機動戦士ガンダムOOR   作:ミスト12523

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第84話 静かな声

第84話 静かな声

西暦2312年春――ソレスタルビーイング宇宙整備拠点・医務区画

「じゃあ、始めるぞ」

ベッドに腰掛けたルイスが、小さく頷いた。

「お願いします」

その正面に立つレイナスが右手を伸ばす。

青白い光が掌に灯った。

《アニマ》。

戦闘では肉体を強化し、MSすら破壊する力。

だが、それだけではない。

レイナスが意識を集中させると、光は穏やかに形を変え、ルイスの身体を包み込んでいった。

「痛かったら言ってくれ。治療で患者を増やしたら、さすがに笑えない」

「前も大丈夫でした」

「そういう患者ほど我慢するから言ってるんだよ」

「……はい」

医療用モニターの前では、スメラギとティエリアが数値を確認している。

本来なら医療機器だけで追うところだが、今回は事情が違った。

擬似GN粒子による細胞異常。

それを抑えるため、リボンズ・アルマークから与えられていたナノマシン錠剤。

そして、その薬によって促進されていた身体の変化。

どれも通常の治療法だけで簡単に片付くものではない。

青白い光が、ゆっくりとルイスの身体を巡る。

レイナスは目を閉じた。

傷を塞ぐだけなら難しくない。

だが今回は、正常な細胞と異常を起こしている部分を見極めながら、《アニマ》で少しずつ状態を整えていく必要がある。

「……やっぱり面倒だな」

「何か問題が?」

ルイスの声に、レイナスが目を開ける。

「いや。身体ってのは機械みたいに悪い部品を外して新品に交換ってわけにはいかないって話だ」

「当たり前です」

「分かってるよ。言ってみただけだ」

スメラギが苦笑する。

「集中してるんじゃなかったの?」

「してるさ。黙ってないと集中できないほど器用じゃない」

「普通は逆じゃない?」

「俺に普通を求めるのは、そろそろ諦めた方がいいと思うぞ」

「それもそうね」

「納得されると、それはそれで傷つくな」

ルイスの口元が僅かに緩んだ。

それを見てから、レイナスは再び治療へ意識を戻す。

しばらくして。

モニターを見ていたティエリアが眉を動かした。

「細胞異常を示していた数値が低下している」

「前回よりも?」

「ああ。明らかに安定している」

「薬は?」

スメラギが尋ねる。

「現状では投与の必要はない。少なくとも、以前と同じ頻度で服用する理由はないだろう」

ルイスが自分の左手を見る。

指を握る。

開く。

以前とは違う。

身体の奥に常にあった不快感。

焦燥。

何かに急かされるような感覚。

それが薄れている。

「……あれ?」

レイナスが光を弱める。

「どうした?」

「なんだろう……」

ルイスは額へ手を当てた。

「痛むのか?」

「違います」

「気分が悪い?」

「それも違う」

ルイスは目を閉じた。

確かめるように。

自分の内側へ意識を向ける。

そして。

ゆっくり目を開けた。

「……静か」

「静か?」

「はい」

少し戸惑いながら。

ルイスは言った。

「頭に響いてた声が、なくなった気がする」

部屋の空気が変わった。

スメラギとティエリアが顔を見合わせる。

レイナスも笑みを消した。

「声?」

「ずっと聞こえてたわけじゃありません。でも……」

ルイスは言葉を探す。

「何かを考えていると、頭の奥に別の考えが入り込んでくるみたいな……」

「具体的な言葉が聞こえてたのか?」

「分かりません」

ルイスは首を振った。

「今までは、それが変だとも思ってなかったから」

自分の胸へ手を置く。

「でも今は……」

静かだった。

「自分の頭の中が、自分だけのものになったみたい」

レイナスは何も言わず、ルイスを見る。

リボンズ。

ナノマシン。

イノベイター化を促進する作用。

そこに何らかの繋がりがある可能性は高い。

だが、まだ断定できる材料はない。

「なら、今はそれでいい」

「え?」

「せっかく静かになったんだ。わざわざ頭の中をひっくり返して、なくなったものを探す必要もないだろ」

レイナスは再び掌を向けた。

「身体の方はまだ店じまいってわけにはいかないけどな。しばらく付き合ってもらうぞ」

「……はい」

ルイスは頷く。

今度は。

少しだけ穏やかな表情で。

          ◇

同時刻――リボンズ・アルマーク

リボンズが不意に目を開いた。

僅かな沈黙。

そして。

「……消えた」

近くにいたヒリングが振り返る。

「何が?」

「ルイス・ハレヴィとのリンクだよ」

それまで確かに存在していた感覚。

ナノマシンによって促進された変化を通じて捉えていた、ルイスの脳量子波。

それがない。

「死んだ?」

「いや」

リボンズは即座に否定した。

「そうじゃない」

「じゃあ、薬が切れただけとか?」

「それなら、ここまで綺麗には消えないよ」

リボンズは目を細める。

繋がりだけではない。

ルイスの中で進行していた変化そのものが、急速に弱まっている。

通常ならあり得ない。

薬の服用を止めた程度では、こうはならない。

ヒリングもその表情に気づく。

「何かされた?」

「おそらくね」

「ソレスタルビーイングに、そんな技術があるの?」

「ないよ」

リボンズは静かに答えた。

少なくとも。

ヴェーダが把握している技術体系の中には存在しない。

だからこそ。

思い当たる存在は一人しかいなかった。

「レイナス・レノアーク」

ヒリングが僅かに眉を寄せる。

「あの人?」

「彼なら不思議じゃない」

「人間の身体まで治せるの?」

「僕も初めて知ったよ」

リボンズの口元に薄い笑みが浮かぶ。

自分の知らない力。

ヴェーダにも説明できない現象。

そして。

計画の外側から、当然のように結果を書き換えていく男。

「本当に……」

リボンズは小さく笑った。

「僕の知らないことばかりしてくれる」

その声には苛立ちよりも。

強い興味が混じっていた。

          ◇

宇宙整備拠点・格納区画

「……増えたな」

ラッセが腕を組んで呟いた。

目の前に並んでいるのは、三機のアロウズ系MSだった。

GN-X III。

アヘッド・スマルトロン。

そして、もう一機のGN-X III。

三機とも、ソレスタルビーイングが正規に調達した機体ではない。

「増えたな、じゃない!」

イアンの怒声が格納庫に響く。

その正面。

レイナスは三機を見上げていた。

「いや、並べてみると壮観だなと思って」

「誰のせいだと思ってる!」

「そこを掘り下げると話が長くなるぞ」

「全部お前だ!」

「一行で終わったな」

ラッセが横を向く。

笑うのを堪えている。

「ラッセ、お前も何とか言え!」

「俺に振るなよ」

「ほら、現場も困ってる」

「お前が現場を困らせてるんだ!」

レイナスは改めて三機を見る。

「しかし、三機か」

「そうだ。三機だ」

「一機くらい部品取りに――」

「勝手に決めるな!」

「まだ最後まで言ってないだろ」

「言わなくても分かる!」

「長い付き合いになったもんだな、イアン」

「嬉しくない!」

そこへ。

医務区画から戻る途中だったルイスが姿を見せた。

自分が乗っていたGN-X IIIを見つけ、足を止める。

「……私の機体」

レイナスが振り返った。

「ああ。返してほしいか?」

ルイスは数秒考えた。

「……いりません」

「だよな」

「勝手に話を終わらせるな!」

イアンの声が再び響く。

ルイスが少し驚く。

ラッセはとうとう笑った。

「まあ、本人もいらないって言ってるんだからいいんじゃないか?」

「そういう問題じゃない! 置き場も整備も解析も、全部こっちに回ってくるんだぞ!」

レイナスが頷く。

「現場の苦労ってのはよく分かる」

「原因が言うな!」

「俺だって昔は普通の会社員だったんだ。現場に無茶を振る奴には一家言ある」

「今のお前が一番無茶を振ってるんだよ!」

ルイスが思わず笑った。

レイナスがそちらを見る。

「どうした?」

「いえ……」

ルイスは首を振る。

「ソレスタルビーイングって、もっと怖いところだと思ってました」

ラッセが肩を竦めた。

「まあ、こんなもんだ」

「変なのが一人いるだけだ」

イアンが言う。

レイナスが眉を上げた。

「一人で済むか?」

「少なくとも今ここで一番変なのはお前だ!」

「それなら否定はしないけどな」

          ◇

宇宙整備拠点・ブリッジ

「三機?」

リヒティが端末から顔を上げた。

フェルトがデータを確認しながら頷く。

「うん。GN-X IIIが二機と、アヘッド・スマルトロン」

「いつの間にそんなことになったんだ……」

「レイナスが持って帰ってきたから」

簡潔だった。

「……なるほど」

リヒティはそれだけで納得した。

少し考えてから。

「いや、納得しちゃ駄目な気がする」

フェルトが小さく笑う。

「私もそう思う」

「このまま増えたりしないよな?」

「イアンが本人に言ってたよ。これ以上持って帰ってくるなって」

「レイナスは?」

「分かったって」

リヒティが安心したように息を吐く。

数秒後。

「……あの人の『分かった』って、信用していいのかな」

フェルトは少し考えた。

「それは次の戦闘が終わったら分かるんじゃない?」

「怖いこと言わないでよ」

ブリッジには、久しぶりに穏やかな空気が流れていた。

          ◇

宇宙整備拠点・展望区画

人工照明を落とした展望区画。

窓の向こうには、星々と地球の青い輪郭が広がっていた。

レイナスは壁際に立ち、缶入りの飲み物を片手に外を眺めていた。

「珍しいですね」

背後から声がする。

振り返ると、王留美がいた。

「何が?」

「一人で静かにしていることが」

「俺を何だと思ってるんだ?」

「格納庫でイアンさんに怒鳴られている方でしょうか」

「情報が早いな」

「先ほどまで格納区画に声が響いていましたので」

「筒抜けだったか」

留美が隣へ立つ。

しばらく二人で地球を見る。

「ルイスの方は?」

「落ち着いてる。すぐ完治ってわけにはいかないけど、前よりはずっといい」

「そうですか」

留美の表情が僅かに和らぐ。

「よかったです」

「昔から知ってるんだったな」

「ええ。親しい友人というほどではありませんが、何度か社交の場で」

「随分変わっただろ」

「……ええ」

留美は否定しなかった。

「ですが、全てではありません」

レイナスは少し笑う。

「本人にも似たようなこと言ったのか?」

「少しだけ」

「そりゃ何よりだ」

再び沈黙。

居心地の悪いものではなかった。

やがて。

留美が窓の向こうを見たまま口を開いた。

「私は、自分が世界を見ているつもりでした」

レイナスは何も言わない。

「世界各地に情報網を持ち、必要な情報を集め、ソレスタルビーイングを支援する。それが私の役割でした」

「そうだな」

「ですが、リボンズ・アルマークは私よりも遥かに深い場所から世界を見ていた」

ヴェーダ。

連邦政府。

アロウズ。

そしてイノベイター。

自分が知らなかったところで。

あまりにも多くのものが繋がっていた。

「私が集めていた情報も、人脈も……どこまで信用していいのか、分からなくなります」

レイナスは缶を傾ける。

少し考えてから答えた。

「だったら、一から確かめ直せばいいさ」

留美が横を見る。

「簡単に仰いますね」

「難しく考えて正解が出るなら、俺もそうするんだけどな」

肩を竦める。

「分からないもんを分からないまま抱えてても、仕事は勝手に片付いちゃくれない。面倒でも、一個ずつ確認するしかないだろ」

「百年以上生きた方の言葉とは思えませんね」

「百年以上生きたって、急に世の中の答えが見えるようにはならないさ」

「そういうものですか?」

「少なくとも俺はな」

レイナスは窓の外へ目を戻す。

「それに、お前の見る目が全部駄目だったわけでもないだろ」

「どうしてそう思うのです?」

「俺をスカウトした」

「…………」

レイナスが留美を見る。

「そこで黙るなよ」

留美の口元が僅かに緩んだ。

「いえ。その結果、格納庫に鹵獲機が三機並んでいると思いまして」

「人材評価に鹵獲機の数を入れるのはやめてくれ」

「では、成功だったと?」

「少なくとも俺はそう思ってるよ」

レイナスは軽く缶を振った。

「お前が声を掛けなきゃ、俺が今ここにいることもなかった。刹那たちと一緒に戦ってることも、アステリオンに乗ってることもな」

「随分と色々ありましたね」

「ああ。予定外ばっかりだったけどな」

レイナスは小さく笑う。

「でもまあ、悪くない」

留美が静かに彼を見る。

「あの時、お前が俺を拾った。それで今がある」

一拍置いて。

「だから、その件に関しちゃ自分の見る目を信用していいんじゃないか」

留美の目が僅かに細くなる。

「随分と自信がおありなのですね」

「百年以上生きてりゃ、自分が当たりかハズレかくらいは分かるさ」

「どちらなのです?」

「そこは当たりって言わせてくれよ」

留美が笑った。

声を立てるほどではない。

だが。

いつもの社交的な微笑とは少し違う。

「では、そういうことにしておきます」

「なんか引っ掛かる言い方だな」

「気のせいです」

「最近それで押し切る奴が多くないか?」

留美は答えない。

代わりに端末を取り出した。

「ところでレイナスさん」

「ん?」

「先ほど食堂で話題になった写真ですが」

嫌な予感がした。

「まだその話するのか?」

「ご希望でしたら、お送りしますよ」

「いらん」

即答だった。

「即答ですか?」

「あれ以上、被害を拡大させる気はない」

「よく撮れているのですが」

「記憶だけで十分だ」

「残念です」

レイナスが留美を見る。

「……その『残念』、最近気に入ってるだろ」

「さて、何のことでしょう」

「まったく……」

留美が楽しそうに歩き出す。

数歩進んだところで振り返った。

「レイナスさん」

「ん?」

「ありがとうございます」

それだけ言って。

留美は展望区画を後にした。

レイナスはしばらくその背中を見送る。

「……礼を言われるようなことしたかね」

一人になった展望区画で。

再び地球へ視線を戻す。

この世界に来たばかりの頃。

何の縁もなかった自分へ声を掛けた少女。

あの出会いから。

随分と遠くまで来たものだった。

「まあ……」

レイナスは残った飲み物を口へ運ぶ。

「拾われた側としちゃ、もう少し働いてやるさ」

静かな宇宙を眺めながら。

レイナスは小さく笑った。

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