第74話 見えない支配者
西暦2312年春――カタロン臨時拠点・作戦室
セルゲイ・スミルノフからの返信が届いた頃。
スメラギたちは、まだアザディスタンを巡る一連の事件について話し合っていた。
壁面モニターには、絹江が整理した情報が残されている。
マリナ・イスマイールの拘束。
アザディスタンへの襲撃。
アロウズの介入。
連邦への編入。
一つ一つを切り離して見れば、それぞれに理由はつけられる。
問題は――それがあまりにも綺麗に繋がっていることだった。
「黒幕がいるとして」
ライルが椅子へ深く腰掛ける。
「結局、どこまで話を大きくするんだ?」
「それを考えてるところよ」
スメラギは腕を組んだ。
「アロウズ内部の人間なのか、連邦政府のさらに上にいる誰かなのか。それとも――」
言葉が途切れる。
「……そもそも、表に出てる組織図を信用していいのかって話もあるな」
レイナスがモニターを眺めながら言った。
スメラギが彼を見る。
「どういう意味?」
「アロウズが好き勝手やってるように見えるのは確かだ。でも、あれだけ派手にやって誰も止めないってのも妙だろ」
壁にもたれ、腕を組む。
「現場が暴走してるんじゃなくて、最初から止められないように話が通ってる……なんてこともある」
クラウスが表情を険しくした。
「連邦政府そのものが掌握されていると?」
「そこまで行くと、さすがに話がでかすぎる」
レイナスは苦笑した。
「ただまあ、現場で不具合の原因を追っかけてたら、最後に出てきたのが設計図そのものだった……なんてのは笑えない話だからな」
絹江が横目で見る。
「それ、仕事の経験?」
「経験というより、嫌な予感の積み重ねだな」
「百年以上生きてる人の勘?」
「期待するなよ。長生きしたからって、面倒事を避けるのが上手くなるわけじゃない」
レイナスは肩を竦めた。
「むしろ俺の場合、気づいた時には大体その真ん中にいる」
絹江が少し考える。
「……それは分かる気がする」
「そこは否定してくれよ」
「無理ね」
「だろうな」
レイナスもあっさり認めた。
それまで黙っていたティエリアが口を開く。
「……ヴェーダ」
その一言で、空気が変わった。
スメラギが振り返る。
「ティエリア?」
「一つ、考慮すべき可能性がある」
ティエリアはモニターへ近づいた。
「現在の地球連邦社会において、ヴェーダがどこまで影響を及ぼしているのか。我々には把握できていない」
刹那が見る。
「ヴェーダを使っている者がいる?」
「可能性の話だ」
ティエリアの表情は硬い。
「だが、無視するべきではない」
絹江が首を傾げる。
「ヴェーダって、ソレスタルビーイングが使っていた量子型演算処理システムよね?」
「ああ」
「それが連邦政府とどう繋がるの?」
「ヴェーダは単なるコンピューターではない」
ティエリアが答える。
「長い年月をかけて蓄積された情報と、極めて高い演算能力を持っている。イオリア・シュヘンベルグの計画を支える中枢だ」
「そんなものを自由に使える人間がいたら……」
絹江の表情が変わる。
スメラギが続けた。
「情報を集めるだけでも恐ろしいわ」
ニュース。
軍事情報。
政治。
経済。
通信。
それらがどこまでヴェーダへ集約されているのか。
現在の彼女たちには分からない。
「ちょっと待て」
ライルが身体を起こす。
「つまり、今回の件も?」
「まだ飛躍があるわ」
スメラギが即座に止める。
「ヴェーダを利用している誰かが今回の黒幕だと決めつける材料はない」
「だが」
ティエリアが言う。
「もし黒幕がヴェーダを掌握しているのなら、説明できることは増える」
その声には、僅かな苛立ちが混じっていた。
「情報を誰より早く把握できる」
一つ。
「必要な情報を必要な場所へ流せる」
二つ。
「逆に、知られたくない情報を隠すこともできる」
三つ。
「各組織の動きを予測し、先回りすることも可能だ」
レイナスが眉を寄せる。
「……そいつはまた、随分と景気の悪い話だな」
「景気?」
「こっちは足で情報を拾って、一つずつ答え合わせしてるってのに、向こうは最初から全部の資料を机に並べてるかもしれないってことだろ?」
レイナスはモニターに並ぶ情報を指した。
「そんな相手とまともに情報戦やれってんなら、残業代くらいは欲しくなる」
ティエリアが呆れたように見る。
「君はこの状況でもそれか」
「深刻だから言ってるんだよ。割に合わない仕事ほど逃げ場がない」
レイナスは肩を竦める。
「まあ、逃げる気もないけどな」
軽い言葉だった。
だが、最後の一言に迷いはなかった。
「それだけじゃない」
スメラギがティエリアを見る。
「私たちのことも見られている可能性がある?」
沈黙。
ティエリアはすぐには答えなかった。
「現在、我々は以前のようにヴェーダへ依存してはいない」
「完全に切れてるの?」
クリスが尋ねる。
「少なくとも、以前と同じ状態ではない」
ティエリアが答える。
「だが、相手がどこまでヴェーダを掌握しているのか分からない以上、安全だと断言することもできない」
クリスの表情から笑みが消えた。
「それ、結構まずくない?」
「まずいわね」
スメラギはあっさり認めた。
フェルトも端末を確認する。
「これから通信やデータを扱う時は、ヴェーダに拾われる可能性も考えた方がいい?」
「そうするべきだ」
ティエリアが頷く。
レイナスが天井を仰いだ。
「敵の顔も分からない。そのくせ、向こうにはこっちの手札が見えてるかもしれない、と」
一拍置く。
「……こういう依頼なら、普通は見積もりの時点で断るんだけどな」
「気に入らない?」
フェルトが聞く。
「気に入る要素がどこにある?」
レイナスは苦笑してから、モニターへ視線を戻した。
「殴って止まる相手なら話は早い。どこにいるかも分からない奴を相手にする方が、よっぽど面倒だ」
「でも、やるんでしょ?」
フェルトが言う。
レイナスが彼女を見る。
「……まあな」
肩を竦める。
「面倒だからって放っといたら、もっと面倒になる。そういう仕事は先に片付けるに限る」
フェルトが僅かに笑った。
「レイナスらしいね」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
刹那がティエリアを見る。
「ヴェーダを取り戻せるか?」
ティエリアが僅かに目を見開く。
「……所在すら分からない」
「なら探す」
「簡単に言うな」
「必要ならやる」
刹那の答えに迷いはなかった。
ティエリアはしばらく彼を見た後、小さく息を吐く。
「君らしいな」
スメラギが全員を見る。
「今は仮説よ」
改めて線を引く。
「黒幕が存在する」
「その黒幕がアロウズに影響力を持っている」
「さらにヴェーダまで掌握している」
「ここまで全部を繋げる証拠は、まだない」
絹江が頷く。
「だから調べる」
「ええ」
スメラギも頷いた。
「まずは事実を増やしましょう」
絹江が端末を閉じる。
「だったら私は、連邦政府側の動きを追う」
「危険よ」
「今さらでしょう?」
絹江は少し笑った。
「それに、今回は一人でサーシェスのところへ乗り込むような真似はしないわ」
レイナスが片眉を上げた。
「そこは頼む。二度目はさすがに勘弁してくれ」
「分かってる」
「ならいい」
あっさり引いたレイナスに、今度は絹江が意外そうな顔をする。
「確認しないの?」
「本人が分かってるって言ってるんだ。そこで何度も念押ししたって仕方ないだろ」
レイナスは小さく笑った。
「それに、止めたところで聞くタイプじゃないのは、もう十分知ってる」
「……よく分かってるじゃない」
「付き合いも長くなったからな」
◇
同時刻――カタロン臨時拠点・通信室
小さな電子音が鳴った。
マリーが顔を上げる。
端末に表示されたのは、先ほど送った通信への返信だった。
――無事で安心した。
そして。
――話がしたい。
「大佐……」
その声に、隣にいたアレルヤが微笑んだ。
「返事、来たね」
「うん」
マリーの表情にも、自然と笑みが浮かぶ。
クラウスが通信記録を確認する。
「こちらの経路を使って返信してきています。追跡された形跡も、今のところありません」
マリーがクラウスを見る。
「話せますか?」
「すぐに、とはいきません」
期待した表情が僅かに曇る。
「ただ」
クラウスは続けた。
「相手が応答する意思を示してくれたことで、こちらから一方的に接続する必要はなくなりました」
「じゃあ……」
「双方から時間を合わせて接続できます。通信時間を短くすれば、危険もかなり減らせる」
「お願いします」
マリーは即答した。
「大佐と話したいです」
クラウスが頷く。
「では時間を指定します」
アレルヤがマリーを見る。
「僕は外にいるよ」
「え?」
「二人で話した方がいいだろ?」
マリーは少し考えた。
それから、アレルヤの袖を掴んだ。
「いて」
「マリー?」
「大佐に紹介したい」
アレルヤの目が僅かに見開かれる。
マリーは穏やかに笑った。
「今の私にとって、大切な人だから」
「……分かった」
アレルヤも微笑んだ。
「じゃあ、一緒に話そう」
◇
数時間後――地球連邦軍施設
セルゲイ・スミルノフは一人、指定された時刻を待っていた。
軍の端末は使用していない。
個人的に用意した簡易通信機。
送られてきた接続方法も、一度限りのものだった。
時計を見る。
指定時刻。
通信機が反応した。
一瞬のノイズ。
画面が乱れる。
そして。
『……大佐』
セルゲイの目が見開かれた。
画面の向こう。
軍服ではない。
だが、間違えるはずもない。
「ピーリス中尉……」
『はい』
マリーが微笑んだ。
『お久しぶりです、大佐』
セルゲイは何かを言おうとして、一度口を閉じた。
それから大きく息を吐く。
「本当に……無事だったのだな」
『心配をかけてしまって、ごめんなさい』
「謝る必要はない」
いつもの厳格な声。
しかし、その奥にある安堵は隠しきれていなかった。
「生きていてくれた。それで十分だ」
マリーの目が僅かに潤む。
『大佐……』
セルゲイは画面越しに彼女を見る。
「聞きたいことは山ほどある」
『はい』
「だが、まずは一つだけ確認させてくれ」
セルゲイの表情が引き締まった。
「君は今、拘束されているのか?」
『いいえ』
即答だった。
『違います』
「ソレスタルビーイングに強制されているわけでもない?」
『はい』
マリーは首を振る。
『私は自分の意思でここにいます』
セルゲイは目を閉じる。
「……そうか」
その答えを噛み締める。
そして再び目を開いた時、画面の端にいる人物へ気づいた。
「彼は?」
マリーが振り返る。
そこには少し緊張した様子のアレルヤがいた。
『アレルヤ』
呼ばれて前へ出る。
『初めまして。アレルヤ・ハプティズムです』
セルゲイの目が僅かに鋭くなる。
「……君が、アレルヤ・ハプティズムか」
『僕を知っているんですか?』
「名前と顔だけはな。ソレスタルビーイングのガンダムマイスターとして、軍の資料に記録されている」
『そうですか……』
アレルヤの表情に僅かな緊張が走る。
当然だった。
セルゲイにとってアレルヤは、つい先ほどまで資料上の敵でしかない。
マリーが二人を交互に見た。
『大佐』
「何だ?」
『私、思い出したんです』
セルゲイの表情が変わる。
「思い出した?」
『うん……じゃなくて、はい』
思わず昔の調子が出たことに、マリー自身が少し笑った。
『超人機関にいた頃のこと。ソーマ・ピーリスになる前のことを』
セルゲイは黙って聞いている。
『私の本当の名前は、マリー・パーファシー』
「マリー……」
『アレルヤとは、その頃から一緒でした』
セルゲイの視線がアレルヤへ移る。
初めて知る事実だった。
『私はずっと忘れていました。でも、アレルヤと再会して……全部、思い出したんです』
「では、君が消息を絶ったのは――」
『アレルヤと再会したことがきっかけです』
マリーはそこで一度言葉を切った。
『でも、連れ去られたわけじゃありません』
はっきりと言う。
『私が、自分でここにいることを選びました』
セルゲイはしばらく何も言わなかった。
ピーリス中尉。
自分が知っている彼女。
マリー・パーファシー。
自分の知らなかった彼女。
その二つが、画面の向こうにいる一人の女性の中で繋がっている。
「……そういうことだったのか」
やがてセルゲイが呟いた。
マリーが頷く。
『はい』
「記憶が戻ったことで、ピーリス中尉としての記憶は?」
『残っています』
マリーはすぐに答えた。
『何もなくなってません』
セルゲイを見る。
『大佐と過ごしたことも、全部覚えています』
セルゲイの表情が僅かに和らいだ。
『ソーマだった時の私も、私です』
「……そうか」
『だから、大佐に連絡したかった』
マリーは微笑んだ。
『心配してるって分かってたから』
「当然だ」
今度の返事は早かった。
「突然、戦場から君が消えたのだ。心配するなという方が無理だろう」
『ごめんなさい』
「だから謝る必要はない」
『でも――』
「無事だと分かった。それでいい」
マリーは少し俯き、それから頷いた。
『はい』
セルゲイは再びアレルヤへ視線を向けた。
「アレルヤ・ハプティズム」
『はい』
「君は、彼女の過去を知っているのだな」
『知っています』
アレルヤは真っ直ぐに答えた。
『僕も同じ施設にいましたから』
セルゲイの目が僅かに細くなる。
「超人機関に……」
『はい』
『僕も被験者でした』
セルゲイは沈黙した。
超人機関が行っていたことについて、彼が全てを知っていたわけではない。
だが、ピーリスがどのように作られた兵士なのか、その一端は知っている。
その施設にアレルヤもいた。
「では、君も……」
『マリーと同じです』
アレルヤは苦笑する。
『少し事情は違いますけど』
マリーが横から見る。
『少し?』
『……かなり、かな』
『でしょ?』
ほんの一瞬。
二人の間に自然な空気が流れた。
セルゲイはそれを黙って見ていた。
軍の資料で見たガンダムマイスター。
敵。
テロリスト。
そういう肩書きだけでは見えないものが、そこにはあった。
「一つ聞かせてくれ」
セルゲイが言う。
アレルヤが姿勢を正した。
『はい』
「君は、これから彼女をどうするつもりだ?」
『大佐』
マリーが口を挟もうとする。
だがアレルヤが小さく首を振った。
自分が答える。
『僕が決めることじゃありません』
セルゲイの眉が僅かに動いた。
『マリーがどうしたいかは、マリーが決めます』
アレルヤは続ける。
『僕は……できれば一緒にいたい』
マリーが彼を見る。
『でも、それを押しつけるつもりはありません』
「彼女が君と別れることを選んでも?」
一瞬。
アレルヤの表情が曇った。
それでも。
『……その時は、受け入れます』
マリーがすぐに口を開いた。
『選ばないよ』
『マリー』
『私はアレルヤと一緒にいる』
今度は迷わなかった。
セルゲイを見る。
『それが私の選択です』
「軍には戻らない、と?」
マリーの表情が僅かに曇る。
しばらく考えてから頷いた。
『はい』
『今のアロウズには戻れません』
セルゲイは何も言わなかった。
マリーは続ける。
『大佐と一緒にいた時間が嫌だったわけじゃない』
『軍にいたこと全部を否定したいわけでもありません』
『でも……今のアロウズがしていることを知って、それでも何もなかったみたいに戻ることはできない』
セルゲイの顔が厳しくなる。
「……アロウズか」
マリーがその変化に気づく。
『大佐?』
セルゲイは数秒迷った。
軍人として話すべきではない。
相手はソレスタルビーイング。
それを理解した上で、口を開いた。
「私も、現在のアロウズの在り方には疑問を持っている」
アレルヤが息を呑む。
『大佐も?』
「私は正規軍だ」
セルゲイは静かに答えた。
「アロウズの指揮系統には属していない。ゆえに、内部事情を全て把握しているわけではない」
『はい』
「だが、彼らに与えられている権限はあまりにも大きい」
マリーは黙って聞く。
「作戦内容が正規軍へ十分に開示されないこともある。結果だけが知らされ、後から公式発表が出ることも珍しくない」
『公式発表と、実際に起きたことが違うことも?』
セルゲイは即答しなかった。
その沈黙だけでも十分だった。
「……私は、自分で確認していないことを事実として語るつもりはない」
慎重な言葉。
「だが、疑問を持っている軍人が私だけではないことは確かだ」
マリーがグラハムのことを知らないまま、別の正規軍人も同じ疑問を抱いていることを知る。
『だったら大佐も危ないんじゃ……』
「その可能性はある」
『そんな』
「心配するな」
『心配します』
即答だった。
セルゲイが一瞬黙る。
マリーは眉を寄せた。
『大佐はいつもそうです』
「何がだ?」
『自分のことは大丈夫だって言う』
「私は軍人だ」
『それ、理由になってません』
アレルヤが思わず視線を逸らす。
セルゲイは画面越しにマリーを見る。
「……記憶が戻って、随分と言うようになったな」
『ソーマの時だって、言いたいことはありました』
「そうだったか?」
『ありました』
「それは気づかなかった」
『大佐が鈍いんです』
「……そうか」
アレルヤの口元が僅かに緩む。
マリーがそれに気づく。
『何?』
『いや』
『笑ったでしょ』
『ちょっとだけ』
『もう』
セルゲイは二人を見て、小さく息を吐いた。
その表情には、先ほどまでとは違う穏やかさがあった。
「アレルヤ君」
呼び方が変わった。
アレルヤが目を瞬く。
『はい』
「君に一つ頼みがある」
『何でしょう』
「マリーを頼む」
アレルヤの表情が変わる。
『……はい』
だが、横からマリーが口を挟んだ。
『大佐』
「何だ?」
『私、守ってもらうだけじゃないです』
セルゲイが少し驚く。
『アレルヤが危ない時は私が守るし、私が危ない時はアレルヤが助けてくれる』
マリーはアレルヤを見る。
『そうでしょ?』
『うん』
「……そうか」
セルゲイは僅かに笑った。
「なら、二人とも無事でいろ」
『はい』
『はい』
返事が重なった。
マリーとアレルヤが互いを見る。
少しだけ笑う。
セルゲイはその様子を見ていた。
そして、ふと思い出したように言う。
「そういえば」
『はい?』
「先ほど、大切な人だと言っていたな」
マリーが固まった。
アレルヤも固まる。
『……聞いてたんですか?』
「聞こえていた」
『あれは、その……』
「違うのか?」
『違わないけど……』
マリーの声が小さくなる。
アレルヤも困ったように視線を泳がせた。
セルゲイは二人を交互に見る。
「なるほど」
『大佐』
「何も言っていない」
『顔が言ってます』
「そうか?」
『そうです』
「それはすまなかった」
まったく悪びれていない。
アレルヤが耐えきれず、小さく笑った。
マリーが横を見る。
『アレルヤまで』
『ごめん』
セルゲイも僅かに口元を緩める。
だが、その穏やかな時間を終わらせるように、通信端末に警告が表示された。
残り時間。
三分。
クラウスから事前に決められていた安全限界だった。
マリーの表情が曇る。
『もう……』
セルゲイも表示を確認する。
「長く繋ぐべきではない」
『はい』
「この通信について、私は軍には報告しない」
アレルヤが驚く。
『いいんですか?』
「ピーリス中尉の生存を確認したとは報告できる」
セルゲイは静かに言った。
「だが、どこにいるかは確認できなかった。それだけだ」
マリーが目を見開く。
『大佐……』
「私は嘘を言うつもりはない」
セルゲイは僅かに目を細める。
「実際、君がどこにいるのか私は知らん」
マリーが一瞬きょとんとして、それから笑った。
『本当ですね』
「それでいい」
『でも、これからは?』
「頻繁な連絡は避けた方がいい」
セルゲイの表情が再び軍人のものになる。
「今回の経路が安全だったとしても、繰り返せば発見される可能性は高くなる」
『……はい』
「必要があれば、同じ方法で短い伝言を送ってくれ」
『分かりました』
「私からも、何か伝える必要があれば可能な限り同じ経路を使う」
アレルヤが聞く。
『アロウズについてですか?』
セルゲイは少し考える。
「軍事機密を君たちへ流すつもりはない」
『はい』
「だが」
一拍置く。
「私自身が見て、見過ごすべきではないと判断したものまで黙っているつもりもない」
アレルヤはその意味を理解した。
『ありがとうございます』
「礼を言われることではない」
セルゲイは首を振る。
「私は私の責任で判断するだけだ」
残り一分。
マリーは画面を見つめる。
言いたいことはまだいくらでもあった。
四年近く共にいた。
戦場でも。
基地でも。
何気ない日常でも。
ソーマ・ピーリスとして生きていた時間の中で、セルゲイ・スミルノフという男は間違いなく大きな存在だった。
記憶を取り戻したからといって、それが消えるわけではない。
『大佐』
「何だ?」
『また、会えますよね』
セルゲイは少しだけ黙った。
軽々しく約束できる状況ではない。
互いの立場も違う。
次に会えば、戦場かもしれない。
それでも。
「ああ」
セルゲイは答えた。
「次は通信越しではなく会おう」
マリーが笑う。
『はい』
「その時は、ゆっくり話を聞かせてくれ」
『何のですか?』
セルゲイの視線がアレルヤへ移る。
「色々とだ」
マリーの頬が赤くなる。
『大佐!』
アレルヤも意味を察した。
『……僕も一緒ですか?』
「当然だ」
『ですよね……』
「嫌か?」
『いえ。覚悟しておきます』
『アレルヤまで何の覚悟してるの?』
『いや、その……』
残り十秒。
警告音が鳴る。
セルゲイの表情が柔らかくなった。
「元気でな、マリー」
マリーの表情から、照れが消える。
『はい』
少しだけ間を置いて。
『大佐も』
そして、もう一言。
『……お父さんみたいに思ってました』
セルゲイの目が見開かれた。
マリーは少し照れながらも、今度は目を逸らさなかった。
『ずっと言えなかったけど』
通信終了まで、あと数秒。
セルゲイは静かに息を吐いた。
「そうか」
その声は、これまでで一番穏やかだった。
「ありがとう、マリー」
画面が暗転する。
通信終了。
マリーはしばらく何も言わず、消えた画面を見つめていた。
アレルヤも急かさない。
やがてマリーが目元を拭う。
「……言えた」
「うん」
「ずっと言えなかった」
「うん」
「ソーマだった頃は、そんなこと考えちゃいけないと思ってた」
軍人と上官。
超兵と指揮官。
それ以上を望んではいけない。
そう思っていた。
「でも、今なら言える」
アレルヤが微笑む。
「よかったね、マリー」
「うん」
マリーも笑った。
そして。
「アレルヤ」
「何?」
「覚悟って何?」
「……そこ、覚えてた?」
「当然でしょ」
「いや、あれは大佐が……」
「何の覚悟?」
「マリー、近いって」
「答えて」
「だから――」
通信室に、久しぶりに明るい声が響いた。
◇
地球連邦軍施設
暗くなった通信機を前に、セルゲイは動かなかった。
――お父さんみたいに思ってました。
その言葉が、まだ耳に残っている。
「……まったく」
小さく呟く。
もっと早く言ってくれればよかった。
そう思う一方で。
自分もまた、言葉にしてこなかったことに気づく。
兵士として扱う。
超兵としてではなく、一人の人間として接する。
それだけで十分だと思っていた。
だが。
「マリー、か」
初めて呼んだ本当の名を、もう一度口にする。
ソーマ・ピーリスが消えたわけではない。
彼女自身がそう言った。
ならば。
ピーリスも。
マリーも。
どちらも、あの子なのだろう。
セルゲイは通信機から接続記録を消去した。
そして軍務用の端末へ視線を移す。
そこにはアロウズに関する最新の報告が表示されている。
これまでなら。
疑問を持ちながらも、自分は正規軍の人間だと線を引いていた。
今も、その立場を捨てるつもりはない。
だが。
「……私も、見極めねばならんな」
アロウズが何をしているのか。
連邦がどこへ向かおうとしているのか。
そして。
その背後に何があるのか。
セルゲイ・スミルノフは、静かに画面を見つめ続けた。