナスも黙った。
「……今は遭難者ってことで勘弁してくれ」
深いため息が通信越しに聞こえた。
◇
貨物船は慎重に接近してきた。
当然だった。
民間船からすれば、国連軍の最新鋭モビルスーツが救難信号を出して漂っているだけでも十分に異常だ。
しかも中の男は所属不明。
機体を盗んだ疑惑まである。
よく助けに来てくれたものだとレイナス自身が思う。
『遭難機へ。これ以上機体を動かすな』
「動かしたくても動かないよ」
『武装にも触れるな』
「ああ。分かった」
『これより作業艇を向かわせる』
「助かる」
しばらくして、小型作業艇がGN-Xへ接近する。
宇宙服姿の救助員が外へ出てきた。
壊れたハッチへ近づく。
そして止まった。
『……おい』
「ん?」
『ハッチが開いてるぞ』
「壊れてるからな」
『気密は!?』
「ない」
救助員が固まった。
『……お前、何で生きてる?』
「その説明も長くなる」
『さっきからそればっかりだな!』
「こっちも好きで事情を増やしたわけじゃないんだ」
救助員が何か言いかける。
その前に、レイナスはシートベルトを外した。
『待て! 何をしてる!』
「そっちに移る」
『宇宙服は!?』
「持ってない」
『じゃあ動くな!』
レイナスは《アニマ》を展開した。
身体と周囲の空気を青白い光が包む。
そのままハッチから宇宙空間へ出る。
救助員が完全に動きを止めた。
『…………』
レイナスも止まる。
「……その反応、最近よく見るな」
『お前、本当に何なんだ』
「遭難者」
『そういう意味じゃない!』
「分かってるよ」
レイナスは作業艇を見る。
「とりあえず乗せてくれ。説明は空気のあるところでしたい」
救助員はしばらくレイナスを見ていた。
やがて諦めたように作業艇を指す。
『……来い』
「ありがとう」
レイナスは青白い光を纏ったまま、作業艇へ移った。
◇
貨物船セレーネ。
エアロックに内圧が戻る。
安全表示が点灯したところで、レイナスは《アニマ》を解いた。
内側の扉が開く。
数人の船員が待っていた。
全員がレイナスを見ている。
その視線が痛い。
船長らしい中年の男が一歩前へ出た。
「名前は?」
「レイナス・レノアーク」
「所属は?」
「今は無し」
「国連軍の兵士ではない?」
「ああ」
「では、なぜGN-Xに?」
やはりそこへ戻ってくる。
レイナスは少し考えてから答えた。
「必要だったから使った」
「誰の許可で?」
「……」
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
レイナスは視線を逸らした。
「そこを掘ると、お互い面倒になる気がする」
船長の眉間に深い皺が刻まれた。
「私には既に十分面倒なんだが」
「……それは悪かった」
素直に謝る。
船長は大きく息を吐いた。
「まあいい。詳しい話は後だ。怪我は?」
「ない」
「本当に?」
「ああ」
「宇宙服なしで宇宙を飛んでいた男の『大丈夫』を、どこまで信用すればいい?」
それはもっともだった。
レイナスは少し笑った。
「そこは……俺にも判断が難しいな」
「医務室へ行け」
「分かった」
逆らう理由もない。
◇
医務室へ向かう途中、レイナスは小さな窓の前で足を止めた。
遠ざかっていくGN-Xが見える。
貨物船にはモビルスーツを収容する設備がない。
作業艇で曳航し続けることもできない。
置いていくしかなかった。
短い付き合いだった。
戦場で手に入れ。
プトレマイオスを守り。
最後には自分の命まで繋いでくれた。
レイナスはしばらく機体を眺める。
「……世話になったな」
一拍。
「持ち主には悪いが」
そこまで言って、わずかに笑う。
「まあ、あいつなら生きてるだろ」
あの調子なら、簡単には死にそうにない。
GN-Xは少しずつ小さくなっていく。
レイナスは背を向けた。
惜しくないと言えば嘘になる。
だが、あれは自分の機体ではない。
いつか。
借り物でも、拾い物でも、現地調達でもない。
自分のための機体が欲しい。
「……そのくらいは期待してもいいだろ」
今度こそ歩き出した。
◇
数時間後――貨物船セレーネ・船室
壁面モニターではニュースが流れていた。
国連軍とソレスタルビーイングの大規模戦闘。
世界各国の軍事統合。
戦闘終結。
ソレスタルビーイングの活動停止。
報道は様々な情報を伝えていたが、レイナスが本当に知りたいことは一つもなかった。
プトレマイオスの生存者。
刹那。
アレルヤ。
ティエリア。
そしてフェルト。
誰の消息も分からない。
レイナスはベッドに腰掛けたまま、ニュースを眺める。
やがてモニターを消した。
「……まあ、焦っても情報は増えないか」
最後に見た光景を思い出す。
プトレマイオスから離れていった脱出艇。
少なくとも、あれは見た。
なら、今はそれを信じる。
「帰るって言ったんだ」
小さく呟く。
「先に帰る場所を探さないとな」
地上へ降りる。
そこからだ。
王留美なら何か知っている可能性がある。
向こうから連絡が来る可能性もあった。
もっとも――。
「連絡先、ちゃんと生きてるんだろうな」
世界を巻き込む戦争が終わった直後である。
以前と同じ通信網が使える保証などない。
「こういう時に限って、手続きからやり直しとか勘弁してくれよ」
レイナスはベッドへ横になった。
目を閉じる。
戦闘警報は鳴らない。
機体の警告音もない。
銃声も爆発もない。
久しぶりの静かな場所だった。
「……寝るか」
今度こそ、そのまま意識を手放した。
◇
数日後。
地上へ戻ったレイナスの端末に、一件の通信が入る。
見覚えのある回線。
表示された名前を見て、レイナスは少しだけ目を細めた。
王留美。
「……思ったより早かったな」
通信を開く。
『お久しぶりです、レイナスさん』
聞き慣れた声だった。
レイナスは椅子へ身体を預ける。
「そうでもないだろ。俺の感覚じゃ、ついこの間だ」
『ご無事で何よりです』
「ああ。そっちもな」
短い沈黙。
そして王留美が告げた。
『お話ししたいことがあります』
レイナスの表情から、わずかに軽さが消える。
「……みんなのことか?」
『はい』
レイナスは姿勢を起こした。
『ソレスタルビーイングは――まだ終わっていません』
しばらく黙ってから。
レイナスは小さく息を吐いた。
「そうか」
口元に、ほんの少し笑みが浮かぶ。
「なら、まだ失業せずに済みそうだな」
戦いは終わった。
けれど、彼らの物語はまだ終わっていなかった。