第55話 アステリオン
西暦2310年初頭――ソレスタルビーイング再建拠点・格納庫
格納庫の扉が開いた。
レイナスは、その場で止まった。
後ろから入ってきたフェルトとクリスが、危うく背中へぶつかりそうになる。
「……レイナス?」
返事がない。
イアンだけが先へ進み、振り返った。
「どうした?」
「……いや」
レイナスは目の前の機体から視線を外さない。
「ちょっと待ってくれ。今、感動してる」
巨大な整備架台。
その中央に、一機のモビルスーツが立っている。
数か月前まで装甲すら揃っていなかった機体は、今や完全な人型を形作っていた。
細身ながら強度を確保したフレーム。
高速戦闘時の姿勢制御を重視した脚部。
背部には大推力と細かな姿勢変更を両立させる複数のスラスター。
腰部には近接兵装。
射撃兵装も、この機体に合わせて調整された専用品だ。
既存のガンダムとも、GN-Xとも違う。
最初から、一人のパイロットが乗ることだけを前提に造られたモビルスーツ。
レイナスはゆっくり歩き出した。
「これが……」
「ああ」
イアンが答える。
「お前のだ」
レイナスの足が止まった。
借りた機体。
拾った機体。
戦場で奪った機体。
これまで使ってきたものを思い返せば、まともな入手経路の方が少ない。
だが今、目の前にある機体だけは違う。
「……俺のか」
「ああ」
「後から返せとか言わない?」
「言わん」
「使用料は?」
「取らん」
「修理代は?」
「壊し方による」
「そこだけ現実的だな」
レイナスは笑った。
「いや、悪い。今まで中古と借り物で食いつないできたんだ。新品を丸ごと一機渡されると、どこかに小さい字で条件が書いてある気がしてな」
「誰がお前を騙すんだ」
「世の中、うまい話ほど契約書の下半分が怖いんだよ」
クリスが吹き出す。
フェルトもわずかに笑った。
レイナスは機体の足元まで歩き、装甲へ手を置いた。
冷たい金属の感触が掌へ返る。
そこでようやく実感が湧いた。
「……長かったな」
今度だけは冗談ではなかった。
◇
「基本性能は前に説明した通りだ」
イアンが機体の周囲を歩く。
「高機動戦闘を主軸にしてる。お前の希望通り、最高速度より加減速と旋回、姿勢変更を重視した」
「近接は?」
「GNブレイド系を二本」
「射撃」
「専用GNライフル」
「防御」
「GNフィールド。ただしヴァーチェみたいに正面から全部受けようとするな」
「安心しろ。保険があるから事故ってもいい、なんて考え方はしてない」
「お前の場合は信用ならん」
「完成祝いの日くらい信用残高を増やしてくれてもいいだろ」
「今までの分が赤字だ」
「……完済まで長そうだな」
イアンは端末を操作する。
内部構造が表示された。
「最大の問題はこっちだ。《オーバーライズ》への対応」
「本命だな」
「GN-Xで取れたデータと、お前が《アニマ》を使った時の記録を反映してある」
これまでの機体は、《アニマ》による強化を想定していなかった。
まして《オーバーライズ》など完全に規格外。
機体性能を大幅に引き上げられる代わりに、その代金は機体の各部が払うことになる。
アステリオンは違う。
最初から、その負荷を受ける前提で設計されていた。
「どこまで上げられる?」
「分からん」
「そこ、一番欲しかった数字なんだけどな」
「お前自身が上限を知らんだろうが!」
「こっちも請求額が分からないまま使ってるようなもんだからな」
「だから怖いんだよ!」
イアンが指を突きつける。
「最初から全開にはするな!」
「分かってるって」
「信用できん!」
レイナスはフェルトを見る。
フェルトは首を横に振った。
クリスを見る。
同じだった。
「……新車を受け取った日に全員から事故る前提で見られるとは思わなかったな」
「実績」
フェルトが短く答えた。
「一言で片づけられると反論できないんだよな、それ」
レイナスは肩を竦めた。
◇
コクピットへ入る。
シートへ身体を沈めた瞬間、レイナスは眉を上げた。
コンソール。
操縦桿。
ペダル。
視界。
すべてが自分に合わせられている。
「……これはまずいな」
『何か問題か?』
「逆だよ。快適すぎる」
レイナスは操縦桿を握った。
「今まで借家暮らしだった奴が、いきなり注文住宅を渡された気分だ」
『お前のために造ったんだから当然だ』
「これに慣れたら、もう拾い物に戻れないな」
『戻るつもりだったの?』
フェルトが割り込んだ。
「念のためだよ。人生、いつ資金繰りが悪化するか分からない」
『モビルスーツの話だよね?』
「もちろん」
システムを起動する。
次々と表示が立ち上がる。
そして最後に機体名称の入力欄が現れた。
『名前、決めてるんでしょ?』
「ああ」
レイナスは入力する。
ASTERION
「アステリオン」
『アステリオン……』
フェルトがその名を繰り返す。
『いい名前』
「だろ?」
レイナスは少し得意そうに笑った。
「百年以上待った最初の一機だ。名前くらいは景気よくいかないとな」
『景気って……』
「大事だぞ。名前から赤字臭がしたら出撃するたび気が滅入る」
『そんな名前あるの?』
「探せばありそうだ」
『探さなくていいよ』
レイナスは笑った。
「じゃあ、早速――」
『待て』
イアンだった。
「嫌な予感がするな」
『今日は起動試験だけだ』
「もう起動したぞ」
『次は歩行試験』
「その後は?」
『各部動作試験』
「飛行試験」
『後日』
「《オーバーライズ》」
『もっと後だ』
沈黙。
「……納車されたのに駐車場から出られないのか」
『納車じゃない!』
「似たようなもんだろ」
『違う!』
「世知辛いな。新品を手に入れて最初にやるのが待機とは」
『壊されたくないんだよ!』
「俺だって壊したくないさ」
レイナスは正面の表示を見る。
「初めて保証書のある人生なんだ。大事にするよ」
『保証書なんかないぞ』
「……今のなしで」
クリスの笑い声が通信に混じった。
◇
数日後。
試験場所は宇宙へ移った。
アステリオンがカタパルトへ固定される。
レイナスは操縦桿を握った。
『発進どうぞ』
「了解」
正面ゲートが開く。
「レイナス・レノアーク、アステリオン――出る!」
カタパルトが機体を押し出す。
アステリオンが宇宙へ飛び出した。
「――っ!」
加速。
レイナスの身体がシートへ押しつけられる。
だが、すぐに笑みへ変わった。
「いいな!」
スラスターを吹かす。
急旋回。
逆方向へ加速。
制動。
再加速。
操縦入力に対する遅れが、ほとんどない。
「こいつはいい!」
『レイナス、コース』
フェルトの声が飛ぶ。
「分かってる!」
標的を捕捉。
GNライフルを構える。
一射。
命中。
二射。
命中。
機体を横へ滑らせながら三射目。
中央を撃ち抜く。
「反応もいい。照準も素直。何より俺の入力を待たせない!」
『楽しそうだね』
「楽しいに決まってるだろ!」
GNブレイドを抜く。
一気に標的へ接近。
斬撃。
機体が通過した直後、模擬標的が両断された。
「今まで中古車でレースしてたのが馬鹿らしくなるな!」
『モビルスーツだよ』
「分かってるって!」
フェルトの声にも笑いが混じっていた。
『次、《アニマ》低出力』
イアンの指示。
「了解」
レイナスが意識を集中させる。
青白い《アニマ》が身体から広がった。
コクピット。
フレーム。
装甲。
アステリオン全体へ。
青白い光が機体を包む。
「……」
レイナスの笑みが消えた。
『どうした?』
「いや」
感覚を確かめる。
これまでと違う。
既存の機体へ無理に力を流し込む感触がない。
《アニマ》が自然に機体全体へ巡っていく。
「……なるほどな」
『何が?』
「こいつ、ちゃんと俺の無茶を予算に入れて作ってある」
『その言い方は気に入らんが、まあそうだ』
「最高じゃないか」
『上げるなよ』
「分かってる」
『絶対だぞ』
「今日は低出力の契約だろ。追加料金を取られる真似はしないさ」
『その契約を守った実績がないから言ってる!』
「手厳しいな!」
レイナスは笑いながらアステリオンを加速させた。
◇
数週間後――ソレスタルビーイング再建拠点
試験が続く間にも、世界は動いていた。
アロウズの活動範囲はさらに拡大。
拘束者の所在不明。
民間人被害。
不自然な報道規制。
複数の情報が、同じ組織へ収束し始めている。
スメラギが大型モニターへ地図を表示した。
「今回の対象はここ」
旧中東地域。
複数の居住区。
「反連邦組織の拠点が存在するとして、アロウズが大規模な掃討作戦を開始した」
ティエリアが資料を見る。
「民間人は?」
「まだ残っている可能性が高い」
「避難は?」
「確認できない」
レイナスの表情から笑みが消えた。
映像が切り替わる。
市街地を進む無人兵器。
「オートマトン」
スメラギが説明する。
「対人掃討用の無人兵器よ」
映像の端に、逃げる住民が映っていた。
直後。
通信が途切れる。
レイナスは腕を組んだ。
「……これだけじゃ黒とは言えないな」
「ええ」
「だが、放っておくには請求書が溜まりすぎた」
スメラギが頷く。
「だから現地を確認する」
「誰が?」
スメラギがレイナスを見る。
「あなた」
「了解」
返事に間はなかった。
フェルトが顔を上げる。
「アステリオンで?」
「ようやく実戦だな」
イアンが睨む。
「偵察だ!」
「分かってるって」
「戦闘は避けろ」
「向こうが大人しくしてくれるならな」
「《オーバーライズ》は禁止!」
レイナスがイアンを見る。
「無条件で?」
「そうだ!」
「そいつは契約条件が厳しすぎるな」
「何?」
「必要になった時まで使わない、なら約束する」
「結局使う気じゃねえか!」
「必要な時に使えない切り札なら、維持費の無駄だろ」
「お前は――!」
スメラギが苦笑する。
「イアン。そこまでにしましょう」
「スメラギ!」
「任務目的は偵察。交戦は必要最小限。ただし現地の状況次第で、レイナスの判断に任せる」
レイナスが頷く。
「了解」
判断するまでは慎重に。
判断した後は――動く。
◇
地球・某都市
刹那・F・セイエイは人混みの中を歩いていた。
二年前と比べ、身体つきは変わった。
服装もごく普通のもの。
誰も彼がガンダムマイスターだとは気づかない。
街頭モニターにニュースが流れる。
『独立治安維持部隊アロウズは本日、旧中東地域における反政府武装組織への大規模な治安維持作戦を開始――』
刹那の足が止まった。
画面にはアロウズのモビルスーツ。
輸送機。
装甲車。
反政府勢力によって支配された地域の解放。
そう説明されている。
刹那は無言で見つめた。
旧中東。
クルジス。
少年兵。
燃える街。
遠い記憶が蘇る。
やがて刹那は歩き出した。
◇
同日――ソレスタルビーイング再建拠点・格納庫
アステリオンがカタパルトへ移される。
兵装接続。
粒子供給正常。
レイナスはパイロットスーツ姿でコクピットへ入った。
『レイナス』
フェルトから通信。
「ん?」
『偵察だからね』
「分かってるよ」
『戦いに行くんじゃないよ』
「そっちも分かってる」
『……本当に?』
「信用残高が寂しいな」
『今までのせい』
「言い返せないのがつらいところだ」
少し間が空く。
『……帰ってきて』
レイナスの手が止まった。
最終決戦の前にも聞いた言葉。
レイナスは少しだけ表情を緩めた。
「大丈夫だ」
『本当に?』
「ようやく手に入れた俺の機体だぞ」
一拍置く。
「初出勤で廃車にしたら、ローンもないのに借金だけ背負った気分になる」
『……』
「だから、ちゃんと帰ってくる」
『機体だけじゃなくて』
フェルトの声が少し強くなる。
『レイナスも』
レイナスは目を細めた。
「分かってる」
今度は冗談を挟まなかった。
「ああ。帰ってくるよ」
『……うん』
正面ゲートが開く。
地球が見えた。
『進路クリア。アステリオン、発進どうぞ』
「了解」
操縦桿を握る。
「レイナス・レノアーク」
機体の瞳が灯る。
「アステリオン、出る!」
専用機が宇宙へ飛び出した。
◇
数時間後――旧中東地域
夜。
市街地の外れ。
複数の住民が瓦礫の間を走っていた。
その後方から機械音が迫る。
オートマトン。
無人兵器が角を曲がった。
センサーが動く。
逃げる人影を捉える。
銃口が上がった。
次の瞬間。
上空から青白い光が走る。
武器だけが吹き飛んだ。
二射目。
脚部を撃ち抜かれたオートマトンが地面へ転がる。
住民たちが空を見上げる。
夜空から、一機のモビルスーツが降下してくる。
アステリオン。
コクピットで、レイナスは眼下を見ていた。
逃げる住民。
追うオートマトン。
路上に倒れた人々。
その手に武器はない。
レイナスは数秒、状況を確認した。
そして判断した。
「……なるほどな」
通信を開く。
「スメラギ」
『見えてるわ』
「現地確認は終わりだ」
『あなたの判断は?』
レイナスは眼下を見たまま答える。
「黒だ」
短かった。
「しかも、思ってたより利息がついてる」
スメラギは数秒黙った。
『……同意するわ』
「なら、ここからは別料金だな」
『レイナス』
「分かってる」
アステリオンがGNライフルを構える。
「民間人の退路を作る。それ以上は必要になった時に考える」
『了解』
フェルトの声も入る。
『気をつけて』
「ああ」
市街地の奥から新たなオートマトンが現れる。
さらに後方。
アロウズのモビルスーツ反応。
一機。
二機。
増えていく。
レイナスはレーダーを見る。
「初仕事からサービス残業確定か」
GNライフルを背部へ戻す。
腰からGNブレイドを抜く。
「専用機を貰った祝いにしちゃ、ずいぶん景気の悪い話だな」
アステリオンの各部スラスターが開く。
「まあいい」
表情から笑みが消える。
「仕事なら――片づける!」
アステリオンが一気に加速した。
青白い残光が、夜の市街地を切り裂いた。