第59話 積み重なる時間
西暦2310年後半――ソレスタルビーイング再建拠点・格納庫
二年前には、失ったものを数えることしかできなかった。
艦を失い、機体を失い、仲間たちは散り散りになった。
だが今、格納庫を満たしているのは解体音ではない。
溶接の光が走り、クレーンが装甲を吊り上げ、整備員たちが複数の作業区画を行き交っている。
中央には、既に実戦投入を終えたアステリオン。
その奥には、巨大な上半身を形にしつつある新型機。
さらに隔壁の向こうでは、新たな艦艇の建造が続いていた。
ソレスタルビーイングは、まだ世界へ戻ってはいない。
それでも再建は、もう「いつか」の話ではなくなっていた。
「……やっぱりデカいな」
レイナスは建造中の新型機を見上げた。
隣に立つティエリアが端末を操作する。
「ヴァーチェの運用データを基礎としている。火力と防御能力を確保する以上、ある程度の大型化は避けられない」
「思想は変わらず、か」
「問題があるか?」
「いや。ティエリアには似合ってるよ」
ティエリアが怪訝そうにレイナスを見る。
「どういう意味だ?」
「褒めたんだけどな」
「君の場合、確認が必要だ」
「信用ってのは貯めるのに時間がかかる割に、残高照会すると寂しいもんだな」
作業台の向こうからイアンの声が飛んできた。
「誰のせいだと思っとる!」
レイナスはそちらを見る。
「ほら。取り立てまで来た」
「君は少し黙った方がいい」
「善処する」
「しない人間の言い方だ」
ティエリアは再び機体へ視線を戻した。
以前は骨格しかなかった新型機にも、既に頭部と胸部の装甲が取り付けられている。
ヴァーチェを思わせる重量感。
だが、同じ機体ではない。
二年間の戦闘データと、ヴェーダを失った経験。
そのすべてが次の機体へ反映されていた。
イアンが二人のところまで歩いてくる。
「名前も決めたぞ」
「もう?」
レイナスが振り返る。
「ああ」
イアンは新型機を見上げた。
「セラヴィーガンダムだ」
「セラヴィー……」
ティエリアが小さく繰り返す。
しばらく機体を見つめてから、静かに頷いた。
「悪くない」
レイナスも機体を見上げる。
「いいじゃないか。これで少なくとも“ティエリアの次のデカい奴”って呼ばなくて済む」
「そんな呼び方をしていたのは君だけだ」
「仮称は必要だろ」
「必要ない」
「レイナス」
別方向から声がした。
振り向く。
フェルトが端末を持って歩いてくる。
「アステリオンの試験データ」
「ああ。さっき送ったぞ」
「再提出」
「……なんで?」
フェルトは無言で端末を見せた。
最大加速度試験。
設定値に対して――一〇三パーセント。
レイナスは数秒黙る。
「三パーセントか」
「三パーセント」
「誤差じゃない?」
「違う」
即答だった。
レイナスはイアンを見る。
イアンも無言。
ティエリアを見る。
「僕に助けを求めるな」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてある」
逃げ道がない。
レイナスは小さく息を吐いた。
「分かった。次から指定値は守るよ」
「本当に?」
「そこまで信用ないか、俺」
フェルトは少し考えた。
「……ある」
一拍。
「だから守って」
レイナスの口が止まった。
「そう来るか」
「何?」
「いや」
端末を受け取る。
「了解。次からは契約条件を守りますよ」
「約束」
「ああ」
フェルトは満足したように頷き、別の作業区画へ戻っていった。
ティエリアがその後ろ姿を見る。
それからレイナスを見る。
「フェルトの言うことには素直だな」
「信頼を担保に出されたら、踏み倒すわけにもいかないだろ」
「……やはり君の比喩はよく分からない」
「分からない方が健全だよ」
◇
西暦2310年末――王留美管理・地上セーフハウス
冷たい空気の中を、ニール・ディランディが走っていた。
以前なら、軽い運動と呼ぶ程度の速度。
だが一年前は、その速度で数分走ることさえできなかった。
庭を数周。
呼吸を整えながら最後の一周を終える。
「二十七分十二秒」
縁側から絹江が告げた。
ニールが腰に手を当てる。
「前より速いだろ?」
「三分くらい」
「上出来じゃないか」
「だからって明日距離を増やしたら駄目よ」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてある」
ニールが苦笑する。
「最近、誰かに似てきたな」
「誰よ」
「いや、何でもない」
絹江からタオルを受け取る。
日常生活にはもう大きな支障はない。
長時間の外出もできる。
軽い運動なら問題なくこなせる。
だが、モビルスーツ戦となれば話は別だった。
サーシェスとの戦闘で負った傷は深い。
アニマによる処置で一命を取り留め、手術も成功した。
それでも、身体からすべての傷跡が消えたわけではない。
「ニール」
「ん?」
「これ」
絹江が端末を差し出す。
画面には地方ニュースの記事が表示されていた。
正確には――保存された記事。
元のページは既に消えている。
「またか」
「ええ」
反連邦勢力の摘発作戦。
連邦政府の公式発表では、民間人被害なし。
ところが現地記者が公開した最初の記事には、十二名の民間人死亡と記載されている。
記事は公開から三時間で削除。
記者本人とも連絡が取れなくなっていた。
「これで?」
「十一件」
ニールの表情から軽さが消える。
「偶然って数じゃないな」
「私もそう思う」
絹江は別の資料を開く。
削除された記事。
修正された死傷者数。
立ち入りを拒否された取材班。
消息を絶った現地記者。
その向こうに、同じ名前が何度も現れる。
――アロウズ。
「まだ記事にはできない」
「証拠が足りない?」
「それもある。でも今出したら、何を掴んでるか相手に教えることになる」
ニールが絹江を見る。
以前なら、真実を知ればすぐ記事にしようとしていたかもしれない。
今は違う。
サーシェスに殺されかけた経験。
CBで見たもの。
そして二年間、自分の目で追い続けてきた情報。
記者としての熱が消えたわけではない。
むしろ慎重さを得ている。
「変わったな」
「何が?」
「いや」
ニールはタオルを肩へ掛ける。
「いい意味で」
絹江が少しだけ笑った。
「あなたもね」
「俺?」
「前なら、もう無理して走ってた」
「……否定できないな」
「でしょう?」
二人はそのまま家へ戻る。
テーブルには、まだ整理途中の資料が残されていた。
◇
西暦2311年春――地球連邦軍・軌道基地
二つの報告書が机に並んでいた。
グラハム・エーカー少佐は、交互に目を通す。
一つは現場部隊が作成した原本。
もう一つは、上層部を経由して正式記録となったもの。
同じ作戦。
同じ日時。
同じ場所。
だが――数字が違う。
「現場記録では民間人二十三名死亡」
グラハムの指が紙面をなぞる。
「正式報告ではゼロ」
部下たちは黙っている。
「説明を」
一人が慎重に口を開いた。
「アロウズ側の判断では、作戦区域内に残留していた住民について、反政府勢力への協力者として処理されたものと……」
グラハムが一枚の写真を机へ置いた。
瓦礫。
血痕。
兵士に運ばれる小さな身体。
「この子供もか?」
部下の声が止まった。
「八歳だそうだ」
室内から音が消える。
グラハムは写真を見下ろした。
「反政府勢力への協力者。テロリスト。治安を乱す危険分子」
ゆっくり顔を上げる。
「便利な言葉だな」
「少佐……」
「私は軍人だ」
声を荒らげる必要はなかった。
「武器を持った敵と戦う。それが仕事だ」
正式報告書を閉じる。
「処刑人になった覚えはない」
誰も反論しなかった。
「原本を保存しろ」
「ですが、アロウズ側から記録の破棄命令が――」
「私の命令だ」
即答だった。
「今後、アロウズと共同作戦を行った場合も同様だ。現場記録を別系統で保存する」
部下が息を呑む。
「上層部に発覚すれば、少佐も……」
「責任は私が取る」
迷いはない。
「世界が統一されたからこそ、誰が何をしたのか記録する必要がある」
グラハムは二つの報告書を見る。
「現場と報告書のどちらかが嘘をついているなら、私は現場を捨てるつもりはない」
部下たちが敬礼する。
「了解しました」
全員が退出した後。
グラハムは椅子へ座った。
個人端末を開く。
そこには別の映像が保存されている。
旧中東地域。
市街地へ投入されたオートマトン。
逃げる民間人。
そして――青白い光。
人間一人の大きさしかない何かが、無人兵器を次々と破壊していく。
やがて映像には、見慣れないモビルスーツも映る。
アステリオン。
グラハムは僅かに笑う。
「レイナス・レノアーク」
生きていた。
しかも今度は借り物ではない。
「君なら、この世界をどう見る?」
問いかけてから。
自分で鼻を鳴らす。
「いや。愚問か」
次に会った時に確かめればいい。
言葉でなくても構わない。
その部分だけは、二年前と何も変わっていなかった。
◇
西暦2311年夏――ソレスタルビーイング再建拠点・試験宙域
漆黒の宇宙を、青白い光が走った。
アステリオン。
急加速。
機体を横へ滑らせながら第一標的を捕捉。
GNライフルが火を噴く。
一基。
続けて二基。
反転しながら三基目。
『全弾命中』
フェルトの声がコクピットへ届く。
「当然」
『命中率、九九・八パーセント』
「残り〇・二は?」
沈黙。
「……フェルト?」
『補正切ったでしょ』
「試験だから色々やった方が――」
『切ったでしょ』
逃げられそうにない。
「途中から」
『勝手に試験条件変えないで』
「同じ条件だけじゃデータも増えないだろ」
『必要な条件はイアンが決める』
「それじゃ俺の自由研究枠がない」
『いらない』
「厳しいな」
通信の向こうで小さく息を吐く音がする。
『帰投して』
「了解」
アステリオンを反転させる。
前方に再建拠点が見えてきた。
その一角。
以前より完成に近づいたセラヴィー。
そして別区画には、もう一機。
まだ装甲のないフレーム。
細身の人型。
胸部には、従来機とは異なる構造が組み込まれている。
二基のGNドライヴを同調させる。
ツインドライヴシステム。
理論は存在する。
だが、それを実現できる組み合わせはまだ見つかっていない。
機体だけが先に形になり始めていた。
レイナスがそれを見る。
「……太陽炉二個か」
『何?』
「いや」
少し笑う。
「景気のいい設計だと思ってな」
『触らないでね』
「まだ何もしてないだろ」
『前にコクピット覗いてた』
「見るだけなら無料だよ」
『イアンが三十分探してた』
「あれは悪かった」
『セラヴィーの設計データも勝手に見てた』
「技術的好奇心」
『三日前』
「……過去の実績ってのは、こういう時だけ利息つけて返ってくるんだな」
フェルトが笑った。
ほんの少し。
レイナスにも聞こえた。
「帰るよ」
『うん』
アステリオンが格納庫へ接近する。
『おかえり、レイナス』
レイナスは一瞬だけ黙った。
「……ああ」
少しだけ声を整える。
「機体もパイロットも無傷だ。今日はイアンに修理代を請求されずに済みそうだな」
『最初からそのつもりで帰ってきて』
「もちろん。そのために無茶は最低限に抑えてる」
『最低限?』
「そこ拾う?」
『拾う』
レイナスが苦笑する。
「分かった。訂正する」
操縦桿を倒し、着艦コースへ入る。
「ちゃんと帰るよ」
今度はフェルトも何も言わなかった。
『……うん』
アステリオンが格納庫へ収容されていった。
◇
西暦2311年秋――王留美管理・地上セーフハウス
深夜。
ニールは既に寝室へ戻っていた。
リビングには絹江だけが残っている。
テーブルの上には飲みかけのコーヒー。
端末には大量の資料。
アロウズについて調べるうちに、別の存在が浮かび上がってきていた。
反連邦組織。
一つではない。
旧国家軍関係者。
地域ごとの抵抗組織。
連邦政府へ反発する市民。
そして、それらを緩やかに結び始めている組織。
カタロン。
絹江は椅子へ深く座り直した。
「随分大きくなってる……」
アロウズの活動拡大と呼応するように、カタロン側も規模を拡大している。
当然だった。
押さえつければ、反発する者も増える。
問題は、その中身だった。
絹江は接触記録を一つずつ確認していく。
偽名。
連絡役。
協力者。
物資調達。
確定情報は少ない。
それでも複数の資料を重ねれば、一人の人間について断片的な輪郭が見えてくる。
画面を送る。
次。
また次。
そこで。
絹江の指が止まった。
「……え?」
一つの名前。
LYLE DYLANDY
絹江は瞬きをした。
もう一度読む。
ディランディ。
見間違えるはずがない。
毎日のように目にする姓だ。
人物データを開く。
写真が表示される。
絹江は言葉を失った。
ニールだった。
そう思うほど似ている。
髪。
顔立ち。
輪郭。
だが、よく見れば違う。
表情の作り方。
目元。
纏っている雰囲気。
同じ顔をしていても、ニールとは別の人間だと分かる。
「……何これ」
絹江は端末を手に取った。
廊下へ出る。
寝室の前で止まり、扉を軽く叩く。
「ニール」
返事はない。
もう一度。
「ニール」
『……ん?』
中から眠そうな声がする。
「起きて」
『何時だと思ってんだ……』
「ごめん。でも今見てほしい」
少しして扉が開いた。
髪を乱したニールが顔を出す。
「火事でも起きたか?」
「ある意味、それくらいびっくりしてる」
「何だよ」
絹江が端末を差し出した。
「この人」
ニールが受け取る。
まだ眠そうな目で画面を見る。
そして。
動きが止まった。
眠気が一瞬で消える。
「……」
絹江はその横顔を見る。
「ニール?」
返事はない。
ニールは写真を見つめている。
「知ってるの?」
「……ああ」
声が低くなった。
「やっぱり」
絹江は画面を指す。
「ライル・ディランディ。同じ姓だし、それに……」
一度写真を見る。
そして目の前のニールを見る。
「似てるなんてもんじゃない」
ニールが小さく息を吐いた。
「そりゃそうだ」
「どういうこと?」
しばらく。
ニールは写真から目を離さなかった。
やがて答える。
「弟だよ」
「弟?」
「ああ」
そこでニールは少しだけ苦笑した。
「双子の弟」
絹江の目が大きくなる。
「双子!?」
「声がでかい」
「だって聞いてない!」
「言ってなかったからな」
「一年以上一緒にいて!?」
「そう言われると、俺が全面的に悪い気がしてきたな」
「気じゃなくて悪いの」
「はいはい」
「はいは一回」
「……はい」
完全に押し負けたニールが、もう一度端末を見る。
ライル。
最後にまともに話したのは、いつだったか。
家族を失って。
それぞれが別のやり方で過去を背負って。
気づけば、長い時間が過ぎていた。
絹江も隣から画面を見る。
「カタロンと接触してる」
「あいつが?」
「一度じゃない。複数の記録がある」
ニールの目つきが変わる。
「確実なのか?」
「まだ断定はできない。でも、少なくとも無関係ではないと思う」
ニールは黙った。
自分はソレスタルビーイング。
ライルはカタロン。
同じ家族を失った双子が。
知らない間に、それぞれ別の場所で銃を取っていた。
「……笑えねえな」
「ニール」
「ん?」
「会いたい?」
問いは短かった。
ニールはすぐには答えない。
画面の中の弟を見る。
昔と同じ顔。
だが、自分の知らない年月を生きてきた顔。
「そうだな」
端末を絹江へ返す。
「今さら兄貴面する気はないけどな」
少しだけ笑う。
「生きてるって分かったなら、一度くらい顔を見に行くべきだろ」
「連絡先、調べる?」
「ああ」
今度は迷わなかった。
「頼む」
絹江が頷く。
ニールはもう一度、画面の中の名前を見る。
ライル・ディランディ。
長く離れていた双子。
同じ過去から別々の道を歩いた二人の時間が、再び交わろうとしていた。