第80話 世界の歪み
西暦2312年春――地球連邦領・某都市
夜の街を見下ろす高層ホテル。
その上層階では、地球連邦の政財界を代表する人間たちが集うパーティーが開かれていた。
巨大なシャンデリアから落ちる光が、磨き上げられた床を照らしている。
正装した財界人。
連邦政府の高官。
軍服姿の連邦軍将官。
そして、独立治安維持部隊アロウズの上層部。
表向きは政財界の交流会。
だが、現在の地球連邦で大きな力を持つ人間がこれだけ集まっている以上、交わされている話が世間話だけであるはずがない。
その会場へ。
王留美が一人の男を伴って入ってきた。
黒を基調としたフォーマルスーツ。
普段とは異なる髪型。
眼鏡。
顔立ちにも最低限の変装が施されている。
レイナス・レノアーク。
本人であることを隠すためとはいえ、どうにも落ち着かない格好だった。
「……視線が多いな」
「私の隣を歩いているのですから当然でしょう」
留美は平然としている。
その腕は自然にレイナスの腕へ添えられていた。
「そういうもんかね」
「堂々としていてください。挙動不審な方が目立ちます」
「そいつは分かってるんだけどな」
レイナスは笑みを保ったまま、周囲へ視線を走らせた。
アロウズの軍服が見える。
当然、レイナス・レノアークという名前を知る人間もいる。
顔まで知られている可能性も高い。
「変装がバレたら?」
「その時はお願いします」
「何を?」
「何とかしてください」
「随分と雑な作戦だな」
留美が小さく笑った。
「レイナスさんなら何とかするでしょう?」
「信用されてるのか、面倒事を丸投げされてるのか判断に困るな」
「両方では?」
「そこは否定してほしかったよ」
その時。
「遅かったですね」
背後から声がした。
レイナスが振り返る。
そして。
止まった。
「……」
長い紫色の髪。
ドレス。
細身の体格。
整った顔立ち。
「……ティエリア?」
「声が大きい」
「いや、聞いてはいたけどな」
レイナスは一度顔を逸らした。
それから、もう一度見る。
「実物を見ると想像以上だな」
「何がだ」
「似合いすぎて反応に困る」
ティエリアの眉が僅かに動く。
「任務上必要な変装だ」
「分かってるよ」
留美が楽しそうに二人を見る。
「でしたら、ティエリアさんもこちらへ」
「何を――」
留美がティエリアをレイナスの反対側へ誘導した。
右に王留美。
左にドレス姿のティエリア。
レイナスはしばらく黙った。
「……何だこれ」
「不自然ですか?」
「絵面だけなら自然なのが余計に困るんだよ」
「任務に支障はない」
ティエリアが言う。
「お前は気にならないのか」
「なぜ気にする必要がある?」
「そうだった。聞いた俺が悪かった」
傍から見れば。
若い男が二人の美女を伴ってパーティーへ参加している。
完全な両手に花だった。
「……帰ったら絶対クリスに笑われるな」
「フェルトさんには写真を頼まれています」
留美がさらりと言う。
レイナスが止まる。
「撮った?」
「既に」
「消そうか」
「お断りします」
「せめて本人の許可くらい取ってくれ」
「嫌です」
「即答かよ」
◇
同時刻――パーティー会場・スタッフ通路
招待客の間を、一人の給仕係が歩いていた。
黒い制服。
手にはグラスを載せたトレイ。
刹那・F・セイエイ。
招待客としてではなく、ホテルスタッフとして潜入している。
空になったグラスを回収し。
新しいものを置く。
その間も視線と意識は周囲へ向けられていた。
「アロウズへの追加予算は――」
「治安維持のためなら仕方がない」
「例の特別権限についても――」
断片的な会話。
アロウズの作戦。
連邦政府との関係。
予算。
権限。
だが。
目的の名前は出てこない。
リボンズ・アルマーク。
ルイス・ハレヴィが口にした人物。
公的な肩書きは分からない。
それでもアロウズと連邦双方に影響力を持つという。
ここにいる人間たちなら。
何か知っている可能性がある。
『刹那』
耳元からスメラギの声。
「聞こえている」
『そっちは?』
「まだない」
『了解。無理に動かないで』
「ああ」
刹那は通信を切る。
そして再び。
人の波へ紛れた。
◇
パーティー会場
一時間ほどが経った。
レイナスは何人目か分からない政府関係者との会話を終えた。
相手が離れたところで。
笑顔を保ったまま、小さく息を吐く。
「……疲れる」
「まだ一時間ですよ」
留美が答える。
「MS五十機を相手にする方が気楽だ」
「比較がおかしい」
ティエリアが即座に返す。
「敵なら敵って分かるからな」
レイナスはグラスをテーブルへ置いた。
「こっちは笑顔で話しながら腹の中を探らなきゃならない」
「だから私がいるのです」
留美が微笑む。
実際。
この場で最も自然に情報を集めているのは留美だった。
財界人との会話から連邦政府の動向を拾い。
政府高官からアロウズの権限拡大について探り。
軍人との会話から、部隊配置や上層部の空気を読み取る。
ティエリアも会話へ加わりながら、情報を整理していた。
それでも。
「名前が出ませんね」
留美が小声で言った。
「リボンズか」
「ええ」
留美も、このパーティーへ来るまでその名前を知らなかった。
政財界に広い情報網を持つ彼女でさえ。
それがかえって不自然だった。
「連邦にもアロウズにも影響を持っている人物」
ティエリアが低く言う。
「それほどの人間の名前が、これだけ人間が集まっていて一度も出ない」
「表に出る必要がない立場なのか」
レイナスが答える。
「それとも、意図的に名前を消してるか」
留美の表情が僅かに険しくなる。
「どちらにしても、普通ではありませんね」
その時だった。
「へえ」
三人の背後から声がした。
「本当に来たんだ」
振り向く。
そこに立っていた人物を見て。
ティエリアが固まった。
「……!」
留美も目を見開く。
「ティエリアさん……?」
「僕はここにいる」
「では……」
レイナスが隣を見る。
ティエリア。
そして目の前の人物。
もう一度ティエリア。
「……これはまた」
似ている。
そんな言葉では足りない。
同じ顔だった。
顔立ちの造形そのものが同一。
違うのは髪型。
服装。
そして表情。
目の前の人物は、ティエリアよりも柔らかく。
同時に、人を試すような笑みを浮かべている。
ティエリアが一歩前へ出た。
「……何者だ」
「リジェネ・レジェッタ」
「リジェネ……レジェッタ」
「そう」
「なぜ僕と同じ顔をしている」
リジェネは楽しそうにティエリアを見る。
「気になる?」
「答えろ」
「それは後で分かるよ」
リジェネの視線が留美へ移る。
「王留美」
留美の目が細くなる。
「……私をご存じなのですね」
「もちろん」
「ですが、私はあなたを知りません」
「そうだろうね」
初対面。
少なくとも留美の記憶に、この人物は存在しない。
リジェネの視線が最後にレイナスへ向いた。
「それに――」
「俺の名前まで知ってるって顔だな」
「有名人だからね」
「最近それ、褒め言葉に聞こえなくなってきたよ」
リジェネが笑う。
レイナスの表情は変わらない。
「で?」
「わざわざ声をかけてきた理由は?」
「君達、探している人がいるんじゃない?」
三人の表情が変わる。
「探し人?」
リジェネが静かに告げた。
「リボンズ・アルマーク」
初めて。
この会場でその名前が出た。
レイナスの目から軽さが消える。
ティエリアもリジェネを凝視する。
留美が尋ねた。
「あなたは、リボンズ・アルマークをご存じなのですね」
「よく知っているよ」
「どこに?」
リジェネが踵を返す。
「君達の探し人ならこっちだよ」
レイナスは動かない。
前を歩き始めたリジェネを見る。
「……ずいぶん親切だな」
リジェネが振り返る。
「来ない?」
「頼んでもないのに目的地まで案内してくれる奴は、普通は疑うことにしてる」
「だったら帰る?」
レイナスは一拍だけ置いた。
「いや」
歩き出す。
「行く」
ティエリアが並ぶ。
「罠の可能性が高い」
「ああ」
「それでも?」
「ここまで来て、向こうから本人に会わせるって言ってるんだ」
レイナスは肩を竦める。
「危ないから帰りますじゃ、今日一日の仕事が丸ごと無駄になる」
留美も二人へ続いた。
「私も参ります」
「留美」
「ここまで関わっておいて、私だけ帰るつもりはありません」
「危なくなったら――」
「その時はお願いします」
「……やっぱりそこは俺なんだな」
「エスコート役でしょう?」
「そういう契約だったっけ?」
三人はリジェネの後を追う。
レイナスが通信へ触れた。
「刹那」
返答はない。
もう一度。
「刹那、聞こえるか」
沈黙。
ノイズすら返ってこない。
「……通信が死んだ」
ティエリアが周囲を見る。
「妨害されている?」
「たぶんな」
レイナスは前を歩くリジェネを見る。
「ご招待ってのは間違いなさそうだ」
◇
ホテル上層階・個室
リジェネが扉を開けた。
「どうぞ」
レイナスが先に室内へ入る。
留美を中央へ。
ティエリアが続く。
広い個室。
巨大な窓の向こうには、都市の夜景が広がっている。
そして。
数人の男女が待っていた。
誰もが異様なほど整った容姿をしている。
その中央。
ソファに腰掛けていた青年が立ち上がった。
淡い黄緑色の髪。
穏やかな表情。
柔らかな笑み。
「初めまして」
その声を聞いた瞬間。
レイナスの眉が僅かに動いた。
「……ん?」
「どうしました?」
留美が小声で尋ねる。
「いや……」
青年の顔を改めて見る。
当然、まったくの別人だ。
年齢も。
容姿も。
何より、ここはあの世界ですらない。
それでも声を聞いた瞬間。
昔に知り合った一人の男が頭を過った。
白いモビルスーツ。
地球へ落下する巨大な岩塊。
そして。
その最後まで、人類の可能性を信じていた男。
――アムロ・レイ。
「……まさかな」
「?」
「悪い。昔の知り合いと声が似てただけだ」
留美が青年を見る。
「お知り合いですか?」
「いや。顔は全然違う」
レイナスは小さく首を振った。
「世の中、似た声の奴くらいいるか」
百年以上も生きていれば、そんな偶然もある。
そう片付けて。
レイナスは目の前の青年へ意識を戻した。
青年の視線が留美へ向く。
「王留美」
次に。
「ティエリア・アーデ」
そして最後に。
「レイナス・レノアーク」
レイナスが片眉を上げた。
「こっちは名刺も渡してないんだけどな」
「君のことはよく知っているよ」
「……声は似てても、中身はだいぶ違いそうだな」
「何か言ったかい?」
「こっちの話だよ」
レイナスは軽く流す。
留美が青年を見据える。
「あなたが、リボンズ・アルマーク?」
「そうだよ」
「……」
留美にとっても初対面だった。
ティエリアも同じ。
レイナスも同じ。
ここで初めて。
ルイスから聞いた名前と、目の前の人物の顔が一致した。
「ルイス・ハレヴィさんへ薬を渡した人物ですね」
「彼女から聞いたんだね」
「質問に答えてください」
留美の声は穏やかだった。
だが。
パーティー会場で浮かべていた社交用の笑みは消えている。
リボンズは気にした様子もない。
「そうだよ」
あっさり認めた。
「僕が彼女へ薬を与えた」
ティエリアの目が鋭くなる。
だが。
まずは周囲へ視線を向けた。
自分と同じ顔を持つリジェネ。
青緑色の髪をした青年。
薄桃色の髪の少女。
他にも数名。
全員から。
言葉では説明しづらい奇妙な感覚を覚える。
「お前たちは何者だ」
リボンズが微笑む。
「僕たちはイノベイター」
「イノベイター……?」
「人類を導くために生み出された存在だよ」
ティエリアの瞳が揺れる。
リジェネがその顔を見て笑った。
「そして」
「君も僕たちと同じ存在だ」
ティエリアの呼吸が止まる。
「……何?」
「君もだよ、ティエリア・アーデ」
「僕が……」
ティエリアがリジェネを見る。
同じ顔。
その理由。
「お前たちと同じ……?」
「そう」
リボンズが答える。
「人類を導くために生み出された存在」
「誰が……」
「イオリア・シュヘンベルグ」
室内の空気が変わった。
ティエリアが息を呑む。
留美も表情を変える。
「イオリアが……?」
「彼の計画を遂行するために」
リボンズは静かに続ける。
「僕たちは存在する」
「イオリアの計画……」
留美が口を開く。
「あなた方が?」
「そうだよ」
「ソレスタルビーイングではなく?」
「ソレスタルビーイングも計画の一部だ」
「一部?」
リボンズは窓の外へ視線を向けた。
「武力介入によって世界の矛盾を表面化させる」
「国家」
「民族」
「宗教」
「利権」
「思想」
「人類はあまりにも多くのものに分断されている」
その声を聞きながら。
レイナスの表情が僅かに変わった。
また。
アムロの顔が頭を過る。
だが。
今度は声が似ているというだけではない。
語っているものが。
あまりにも違った。
「人類自身に任せていては、いつまで経っても争いは終わらない」
リボンズが言う。
「だから僕たちが導く」
レイナスは黙って聞いていた。
アムロは。
最後まで、人間を信じようとした。
絶望的な状況でも。
地球へ落ちるアクシズを前にしても。
人の心の光を信じた。
目の前の男は違う。
人間を信じられないから。
自分が上に立って導くと言う。
同じ声。
だが。
その言葉が向いている方向は、まるで逆だった。
「……やっぱり別人だな」
小さく呟く。
リボンズが見る。
「何か?」
「いや」
レイナスは首を振る。
「昔の知り合いなら、そんな言い方はしなかったと思ってね」
「興味深いね」
「お前に昔話を聞かせに来たわけじゃないよ」
留美が一歩前へ出る。
「人類を導くと仰いましたね」
「そうだよ」
「そのために武力を使う?」
「必要ならね」
「人々の意思を無視して?」
「彼ら自身に任せていては、いつまで経っても同じことを繰り返す」
留美の目が鋭くなる。
「だから、あなた方が決める」
「僕たちにはその資格がある」
「誰が、その資格を認めたのです?」
一瞬。
静寂。
リボンズは笑みを崩さない。
「イオリアだよ」
「イオリア・シュヘンベルグ本人が、あなたにそう命じたのですか?」
「……」
僅かな間。
レイナスがそれを見逃さない。
「そこは即答しないんだな」
リボンズの視線がレイナスへ向く。
「面白いね、君は」
「その台詞で話を逸らされるほど若くはないんでね」
「見た目に反して、だったね」
「年齢の話は今いいだろ」
ティエリアが一歩前へ出る。
「ソレスタルビーイングも計画の一部だと言ったな」
「ああ」
「なら、僕たちが再び武力介入を始めたことも計画の内だというのか?」
「いいや」
リボンズはあっさり否定した。
「君たちは、本来ここにはいない」
「何?」
「計画では」
リボンズがティエリアを見る。
「ソレスタルビーイングは四年前に滅びているはずだった」
ティエリアの目が見開かれる。
留美も息を呑んだ。
レイナスの表情も変わる。
「……滅びる?」
「世界中の敵意をソレスタルビーイングへ集中させ、人類を統合する」
リボンズは何でもないことのように語る。
「その役割を終えた後、君たちは歴史から退場する」
「それが計画だ」
「違う!」
ティエリアの声が室内へ響いた。
「僕たちは、そんなために戦っていたわけではない!」
「君がどう思っていたかは関係ないよ」
リジェネが言う。
「計画は君個人の意思とは無関係に進む」
「黙れ!」
「ティエリア」
リボンズが穏やかに呼ぶ。
「君はヴェーダと繋がっていた」
ティエリアの表情が変わる。
「ヴェーダ……」
「なら分かるだろう?」
リボンズは自らの胸へ手を当てる。
「今、ヴェーダを掌握しているのは僕だ」
「……!」
完全に。
点が繋がった。
ティエリアの顔から血の気が引く。
「お前が……」
「そう」
「僕たちからヴェーダを奪ったのは……」
「僕だよ」
ティエリアの拳が震える。
レイナスは目を細めた。
以前。
自分で口にした言葉が蘇る。
――現場で不具合の原因を追っかけてたら、最後に出てきたのが設計図そのものだった……なんてのは笑えない話だからな。
「……参ったな」
留美が見る。
「レイナスさん?」
「嫌な予感ってのは、当たってほしくない時ほど当たる」
リボンズを見る。
「アロウズ」
「連邦」
「ヴェーダ」
「その上に、お前がいる」
「上という表現は少し違うかな」
「じゃあ何だ?」
「導いているんだよ」
「……そうかい」
レイナスの声が低くなる。
留美がリボンズを見据える。
「では、アロウズの異常な権限もあなたが?」
「異常?」
「通常の連邦軍を越える権限」
留美は一つずつ挙げる。
「独自の作戦行動」
「情報統制」
「そしてアザディスタンへの介入」
「あなたが関与しているのですか?」
「必要なことだよ」
「人類を導くため?」
「そう」
「アロウズはあなたの指示で動いているのですか?」
「すべてを直接指示する必要はない」
リボンズは微笑む。
「正しい方向へ進むよう、環境を整えているだけだよ」
「人間を駒として配置して?」
「大きな目的には必要なことだ」
留美の顔から完全に笑みが消えた。
「私は、その考えには賛同できません」
「君なら理解すると思っていたけどね」
「初対面の相手に、随分と勝手な期待をされるのですね」
「君も世界の変革を望んでいる」
「ええ」
留美は即答する。
「ですが」
真っ直ぐにリボンズを見る。
「人々から選択する権利まで奪いたいとは思っていません」
リボンズは少しだけ目を細めた。
「選択か」
「人類が間違えることもあるでしょう」
「争いを繰り返すこともある」
「それでも」
「自分たちの未来を決めるのは、あなたではありません」
レイナスが横目で留美を見る。
そして僅かに笑った。
「そういうことらしいぞ」
「君も同じ考えかい?」
リボンズが尋ねる。
「少なくとも」
レイナスは答える。
「百年以上生きた程度で、他人の人生まで勝手に決めていいとは思ったことはないな」
「君は人類より遥かに長い時間を見てきた」
「だから余計にだよ」
レイナスは肩を竦める。
「人間なんて予定通りに動かない」
「面倒を起こす」
「判断を間違える」
「何度言っても同じ失敗をする」
「……随分と評価が低いね」
「現場にいれば嫌でも分かるさ」
レイナスは薄く笑う。
「でもな」
その目は笑っていない。
「だからって、全部取り上げて代わりに決めてやろうとは思わない」
一瞬。
脳裏に。
再びアムロが浮かんだ。
最後まで。
人間の可能性を諦めなかった男。
「少なくとも、俺が昔知ってた奴は」
「人間ってのを、もう少し信じてたよ」
リボンズは興味深そうにレイナスを見る。
「その人物に会ってみたいものだね」
レイナスの表情が僅かに曇る。
「……もう無理だよ」
それだけ答えた。
そして。
話を切り替える。
「で」
レイナスの声から完全に笑みが消えた。
「ルイスに何をした?」
リボンズは表情を変えない。
「治療した」
「それだけか?」
「擬似GN粒子による細胞障害を抑えた」
「彼女は僕のおかげで苦痛から解放された」
ティエリアが睨む。
「ナノマシンによる細胞への干渉は?」
「進化を促したんだよ」
「進化?」
「人類が次の段階へ進むためのね」
ティエリアの表情が険しくなる。
「本人に説明したのか?」
リボンズは答えない。
それだけで十分だった。
留美が静かに尋ねる。
「ルイスさんは、あなたを恩人だと思っています」
「ああ」
「あなたを信頼している」
「当然だろう?」
「その信頼を利用したのですか?」
「利用?」
リボンズは僅かに首を傾げる。
「彼女は復讐を望んだ」
「僕は力を与えた」
「彼女はガンダムを憎んでいる」
「ならば、その感情を目的へ向けて使えばいい」
レイナスの目つきが変わった。
「……それを利用って言うんだよ」
「君はそう考えるのかい?」
「ああ」
レイナスは即答した。
「弱ってる人間に手を差し出して、本人が知らないところで身体まで弄る」
「治療した結果だ」
「だったら最初に説明して同意を取るもんだ」
「彼女は力を得た」
「結果が出れば工程はどうでもいい、か」
レイナスは小さく息を吐いた。
「悪いけど、そういう仕事は信用しないことにしてる」
リボンズが微笑む。
「やはり君は興味深い」
「俺はお前に興味を持たれても嬉しくないよ」
「当然だろうね」
リボンズの視線が鋭くなる。
「君は、この世界の計画に存在しない人間なのだから」
留美がレイナスを見る。
ティエリアも僅かに反応する。
レイナス自身は表情を変えない。
「ヴェーダには膨大な人類の記録がある」
リボンズが続ける。
「だが君には、ある時点以前の記録が存在しない」
「百年以上を生きているというのにね」
「……」
「君だけが、計画の外側から突然現れた」
レイナスは肩を竦めた。
「そいつは悪かったな」
「謝る必要はないよ」
「皮肉だよ」
「知っている」
「なら流してくれ」
「だからこそ興味がある」
リボンズは一歩進む。
「君の存在は、ヴェーダの予測から外れている」
「ソレスタルビーイングが四年前に滅びなかったこと」
「その後、再び力を取り戻したこと」
「本来存在しないはずの機体」
「アステリオン」
レイナスの目が僅かに鋭くなる。
「よく調べてるな」
「君は計画にとって大きな誤差だ」
「誤差ね」
「不愉快かい?」
「いや」
レイナスは薄く笑った。
「百年以上生きて、ようやく誤差扱いされたかと思ってね」
「喜んでいる?」
「まさか」
一拍。
「でも、予定表通りに消えてやるよりは性に合ってる」
ティエリアがリボンズを見る。
もう迷いはなかった。
ヴェーダを奪った。
ソレスタルビーイングを滅ぼすことが計画だったと言った。
アロウズを使い。
人間を駒として扱う。
それを。
イオリアの計画だと称する。
「お前は……」
ティエリアの手が動く。
懐から拳銃を抜いた。
銃口がリボンズへ向く。
「イオリアの計画を――!」
銃声。
ティエリアが撃つより早かった。
手元で火花が散る。
「っ!」
拳銃が弾き飛ばされ、床を滑った。
黄緑色の髪の少女。
ヒリング・ケア。
その手には拳銃が握られている。
銃口から細い煙。
「させないよ」
レイナスが即座に動いた。
留美の前へ出る。
同時に。
周囲のイノベイターたちも構える。
「ティエリア!」
ティエリアが窓を見る。
判断は一瞬だった。
窓へ向かって走る。
「レイナス!」
「分かってる!」
ティエリアが跳ぶ。
身体ごと窓へ突っ込んだ。
巨大なガラスが砕け散る。
夜風が室内へ吹き込む。
レイナスは留美へ手を伸ばした。
「失礼!」
「え?」
片腕を背へ。
もう片方を膝裏へ。
そのまま抱き上げる。
「きゃっ――!」
完全なお姫様抱っこ。
留美が反射的にレイナスの首へ腕を回す。
「ちょ、レイナスさん!?」
「説明は後!」
青白い《アニマ》が身体を包む。
レイナスが窓際へ走る。
その直前。
振り返った。
リボンズと視線が合う。
「悪いな」
「?」
「今日はここで強制退勤だ」
そして。
窓から飛び出した。
◇
ホテル外壁
ティエリアが落下する。
途中の構造物へ着地。
再び跳ぶ。
その横を。
青白い光が通過した。
「ティエリア!」
「レイナス!」
王留美を抱えたまま。
レイナスが《アニマ》で空中へ足場を作っていた。
「先に行け!」
「了解!」
ティエリアが降下する。
レイナスも続く。
腕の中で留美がしっかりと首へ掴まっている。
「レイナスさん!」
「何だ!」
「随分と強引なエスコートですね!」
「俺もこんなサービスは予定になかったよ!」
「パーティー会場から女性を抱えて窓から逃げる殿方は、なかなかいませんよ!」
「俺が窓を割ったんじゃない!」
「そこが問題なのですか!?」
下層階。
非常口が開いた。
「レイナス!」
刹那が飛び出してきた。
「刹那!」
「銃声がした」
「いいタイミングだ!」
ティエリアも着地する。
「刹那、脱出する!」
「何があった」
「移動しながら話す!」
三人はホテルを離れた。
◇
ホテル近郊・森林地帯
木々の間。
偽装シートの下に三機のガンダムが隠されていた。
00ガンダム。
セラヴィーガンダム。
そして。
ガンダムアステリオン。
刹那が00へ向かう。
ティエリアはセラヴィーへ。
レイナスもアステリオンへ走った。
まだ留美を抱えている。
「レイナスさん」
「何だ?」
「そろそろ降ろしていただいても」
レイナスが止まった。
「……悪い」
留美を地面へ降ろす。
「忘れていたのですか?」
「逃げるのに夢中だった」
「そうですか」
「何だ、その顔」
「いえ。別に」
「絶対何かあるだろ」
だが。
次の問題がある。
レイナスがアステリオンを見る。
「で」
留美も見る。
「ここからどうするか、ですね」
「置いていくわけにもいかない」
「では?」
「乗ってもらう」
「二人乗りでしたか?」
「一人乗り」
留美が黙る。
「……大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃなくてもやるしかない」
ハッチを開く。
「緊急時に仕様書通りの運用ができるなら、現場は苦労しないって」
「レイナスさんらしいですね」
「褒められてる気がしないな」
留美を先にコクピットへ入れる。
続いてレイナス。
当然。
狭い。
一人用なのだから。
レイナスがシートへ座り。
留美を前へ収める。
「……近いですね」
「今それ言う?」
「事実ですから」
「我慢してくれ」
アステリオンが起動する。
モニターに夜の森林が映る。
「しっかり掴まってろ」
「どこへ?」
「俺でいい」
「では遠慮なく」
留美の腕が回る。
「……もう少し遠慮してもいいんだぞ」
「落ちたら困りますので」
「ごもっとも」
三機のガンダムが上昇した。
◇
地球連邦領上空
00。
セラヴィー。
アステリオン。
三機が夜空を高速で離脱していく。
『ティエリア』
刹那が呼ぶ。
『あいつらは何者だ』
短い沈黙。
ティエリアはすぐには答えなかった。
頭の中を整理する。
リジェネ・レジェッタ。
自分と同じ顔。
イノベイター。
イオリア・シュヘンベルグ。
四年前に滅びるはずだったソレスタルビーイング。
アロウズ。
そして。
ヴェーダを掌握している男。
リボンズ・アルマーク。
『ティエリア?』
「刹那」
ティエリアが顔を上げる。
迷いはなかった。
『見つけたぞ、刹那』
『何をだ』
ティエリアの声が強くなる。
『世界の歪みだ!』
刹那の目が鋭くなる。
アステリオンのコクピット。
留美も通信を聞いていた。
「……世界の歪み」
「言いたくなる気持ちは分かるよ」
レイナスが前を見る。
「思ってたより随分と根っこの方まで面倒だったみたいだからな」
その瞬間。
警報。
レイナスの表情が変わる。
「前方?」
センサーに高エネルギー反応。
『回避しろ!』
刹那の声。
三機が散開する。
直後。
夜空を巨大なビームが貫いた。
アステリオンが急旋回する。
「っと……!」
「きゃっ!」
留美がレイナスへしがみつく。
「悪い!」
「先に言ってください!」
「撃ってきた奴に言ってくれ!」
第二射。
セラヴィーが回避。
00が上昇する。
『敵機確認!』
ティエリアの声。
闇の向こうから。
一機のMSが姿を現した。
赤。
異様に長い四肢。
巨大な剣。
ガンダムでありながら。
どこか歪んだ、禍々しいシルエット。
刹那が息を呑む。
『ガンダム……?』
ティエリアが照合する。
『データにない機体だ!』
レイナスは無言で機体を見る。
次の瞬間。
オープン回線に笑い声が響いた。
『ハハハハハハッ!』
その声。
刹那の顔色が変わる。
ティエリアも反応した。
そして。
レイナスの目が鋭くなる。
忘れるはずがない。
『久しぶりじゃねえか!』
「……お前か」
レイナスの声から。
先ほどまでの軽さが完全に消えた。
刹那がその名を口にする。
『アリー・アル・サーシェス……!』
赤い異形のガンダム。
アルケーガンダム。
そのコクピットで。
アリー・アル・サーシェスが嗤っていた。